混乱(1)
いつもと違って裏門から出るから何でかなと思ったら、そこには黒塗りの車が停車していた。
「いい時間の電車が無かったんです。あるものは使わないとね」
京極家の車だろうか。中学の時は山城組の車によく送迎してもらったけど、京極の車に乗るのはこれが初めてだった。
「どうぞ」
厳ついおじさんが頭を下げて龍成達を迎える。少し離れたところにも黒塗りの車が1台。あれも京極家の車だろうか。
「ボーっとすんなタロ。早く乗れ」
「あ、うん・・・えっと、よろしくお願いします」
「ははっ、何固まってんのコータ。顔が怖い連中でごめんね」
「べ、別に・・・怖くなんか」
「何だてめぇ、ビビッてたのか」
「ビビッてなんかねえし!」
(デカくて顔が怖くて・・・そんなのが目の前に立ってるんだからビビッて何が悪い!しかもバリバリのヤーさんじゃんか。俺には見えるぞ、このオッサンの後ろに漂う真っ黒いオーラが・・・)
先に乗った龍成の隣に座るとドアは閉められて、椎神は助手席に座った。高校生がただ映画を見に行くだけのことに大人の人を顎で使うって、これはちょっと権高過ぎはしないだろうか。
龍成はいつも通りの傲岸な態度。大人の人が頭を下げていてもそれを無視して乗り込んだし、椎神なんて「遅れたから急いでください」とか、これまた大人に対して横柄な命令口調だ。それが彼らの普通なのだろう。
俺が知らない2人の世界。
あまりにも一緒に居すぎて時々忘れてしまうことがあるけど、京極家は大きな会派に属する極道だ。自分と比べれば随分大人びているこの2人を見ていると、自分とは全く生きる世界が違う人間のような、妙に特化した部分にばかり目がいってしまう。
今だって・・・
迎えに来たこの京極家の人達と龍成達は、そっくり同じ雰囲気を醸し出している。他者を威圧する重苦しい空気をまとい、簡単には人を寄せ付けない。異質な集団の中に身を置く虎太郎だが、ここでは逆に一般人の虎太郎のほうが異質な存在と成りえた。
――― 『家がヤクザだって、龍成がヤクザなわけじゃないだろう。家とか関係ないし・・・』
そんなことを言った記憶がある。あれはいつのことだっただろう。
でも、本当は関係なく無いのかもしれない・・・
だって・・・・・・・・・・誰だって、そう言った人種と進んで関わり合いたいとは思わないはずだ。自分だって・・・
ほんの数年前までは、深く考えはしなかった。
家がヤクザだという2人のカミングアウトに驚きはしたものの、それを理由にして友達をやめようなんてその時は思いもしなかった。彼らの家の事情を理由にして差別しようとした奴らに腹が立つこともあり、それでクラスメイトとケンカになったこともあった。
大人の世界がどうであろうと自分達には関係ないんだって思っていたし、ずっとそう思っていられると当たり前のように信じていた。
――――― だって友達だろ・・・
そう思っていた・・・・・・・・・・そのはずだった。
今よりもずっと精神的に子どもだった自分が当たり前のように受け入れていたその事実は、少し大人になった今の自分には・・・・・・・・・・すんなりと受け入れられないものに変化していた。
そんなふうに感じ始めた自分には、後ろ髪を引かれるような罪悪感があった。
動き出した車の後ろに少し離れて付いてくる車。おそらくそれは護衛のためのものだろう。
殺らなければ殺られる。
そんな殺伐とした世界を普通に生きている人間がここにいる。穏やかな日常からかけ離れた、圧倒的な暴力が弱者を支配し虐げる非現実的な世界がここにはある。普通の人は目をそらして近づかないようにしているだけでそんな恐ろしい世界は確かに存在しているんだ。
(龍成達が悪いわけじゃない・・・そんなことは十分分かっているんだ。だけど、)
誰もしゃべることのない静まり返った車内。時折対向車のライトに照らされてチラリと見える龍成の横顔は、冷たい彫刻のような硬い表情で何も見えないはずの真っ暗な外の景色を見ている。その眼が急にギロリと動いたかと思うと、突き刺さるような視線は虎太郎の視線とぶつかりそこでピタリと止まった。
(・・・・・!)
