蒼谷騒然(2)


「だめだよ、こたろー」

追い駆けてたどり着いた先で向かい合う2人の雰囲気は、緊迫していて最悪な状況だったけれど、何やらもめた挙句虎太郎が京極を呼び止めたと思った矢先、いきなり殴りかかったのを見たときはデジャブかと思った。
千加の目には2週間前と同じ光景が映し出されていた。ただ相手が違うだけの。

虎太郎が拳を振るう姿は幾度か目にしたことがある。あの廃屋の事件の時もそうだったが、いつも穏やかな虎太郎も敵に挑む時は瞳から優しさが消える。敵に対する時には誰もがそうなるのだろうが。今まさに、虎太郎の敵は京極だった。
優しさの代わりに、憎しみが見え隠れする辛辣な表情なんて虎太郎には似合わないのに。最近はそんな虎太郎ばかり見ている気がして、千加は悲しくてたまらなくなった。



椎神の時と同じ、京極も受け身で虎太郎の拳や蹴りをかわし、自分からは積極的に攻撃しているようには見えない。大きな体を巧みに切り返し、自分よりは小柄な相手の周りをステップを利かせるかのように逃げ回り簡単には間合いを詰めさせない。
だが相手が蹴りを使わないことを分かっている虎太郎は、左腕の攻撃だけに注意を払えばいいので、右側面に攻撃を集中させて連続で攻め込めば拳が届くわずかな隙が生まれるかもしれないと考えた。龍成は避けるのが面倒だからわざと相手の攻撃を受けて、安易に攻め込んできた相手に零距離でひざ蹴りをブチ込むようなタイプだ。体の上部、下部をランダムに狙いゆさぶりをかければ、腹には拳が届くかもしれない。体に何発かヒットさせて上体を落とさせないと、龍成の顔面には到底拳は届かない。だからまずは体に狙いを定める事に集中した。

ガシュッと布を擦る音、虎太郎の拳が京極の体をかすり惜しいところでパンチは空振り、今度はすかさず蹴りを繰り出すとわき腹にドスッと手ごたえを感じた。
虎太郎の蹴りが、京極の右わき腹を蹴り上げた。



(あ・・・当った・・・)



龍成に蹴りを入れた。それは人生で初めての体験だった。タイミングとか間合いとかどうやったのかなどは無我夢中だったので今更思い出せない。ヒットできたことが自分でも信じられなかった。そこはわき腹で顔では無いがそれでも体に蹴りが届いたことで、万が一にも・・・という可能性が沸く。
不可能だと思っていたけれど、顔面に一発、ブチ込めるかもしれない。龍成は利き腕も蹴りも使わない。左手は防戦一方。これなら・・・・・・・・・・いける!
そう虎太郎が思えるほど、たった一発を入れたことは自身を興奮させ奮い立たせる大いなる勝機を生み出した。



「逃げるのはやっぱ、性に合わねえな」

脇に蹴りを入れられたが、大した痛みも感じていないような様子で龍成は虎太郎に向かって言った。

「ハンデも丁度いいみてえだし、やっぱこれおもしれえわ。それに・・・もっと懐深く潜り込まねえと、ヒットしても大したダメージを与えることはできねえぞ。タロ。あと切り返しも遅えしな、あれじゃすぐにカウンターを喰らう」
「うるせえ!」

笑う龍成は全然本気ではない。ハンデを付けた挙句、偉そうにアドバイスまでして楽しんでいる。真剣に向かってくる虎太郎から眼を逸らすことなく、その動きを観賞しているかのようなセリフさえ口に乗せていた。




今虎太郎の頭の中には龍成しかいない。龍成以外は視界にも入らない。龍成の視線、気配、息遣いまでその全てを感じ取ろうとしている。それこそ全身全霊をかけて龍成に食らいつこうとしているのだ。




――― いい目つきになった。男の眼だ。




「その顔・・・いいぜ。”犬”から”虎”に昇格してやろうか。猛獣には檻と鎖が必要になるが、それもまた手がかかる分今以上に楽しめそうだ、なあ・・・・・・虎太郎」

「ぅ・・・・・・・・・」



自分の事を「タロ」と犬のような呼び名に変えた龍成が、初めて”虎太郎”と呼んだ。






違和感のあり過ぎる呼び方に心を乱されそうになるが、弱気になりそうな気持ちを振り払うかのように虎太郎は龍成に拳を突きたてた。
怒りや憎しみが無ければ本気で戦えない。虎太郎の本質は元々弱くて優しいのだから。



怒りを宿した戦う者の眼。龍成は自分に向けられた敵意の眼差しに高揚していた。
たとえ敵だと認識されていようと、今虎太郎と世界を共有し虎太郎を独占しているのは紛れもなく自分だ。誰1人として自分達の世界に割って入れるものはいない。

犬から虎に変化を遂げようとしているタロが、どこまで自分を相手に戦えるのかを確かめてみたかった。「顔も見たくない」と嫌われてもかまわない。「友達じゃない」と切り捨てられても、自分などは随分前からタロのことを友達だとは思っていなかったのだからそんなのはお互いさまだった。もしかしてこれから先、「殺したい」と思うほど憎まれることをしてしまうかもしれない。しかし龍成はそれでもいいと思った。





