平穏最後の日(完結)
15
久遠のいなくなった事務所内で残りの三人が呟く。
「確かに男は年取ってからって言いますよねー」
「女性だって三十代はまだまだだろ。四十代でも魅力的な人もいるぞ」
「姐さんなんて五十代なのに色気あるし」
姐さんとは言わずもがな恭介たちの母である。第一線で活躍しているからか、五十を過ぎた今でも大人の色香を放っており憧れる者は多い。
もちろん、会長である謙介の妻で光春の一人娘であるから手を出そうとする者なぞ皆無であるが、それでも尊敬の意味を込めて皆慕っている。
女であるのに勇ましく、その世界を背負うことが許された者だ。
きっと苦労もあっただろう、だがそんな片鱗は見せたことがない。純粋にあの人には敵わないと思わせてしまう。
はあ、と斉藤が一つため息を零す。
「まあ、あんな人が傍にいたら普通のか弱い女の人じゃなくて強い人に惹かれるのも分からなくはないか」
「にしても久遠さんじゃなくてもいいと思うけどね」
「園川さん諦めてないんすか」
「久遠さんに飽きたらその隙を狙わせてもらうよ。どうせ俺も元々結婚する気は無かったし」
「ここにいて結婚に憧れる奴なんてほとんどいませんからね」
内容が萎んできたところでいそいそとそれぞれ帰り支度をし始める。
「でも、最近ほんと久遠さん丸くなったじゃないですか。絶対遼介のおかげだしあの人が離すわけないっすよ」
「まあね、だから別に期待はしない。でも諦めないし近くで見守るさ」
「うわー格好良いけどなんか怖い」
「あ?斉藤お前一度口縫い付けてやろうか?」
「いいえ滅相も御座いません申し訳ありません失礼しますッ!!」
がばっと頭を下げて小走りで事務所を去る。
久遠のように常に殺気を放つ強面ではないにしろ、園川こそ平然とした顔で”処理”を出来るような男で、本気で怒らせたら仲間であろうと大変な目に遭うに違いない。
斉藤はさすがにこの一言多い性格をどうにかしようと思い始めていた。
「いらっしゃいませ」
「……」
行きつけのスパに入った久遠は無言でいつもの個室へと入る。
受付にいる従業員も反応しないのを知っているので、特に気にせずタオルなどの備品を置いたり受付表にチェックを付けた。
「ねえ、あのお客さん怖そうだけどワイルドでいいよね?」
他に客も来ず暇になった一人が隣にいた同じバイト仲間に声を掛けるが、掛けられた方は「えっ」と眉を顰めた。
「何かオーラ的に怪しそうじゃない?あたしだったら嫌だな〜」
「ええー、そこがいいじゃん。背もすっごい高いし」
「あんだけ高ければ目立つけど、うーん……」
「帰り話し掛けちゃおっかな」
「止めときなよ!絶対怒られるって、普段から無口じゃん」
仲間が止めているのにも関わらず、その気になってしまった彼女は鼻歌を歌いながら鏡を見て髪型や化粧を直し始める。
温泉やらサウナやら、素の恰好でうろつくこの施設であまり濃い化粧は好まれないと思うのだが、そこまで頭が回っていないらしい。
「ちょっと上そうだけど、そういう人って若い女が良いって言うしねー」
「もういいわ……」
諦めた仲間は話半分で仕事を続きをすることにした。
ここのスパは比較的新しく設備もしっかりしており、何よりプラスの会費を払えば常に個室が利用できるため気に入っている。
基本的に知らない者との交流を好まない久遠には何よりの待遇だ。
一人小さな空間で物思いにふける。
仕事の段取りだったり私生活のことだったりその時々でまちまちだったが、久遠はここのような落ち着いた場所でよく気持ちの整理をしていた。
今思うのは遼介のこと。
どこぞにかっさらって全てを自分のものにしておきたいと思う反面、そっと見守って大事にもしたい。
こんな穏やかに思うことが出来る日が来ようとは思ってもみなかった。
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