決断(5)
冷静に話をするつもりだったのに、気が付けば荒い口調でつっかかっていた。
自分を無視して勝手な意志を押し通す鷹耶が許せなくて、タガの外れた状態で出てくる言葉は、考えて準備していた言葉などでは無かった。
「鷹兄は・・・・・自分勝手で・・・う、うそつきだ!僕の事なんて・・大事とか言って・・ほ、本当はどうでもいいんだ!!」
「黙れ、静」
「黙らないもん、鷹兄なんて嫌いだもん!!」
「黙れ!それ以上は許さん」
「何がだよ、本当は鷹兄だって・・・ぼ、僕の事・・・・本当は・・・・嫌いなんだよ、だからそんな酷い・・・・・・・こ・・・・・事が言え・・・る・・・ん・・・だ」
抱きしめる鷹耶のスーツの袖にポタリポタリと涙が落ちる。
「静・・・」
「ひっ・・・・く・・・・・・ひっく・・・・・ぅ・・・」
「静・・・」
「う・・・・・っ・・・・・・・ひっ・・・く・・・・・・」
手の甲に落ち続ける涙が暖かい。冷めきっている自分の心にジワリと浸透するようなそのあたたかさが凍った心を溶かしていくようだ。
静といるといつもそれを感じることができた。
(この子はあたたかい)
静に触れていると、自分が今ここにあることを実感できる。
生きていることを、誰かに必要とされていることを、独りではないことを知る。
ただ息をして生かされているあやつり人形ではなく、人になる事が出来た。
心という不安定な扱いにくい感情を持つ生き物になることは、思っていたよりも厄介なことだったが、今はその厄介な気持ちさえも静が与えるものだと思えば喜んで享受できる。
感情は心を揺さぶり、まともな思考を鈍らせる。
元々情を持ち合わせていなかった自分はどんな時でも鉄の意思で感情を抑えコントロールできると安易に考えていたが、そうでは無かったことが分かった時鷹耶は自身の下していた評価に対して訂正を余儀なくされた。
静に関してはその鉄の意思がもろくも崩れ去り、冷静な思考や耐性というものが消え自由な意思が解き放たれ暴走する。
「愛する」という感情を知ってしまうと、それは手放せない大切なものになって自身を支配した。「愛」に翻弄される人間を無様な生き物だと軽視していたが、今は自分がそのこっけいな生き物になり果てている。
本当の自分は万人と何も変わりはしない。どこにでもいる普通の男。
(普通・・・では・・・ないか。周りに言わせれば俺は狂っているそうだからな)
好きな者を手に入れたいと願う、欲の塊。
自分は強欲な人間そのものだった。
「もう・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・泣くな」
「だ・・・って。・・・だって・・・・・・」
「俺がお前の事を嫌いなわけがないだろう。なぜそんなことを考える」
鷹耶の口調は優しかった。
まるで小さな子供に言い聞かせるように。
さっきまでの威圧的な物言いはそこには無く、以前と変わらない包み込むような慈愛に満ちた声が耳に届く。
静は泣きながらも鷹耶の変化を感じ取り、今言わなければ全てが無駄になると思い声を上ずらせながら必死に口を開いた。
「ぅ・・・・・だって、僕が・・・・や・・って、言っても・・・止めて・・・・く・・・・ないし」
「それは、お前が好きだからだ。嫌いだからではない」
情動を抑えることにあのときは失敗したのだと鷹耶は告げる。
「それに・・・・僕・・・ほんに・・・・・あんなの・・・・・こわ・・い・・・し」
「お前に触れたくて・・・好きなのだからそれは当然だろう。嫌いな者に触れたいとは思わない」
それは真実。誰もが抱くそれこそ“普通”の当たり前の気持ちだと静に説く。
「鷹に・・は。僕が嫌がっても平気なの?」
「平気では・・・ないな」
「あ・・・あんなことして・・・僕が鷹兄の事・・・嫌いになってもいいの?」
“嫌い”と言う言葉が静の口から出るたびに無性に怒りを覚える。愛し子に対してこれほどの怒りを感じるのは愛しているが故のこと。静が自分から離れることを想像するだけでもはらわたが煮えくりかえるほどの憤りを感じてしまう。手放してしまうくらいなら・・・殺してしまうかもしれない。
(2人で暗闇に落ちるのもまた幸せな事。)
そんな終焉を心に描き虚無に回帰しようとする自分は確かに周りから見れば狂人にも見えるだろうと、こんな時に鷹耶は自分の性を冷静に認めるに至った。
