攻防戦
互いに一歩も譲らぬ攻防戦が続く。
虎太郎の拳は急所を的確に狙い、次の攻撃への切り替えが速い。
技を繰り出すスピードと相手の攻撃をかわすための勘の良さが際立つ。
身のこなしも軽く猫のように足腰のばねを生かし、自由自在に動き回る。
背丈は日本人男性の平均身長よりわずかに低く小柄であるが、不利な点を補うだけの技と高い身体機能を兼ね備えていた。
対する龍成の拳は非常に重たい。
その大きく強靭な体躯から繰り出される拳は、骨まで打ち砕くほどの威力を持つ。
拳にかすっただけでも皮膚が裂けそうな痛みを与え、闘う相手の心に恐怖を植え付ける。
巨体にも関わらず、攻撃のスピードが速く、止まることなく連続で技を繰り出してくる。
体力も持久力も半端なく、長期戦にも耐えられるスタミナを兼ね備えていた。
虎太郎の蹴りが龍成の腕にヒットするが、びくともしない。
逆にその足を捕えられそうになりあわてて足を引いたが、大きくバランスを崩し体が後方にグラッと傾く。
龍成はそれを逃さず虎太郎に覆いかぶさるように掴みかかる。
掴まれれば、肉が裂け、骨が砕かれそうな危機感を感じさせるその大きく凶暴な手が、皮膚をかすった。
擦れた皮膚が一瞬熱く焼け、チリッとした痛みを感じる。
龍成に抑えつけられたら終わりだ。
体躯に差のある自分が、龍成の体の下から逃れるのは不可能だからだ。
ドガッ!
芝生の上に背中から倒れ落ちたショックで、一瞬息がつまる。
「ぐっ、」
背中に痛みが走るが、それに耐え覆いかぶさって来た龍成の顔面に向かって渾身の蹴りを繰り出した。
蹴りは龍成の首をかすめ、獣の肌に赤い擦った跡を残す。
息もつかせぬ目まぐるしい攻防が続き、固唾を飲んで見守る組員達は何もできずにその場に立ち尽くすだけだった。
若頭と対等に闘うあの男は何者だろうか。
自分たちと比べると小柄な体躯。
縦横無尽に飛び跳ねるしなやかな体。
そして憎悪を隠しもしないその視線。
繰り出される拳自体は軽く威力はなさそうだが、打ち込むポイントは最大に打撃を与えられる極所を的確に突こうとしているのが分かる。
「・・・す、すげえ・・・・・田中」
ケンジは遠くから見ていても、その俊敏で柔軟な田中の動きに目を奪われる。
「あいつって・・・酒屋・・・・・・・・・・・・・だよな」
しかしただの酒屋だったら、あんな動きをするわけがない。
山城組の若頭である京極龍成を相手に対等に渡り合う人間など、ケンジは見たことも聞いたこともなかった。
噂でしか知らない若頭の闘う姿に、若いチンピラは恐ろしさと同等の興奮を感じていた。そして自分とさして変わらない細身で小柄な体型の田中が、自分よりも強大な者を相手に引かずに闘う姿にも、同じく興奮していた。
美しく刈りそろえられていた青い芝生は所々剥がれて、黒い土がむき出しになるほど、地面が荒々しく踏みしめられる。
上手い具合に龍成の四肢にパンチや蹴りがヒットしても、龍成が虎太郎の攻撃によって怯むことは無い。強靭な体は恐竜並みに痛覚が鈍く出来ているのか、奴は痛がるそぶりさえ見せない。
昔からそうだった。避けるのが面倒とか言って、わざと相手のパンチ受ける。そうして自分の懐に相手を誘いこみ、パンチが当って喜ぶ相手に痛烈なカウンターを打ち込みノックアウトする。
そんな龍成の極悪な性格も攻撃パターン知り尽くしているから、虎太郎は安易に踏み込まないし、攻撃がヒットしたところで十分なダメージを与えきれていないことも分かっていたので喜びもしない。
追い詰められていく・・・
闘いながら、利かぬ攻撃に、届かなくなっていく拳に焦りを感じる。それは四肢をもぎ取られていくような、攻撃と防御の手段をことごとく奪われていくような恐怖感を虎太郎に与えた。