龍と虎だけの2人の世界に陶酔できれば、そこに存在する感情は何でもよかった。








「あ〜あ、慣れないことするから、蹴りなんか入っちゃうんですよ。でも…楽しそう」
「っ・・し、・・・椎神!」

背後から嫌な声がして振り返ると、そこにはやっぱり嫌な奴が笑顔で立っていた。この間こそ椎神と虎太郎はケンカして、その際自分は邪魔者扱いされて険悪ムードバリバリだと言うのに、そんなことも忘れたかのように堕天使椎神は人好きのする優しい笑顔で千加の横にやって来た。

「ケンカしてんだぞ!楽しいわけないだろう」
「でも、生き生きとしてますよ。こんな龍成は久しぶりです。誰かさんが影でコソコソやらかしてくれたおかげで、最近怒りっぽくって困ってたんですよ」

「僕のせいだとでも?はん!冗談じゃないね、嫌われるようなことしたのそっちだろ。自業自得だよ」
「ふ〜ん。自業自得・・・ね。だって愛は障害がある方が燃え上がるから、協力してあげたつもりなんだけど」

「協力なんて嘘だ!邪魔することしか考えてない癖に」
「まあ・・・半々かな・・・正直なとこは。いいじゃない、結果前より仲良くなれたみたいだし」

椎神はどこまであの2人の関係を知っているんだろう。おさげにちょっかいを出してそれで虎太郎があんなに怒って。

生き生きと・・・しているのは京極だけだろう。虎太郎は必至だ。楽しむどころか余裕なんか一片も感じられない。がむしゃらに京極に向かっていくこの状況は椎神の時と同じだった。千加は嫌な予感に胸がざわついた。






ガチャン!


ガラスの割れる音がエントランスに響く。虎太郎の攻撃をよけた京極が観賞用の壺に接触して落下した壺は割れて床に派手に飛び散った。しかし2人はそれも気にせず相手の動きしか目に入っていないかのように、互いを睨み据えていた。

「ちょっとガラスが!危ないって。なあ、椎神お前止めろよ!」
「どうして?」

「怪我するかもしれないだろ!」
「まあ・・・ケンカだしね。仕方が無いんじゃない。珍しくコータが本気なんだからやらせてあげれば?」

エントランスの端に置かれたパイプ椅子をパタンと開きそれに腰かけた椎神は、長い脚を優雅に組み見物を決め込み始めた。

「なに悠長に座ってんだよ!お前、仲間じゃん!!」
「この前、完全否定されましたけどね」

「ああ!もう一々面倒な奴だな。確かにそうだけどさ、お前の他に誰があの京極を止められるんだよ!」
「親友の遠野君が体張って止めたらいかがですか?あー・・・でも遠野君まで殴られたら、コータ更に暴走するかもね。龍成に殴られないように上手く止めてみれば?龍成今、手抜きしてるから」

「それができたらやってるよ!ねえ、椎神、何とかしてよ!」

先日、椎神に片腕でヒョイと投げられたのは結構ショックだった。虎太郎とそんなに変わらない体型(まあ、ちょっとは細くて背が低いけど)の自分をいとも簡単に胸ぐら掴んでブッ飛ばした男なら、きっと京極を止められるはずだ。それに京極だって椎神の話なら聞くかもしれない。
椎神は嫌いだ。おそらく今現在人類史上で一番嫌な人間を言えと言われたら「椎神優」と迷いなく答えるだろう。こいつはまさに天敵・・・しかし・・・。千加はもうこの場を収められるのは目の前に座る尻に黒い尻尾を生やした高飛車男しかいないと判断し、嫌々ながら頼み込んだ。



「・・・そんなつぶらな瞳で見つめないでくれますか。それとも、誘ってるんですか?」

「はあ?!お、お前はこの非常時に・・、バ、バカか!」


「誘ってる」だと?睨みはしても見つめてなど絶対していない。こいつ目もおかしいらしい。それにケンカを仲裁しなければならないこの重苦しい緊迫した現状を見てなぜそんな言葉が頭に浮かぶのか、その脳天かち割って構造を見てみたくなるほど、奴の思考回路は分からない。


「あは、いいこと思いついちゃった」


「・・・」


椅子に寄りかかったままリラックスして座る椎神は、千加を見上げ天使の微笑を浮かべたままその異常な思考を働かせた結果、思いついた言葉をその綺麗な唇から吐きだした。




「ねえ、キスして。そしたら止めてあげなくもない」




千加の思考回路はプチンとショートした。

「お、おま・・キ・・キス・・・アホかぁあああああ!」

「安いもんでしょう。遠野君なら慣れっこだろうし。どっちが上手か比べっこしない?」
「高い安いの問題じゃない!この、腐れ頭!誰がお前なんかと!」

「だって、アレを止めるんですよ。よほどの対価が無い限り嫌です。私だけがリスクを背負って遠野君は何もしないなんて、それはあまりにも都合が良すぎるんじゃない?それに基本私は龍成のすることに異議は唱えない主義なんですよ」