「それは・・・・・・・・・・・許さない。」
「じゃあ僕に鷹兄のこと・・・嫌いにさせないでよ」
(俺が悪いと言うのか?何が悪かったというのだ。こんなにも・・・愛していると言うのに)
静に鷹耶の気持ちが理解できないように、鷹耶には頑なに自分を拒む静の気持ちが理解できなかった。怯えるように震える静の体は間違いなく自分を恐れている。愛情を与えているはずが今は恐怖しか感じさせていないことに、鷹耶は心が落胆するという新たな感情を思い知る。
「俺が怖いのか」
「こ・・・怖く・・・な・・・し・・・」
本当は怖がっている。それは震える肌から嫌と言うほど伝わる。だがそれを隠せているつもりで自分に向き合う静が健気で、今以上に力を込めて痛いほど抱きしめてしまいたくなる。しかしそれをすればこの子はより頑なに拒絶を示すかもしれない。
そうなったとき、自分は・・・
怒りを抑えられないだろう。
「震えているな。やはり俺が・・・・・嫌いか」
その言葉に反応した静の手が動き、抱きしめる鷹耶の腕に触れた。鷹耶の腕にいつもの強引な力は無く、静は重たい手をそっと外し鷹耶の膝から降りた。
そして向かい合い暗闇に慣れた目で鷹耶の瞳を探した。
「嫌いじゃない・・・・・・だって、嫌いになれなかったんだもん」
「静」
「・・・だから・・・鷹兄のこと・・・嫌いになりたくないから・・・ちゃんと僕のこ、」
あっと思った時には肩を掴まれて、今離れたばかりの鷹耶の胸の中に再び抱き寄せられていた。
「静ちゃん。お目め真っ赤。もう限界でしょう?」
今にも机に突っ伏してしまいそうな静に、足立が下からのぞき込みながら大丈夫かと声をかけた。
昼休みの楽しいランチタイム。机に置いた封を切っていない生クリーム入りメロンパンに顔を押しつけてしまいそうになりながら昼食を摂る静は、必死に眠気と戦っていた。
「保健室で仮眠した方がいいんじゃないの?」
いつも眠たそうな静だが今日の眠気は半端ではない。学校に来た時からおかしいと思っていた友人3人は、泣きはらしたことがバレバレな赤い目と、きっとよく眠れていないのだろうボーッとした顔、歩くのもだるそうな怠惰な様子によくこれで学校に来たものだととりあえずその根性を褒めてやった。だが何を聞いてもただの寝不足としか言わない静に、それ以上は聞いてはいけないのだろうと悟り様子を見るだけに留まっていた。
「お前、もう寝ろ。見てるほうがきつい」
そう言った川上に首根っこを捕まれて、大した抵抗もせずに静は教室から連れ出され保健室に連行された。
昨日深夜に鷹耶が襲来して一悶着があった。
何を言ってもはぐらかされて、無我夢中で最後は泣きながら何を言ったのかもよく覚えていなかった。
好きだから触れたいと言った鷹耶。
好きだと・・・そればかりが耳に残った。
(「俺だけを見ろ。俺から離れようなど・・・許しはしない」)
最後はもう命令だった。
あんな鷹兄は嫌いだけれど、でも・・・嫌いになれない大事な人。
性的な対象として見られているにも関わらず、嫌いになれないのはそれだけ鷹耶のことを自分が慕っている証拠だと静は思う。
あんなことをされた後でも、簡単に切って捨てられるほど鷹耶の存在は静にとって軽いものではなかった。
11年間。
ずっと影に日向に自分を守ってくれた人なのだ。
もう、家族も同然の、離れがたい人。
(ずっとそばにいたい・・・)
そう思う気持ちは、鷹耶も静も代わりはしないのだが、心の内に秘める不道徳で暗い想いのみが二人の考えを分かつ。
(「親父にも、爺さんにもお前を渡すつもりはない。お前は俺のもの。今までも、これからもお前を守るのは俺だ)」
僕はものじゃないのに。
修お爺ちゃんが言っていたことが、今になってよく分かる。自分は言うことを聞く人形じゃない。鷹耶の思い通りになるおもちゃじゃない。
(「ーーー 鷹耶は静を困らせてはおらんか?」)
修お爺ちゃんはあのときもう分かっていたんだ。
鷹兄がどんな目で自分を見ていたのかを。
そしてきっと・・・廉叔父さんも・・・知っていた。
みんなが知っていた。気づいていた。
本当に何も分かっていなかったのは、自分だけだった。
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