混乱(4)
「っつ・・・・いて・・」
爪を立てて挟んだ突起を引っ張られると、キリキリした痛みが駆け上がる。その爪が突起の先端を擦るように引っ掻く痛みはそのうち痺れに変わり、むずがゆく感じたことのない刺激を生み出した。
「くっ・・・・・・やめ・・・・、痛っ」
「痛ぇだけじゃねえだろ」
「っぅ・・・・や・・・ぁ」
声を抑えるなんてことはもう虎太郎の頭には無い。言ってることもやってることも前に座る椎神はともかく運転手にだって全て聞こえていると思うと、恥ずかしくてもう顔を合わせられない最悪な気分だった。自分のとこの若様がご乱行の限りを尽くしていると言うのに、一切関与しない徹底ぶりが主従関係の強さを知らしめ、虎太郎は何にも頼れない状況に一層の焦りを覚える。もう自力で何とかしないと、この躾と称した嫌がらせはどんどんエスカレートする一方で止まる気配が全く感じられない。
直に肌に触られるとゾワリとして産毛が逆立つ。触られているのは乳首なのに首筋や背中までもがゾクゾクしてきて、その不快な感覚から逃れるために少しでも龍成の体の下から抜け出そうと上に体をずらせると、頭が固いものにゴンと衝突した。
「いっ!・・・・・」
打った頭に手をやると、そこにはドアの出っ張った部分があり、取っ手の部分に思いっきり頭をぶつけていた。
「それ以上バカになったらどうする」
「お前のせいだよ!」
頭をぶつけてもう後ろに逃げ場なんてない。追い詰められて押さえつけられて、ジタバタもがく手足は自由でも、それはさして抵抗するための武器にもなりはしない。そして捲り上げたシャツの下に唇までも這わせて舐め上げてきた。
「わぁ、よせぇーー。気持ち悪い!」
「少しは色気のある、気のきいた声出せ」
「そんなもんねえ!うわ、やだ、やめ・・・・・・っんうん・・・・・うああぁ・・」
「出せるじゃねえか」
キュッとつままれて鋭い痛みに疼く乳首と、ぬるい湿った舌が這いずる感触に背筋に悪寒が走る。胸の上で驚異の限りを尽くす龍成の顔をどかそうとすると、頭に触れた手は簡単に掴み上げられてガツッとドアに押し当てられた。
「放せ!」
夢中になって暴れる指が宙を掻き、龍成の手を振りほどこうと激しく抵抗する指先は硬いドアをガリガリと掻き毟ったとき、
――――― ぐらりと体が揺れた。
大きな鋭角を描くカーブに車体が大きく揺れ、体がシートからずり落ちそうになった。体を支えるために咄嗟に伸ばした腕は、無意識につかめる物を探し、指先がドアの出っ張りに引っかかった。
ただ何かにしがみつきたかった、まさかそれが危機的状況を生み出すとは予想だにしなかった。
引っかかったものを手でしっかりと握り直しそこに重心をかけると、それは簡単に動きガチャリと音を立てた。
掴んだのは ――― ドアノブだった。
(「え?」)
偶然にも引いてしまったドアノブがガチャリと音を立てると、左にカーブする遠心力でそのまま外に引っ張られるようにドアが開いた。耳に飛び込んでくるゴオォーと言う外気の音と髪を逆立てる激しい風が突如虎太郎を襲って来た。
「うわっあ!!」
手から勢いよく離れたドアは大きく開き、虎太郎の視界の先には灰色のアスファルトと真っ暗な空間が飛び込んできた。
首がのけ反り体が外に引っ張られそうになる。シートから落ちた頭と左手が車外にぶらりと出た状態で、耳には地面とタイヤが摩擦する走行音と轟々と吹く風が鳴り響いた。
「う、うわああぁああ!」
「バカ、暴れるな!!」
パニックになってがむしゃらに動かした手が何かをこすったような感じがしたが、落下するかもしれない恐怖に動くなと言われてもそんな言葉は耳には入らない。龍成は暴れる虎太郎の襟首を掴み、外側に引っ張られる力に逆らって思いっきり自分に引き寄せた。
「車を止めて!」
ギギギギッ!!!
