決断(2)


覆いかぶさる人は、暗くて見えなくても鷹耶だ。
キスの仕方も、その体から香るコロンも間違えるはずがない。しかし静がそれに気付こうが気付きまいが関係ないとでも言うように、執拗なキスは終わらない。



「・・・・・・っ、ん、なぁ・・」



ひとまとめに掴まれた手首はびくともしない。足をばたつかせても覆いかぶさる体の重さに大した抵抗にもなりはしなかった。でも・・・

(でも僕はもう流されないって決めたんだ。こんなことやめさせなきゃ!)



「っ・・!」



低い声と共に鷹耶の口が静から離れた。しかし手首は依然掴まれたままで、体を動かすことができないのは変わらない。未だ危機的状況だった。


「キスの最中に噛みつくなど、俺は教えてはいないが・・・どこで覚えた」


闇の中からクスリと笑いながら聞こえる声はやっぱり・・・

「鷹・・・・耶さん!手、放してよ、どいて!」
「旅行は楽しかったか。あの女、まさかそのまま連れて行くとはな」



冬休み。誰にも内緒で渡米したけれど、きっと鷹耶さんは僕の行き先くらい分かっていると思っていた。この人なら、そのくらい簡単に調べてしまうだろうし、それよりも・・・

「何で!どうやって入ったんですか!」
「どうやってだろうな」
「ふざけないでください!」
「俺はお前に関してふざけたことは無い」
「はあ?!」


(この状況がふざけてないとでも!!)


ミサカの不動産になった時点できっと何かあるって思っていたけれど、これって不法侵入じゃないか!暗証番号なんていくら変えても意味が無い。セキユリティーが甘いと言っていた本人が、それを破って入って来るのだから。ピッキング出来るような鍵穴のないドアだから、安全だと思っていたのが大間違いだった。どうやって不正開錠したのかは知らないが・・・この人に開けられない鍵は無いと言うことだろう。
鷹耶は好きな時に、いつだってこの部屋に入って来れる。これならたとえ古くても前のチェーン付きの錆びついたドアの方が安全だった。

(はっ!そうだ、きっとチェーンだ・・・あれがあったら今まで勝手に入って来れなかったんだ。だからドアごと変えたんだ。そうに違いない。なんてことだろう今頃それに気づくなんて・・・いや、でも鷹兄ならチェ−ンさえもどうにかしちゃいそう・・・)

これではうかうか寝ていられない。
毎日こんな恐怖体験に怯えるかと思うと・・・・・静はだんだん腹が立ってきた。

「こんなことして、ど、泥棒と同じだよ!」
「それは違う。暗証番号をきちんと押して入った。正しい訪問の仕方だろう」

「それを知ってるのがおかしいんだよ!」
「家主だからな、当然だろう。お前に危険が迫った時、部屋のドアが開かなければ助けてやることも出来ないからな」

「一番危険なのは・・・・た、鷹耶さんだよ!ほ、本当に泥棒かと思ったんだから」
「でもお前はちゃんと俺だと気付いた」

「そ、それは・・・」

暗闇にだいぶ目が慣れて来て、自分の上に乗る人の体の輪郭がだんだんはっきりしてくる。黒い影は威圧的で顔はよく見えなくても、いつもように静をからかうような表情は想像できた。

「俺のキスだと分かっただろう。やはりお前は・・・いい子だ」
「な・・!」

うっすらと見える顔はきっと笑ってる。あの時みたいに・・・

「どいて鷹耶さん」
「2週間ぶりだと言うのに、お前は文句ばかりだな」
「誰が悪いと思ってるんですか・・・これ以上、へ、変な事したら・・僕、・・・」

ジッと静を見降ろしているだろう鷹耶に、静は決意したことを口にしようと息をのむ。



(話を・・・聞いてくれるだろうか)



自分を押さえつけたままのこの状況で、鷹耶が要求に応じてくれるとは到底思えなかったが、静は一縷の望みをかけて口を開いた。



「僕に変な事したら、僕・・・倫子さんのとこに行くから。そしてもう二度と鷹耶さんには会わない・・・それでもいいなら・・・・・」



(それでもいいなら・・・鷹耶さんの好きにすればいい)



見えない視線が突き刺さる。
準備していた言葉は、自分を見つめているだろう鷹耶の刺さるような視線に恐れをなし、最後まで言うことができなかった。



「二度と・・・会わないだと」


「・・・・そ、そう・・・だけど」



暗闇に白く浮かび上がるのは、鷹耶の眼。
ジッと静だけを見つめている、ジリジリとした焼けるような痛みを覚えるほどの熱視線。



「俺がそれを許すと思うか?」


「だ・・・・・だって・・・・・・・・・・」



怯んではいけない。
ここで怖くて退いてしまえば元の木阿弥。眼光鋭く睨まれても、脅すような声で問われても逃げてはいけないと自分に言い聞かせた。


(で、でも・・・でも・・・やっぱり・・・・。鷹兄って・・・・・・こ、怖い!)


