混乱(2)
電源を切って携帯をポケットに突っ込んだ。

緊迫した空気が車内を包むがそう感じているのは虎太郎だけで、視線を彷徨わせ周りの様子を気にする虎太郎のうろたえようが、また更に疑惑を増幅していることなど本人は気づきようもなかった。

(早く映画館に着けばいいのに)



飼い犬が何とか・・・と話したきり、椎神は何もしゃべりかけてこなくなった。それはそれで助かったのだが、何か疑われたんじゃないかとまるで針のむしろにいるようで落ち着かなかった。

(もう、この話に触れてきませんように・・・)

そう思いながら、まだ緊張している体をゆっくり背もたれに深く寄りかからせた。質のいいシートが背中をふんわりと受け止める。

山城の車に乗る時いつも感じていたことだが、こういう手の車はやたらとクッションがいい具合にできている。さすが高級車だ。実家の車は配達用のトラックなのでシートは薄いしガタガタ揺れるわですぐに尻が痛くなる。母の軽自動車も似たり寄ったりだったし、兄は恰好を付けて車高の低いツーシーターを買ったが運転が荒くて直ぐに酔った。
この京極家の運転手は顔は恐ろしいが運転は上手い。止まる時も発車する時も滑るように走り抵抗感をほとんど感じない。そしてシートは柔らかく座席やフットスペースは広いし、空調も心地いい。車の乗り心地としては最高だった。これがヤクザの車で無かったら、あまりの座り心地のよさに俺はきっとうたた寝に突入していたに違いない。


そんなふうにやっと緊張の糸が少し緩んで、気持ちが落ち着いてきた頃だった。



「・・・!」


膝に乗せていた右手の甲に龍成の手が触れた。
急に触るものだからびっくりして思わずその手が跳ね上がり、いつも以上に過剰な反応をしてしまう。

「な、何?」

その大きな手は上から虎太郎の拳を包み込み、ゴツゴツした指が虎太郎の指と指の間を無理に広げ入って来る。龍成の左手が鷲掴みにした虎太郎の右手の指は、その絡みつく指を外そうともぞもぞと抵抗を試みるが、動かせば動かすほど強く握りこまれ手の平にはじんわりと汗がにじみ出て来る。
触られた時はその指先に冷たささえ感じていたのに。
握られた手は抵抗しているうちにだんだんと熱を持ち、発熱しているように感じ始めた。それほど絡み付く龍成の手は熱く、そこから伝播した熱が広がり虎太郎の体温を上昇させていった。


(何か・・・嫌だ。こんなへんな感じ)


手が汗でベタベタし始めた。手を握り合っている、というより一方的に掴まれているというのが今の正しい状況なのだが。
これはいつものくだらないちょっかいだろうけど。ただいつもと違うのはここが車の中だと言うことだ。椎神はともかく運転手だっているのに何でこんなふざけたことを平気でしかけて来るのか、相変わらずの龍成の突拍子の無さにあきれると同時に、いい加減にしてほしいと思う怒りや不快感がいつも以上にこみ上げて来る。

「何だよ!」
「いいだろうが」

「よくない。・・・これ」

放せとはっきり言いたいところだが、運転手が気になって大きな声で文句を言いづらい。自分は大したプライドも持ち合わせてはいないが、こんなふうに弄ばれていることをたとえもう金輪際会うことが無い運転手であろうとも見られることは恥ずかしかった。後部座席で密かな攻防を繰り広げる自分達のことを変に思ってはいないだろうか・・・
虎太郎はそればかりが気になっていた。



指を引き抜こうと手を蠢めかせても、ガッチリと掴んだ手は離れるどころか掴んだ指先に内側の指の付け根をグリグリと擦り弄ばれる。その仕草が何だかいやらしくて更に虎太郎の気分を害した。

「・・めろって」
「何でだ」


「あのさ、俺こういうの・・・・・・・・・・・・・・・・好きじゃないんだけど」


前の席に聞こえないように小声で言うと、それとは反対に龍成は静かな車内に響く声で鷹揚に言った。

「じゃあ、どう言うのなら好きなんだ、ぁあ?」
「どういうのって・・・・」
「言ってみろよ、リクエストに答えてやる」


(好きなことなんて、あるわけねえじゃんか。俺は嫌いなんだよ!)