「ぐぁっ!!」
「・・・・・・・つっ」
急ブレーキで止まった反動で座席に体をしこたまぶつけ、龍成に抱きついたまま一緒に座席下のスペースに突っ込んだ。
「コータ!大丈夫!!」
「・・・う・・・・くぅ・・・・・・」
「チッ。・・・・・おら、起きろ。」
(し・・・し・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・死ぬかと思った・・・・)
助手席から慌てて降りて来た椎神が、座席下にうつぶせで倒れ込む虎太郎を背後から引っ張り上げると、その下には龍成がいた。虎太郎の下敷きになって受け止めていた龍成は、下から虎太郎の体を押し上げながら抱き起こしてシートに寄りかからせた。
「いっ・・・」
「どこが痛いのコータ」
「く、首」
「のけ反ったからな。筋を痛めたかもしれねえ」
「あ、ほんとだ少し擦ってる」
「いてっ、そこ触んな!」
のけぞった時にシートで擦ったのか、首に擦った痕があるみたいでヒリヒリするけれどそれよりも首筋が痛くてたまらなかった。
「コータ、手も」
椎神が掴んだ左手は拳を車外のどこかにぶつけたようで所々肉が切れ出血して皮がめくれたようになっている。
(オエェェ・・・・・・グ、グロイ)
怪我を認識した途端に痛みが訪れるのが不思議だ。
「い・・・痛い」
「あたりめぇだ。バカかお前は!走行中にドア開けやがって、死にてえのか」
「まさか開くなんて思わなかったんだよ!だいたい普通ロックとか・・そう言うの、」
高級車だし、自動でロックがかかるのかと思ったと言い訳じみたことを言うと、今どき自動ロックの車の方が珍しいと椎神は呆れたように言った。
「もう、信じられない・・・コータ。心臓に悪いこと止めてください!」
「だから、わざと開けたんじゃないってば!」
これから虎太郎を乗せるときは、チャイルドロックでも掛けておこうと椎神は思った。
「ったく、世話掛けやがって」
「それはこっちのセリフだよ!悪いのは龍成だろ!」
「てめえが手当たりしだい暴れるからだろうが」
「お前が妙な事するからだ!!」
「ああ、もう。静かにしないと傷に響くよコータ。手当が先でしょう、ケンカは後にして」
椎神は怒りまくる虎太郎の手にハンカチを軽く巻いてから、運転手に病院を探すように指示をする。車が夜間病院に向かって走り出すと、龍成はシートに寄りかかる虎太郎の腰に腕を回して自分の方に引き寄せたが、その瞬間虎太郎の怒りが沸点を突き破りまた怒鳴り声を上げる。
「だから触るなって言っただろ!!」
そして虎太郎はドアの方にさっと移動し、龍成の手から離れた。
「ちょっと、コータ!またドア開ける気じゃないでしょうね」
「す、するわけないだろ、あんな恐ろしいこと。二度とするか!」
「ちょっと止めてください」
そして椎神はそそくさと降りると後ろの座席を開けて、せっかく龍成から離れた虎太郎を真ん中に押しやり、自分も虎太郎の隣に乗り込んだ。
「狭くなりますけど、我慢してくださいね」
「だから、俺は開けねえって!」
「信用できません」
そして結局真ん中に座らされた虎太郎は、また龍成の腕に捕まった。
「触るな、寄るな、くっつくな」
「ひでえ言われようだな」
「当たり前だろうが!!・・・・お前は・・・・・・・・。もういい、話しかけんな!」
「痛いなら無理せず寄りかかれ。そんなことで意地を張るな」
「うるせえ、嫌なもんは嫌なんだよ!お前は、何でそう・・・くっつきたがるんだよ!!」
「そりゃあ・・・・・・触りてえからに決まってるだろうが」
「じゃあ椎神でも触ってろ!なあ、椎神場所交代して」
「バカかてめえは。・・・・・・・・・・タロじゃねえと、意味がねえ」
「・・・・・・・は」
何だって?
今何と言った?
触りたいだって?
・・・・・俺を?
その言葉は虎太郎の理解の範疇を超えていたし、冗談の域も超えている発言だったが、そこで虎太郎は行きつきたくない常識では考えられない、考えたくもない思考に到達してしまうことになる。
(まさか・・・・まさか、こいつって・・・・・・・・・・・・・・・・・・)
やたら触りたがって、ベタベタして、今日みたいにあんなことをするなんて・・・。今まで起こった事態を鑑みるともしかして・・・という、ある推測が浮かび上がる。
虎太郎はバックミラーに半分だけ映る龍成の顔をこっそりと見た。
(でも・・・・・・まさか、そんなことあるかよ。だってこいつは、)
男らしい精悍な顔つき。喧嘩が強くて頼りがいがあって、見た目はいい方だと思うし頭だって悪いわけじゃない。自分が持ち合わせていない男らしい部分を、有り余るほど持っているこんな野性的な男に迫られたら、女なら嬉しいだろうと思う。告白されたら首を縦に振ること間違いなしだ。こいつが凶悪にねじくれ曲がった奇妙な性格だと知らなければ・・・の話だけど。
そんな男が。
この先、女には不自由などしていないだろうこいつが・・・
嘘だろ、龍成が?まさか!
――― お、おっ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・男に・・・興味があああぁぁ???
虎太郎は目が点になった。それはまさかの新境地。今まで考えたこともなかった新たな見解に、頭の中は台風が吹き荒れる大パニック。苦節8年。共に過ごした互いをよく知る友人が、まさかの・・・まさかの・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。隣に座る龍成が、自分の知らない人物にさえ思えてきた。
し、椎神は知っているんだろうか。
いいのか?いいのか、椎神はそれでいいのか?・・・・・りゅ、りゅ・・・・・・
龍成が・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ホ・・ぉ・・・ホ・・・!?!
頭の中でその2文字を形成するのもおぞましい。
虎太郎は自分が精いっぱい考えて行きついた恐ろしい憶測に、横に座る龍成を横目でチラリと盗み見た後、正面に視線を戻し固唾を飲んだ。
次回・・・「千加の爆弾発言」
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