時間が経てば経つほど、体力的に不利になっていく。
怪我が尾を引いているせいか、それとも1ヶ月もの間体を動かしていなかったせいか、それとも相手が龍成だからなのか・・・・・・体が痛みを訴え始めた。
体が軋み、筋肉が痛む。
これくらいのことで息が上がるなんて。
そんなに長い間打ち合っているわけではないのに。
ゆっくり呼吸を整えようするが、肺は空気を欲しがりはあ、はあと口から大きく息を吸い込む。
しかし、目の前の男は、汗一つかかず涼しい顔で悠然と立っていた。
「どうした」
眼をぎらつかせ笑う獣は、額にかかった前髪をグイッと後ろに撫で付けて鷹揚な態度でフンと鼻を鳴らす。
「もう、終わりか」
肩で息をする弱り始めた獲物の体を、上から下まで捕食者の飢えた眼つきが行き来きする。
己の拳を防いでいたその筋肉が薄く付いただけの細身の腕は、所々赤みを帯び、皮が擦り剥けている。
服で見えないが、こぶしや蹴りを受けたところはおそらく痣になっているだろう。
体のあちらこちらが痛むのだろか。時折顔をしかめる表情がいい。
虎太郎の痛みに耐える姿は、自分を何よりも楽しませそして・・・欲情させる。
それがたまらなくそそるから、殊更痛めつけてしまう。
おもちゃを徹底的に堪能し、壊れるまで遊びつくす子供のように。
龍成はまた舌舐めずりをして、怯えを必死で隠そうと息がる、哀れな被食者を見降ろした。
(クソッ、涼しい顔しやがって・・・)
虎太郎は間を縮めてくる獣に怯み、1歩、2歩と後ずさり距離を保とうとした。
「なあ、タロ。もっと・・・・・ 楽しませろや」
対等に戦っているように見えた技の応酬だが、龍成の強烈なあたりは気づかぬうちに虎太郎に打撃を与えている。軋む体がそれを教える。オーバーヒートぎみの体は筋肉痛のような痛みとだるさを感じさせ、焦燥感が募る。
攻撃を受け流しながらの防御は、龍成との闘いでは有効ではないのだ。防御してもダメージを受けるからだ。それを繰り返すことによって、自分は体力を削がれていく。
虎太郎の技もいくつか決まっているのに、龍成はダメージどころか、呼吸もその表情にも一切の乱れがない。
(やっぱり・・・・・・バケモンだ。 こいつ・・には・・・・・ 勝てない、のか・・・・・・)
力の差に愕然とする。
片膝をついた芝生の先に、黒い影が忍び寄る。
顔を上げると、
野獣の鋭い爪が、虎太郎の首めがけて刃のように振り下ろされた。
(この刃にかかったら駄目だ!)
最後の力を振り絞り、上半身を横にひねりながら転がり、龍成の体の真下から脱出する。
体はもう限界に近い。
入院と療養でこんなにも体力が落ちていることが悔しくてならない。
怪我の治った完全な体だったら・・・・もしかしたら龍成と互角に渡り合えていたかもしれない。
(ちくしょう!)
起き上がったとたん、勢いをつけて地面を蹴った龍成の容赦無い蹴りが、虎太郎に炸裂する。
避けられない!!
虎太郎は本能で体を斜めに倒して体正面への直撃は避けたが、そのかわり右肩に痛烈な痛みが走った。
「うぐ、うわっ!」
龍成の強烈な蹴りは虎太郎の右肩を打ち、虎太郎の体はそのまま後ろに吹っ飛んだ。
バシャーーーーン!!!
一瞬何が起こったのか分からずパニックに陥る。
両手でもがき体を起こし、地面だと思ったヌルッとしたものに必死になって手をつくと、指が地面にめり込んだ。
(冷たい!)
吹っ飛ばされた場所は、庭園の池の中だった。
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