大声でそう叫べたら、モヤモヤしたこの気持ちも少しは楽になるだろうか。
しかし好き勝手言えばそれ相応の仕返しが待っている。最近は逆らうような無謀な事はしていないので理不尽な暴力を振るわれることもなく至って安穏な生活を送っていたせいか、平和ボケしてしまった虎太郎は何と答えるべきかまた言葉に詰まった。
妙なちょっかいを出してくるときは何を言っても大抵は無視されて、龍成が満足するまでこういったふざけた行為は終わらなのでどうせ言うだけ無駄なのだけれど、今日はなぜか癇に障ることが多くて文句を言わずにはいられなかった。
それが目の前の傲慢な男を怒らせると分かっていながらも・・・




「えっと、その・・・お前怒るかもしれないけどさ。俺、・・・」

(触られたりベタベタされるのって・・・・・・もう嫌なんだけど)




龍成が自分に科すふざけた行為は、ときに遊びや嫌がらせとは違った下卑たものを感じることがある。今がまさにそれで、嫌がる俺に執拗に触れることをきっと心の中で笑いながら楽しんでいる。こんな妙なことをされるくらいなら、叩くとか蹴るなどの暴力の方がずっとましだった。「触るな」とか、毎度それを言葉にするのは恥ずかしい。しかも、今日ここには自分たち以外の人間がいると言うのに。そしてこいつに向かって反抗的な態度を取ることも未だ変わらず怖いのだ・・・刷り込まれた服従心はそう簡単には凌駕できはしない。



今日もまた、どうにもならないことばかりだ。



そして・・・・・
以前はあまり気にもしなかったこの無遠慮な接触を、触れられるたびに意識してしまう自分が今ここにいる。こんなふうに意味もなくふざけて触れられることがちょっと嫌だと感じ始めたのは多分・・・



・・・・・・・・・・ 好きな人がいるから



その想いが、虎太郎の心に強い光を照らす。迷いを断ち切りつぐんだ口から長年の不満を吐き出した。





「あのさっ・・・・・・触ったりするの、やめてほしいんだ。なんか変だろ、こういうのって。俺、・・・俺さ・・・・・・龍成のこういうのって・・・・・・・・・・・・・・・・・嫌だから」






言った・・・
言ってしまった。
下を向いたままだったけど。


いくら勇気を振り絞っても、龍成の顔を見てなんて言えない。きっと不機嫌だろうあの顔を見たら虎太郎の決意などもろく崩れて去ってしまう。

「ほう・・・・・・。嫌なのか」

「う、うん。もう嫌だ。俺・・・こういうのしたくない」


握られていた手に更に力がこもった。ギュッと強く握られた手は痛かったけれど声を漏らしたくなかったのは、それが自分にできる数少ない抵抗だったからだ。龍成がする事を認めたくなかったし反応もしたくなかった。そうやって無視することで自分の本意が伝わるとも思ったからだった。

「・・・そうか」




声のトーンが下がったような気がした。ボソリと落ちた龍成の言葉から、思っていた通りの不機嫌さを感じ取る。それに怯える自分がいるが、言わなければならないと怯える心を叱咤する自分もいた。
相反する二つの心がせめぎ合う。
今までの弱く従属することしか選べなかった自分が、今初めて脅威に立ち向かおうとしている。震える手。怖くて縮こまる体。それでも自分は言った。「もう嫌だ」と。その言葉は今まで言い続けた「嫌」とは違う。その場しのぎのものではない。


本心から出た拒絶の言葉だった。


「・・・俺は変だと思うし嫌だ。だから手、放して。俺に・・・もうこんなことしないでほし・・」


言葉の勢いを借りて振りほどこうとした手はするりと外れ、いとも簡単に解放されたことに驚いていると、今度はその手が虎太郎の肩を押さえこみいきなり龍成が襲いかかってきた。視界が揺れ硬いドアに背中を押さえつけられ、ガツンとした痛みに目をつぶった。

[←][→]

48/72ページ

[戻る]


あきゅろす。
無料HPエムペ!