グワチャン!ガタガタ!と今度は更に大きな音が立つ。エントランスのテーブルや椅子も構わずなぎ倒しながら2人のケンカはエスカレートしていく。虎太郎は未だ龍成の顔面を捉えるに至らず、龍成は虎太郎の拳や蹴りをかわし時には左手で受け止めるが攻撃はしない。

「本当に怪我しちゃうかもよコータ。気持ちはあっても力が追い付いていないからね。貧弱だし。かわいそうに・・・」
「そう思うなら、止めろって」

「うん、キスしたらすぐ止めてあげるよ」
「だからそのふざけた条件・・、」

「あ、こけた」
「うそ!」

ガタンと言う派手な音が響き、倒れた椅子に足を取られた虎太郎が膝をつく。いつの間にか集まったギャラリーからも、どよめく声が聞こえる。周りを見るとケンカする2人を取り囲むように人が群がり、その様子はまさに前回の椎神の時と同じだった。見ているだけで誰も止めない。それはそうだろう、三悪のもめごとなんかに首を突っ込むような命知らずはいない。しかも今回の相手は京極。負のオーラを背負った野獣の前に飛び出して無事でいられるはずはない。それが分かっているのだ。

誰も頼れない。自分だってなんの役にも立たない。
やっぱり・・・こいつに頼るしかないのか・・・




「・・・わかったよ。すればいいんだろ!!」
「うんそう。思いっきりがいい子は好きですよ。あ、キスは10秒ね」

「はああ!!ふ、ふざけんなよ、おま・・、」
「だってせっかくキスするんだから、それくらいしないとキスした実感わかないでしょう」





「・・・・・クソ椎神、このエロ、ハレンチ、下種、腐れ外道、人類史上お前が一番嫌いな人間だよ、滅びろインキンタムシ!!」

「あは!それ、久しぶりに聞いた。いいよ、クソでも虫でも。君は今から世界で一番嫌いなクソ男に口づけするんだ。苦渋に歪んだ表情が見ものだね」



フフッ・・・と上品に笑う椎神はそれとは正反対の下品な言葉を楽しそうに口に乗せた。唇を人差し指でトントンと軽くノックし、ここにするんだよと千加に無言で合図を送る。
千加は椅子の前に立ち、そこに座る椎神にキスするために体をかがめた。視線だけ漂わせると周りには人、人、人・・・。みんなケンカに夢中でその群れの中に居る自分達を注視している者はいない。



(どうか、誰も気が付きませんように!)



「・・・目。つぶれよ」
「えー。この世の不幸を背負った美少年の顔を見るのが楽しいから、じっくり鑑賞させてもらいますよ」

「この・・・サドっ!」
「おかしいですね・・・どちらの属性なのか選べと言われれば、自分ではマゾヒストだと思うのですが。ああ、言っときますが人並み以上の努力や苦労をした結果、成功によって生じた達成感を味わい、精神的快楽を得るためには過酷な試練も進んで引き受けるという意味合いのMであって、加虐を好む肉体的快楽に溺れると言った意味合いの受動型Mではありませんからね。それでも・・・・Sですか?」

「他人に加虐趣味押しつけてる時点で立派なドSだよ!」

椎神の感性が計り知れない。人間性が分からなくなってきた。・・・分かりたくもないけど。



「いいか、その代わりぜぇぇぇ――ったいケンカ止めてよ、それともうケンカしないように約束もさせて!」
「また、そんな難しいことを・・・後者は無理です。あの調子じゃ会う度にケンカですよ」

「うそ、なんで!」
「だってコータ見てくださいよ。アレは”絶対ブチ倒す”の眼ですよ」

「それを何とか止められないのかって聞いてるんだよ!!」
「あの怒りを収めるねえ・・・面白そうだったからちょっとからかっただけなのに、私も過去最高レベルで嫌われちゃいましたからね。方法は無くもないんですが・・・」

「じゃあやってよ!何でもいいからとにかく止めて、こたろーにケンカさせないで!」
「はいはい。条件の多いお姫様で困ったものですね。じゃ、契約成立ってことで。早くしないとそろそろ龍成本気モードに入っちゃいますよ。そしたら私も止められません」

「げ・・・」

ウオーミングアップの時間が終わる!京極が本気なんて出したら・・・こたろー大怪我しちゃうよ。
ええい!清水の舞台から飛び降りるってきっとこんなだ!!

椅子の背もたれに手を乗せて、顔を徐々に近づける。
戸惑うことの方が恥ずかしい。大体キスなんてもったいぶるほどの物でもない。自分を安く見積もるつもりは毛頭ないが、相手が椎神だから渋っているのだ。




「う・・・」


至近距離で見る椎神は確かに天使と言われるほど綺麗な顔立ちをしていた。切れ長な眼は笑っているのに冷たくて、天使というよりは氷の女王の方が似合いそうだった。
見つめる・・・というよりかは刺すような痛みさえ感じる椎神の視線に、千加は目を閉じてその唇に自分の唇を合わせた。




氷の女王の唇は、思っていた以上に冷たかった。

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