不和(2)


ギリッと歯を食いしばり虎太郎は、手を差し伸べる龍成を睨みつけてその手を無碍に叩き落とした。

「コータ」

「こたろー・・!」



虎太郎をきつく責めるような椎神の声に、睨み返すように黒い瞳を向けた。驚く千加、ざわつく周囲の声。そんな周りの状況なんて今の虎太郎の耳には入ってはこなかった。虎太郎の頭の中は、椎神が放った言葉だけが暗く濁った音を立てて渦巻いていた。


佐藤さんに・・・本当に椎神はそんなことを・・・


恥じらいながら目線を合わせることがやっとの佐藤さんが頭をよぎる。そんな彼女にこいつは・・・こいつは本当に。



「し、神・・椎神!」



虎太郎の目にはもう冷たく笑う椎神しか映っていない。こんなにも怒りを覚えたことは生まれて初めてだった。はらわたが煮えくりかえるような、激昂する憤怒の思いが腹の底から突き上がって来る。あのとり澄ました顔を何発でも殴り付けたかった。
爪が食い込むほど握った拳は、空を切って椎神を再び狙う。頭に血が上って烈々たる声を上げ飛びかかる虎太郎は、無防備にその場に立ち尽くし自分を冷めた目で眺めるだけで動かない椎神を捉え、迷わず拳を突き入れようとした。

「っ・・・!」

「やめろ。タロ」

空を割いた虎太郎の腕は、宙でピタリと止まった。うなる拳はいとも簡単に龍成の手に掴まれ阻まれた。

「放せっ、龍成!」
「てめえじゃあいつにかすり傷一つ付けられはしねえ。それくらい分かるだろうが」

「うるせえ、どうせお前もグルだろうが!ふざけやがって」

掴まれた手を振りほどこうにも龍成との力の差は歴然で、自分などが龍成に適うはずはなかった。そんなことは分かっている。分かっているだけに、今の無力な自分が歯がゆくて、それ以上にどうしようもなく目の前にいる2人が許せなかった。

「タロ、いい加減にしろ。俺を怒らせるな」
「うるせえ!俺に命令するな、お前らなんかもう・・・仲間でも何でもねえ!」

「てめえ、それ本気で言ってんのか」
「そうだよ、もう顔も見たくねえ!友達でも仲間でもねえ、二度と俺に近づくな!!」

「コータ」
「気易く呼ぶな!俺は・・・お前を許さない・・・絶対・・・絶対に・・・・」

エントランスに虎太郎の怒りを含んだ声が響く。椎神はねめつけるように虎太郎を見降ろし、龍成は眉をしかめ虎太郎を黙って睨みつけている。そして虎太郎の視線は怒りを通り越した憎しみのような影さえ帯びて2人を見据えていた。





「おい、どうした。何を騒いでいる」

騒動を聞きつけた教師が数人、生徒達の間を割って虎太郎の元に駆け寄ってきた。椎神はいつもの飄々とした態度で「ちょっとした意見の相違です。騒いでしまって、ご迷惑をおかけしました」と、教師に一言掛けると龍成と共にその場を離れた。京極達を呼び止めることに失敗した教師が虎太郎の元に事情を聴きにやってきたが、虎太郎は「何でもありません、すいませんでした」と言ったっきり、口をつぐんだまま一言もしゃべらなかった。






三悪の仲間割れ。


それは昼休みの間に学校中に知れ渡り、校内を騒然とさせた。ケンカの原因が分からないだけにいろいろな憶測が飛び交った。

「だいじょうぶかよ〜綾瀬」
「なあ、何か知らないけど、あいつらに詫び入れた方がいいんじゃねえか?」
「あやまるなら、早い方がいいって」

大人しい豆芝君が先に椎神に殴りかかったのは、エントランスにいた多くの者達が目撃していた。きっと何か理由があるのだろうと、虎太郎の性格をよく分かっている仲の良い連中たちは一方的に殴りかかった虎太郎を責めはしなかったが、京極と椎神がこのまま黙っているとは思えず、虎太郎の事を心底心配していた。


――― キスした
(・・・・っ・・・そんな、嘘だ、佐藤さんが、美里さんがそんなこと・・・)


椎神は知っていた。佐藤さんの事を。

どうしてばれたんだろう。どこかで見られたんだろうか。もしかしてあの時、ラブレターを渡されたときにその場を目撃されていたのだろうか。それとも自分はばれるようなことを言ってしまったのだろうか。まさか・・・

・・・・・自分の事を調べたのだろうか。

椎神ならやりかねないとも思うが、果たしてそこまでするかという思いもある。たかが友達のプライベートに・・・でも大人を顎で使うような奴らだし、それくらいのことなんて簡単にやってのけるのかもしれない。
憶測ばかりが頭の中を飛び交う。何もかもが疑わしかった。そして椎神はもう佐藤さんに接触している。本当だろうか、本当に・・・・・・キスを・・・

(「女ってしたたかだよね。誘ったらすぐにフラフラ付いてくるんだもん。ねえ、あの子本当にコータと付き合ってるの?」)


ガツッ!


