蒼谷騒然(3)


触れた唇が冷たく感じたのは、自分の頭が沸騰してその熱が顔に伝播していたせいかもしれない。自分のカウントと椎神のカウントのずれは生じるだろうが、この罰ゲームのような時間が早く終わってほしい。・・・5,6,7・・・・。10秒がこんなにも長く感じるなんて。
人間、嫌なことほど長く感じるということを、千加は身を持って思い知った。



・・・・・・・よし!、10秒だ!
そう思って顔を放そうとしたとき、後頭部を鷲掴みにされて一層強く唇を押し当てられた。


「うんぐぐぐぎぐぐぐぅんんん!!!!!!」


驚きのあまり大きな目を更にパチクリと開けると、椎神の後ろに立っている知らない奴と目が合った。

(み、見・・・見られてるううううぅぅぅーーーーー!)



目が合った奴は、口まであんぐりと開けて白昼堂々とキスを交わす男2人を凝視する。こんな光景を見つけてしまっては、驚くのは当然だ。ケンカに没頭する三悪2人、かたやキスに励む三悪。この場で何が起きているのか、正確に把握している奴なんて誰もいないだろう。自分だって何でこんなことになっているのか、今一つ把握しきれていないのだから。
立て続け起こるショッキングな出来事に、抗議しようとした口に入り込んできたのは、それを上回るショッキングな行為だった。


(し、舌、舌入れんな!!ぐえーーーーーー)


確かにキスの種類までは言わなかったが舌を入れるなんて想定外。キスは「ソフトキス」で十分だ、こいつとそれ以外のキスなんてありえない、と勝手に決め込んでいた千加はもう10秒は軽く超えただろうと判断し、超過料金でもせしめてやろうかと頭の中で悪態をついた。


(誰がこのドS悪魔となんかベロチューするかよ!)


離れようと肩を押すとその腕を取られて引き寄せられ、これではまるで自分からせがんで椎神にキスをしているように見える体勢になってしまった。

「んん・・・う・・・・・・」

深く口内に挿し込まれた舌は歯肉や歯列を強くなぞり、押し戻そうとする舌を見つけるとすぐに吸い付き甘噛みまで施して来る。さっきまで冷たく感じていた唇はもうそこには無く、徐々に熱を持ち始め吐息もその温度を上昇させた。




(なんか、やばい)




キスの快感と心の不快感。
認めたくない、しかし確かにゾクゾクとする快感が背筋に駆け上がって来る。どちらかと言えば自分は相手に快感を与える方で、キスで狙った相手を撃墜する自信があるくらいテクニックは磨いているつもりだった。なのに今は自分が椎神のキスに撃墜されそうだった。


(相手はこいつだって言うのに・・・クソッ、なんだよこいつの・・・この◎△※%$?▼!な動きは!!・・・・・・・・う、・・・うまい!)


言葉に表すことができない程の強烈なキスの快感を、無理やり与えられいいように扱われていることに、撃墜王?としてのプライドが傷つき、ふつふつと反撃の意思がわき上がって来る。キスの主導権を握られたように感じた千加は、舌を入れられたショックよりも快楽に耽りそうになる自分が負けたような気がして無性に腹が立った。


(ま、・・・負けるもんか・・・)


得意なことで先手を打たれ危機的状況に陥った千加は、「こいつには負けたくない」という一心で、襲い来る敗北感を怒りに転換し、滅入っていた気持ちを怒気によって一気に浮上させた。

それは千加ならではの、妙なスイッチが入った瞬間だった。



(お前には・・・勝つ!!)




「ふんうううぅぅっ!」


フッ・・・と鼻で椎神が笑ったのが分かった。千加が感じていることに気付いた椎神にバカにされたと思った千加は、やられてばかりいるのが悔しくて「キスならこっちもそれなりのテクを持っている!覚悟しやがれ!」と今度は逆襲に出たのだった。
嫌々ながら真正面に合わせていた唇を、キスしやすいように顔の向きを少しずらし、肩を抑えていた右手を椎神の耳朶の下に添えて顔を上に向かせた。長い脚の間に割って入り、より密着できるように体を近づけた。千加が上から与えるキスを今度は椎神が受け止めることになり、椎神は椅子の背もたれに体を預けて与えられるキスを感受した。


