平穏最後の日(完結)
5
女の知り合いは少ないためどうせ知らない人だろうと思っていた。顔を見た結果、確かに知り合いではないが”知らない”とも言えない。
そんな女が立っていた。
「まさか、だってさっき」
「そう〜演技上手かったでしょ?あたし女優になれるかと思っちゃった!」
「演技……」
遼介は愕然とする。
調子よく話す女は、つい先ほど遼介が助けたはずの男に絡まれていた女だったのだ。
どうやら相手の都合のままに騙されてしまったらしい。己の不甲斐なさに歯を強く噛みしめる。
それにしても、そこからすでに話が始まっているということは計画的な犯行だったわけで、理由が思い付かない遼介は悔しさと疑問しか頭に湧いてこない。
そもそもこの女は誰だ。
「あなた、誰ですか」
「やだ〜、ってそっか知らないよね。あたしも名前くらいしか知らないもん。あたし田代愛、こいつは青木っていってー腐れ縁的な?まあ言うこと聞いてくれるから」
「愛ちゃん!そこは良い関係って言ってくれよ」
「うっさいわよ、それにしても」
田代は遼介の頬を手で挟み込んでよく観察すると、盛大なため息を吐いてがっかりした顔をする。
「ふっつーに男の子じゃん。何でこんな子なんか」
「…………」
初めて会話する田代にそんなことを言われる筋合いはないが、言い返してもいいことは何もないので黙ったままだ。
そこへ横から青木が嬉しそうに話しかけた。
「なあ愛ちゃん、こいつどうしちゃってもいいの?傷つけていいんだろ?」
「……目的は何なんですか」
「今俺ァ愛ちゃんと話してんだよ。まあ、誘拐じゃねぇし身代金とか取る気もねぇから安心しろよ。一般の家庭にそんなん期待したって無駄だし」
「一般……」
このような言い方ということは紫堂に恨みを持つものではないらしい。
遼介の身元も知らずにいちゃもんをつけてきただけというところか、それにしても先ほどから何だか引っかかる。
もやもやした気持ちのまま会話は続く。
「これ怖ぇだろ、俺はこの辺じゃちょっと名も知れててよ。ヤクザと繋がりだって、あるんだぜ?」
ナイフを遼介の目の前でひらひらさせながら意地悪そうに言う青木に、頭の中の何かが沸騰するのを感じた。
引っかかったのはこれだ、やっと分かった。
青木は遼介がただの堅気の高校生とだと思い、裏社会の人間だと匂わせて怖がらせたいのだ。
極道の人間でもないのにその名を出し、しかしどこかでその世界を馬鹿にしている、そんな物の言い方に苛々する。
この気持ちを発散させられないことにまた心が乱れるがどうにか耐えるしかないのか。
そんなところへトドメの一言が降ってきた。
「いいよぉ、ほんと何で久遠さんこんな子なんかいいんだろー」
「く、どう?」
裏の人間ではなく遼介のこともよく分かっていないはずなのに、ここで久遠の名前が出るなど思いもよらなかった。
田代は本当に久遠の知り合いなのか。
いや、もうそれは関係ない。
少なくとも久遠の知らないところでこんなことを行っている外道な人間だということは分かったのだから。
「それがどうしたんですか」
「どうしたもこうしたもないよぉ、あんたみたいな子に騙されてる所為でちっともこっち向いてくんないんだから!前に道で二人見掛けた時は驚いてちょっとあと付けちゃったし」
「どうせ適当なこと言って久遠さんに取り入ったんでしょ?あー気持ち悪い」
「…………っ!」
言葉にならない。
遼介はもう何が何でもここから立ち去ることにした。こんなところに久遠が来たりしてしまえばもっとややこしいことになる。
気付かれないよう小さく構えを取って青木に一突きお見舞いさせた。
しゅっと空気の切れる音がする。
「ぐっ……てめぇ調子乗りやがって!」
逆上した青木が右手を大きく振りかざした。
とにかくお互い必死だったのだ。
きっと青木だって最初はちょっと脅してみたいだけだったであろうし、遼介もうまいこと切り抜けるつもりであった。
「ガキがぁっ!!」
「んっ……ああ゛ッ!」
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