「どうした」
「・・・え、」
「何を見てる」
「・・・・・何って・・・それは」
(龍成を見てた。 ・・・ 見てたけど、見ていたらだんだん・・・・・・・・・・・)
――――― 怖くなった。
(怖いなんて。どうしてそんなことを思ったんだろう。何でそう感じたんだろう)
得体のしれない恐怖を感じたなんて、そんなことを龍成に向かって言えるはずもなかった。
「べ、別に・・・何も」
「そうか」
「・・・うん」
あの研ぎ澄まされた刃のような眼を見た途端、何故だかわからないけど、ゾッとした。
真っ暗な闇を見ていた龍成の眼が、何かを睨みつけているようで。
こんなふうにこいつを怖いと思ったのは初めてだった。
言いようのない不安。
それは、もしかしたら自分に後ろめたいことがあるせいかもしれない。
龍成に対して秘密を持っていることが。
隠し事をしていること、それをあの鈍く光る刃のような眼に見透かされているようで、それが怖かった・・・
(怖くて当然か・・・。こんな怖い人達を平然と従わせるくらいの奴だもの。龍成もやっぱり跡をつぐのかな・・・)
見ているだけでビビッてしまったおじさん達。そんな人達と同じ空気を漂わす龍成と椎神。
ヤクザの長男で、こんな怖い大人達を平気で傅かせて、なんだかもう・・・・・・
(俺・・・・・何でこんな車に乗ってるんだろう。何でここに居るんだろう・・・。ああ・・・早く車降りたい)
暗くて深い闇の世界。そんなもの知りたくないし、関わりたくもない。
今の虎太郎にはそれが正直な気持ちだった。
ピピピ
「あ!」
静かな車内に携帯の音が鳴り響いた。虎太郎のパーカーのポケットがチカチカと光っている。すぐに携帯を取り出し画面を見るとそれは、
(佐藤さん!・・・しまった、マナーモードにしておくの忘れてた!!)
光る画面を見た瞬間、咄嗟に横に座る龍成に視線をやった。
龍成は携帯の音には見向きもせず、さっきと変わらず暗い外の景色を見ていた。
「コータ、誰から?」
助手席の椎神の声にドキリと心臓が跳ね上がる。その声に探るような気配は感じられないが虎太郎は何と答えるべきか迷った。
椎神に答えるまでの一瞬の間は、逡巡する虎太郎にはひどく長く感じられた。
「千加、から・・・」
少し詰まったような声で咄嗟についた嘘。手の中で鳴り続ける携帯の音は車内に響き電話に出ない虎太郎の不審な態度にとうとう龍成の視線が動いた。
「うるせえ。出るか消すかしろ」
「あ・・・・う、うん」
そうは言われても電話に出るわけにはいかない、でも出ないと怪しまれる。どうしよう・・・・
もうここは切るしかない。佐藤さんには申し訳ないけど後で謝りのメールを入れておこう・・・そう思い切ボタンを押そうとした時フッと音が鳴り止んだ。
(切れた・・・)
7、8回はコールしただろうか。なかなか虎太郎が電話に出ないので、佐藤さんの方が電話を切ったようだ。
(ああ、もう・・・・・ごめんね、佐藤さん)
せっかく電話をくれたのに。いつもは寝る前にメールで一日の事を報告し合っているのだが、今日みたいに電話をくれる日もたまにあるので虎太郎としてはそれが楽しみでたまらなかった。なのに・・・
今日出かけることを知っていればそれを知らせていたが、外出することなどすっかり忘れていた自分が悪い。虎太郎はまたかかってきたら今度は出ないわけにはいかないので、明日謝りの電話をしようと心に決めて電源を切った。
「遠野君からの電話なら、出ればよかったのに」
「いや、その・・・」
上手い言葉が浮かんでこない。咄嗟についた嘘だったが千加からの電話だったら出ないことの方がおかしいことに今更ながらに気が付いた。
(まずい・・・どうしよう・・・)
携帯を握る手が汗ばんでくる。
「何?私達に聞かれたくない話でもするつもりだったの?」
嘘を見抜いているかのような笑いを含んだ椎神の言葉。もし椎神が今の虎太郎の表情を見ていたのなら、間違いなくその場で嘘を見破られていただろう。それくらい虎太郎は動揺を露わにしていた。
「ねえ、コータ」
「・・・・・・・・ん」
「飼い犬に手を噛まれるって言葉、知ってる?」
「・・・何だよ、それ」
椎神の言葉の真意なんて、嘘をついてそれを必死に隠そうとしている虎太郎には到底分からなかったし、深く考えようともしなかった。そして、そんなうろたえる虎太郎に龍成は暗く細めた眼光を向けていたが虎太郎は気付かなかった。
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