不和(3)


耳に突き刺さった言葉は、虎太郎が聞きたくない、でも聞かなければならない言葉だった。それを聞くために自分は佐藤さんに会いに来たのだから。

「え・・・・・」

かすれた声で佐藤さんに返事をすると、彼女はそのまま目をそらさずに虎太郎を見つめ、桜色のかわいい唇がゆっくり動きポツポツと言葉を紡いだ。




「あの、椎神さんって三悪のお友達の方に、・・・・・・駅まで送って頂いたんです」

「・・・・椎神と・・・会った・・・の」
「はい」

キョトンとして話す佐藤さんに、虎太郎は椎神の言ったことが嘘ではなく事実であったことを本人から聞かさた。耳を疑いたくなるような言葉に胸を締め付ける息苦しさを覚えたが、知らぬうちに口は動き消え入りそうな声で問いかけていた。

「・・・・なんで・・」

「虎太郎さんと分かれた後、駅のホームで声をかけられて・・・1人で帰れますってお断りしたんですけど・・・なんだか心配してくださったみたいで」

申し訳なさそうに話す佐藤さんの言葉に、椎神が佐藤さんと会っていたことに怒りがこみ上げて来る。何が「心配だから送る」だっ!ギリギリと奥歯をかみしめてやっぱり勝手に会いに行っていたあいつを殴っておくんだったと、今更ながらに後悔する。
どうせ殴れはしないのに。そして、そんなできもしないことを考え、頭の中の想像でしか逆らえない自分がほとほと嫌になって来た。




「美里さんは・・・・・」
「はい?」

それ以上を聞くのが怖くて、虎太郎は目をそらして地面に視線を落とした。
(キス・・・・・されたの?)
キリキリと心に突き刺さるそんな言葉を、口にするのが怖くてできなかった。




「大丈夫・・・だったの。その・・・・・・・・駅まで送ってもらって・・・その後は・・・」
「ホームでお別れしました。椎神さんはまた電車に乗って帰られたので、本当に申し訳なくって」

わざわざ送るためだけに佐藤さんを誘い、電車に乗ったと?あいつがただそれだけの事のために出て来るはずがない。俺と、佐藤さんが一緒に居るところもきっと見ているはずだ。自分達が別れたのを見計らって声をかけたんだから、絶対に何か企んでいたに違いない。

「電車に乗って・・・その・・・・・話をしただけ?」
「はい」

「・・・本当にそれだけ?」
「はい?」

「あいつ、なにか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・しなかった?」
「何かって?」

「その・・・」
「?」


好きな人を疑うような事を聞く俺は、全く最低としか言いようがない。今日の自分はつくづく嫌な人間だ。
丸い目をぱっちり開けて首をかしげた佐藤さんは、嘘を言ったり隠し事をしているようには見えない。キョトンとした表情のまま虎太郎が何を聞きたいのか分からないと、逆に困ったような顔で見つめ返してきた。




まさか・・・これは・・・・・




椎神に・・・・・ひっかけられた!
騙された!キスしたなんて言いやがって、・・・・あ、あの野郎ぉぉ。




椎神がバカにしたように笑っている姿が目に浮かぶ。キスなんて、そんな酷い嘘をついて、バカにするのも程がある。俺を怒らせて、佐藤さんに対して不信を抱かせて・・・。それがあいつの魂胆か。佐藤さんと接触して、自分はいつでも手を出せるんだって脅しているつもりなのだろうか。

「あの・・・クソ野郎、やっぱボコるんだった」
「ど、どうしたんですか!」
「あっ・・・・・いや、何でもない。ごめん変な事言って・・・」

下品な言葉を使ってしまった・・・。いかんいかんと虎太郎は頭を振り、不安にさせていた佐藤さんを見て安心させるようににっこりと笑いかけた。途端美里の顔にもホッとした笑顔が浮かぶ。
騙されたことは腹が立つが、キスは嘘だった。それが分かっただけでも会いに来てよかったと思う。だが喜んでばかりもいられない。
自分が知らないところで、これから先も何が起きるか分からない。キスにも驚いたが、もっと酷いことをする可能性だってある。椎神は躊躇しないだろう。ふざけて面白がって酷いことも平気でする。これくらいどうってことないだろうって。そういう性格やものの考え方は、ケンカの仕方に如実に表れている。椎神のやり方は目を覆いたくなるほど痛くて残酷で、それを楽しんでやっているから見ているこっちも痛い。わざと手を抜いて相手を安心させておいて後で更なる苦痛を与える。恐怖をわざと煽るような、そんな残忍なところがある。まさかそれが自分に向けられる日が来ようとは、虎太郎も思っていなかった。