互いに相手の舌を探り、吸い寄せようとすればかわされ、気を抜けば絡め取られる。相手の隙を狙いながら、快感に流されないように気を張りながらのキスの応戦。クチュグチュ・・・と激しく貪り合う音を立てながら引かぬ攻防を繰り広げる2人は、更に熱を高める濃厚なキスに溺れていくようだった。






「ちー先輩!!」

名前を呼ばれた時は体が後ろに引っ張られていた。
後ろに落ちると思うほど勢いよく倒れた先は、自分を包み込んでしまうほど大きな体をした逞しい腕の中だった。

「・・・ケ、ケイト・・・・・!!」

「ちー先輩!大丈夫ですか!なんで・・なんであいつとキスなんかしてるんですか!」
「そ・・それは」

千加を守るように掴んだ手は怒りで震えている。

「言っときますけど、遠野君が私にキスをしたのであって、私からしたわけではありませんから。怒るのはお門違いですよ」

椅子の背もたれに寄りかかって長い脚を組み直した美麗な天使は、悪魔のような陰険な笑みを見せて、濃厚なキスの名残を残す潤った唇を指先でなぞった。

「なっ、僕は・・・、強制したのはお前だろ!」
「勘違いは困ります。私は強制はしていませんよ。提案はしましたけど選んだのは遠野君です。違いますか?」
「そ、それは・・・・」

確かにそうなのだ。選んだのは自分で、でもそれ以外に方法が見つからなかったからこれは不可抗力なのだ。しかしそれをケイトに見られているとは思わなかった。いくら理由があるキスとはいえ、それを恋人に目撃されるのはさすがにバツが悪かった。しかし、目撃していたのは・・・・・・

「う・・・・・・・・・・・・」



周りを見ると、顔を赤らめて自分達を凝視する連中と目が合った。1人、2人、3・・・・・・。エントランスに集まった野次馬をぐるっと半分見渡しただけでも、ここに多数の視線が集中している。衆人環視の中、2人はキスに没頭していたことになる。

(う、うわああああああ!は、恥ずかしい、よりにもよって、この悪魔野郎とのキスをみ、皆に見られるなんて!めちゃくちゃ恥ずかし!!!)

千加は恥ずかしさと怒りで憤死しそうだった。




「三悪の・・・あんた、よくも俺のちー先輩に、」
「怒りの矛先を間違えないように。不満なら恋人がありながら、浮気した愛するちー先輩にぶつけてください」

「お前!」
「だめだって、ケイト!こんな奴相手にしないでよ」

椎神に殴りかかろうとするケイトの腰に抱きついて、千加は必死に止めた。こんなところさえも前回のケンカと類似する。もういい加減にしてほしかった。「全部椎神が悪い」と、千加はそれを口に出すとケイトが殴りかかるのをもう止められなくなると思ったのでぐっとこらえた。



「何だか間男扱いで嫌ですねぇ・・・」

「どうせ卑怯な手を使って無理やりキスさせたんだろう。じゃないとあんたの事を嫌ってるちー先輩がこんなことするわけがない。先輩放してください!こいつ殴ってやらないと俺の気が済みません」

「だめーーー絶対ダメ。暴力はダメ。ケイトやめてってば」

ケイトの言ったことはおおよそ正解だ。それを聞いて椎神はほくそ笑む。

「いいですよ。殴りたければどうぞ。売られたケンカは買いますけど、五体満足で帰れるとは思わないでくださいね。バスケ部のホープ君。・・・・・・・・・・都大会は再来週でしたっけ?」

「!!」
「なっ・・・・・・・」



「私、手加減って苦手なんですよ」



椎神は椅子からゆっくりと立ち上がった。
ケイトよりは体躯は劣る椎神だが、椎神はその突き刺さるような視線だけで自分よりも大きな相手を簡単に威圧できた。大きなケイトの体が緊張するのが、体にすがりつく千加には伝わった。



「威勢がいいのは口だけですか?恋人の名誉を守るか、自身の夢を優先するか。秤にかけてるにしてはちょっと時間がかかり過ぎですよ」


揺らぐ心を見透かす椎神の言葉はケイトには痛烈だった。大事なのは千加なのに、椎神を殴ることをためらい、試合のことを持ちだされて躊躇した自分が情けなかった。そんな迷いを千加の目の前で晒してしまったことも、ケイトにとっては失態だった。



「大事なものは一つだけにしないとね。二兎を追う者は、結局のところ何も手に入らないんですよ」



冷たい視線に捕われたまま固まったように動けず、ただ椎神を睨みつけることしかできないケイト。その横を椎神はゆっくりと通り過ぎ、ケイトがその背に隠した千加に向かって嘲笑しながら言葉を投げた。



