交錯(1)
「今日の客も桜花の美しさに舌を巻いておったわい。わしも鼻が高い」
上機嫌で僕の点てたお茶をすすりながら、修お爺ちゃんは目尻にしわをいっぱい寄せて美也さんと今日のお茶会の話に華を咲かせている。
これで何度目になるだろう・・・
ここに来たら当たり前のように「桜花」になって、でもそれに慣れることはなく、いつかばれるかもしれないという怖さと、人に嘘を付いているという後ろめたさに悩まされてる。途中で辞めたいなど言い出せない静は自然と表情も暗くなる。しかしそんな愁いを帯びた表情さえ「美しい」と今日のお客さんは華のようなかわいさと儚さを併せ持つ桜花を絶賛して帰って行った。
「桜花さん?」
「・・・は、はい」
暗い顔で畳のへりを見つめていた僕に美也さんが怪訝な顔をして話しかけてきた。
「どうかしたの?具合でも」
「いえ、何でも、何でもありません・・・ちょっと疲れただけです」
それは本当だった。
桜花でいることは全身で嘘を突き通すこと。仕草から話し方からその全てが偽りだから疲れてしまう。修お爺ちゃんはこの遊びをやめる気はなさそうだし、美也さんとあゆさんも僕を着せ替えるのを心底楽しんでいるし、九鬼さんは困ったような何ともいえない表情で見つめているだけだし、早くこの姿から元の自分に戻りたかった。
「まあ、それはいけないわ。明日もありますし、今日はもう着替えましょう。よろしいでしょう会長」
お爺ちゃんは僕のこの格好が大好きだから、いつもは帰るギリギリまで桜花でいることを望んでいる。
「そうか。ああ、後で碁を教えてやろう。桜花と一緒に碁ができたらこれまた楽しみが増える」
お爺ちゃんにはすっかり「桜花」が板についてしまっている。静の時にまで「桜花」って呼ぶんじゃないかと心配になるときもある。
それから僕は美也さんとあゆさんに手伝ってもらって洋服に着替えた。今日はここに泊まる。土日連続でお爺ちゃんがお茶会を設定したからだ。そして・・・鷹兄からは今週も仕事で会えないと連絡が入った。伊豆の方へ泊まりで仕事だって。これで決定的だ。
修お爺ちゃんはお茶会のために鷹兄を僕から遠ざけている。
もう3週間会っていなかった。
ピシ。パシン。
碁盤の上で石が固い音を立てる。白と黒だけの配列ははっきりとしていて美しい。教えてくれるって言ったけど全くの素人の僕はただ碁盤を眺めて、修お爺ちゃんの打つ碁の操作を見ていた。碁盤に並べられた不可思議な模様のような布石は、今お爺ちゃんが悩んでいる難しい布石らしい。
「1人で打つのも面白いが、静と打てたら楽しいじゃろうて」
「うん。でも、僕全然わかんないや」
「簡単じゃぞ、わしと静が交互に石を置いていくんじゃ」
お爺ちゃんは自分が黒、僕が白とたとえて碁盤に石を置いていく。
「碁盤には300を超える交差点がある。そこに石を置く。空いているところに置いてみろ」
「縦横の線が交わったところに?」
「そうじゃ」
何だかよく分からないけど、碁盤の真ん中に近いところに白い石を置いてみた。隣と上に黒い碁石が置かれてあるその下に置くと、お爺ちゃんは笑った。そして白い石を囲むように黒い石を置く。
「あと1つわしが石を置いて静を囲めば、静の石は盤からなくなるぞ」
「そうなの?じゃあ黒い石の傍には置かないほうがよかったんだ」
「じゃが、離れてばかりじゃとわしの石は取れんぞ」
碁石は何手先も読んで楽しむ遊びじゃと、お爺ちゃんは碁の話を続けた。
そしてお修爺ちゃんはまた1人で碁を打ち始めた。パチンとひときわ強く打ち込んだ後独り言をつぶやきだす。
「こうしてもいいが・・・それだけでは面白みが無い。あれは・・・」
楽しみながらも真剣に打つお修爺ちゃんは碁とにらめっこして1人で作戦を立てているようにも見える。そしてときどき石を動かしながらお修爺ちゃんは本を参考に長考し始めた。
「あれは少々あつかいづらい・・・・・昔からそうじゃた」
ぽつりぽつりと、碁の・・・ことを話しているんだろうけど・・・
お爺ちゃんの顔は真剣そのもので、布石に悩んでいるのだろう、額にもしわが寄り始めた。
「言うことはきかんしな・・・・・・・・・しかしこちらが思う以上の成果は出すからの・・・・・・・・・あまり文句も言えん。ひよっこのくせにのう」
・・・・・?。石が言うことをきかないのかな。ひよっこって何?