「あの、面白い方ですね、椎神さんって」
「・・・・・え?」

「・・・・・虎太郎さんのこと、いっぱいお話ししてくださいました」
「・・・・・は・・・ぁ?」

ニッコリ笑って自分を見る佐藤さんは、嬉しそうにいつもより饒舌に話し出した。

「小学生の時からのお友達だって、すごく仲が良くて、いつも一緒に遊んでいたって伺いました」
「・・・・あ・・・・・う、うん」

「それに、自分達は切っても切れない間柄だって。なんだか・・・すごいですね」

「・・・そんなことないよ」

佐藤さんは少し不安げに目を伏せた。




「あの・・・本当は・・・虎太郎さんが心配するかもしれないから、会ったことは内緒にしようって言われたんです」
「あいつ・・・そんなことを」

「でも、私・・・虎太郎さんに・・・隠し事はしたく・・・なくて。今度お会いしたときお話ししようと思ってたんですけど」

そう悩んでいたときに駅で虎太郎を見つけた美里は、とうとう幻が見えるようになってしまったのかと自分の目を疑い驚いた。週に一度しか会えないのに、予告もなしにいきなり目の前に好きな人が現れたのだから。自分の想いが虎太郎の幻覚を見せたのかと思ったのだ。しかし虎太郎は本当にそこに居た。間違いなく自分を待ってくれていた。理由は分からないけれど会いに来てくれたことが嬉しくて、美里の心は早鐘のように鳴り続けた。

「椎神さんはいい方だと思うんです。でも私、虎太郎さんにはちゃんと言いたくて」
「・・・うん。ごめんね、困らせちゃって。あいつ・・・ちょっと変だから」

佐藤さんに勝手に会っておきながら、そればかりか嘘をつくように強要するなんて。あいつの魂胆が分かるだけに、自分達が危険の真っただ中に居るように感じてならない。また近づいてきて佐藤さんに変な事を吹き込むかもしれないし、それ以上に酷いことをするかもしれない。
虎太郎は自分の目的のためには手段を選ばない椎神のことを考えると、これから先のことが不安でたまらなくなってきた。危険な事に佐藤さんを巻き込んでしまうのではないかということを・・・

「美里さん。もし、もしもまたこんなことがあったら今度は直ぐ俺に連絡して。それにあいつとまた会って声をかけて来ても、無視して近づかないでほしいんだ」
「虎太郎さんの、お友達なのに?」

仲の良い友達のはずなのに近づくな、という虎太郎の言葉を不思議に思った美里は、そう問い返した。

「・・・・・・・友達・・・止めたんだ」
「え?・・・でも・・・ずっと仲がよかったって、」

「・・・うん」

友達とケンカでもしたのだろうか。つい先日会った椎神はそれは楽しそうに虎太郎の事を語ってくれたと言うのに、虎太郎はその椎神の言葉と正反対の事を言っている。美里は心配になったが、三悪とも呼ばれ何年も一緒に過ごした3人の事に自分などは割って入れないと感じていたので、無理に理由を聞こうとはしなかった。

「そうですか。でも、虎太郎さんはそれでいいんですか?」
「・・・・・うん。もう、仲直りとかできないと思うし。・・・・する気もない」

「悲しくは、ないですか」
「・・・うん。大丈夫、友達は他にもいるしそれに・・・」




言葉に詰まって、2人の間に静寂が訪れる。
蒸し暑い風がアスファルトを撫でるようにして通り過ぎ、さらに気温を上昇させる。切らずに長くなってしまった前髪がうっとおしく視界を遮るのでそれを掻きあげると、汗ばんだ額に少しだけ涼しさを感じたが、すぐにバサリと前髪が落ちて来きた。そんなことさえ思い通りにならないことに、自分がとてもちっぽけな人間のように感じられてならない。