シーンとした教室に重い音が鳴り響いた。
虎太郎に視線が集まる。あまりの怒りに叩いた机からころころと転がったペンが床に落ちてカツンという高い音を響かせる。

「・・・どうした、綾瀬」
「・・・・・・・・・・・・いえ、す、すいません」

三悪が揉めたことは教師達の耳にも入ったので、荒れている虎太郎に教壇に立つ教師はビクリと肩を上げた。そんな虎太郎を心配そうに千加が見ている。クラスメイトも同じだった。
5時間目終了のチャイムが鳴ると、虎太郎はバタバタと荷物をカバンに突っ込み教室から飛び出した。

「こたろー」
「ごめん千加。俺・・」
「分かってる。行くんでしょ、おさげのとこ」
「・・・うん」

「気を付けて、でも・・・、何があっても・・・・・・・・・・・・ちゃんと帰ってきてね」


虎太郎は視線だけ下げて俯いたあと、そのまま駆け出して姿を消した。廊下で見送ることしかできなかった千加は、深いため息をつき肩を落として自分の席に戻った。







佐藤さんがいつも降りる駅。改札口で待つ虎太郎は携帯を握りしめていた。

駅に居ると、話があると連絡すべきなのだろうが・・・怖くてそれができないでいた。なんと聞けばいいんだろう。椎神と本当に会っただろうか。椎神が言ったように・・・あんなことがあったのだろうか。もしそうだったら・・・どうしよう・・・
ぐっと閉じた目頭が熱い。椎神が言ったことなんて信じたくなかった。佐藤さんがそんなことをするはずはないんだ!そう信じたかった。
何度もそう言い聞かせたのに、椎神のあの勝ち誇ったような笑みが頭に浮かびそれを否定させる。大体何だってあいつは佐藤さんに・・・



そしてやっと虎太郎はそれに行きあたる。

『いい加減飼われてるって自覚持とうよ』

飼い犬。そうまでして自分を縛りたいのか。それが原因だとしたら、なんということだろう・・・

『分かってるくせに知らんぷりなんて、あんまりじゃない・・・苛々するよ』

だから、佐藤さんにあんなことをしたと言うのだろうか。

だとしたら・・・自分のせいだ。

椎神が凶行に出たのは自分のことが気に入らないから・・・そんなくだらないことであいつは・・・
気に入らないなら自分を殴ればいいのに、何も知らない佐藤さんに矛先を向けるなんて卑怯で最低で・・・でもそんな椎神に一撃も加えることができず、心の中で罵ることしかできない自分はもっと最低だった。






改札口からどっと人があふれる。電車が到着したのだろう。すれ違っていないといいのだけれど。もしかしたら家に帰らずそのまま習いごとに行ったかもしれない。それでも虎太郎は何時間でも待つつもりだった。そうでないと、この鬱蒼とした気持ちをずっと抱えていることに耐えられそうもなかった。

改札口から人が引けていく。どうやらこの電車には乗っていなかったようだった。柱時計を見ると5時半を過ぎている。帰宅する人達の雑踏にボーっとしながら壁に寄りかかっていると、近づいてくる女子高生の姿が目に映った。




「虎太郎さん?」

「・・・・!!さ・・さと」


目の前には探し求めていた佐藤さんが、ビックリした面持ちで立っていた。

「さ・さささ・・・・・・・さ」

「何どもってんのよ綾瀬虎太郎。あんた何でこんなとこに居るの。もしかして待ち伏せ?いつからボサーッと突っ立ってるのよ。あんた自分のマヌケ面分かってんの?女の子目の前にしてそのお通夜みたいな暗い顔つき、どうにかしなさいよ!」

おかっぱ・・いや、沙紀さんが相変わらず棘のある台詞で突っ込んできた。


沙紀は美里と家が近いのだが、本屋に寄ると言ってそそくさと2人から離れた。気を使ってくれたのが見え見えなだけに、2人は互いに意識し合って美里の家を目指して歩き始めた。いつもなら何気ない会話が始まるのだが、虎太郎は聞きたいことを言い出せずポケットに手を突っこんだまま黙って歩いた。


(「ここが佐藤さんが住んでいる町・・・」)


閑静な住宅街。駅から延びる並木道はきれいに手入れされていて、その先を曲がると敷地の広い住宅が並び落ち着いた雰囲気の街が目に飛び込んでくる。緩やかな坂道を登ると夕日がきれいに見える小高い丘に出て、その先にまた色とりどりの屋根を乗せた住宅が見えて来た。

「・・・・・・夕日・・・きれいだ」



あんまりにも穏やかで、綺麗な夕日を見たものだから自然とそんな言葉が口を突いて出てきた。

「あ、はい。私も・・・好きです。ここから見る景色」



佐藤さんの話し方はいつもと変わらない。どもりながら恥ずかしげに目を伏せて話す。このあいだ会った時と何も変わっていない・・・そう思うけれど、心の中ではあの椎神の言葉がねっとりと張り付いていて、それを払しょくできないでいた。
それからまた何も話さず沈黙が続き、とぼとぼと歩き続けた。




「あ、あの。虎太郎さん」

「・・何!」

沈黙を破ったのは佐藤さんだった。
立ち止まった佐藤さんが、何かを言いたげにじっと自分を見上げたまま動かないので、虎太郎はそれに少しの恐れを抱きながら、佐藤さんを見つめ返した。

「あの・・・この間・・・お会いしたときに・・・私、」

自分も聞きたいことがある。何よりもその話をするために佐藤さんに会いに来たのに、自分は何も話せないでいることにわずらわしさを感じていた。

「私、あの・・・」

耳元でドクドクと心音が鳴る。その音が大きすぎて佐藤さんが何を言っているのかよく聞きとれないでいた。




「虎太郎さんのお友達に・・・・・お会いしたんです」




聞きたくない、でも自分から聞くはずだったその言葉が佐藤さんの口から飛び出したことに驚き、耳に突き刺さった言葉は同時に心臓にもザックリと鋭い刃を落とした。

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