覆いかぶさる大きな体から発せられるオーラが怖いを通り越した禍々しさを感じさせ、本気で怒らせてしまったことを知った。ここまで鷹耶の機嫌を損ねたのは、出会ってこの方初めてかもしれない。鷹耶が本当は怖い人間だということは長い付き合いで耳にはしていたが、その感情を自分に対して向けられたのは初めてだった。
それゆえ心底怖いのだ。


「会わない・・・か。それなら」


「ど・・どいて・・くんない・・・かな」


いつまでも自分の上に乗っかったままの鷹耶に、怖さを振り払うように非難の声を上げた。掴まれたその手の先がしびれて来るほど、長い時間捕われている。
その握る手に更に力がこもると怖さも倍増、静の顔は自ずと引きつった。
そんな切羽詰まったギリギリの状態の静を陥落するのは造作もない鷹耶だが、必死に抵抗を示す静がかわいくて、わざと回りくどく怖がらせながら追い込んでしまう。

「今すぐお前を連れ去って閉じ込めてやろうか。あの女がどんなに騒ごうがお前を見付けることはできない。お前は一生俺以外の人間と会うこともできなくなるが、それでもいいんだな」

「な・・・・」

鷹耶の作りだした真剣な表情を本物だと信じて疑わない静は、その言葉の恐ろしさに唇を震わせている。


(さて、お前は何と言って回避するつもりなのだ)


答えに詰まって、今にも泣き出しそうなのを必死に耐える静を抱きしめてやりたい。
本当にどこかに閉じ込めて2人だけの閉ざされた世界に埋没できたなら、それが今の鷹耶にとっては最高の幸福であった。



「いいんだな。静」



「・・・っく・・・・・な・・・・・・・・・・・・・・・・・・・よく・・・・・・・・・・・・・・・・ない」



鷹耶が本気を出せば、いや、あのミサカの人達に一言命令すれば、静は簡単に囚われ人になる。権力も、金も、何もかもを持っていてそれを自由に動かすことができる鷹耶に、自分が抵抗できるはずもない。
しかし自分には何の力もないと分かっていても、抗わずにはいられなかった。このまま流されるわけにはいかないと思う気持ちが、海藤の人達に迷惑をかけられないと言う気持ちが今の静をギリギリのところで支えていた。

「閉じ込められるのが嫌なら言うことを聞け。俺から離れるなど、二度と口にするな」

一言一言はっきりと口にして、鷹耶は静に言い聞かせる。



「・・でも・・でもね・・・鷹・・に・・・・・、ぼ・・僕、は・・・話が、話したい・・ことがあ・・あって・・」



怖いくせに一生懸命自分に歯向かおうとする静を見ていると、なぜこの子は自分の思うように従順にならないのかという焦りと、その半面必死になって訴える様が愛おしくてたまらなくなる。どちらの静もありのままに受け入れて、その様を堪能し尽くしたくなる。


(どうしてお前は・・・)




――― こんなにも俺の心を乱すのか




静にしか抱くことのない、この歯がゆい気持ち。
そんな時、自分はこの愛しい子に意地悪とも思える無理を強いてしまう。今がまさにそれだった。
自分から逃げるようにアメリカ行へ行ったこと。学校の事を相談せず、あろうことか父親に助けを求めたこと。
その原因を作り出したのは自分ではあったが、静に淫らな行為を働いたことに関して後悔はしていないし、あの状況では仕方の無いことだったと鷹耶は自身の行為を肯定していた。



白昼のミサカビルで、静を味わおうとした自分。
強姦まがいに、行為に及ぼうとしたことに怯え怒る静。

いくらなんでもあの場で最後まで事に及ぶつもりは・・・・なかった・・・と思いたい。その点に関してはっきりと断言できないのが、自分を持て余す部分だった。
静の事になると、冷静で居られなくなる。
自分をコントロール出来なくなる。

突然目の前に現れた静に、欲情する自分を抑えられないし、抑える必要も感じなかった。
この愛し子は、不用意に自分の心を乱す。
あれは、“食べてください”と言って、現れたようなものだ。

笑顔が、声が、目に映るもの耳に聞こえるもの、触れた感触さえ、五感で感じる全てが愛おしい。
だから、そんな静が自分以外の者の手をとり、自分から離れようとすることが許せなかった。しかも、その口が「二度と会わない・・・」などと言葉を発し、「話したい事がある」などまだ何か不穏な事を口走ろうとしている。



(妙な事を言えば、ただでは済まさない。
返答によっては、このままここで・・・自分のものにしてしまうかもしれない。
それでもいいのなら・・・・・その意思の赴くままに、俺への否定の言葉をそのかわいい口から吐き出せばいい)



鷹耶はひたすら陰鬱な方向へと思考を巡らせ、かわいそうなほど唇を震わせる静に冷たい口づけを落とした。




「お前の話を・・・聞こうか」




離れた唇から出た言葉は静が待っていた言葉だったが、鷹耶の声色は冷めたく機械的に聞こえた。

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あきゅろす。
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