こんな何もない普通のつまらない男。普通以下かもしれない自分は美里さんには不似合いなのかもしれない。顔がいいわけでもない、とびきり何かができるわけでもない。性格は後ろ向きだし女の子が喜ぶような派手な事もできない。今回みたいにすぐクヨクヨする気弱な自分。



――― 虎太郎さんに隠し事はしたくないんです・・・



真剣なまなざしで言ってくれた美里さんのその誠意を、それをちゃんと言葉にして返したい。伝えなきゃいけない・・・
顔を上げた虎太郎は大きく深呼吸して、真っすぐに美里の目を見た。心臓が耳元でバクバク音を立てて暴れている。その音がうるさくて自分の声もまともに耳に届かない中、なけなしの勇気を総動員して言葉を吐きだした。



「あの、俺の一番は・・・さと・・・美里さんだから。美里さんがいれば俺はその・・・他には・・・」

「虎太郎さん!」


後で考えたら、なんて文章にすらなっていないしょぼいことを言ってしまったのだろうと後悔するんだろうけど、今の俺にはそれが精いっぱいの返事・・・もとい、告白だった。






夕日がきれいな小高い丘、そんなに長くは無い道のりをこうやって手をつないで歩くのはこれで2回目。
チョコレート色の屋根に白い壁、それを丈の低い樹木が覆う落ち着いた雰囲気の2階建てが見えると、それが自分の家だと美里は虎太郎に指さして教えた。男の子に送ってもらったことを母親に見られると大変な事になるので、その手前の曲がり角で2人は分かれた。
白い門扉を開けて振り返った美里は、小さく手を振る。そして虎太郎も目立たないように角に立って手を振り返す。重そうな木製のドアがパタンと閉まる音を聞いた後しばらく美里の家を眺めていると2階の窓がスルリと開いた。

(「み・・美里さん!」)

2階の部屋から虎太郎を見下ろす美里は急いで駆け上がったからだろう、肩を上下させていた。それでもその顔は笑顔で虎太郎に向かってまた手を振っていた。その美里が携帯電話を手に何か打ち込み始めた。

ピピピ・・・

届いたメールは直ぐに美里からのものだと分かった。それを見た時虎太郎は目をまんまるに見開いた。



『私も虎太郎さんが一番です』

「あ、お、俺もさと・・」



思わず大声で叫びそうになり慌てて口をつぐんだ。閑静な住宅街に似合わない叫び声をあげそうになった自分を押しとどめて、あたふたとメールを打ち返した。



『俺は、美里さんが好きです。誰よりも好きです』



打ってから「好き」なんて大それたことを送ってしまったと頭に血が上りどきまきしていると直ぐに返事が返って来る。

『私も虎太郎さんが好きです。一番好きです』



顔が見える距離に居ると言うのに、声を出すことはできずにメールで気持ちを確かめ合うなんて。

――― 初めて「好き」だと伝えた・・・

いつも照れてばかりで言葉を素直に伝え合えない自分達には、一番合った告白の仕方だったのかもしれない。






――― 『 ま た ね 』


2階の美里に向かって、声を出さずゆっくりと大きく口を動かして言葉を伝える虎太郎。それを見て美里も同じように声にならない言葉を返す。


――― 『 は い 。 ま た 会 い た い 』



パクパクと開く口をじっと見て、その言葉を目で見届ける。目と目で通じあえる。心に言葉が響いてくる。こんなことって本当にあるんだ・・・

携帯を握りしめて見つめ合う2人は、さながらロミオとジュリエットのように互いの隔てられていた距離をその気持ちで繋げ、やっと伝えられた同じ気持ちを確かめ合った。



2人は今、誰よりも自分達が幸せだと思えた。





この人を守るためにも強くなりたい。
強くならないといけない。
もう椎神なんかに、絶対触れさせない。
あいつらなんかに、いい様にさせない。


俺は、誰よりも美里さんが大切だから、絶対守り抜く。ずっと一緒に居たいのはこの人だ。





『初恋は実らない』
誰がそんなことを言ったんだろうか。自分達は違うと、そう思い込めるほど初恋は恋人達を盲目にさせた。



友達と決別を決めた日に、大好きな人と恋人になった。
逡巡する気持ちは・・・・・・もう捨てた。

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あきゅろす。
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