「君は犬を飼うのが上手ですね。さしずめ餌は自分自身って所ですか?頭の先から足の指先まで、舐めまわしてくれそうな忠犬で・・・・フフッ、いろいろと満足してるんでしょうね」
「っ・・・・・・・・」

「飼い主としては合格ですよ」


笑い方がいやらしい。自分達がそういった関係にあることを椎神は示唆している。そして答えられない自分達を見て確証を得たようにクスリと笑った。




「なんてね。さてと、嫌がる顔も堪能できましたし、そろそろ行かないとさすがにまずいですね」

「あ・・・」

言われて千加はやっと今はこんな事で揉めている場合では無かった!と現状を回帰した。散らばる椅子。横倒しになったテーブル。割れた花瓶にガラス・・・虎太郎は、無駄だと分かっていても、それでも龍成に向かっていく。何度でも、その顔面に一発ブチ込むまで虎太郎は止めないだろう。そんな気迫が伝わって来る。



「ああ・・・嫌ですね。何で好き好んで・・・・。あの位置なら間違いなく顔ですよ。ああ・・・嫌だ嫌だ。何も学校でやらなくてもいいのに。ちょっかい出すなら場所くらい考えてほしいですよ、全く」



ブツブツ言いながら、椎神は虎太郎と龍成が拳を交わす危険地帯にのんきに歩いて行く。口では嫌だといいながらもその足取りはさして重くは見えない。スタスタと歩み寄り2人が交錯する様子をじっと見ていたかと思うと、椎神が千加の視界から突然消えた。






「え!?」




瞬きした瞬間。




椎神の姿が消えたかと思ったと同時に、ガツッ!!という鈍い音が鳴り、ガタガタと何かがぶつかる大きな音がした。




散乱したテーブルと椅子の中に、背中から吹っ飛んだのは・・・・・・・・・・椎神。
後頭部を押さえながら起き上がった椎神は、床に尻もちを付いたまま下げていた顔を上げた。




「しぃ・・・!?」




虎太郎の声はそこで詰まった。

椎神の口の端から血が垂れ落ちる。それが真っ白なシャツに落ちて血の赤がやけに鮮やかに浮かび上がる。虎太郎は震える自分の拳を見て息を飲んだ。






――― 俺が・・・・・・殴った・・・・・?






殴った拳を反対の掌で包み、ブルブルと震える手を押さえようとしたが逆にそれは大きくなっていく。龍成に向かって放ったはずの拳は、椎神の頬を直撃した。



何で椎神に・・・!!





「・・・あ・・・切れた?」


ぬぐった指に血痕を見た椎神は、特に驚くこともなくポツリとつぶやいた。



口から血を流す椎神。
何が起こったのか把握できない虎太郎は、呆然としたまま手の震えと殴った感触が残る拳の痛みを感じた。冷めていく怒りに周りの惨憺たる状況が次第に目に映り、最後に正面に立つ龍成と視線が合った。
龍成の眼には虎太郎が映るが、その眼からはすでに戦う意思が消え、さっきまであれほど高揚してニヒルな笑みさえも浮かべていた顔は、一気に無表情になった。






「全員教室に戻りなさい。そこの3人、それと始めからここに居た生徒は・・・」




教師の声がエントランスに響くと、時間が止まったようにシーンと静まり返っていたホール全体がざわめきだした。




「チッ、」

ポケットに手を突っこんだまま龍成は壁に寄りかかる。椎神はハンカチで口元を抑えると、教師に保健室に連れて行かれた。そして始めからエントランスに居た4,5人の生徒のみがその場に残され、閑散とした空間にはピリピリとした空気が漂った。
千加も事情を話すと教師に訴えたが、後で聴くと言われたのは、おそらく普段から虎太郎と仲がよかったのを教師が知っているからであろう。たまたまエントランスに居た生徒の話の方が、話の信用性に長ける。友人となると中立な立場で物は言わない。教師はそう判断し千加を教室に帰した。
エントランスから追い出されながら、その場に残された虎太郎が心配で、人波に押されながらも後ろを振り返ると、厳しい口調で教師に問いただされる虎太郎の様子が目に入った。




確かにケンカは止まった。


一瞬で。




しかし、事態はより深刻化していくように感じられた。

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