平穏最後の日(完結)
18
「まー来週楽しみにしておけよ。昼に新宿な」
「はい」
「一人で電車乗れっか?」
「新宿はあまり行ったことないけど、俺そこまで子どもじゃないです・・・」
からかわれたと気付いて遼介は視線をずらして拗ねると、その先に固まった男たちが目に入る。
何か驚くことでもあったのかと「どうかしましたか」と問いかけた。
「い、いや!何でもないんだ!坊ちゃんは久遠と仲が良いんですねーはは」
「?はい、良くしてもらってます」
取り繕ったような答えに首を傾げながらも、仲が良いと言われて嬉しそうに遼介は返す。
その純粋な笑みに男たちはそれ以上何も言えなくなってしまった。
「遼介ー、じじのとこに来い」
「はい、じゃあ久遠さんまた来週」
「おーよ」
祖父に呼ばれた遼介に向かってひらひらと手を振る。
「ではそろそろお開きで。皆体制が変わっても付いて来てちょうだいな」
「「はい姐さん!」」
美弥が終いの言葉を述べると、男たちは謙介と美弥を瞳を輝かせて見つめた。
前会長を文字通り体を張って守った謙介は、以前にも増して下から慕われたようだ。
久遠の周りの男たちがいつもと違う意味で久遠に怯えることはあったが、終始問題無く食事会も終わり皆それぞれの事務所へと戻っていく。
遼介は片付けを手伝おうとしたが、使用人たちが何人かいるようで必要無いとやんわりと断られてしまう。
役持ちの者たちも忙しいようで何となく手持無沙汰になった遼介は、近所を散歩することにした。
紫堂の家も来てみれば遼介が住むマンションから程近く、無意味に迷うことも無く駅前に出る。
いつも使う最寄り駅、そしてその近くには小学校と中学校が並んでいる。
遼介の母校だ。
小学校はもとより中学校もここ、だったらしい。遼介の記憶にあるのは、退院した後少しだけ登校した卒業間近のものだけだ。
その短い学校生活は楽しいわけが無く、心配し話し掛けてくれるクラスメイトたちに申し訳なく思った日々だった。
だっていくら頭を巡らせても彼らの何一つ分からない。
小学校が同じだった友人たちも、遼介の記憶から大分成長していて違う人物のようで。
哀しくて哀しくて、気を引き締めていないと涙が溢れそうな毎日だった。
まだ精神的にも落ち着いていなかったため、卒業式が終わった時は皆に心の中で謝りつつもほっとしたものだ。
――やっぱり記憶を取り戻したいなぁ。
漠然としていた思いが、最近になってようやく輪郭を主張してきた。
どうやらとても嫌なことがあって忘れてしまったらしい記憶たち、それでも思い出さないといつか前に踏み出すことが出来なくなりそうで、忘れたというこの状態にも恐怖を感じていた。
どうしたらいいだろうと考えながら歩いていると、いつの間にか中学校のすぐ前まで辿り着いていたことに気付く。
グラウンドを覗けば、野球部の威勢のいい掛け声とともに硬球を打ち抜く爽やかな音が出迎えてくれた。
少しの間そうしていたが、ここにいても仕方がないと駅に向かう道を目指すために顔を上げた。
すると、人ごみの中にほんの数年前まで見慣れていた金色が目についた。
「Mu・・まさかっ」
そちらへ走っていくがすでにその色は視界から消えていた。
「バカだ俺・・・」
ずるずるとその場にしゃがんで顔を覆う。
「ムッティはもう死んだのに」
ずきんっ
「・・・う・・・っ?」
人ごみに母の幻を見た遼介が母を思い出そうとすると、頭の奥が悲鳴を上げて思わず息が詰まる。
だがそれはすぐに治まり、何故なのか分からないもののそろそろ時間だと遼介は歩き出した。
過去は無くならないまま。
その日を待っている。
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