転生してみたものの その後 ---------- エピローグ1:その後 ---------- 俺たちは二人で抱き合って、ワンワン泣いた。 そして、それはお茶はどう?と俺の部屋に、麦茶を持ったお母さんが現れるまでずっと続いた。 二人して(しかも抱き合って)泣きわめく俺と一郎を前に、お母さんは少しだけ驚いたような目で俺と一郎を見ていたが、すぐに呆れたような表情で「ケンカしないで、仲良くしなさい」と、一言言うと麦茶を置いてさっさと出て行った。 (だってぇ!っひく、一郎が……一郎が俺の邪魔するんだっ!) (うぇ、っひう……敬太郎だって、俺の取ったじゃん!) それは、そのまま小学生だった俺と一郎が喧嘩をして泣く度に、お母さんから言われていた台詞であった。 (もう……、ケンカしないで、仲良くしなさい) そんな母さんの言葉に、俺たちはなんだかおかしくなると、自然と笑いが込み上げてくるのを止められなかった。 泣き笑いとは、まさにあの事だろう。 結局、俺と敬太郎はお母さんが持ってきた麦茶に手をつける事なく、また、俺も一郎も、互いにまともに話す事ができずに抱き合った最後までグズグズと涙と鼻水を流し続けた。 今思うと、凄く暑苦しかったと思う。 あの時はそんな事、微塵も感じなかったのだから、それこそ不思議なものだ。 そして、そのまま俺と一郎は、互いに真っ赤に目を腫らし俺の家を後にした。 どんなに俺たちが感動の再会を果たそうと、俺と一郎の時間は普段通り、ゆったりと流れている。 俺には帰るべき家があり、あの家はもう俺の家ではない。 ただ、帰り際。 お母さんから小さく「いってらっしゃい」と言われた時は、何だか不思議な感覚だった。 まぁ。 きっと、お母さんの事だ。 俺の事、どこかで俺だと気付いていたのかもしれない。 でもあの言葉のお陰で、俺は、あの家からやっと、新しい自分の家へ向かう事ができるんじゃないかと思えた。 俺は“篠原 敬太郎”として、今の母さんの居る家へ、帰るのだ。 何度目になるかわからない、俺の夏休み。 俺は小学5年生で、今日は夏休み初日。 一郎は25歳の小学校教諭で、同じく今日から夏休み。 俺は明日からイチローと夏の空の下を駆けまわり、一郎は一郎で、大人として、教師として、いろいろとやる事があるだろう。 いくら俺と一郎が、幼馴染としての記憶を共有したからといって、もう俺たちは既に同じ立場には居ない。 しかし、とりあえず。 とりあえずは……俺と一郎、俺たちは教師と生徒として、これからの約2年間を共に過ごしていくのだろう。 共に、隣に立って。 歩いていける、明日があるのだから。 [*前へ][次へ#] [戻る] |