「気質も能力もスバ抜けておる・・・・・・・あれが大人しくあとを継ぐのなら・・・・・・・申し分ないが」
(「!」)
もしかして、それって・・・・・・鷹兄のこと?
「じゃが何でも許すと思ったら・・・それはお門違いじゃ・・・・・・おお、ここはこう打つのが定石か」
石を打ち込みながらも、僕にわざと聞こえるように話している事は間違いなく鷹兄のことだと思う。
夏休みのことを言っているんだろうか。
鷹兄が修お爺ちゃんの許可なく家に入ったこと、そしてここで暴れて九鬼さんに怪我をさせたこと。僕を勝手に連れて帰ったこと。
でもそれは僕が呼んだせいで、鷹兄だけの責任じゃない。
「お・・・修お爺ちゃん」
僕が呼んでもお爺ちゃんは碁盤から目を放さない。本をめくりながら石を置く場所を考えているが、わざと聞かない振りをしているようにも思える。
「修お爺ちゃん、あのね」
「鷹耶は、静を困らせはせんか?」
「え?」
突如話かけられて、やっぱり僕の思っていた通り鷹兄のことなんだと分かった。でも困らせるってどういうことだろう。
「お前の叔母が海外に行ってからというもの、あれはお前を頻繁に連れ出しておるそうじゃな。わしの許可も無く、好き勝手をしよる」
「それは・・・」
修お爺ちゃんは何でそんなことを知っているんだろう。後見人だから僕達のことを調べたんだろうか。でも、鷹兄と僕が小さい頃から仲がいいってのは海藤の家の人達なら誰もが知っていることで、それは特別なことじゃないし今更調べるようなことではない。
なのにそれがいけないのかな?僕たちが会う事はおかしいことなのかな?
「あれは昔からお前をまるで自分の所有物のように扱っておった。2人でおるときは誰にも触らせず周りを隔絶して、自分の思うようにお前を占有しとった。今はどうじゃ?」
どうって言われても・・・
「昔と同じようにお前を何でも言うことを聞く人形のように好き勝手にするのであれば・・・・・わしはお前をあやつの傍に置く気はない」
所有物?人形?
修お爺ちゃんの口から出てくる言葉は、自分が考えたことも無いようなことだった。
確かに鷹兄は僕がすることにいちいち制限をつけてくる。その最たるものが門限だと思う。他にもいっぱい押しつけられた約束事はあるけれどそれは心配してくれているからであって、言うことを聞く人形扱いでは無い・・・・と、思う。
“無い”とはっきり言い切れないのは、人形はともかく“所有物”とか“占有”という言葉に多少ひっかかるものがあったからだ。
小さい頃、ちょっと膝をすりむいただけでも鷹兄は大騒ぎしたものだった。なのにこの間は刃物で切っちゃって、それがもっとひどい怪我になって帰ってきたときは、烈火のごとく怒っていた。大事にされていると思う。それは嬉しい。でもいうことを聞かなかったらむちゃくちゃ機嫌は悪くなるし怒るし、そこは僕に対して横暴だと思う。
それにスキンシップはだんだんエスカレートするし、一緒のベッドで寝て、キスまでされて、門限は1分でも過ぎたらもう外出できなくなりそうだし、毎週土日は決まって一緒に過ごすから友達との予定なんて一切入れられない。
改めて考えてみると、僕の生活はこの半年で大きく変わっている。これって僕を所有物みたいに扱っているってことになるんだろうか。
「物・・・とか、そんな感じじゃないと思うんだけど」
考えた挙句、自信なく答えてしまった。
「全く・・・わしが居ぬ間に好き勝手大暴れしよって・・・」
あちゃ〜・・・やっぱりあのこと怒ってるんだ・・・。ふすまとか破っちゃったし、九鬼さん達にもひどいことしちゃったから怒られて当然と言えば当然だ。
「静はあの自分勝手な無法者が嫌いにはならんか?」
「え?」
(鷹兄のことが嫌いかって?)
修お爺ちゃんの言葉に僕はびっくりして目を見開いた。
さて、明日の「プラ」は〜(○ザエさんチックに)
「静です。何だかお爺ちゃんが怒っています。鷹兄もよく怒るけど僕の周りはどうして怒る人が多いのだろう。川上も天馬先輩からも「アホかーーー」ってよく怒鳴られるし。僕ってアホなのかな?鷹兄もバカって言うし・・・言われるとちょっとへこみます。明日のプライマルは『交錯(2)』です。またね〜」
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