平穏最後の日(完結)
2
そのあとすぐ遼介は小宮山に起こされ、不機嫌な久遠を不思議がりつつも帰宅の途に着く。「小宮山さんて優しいなー」などと呑気に思いながら。
「小宮山って遼介君の扱いってか世話すんの慣れてんな。久遠さんが遼介君にすることにも動揺しねぇし」
遼介が帰ったあとの静かな事務所内で、斉藤がぽそっと呟く。
久遠は苛々すると早々に帰ってしまった。
「ああ、高校生に狂ってる従兄がいるからな」
何でもないように視線も合わせず答える小宮山に、ぷはっと斉藤が噴きだす。
「狂ってるて! 従兄って有名なお坊ちゃんのボディーガードなんだろ? すげー出世じゃねぇの」
「まあな、給料も特別待遇らしいが一生をそのお坊ちゃんに捧げるなんて抜かしやがってる阿呆だよ。金も遣いどころがなくて貯まり放題だろ」
「へー分けてほしー」
「それで恋愛感情じゃないらしい。主が幸せなら何でもいいんだと」
「お……おぉ……真似できねぇわ俺」
小宮山の従兄の話がぶっ飛び過ぎていて、さすがの極道でも引くくらいだったようだ。
ちなみにそのお坊ちゃんが現在全寮制の学校に通いだしたため、中々会えない辛さで嘆きのメールが送られてくるらしい。
うん、うざいねその従兄のお兄さん。
「前に偶然会った時の印象では、優しくてかなり出来そうなイケメンお兄さんて感じだったのにな、その人を狂わすなんて高校生の主見てみたいわ」
「写真なら見られるんじゃねぇの。従兄の待受画面その主だし」
「ぶはっ!!!」
コーヒー噴いた。
次の日学校終わりに連絡を入れると、昨日の話のことで皆外に出て仕事をしていて誰もいないという話だったので、今日はこのまま帰ろうと途中で坂本と別れた遼介はゆっくりしとした足取りで歩いていた。
そういえば七月の誕生日に何か買ってくれると兄が言っていたのを思い出し、途中で駅前の雑貨屋やらゲームショップやらをちらちら見ながら歩く。
特にこれがいい! という欲求は無いのだが、きっと前もって言っておかないと、あの年の離れた弟に甘甘な兄は山ほどのプレゼントを買ってくるだろう。
「どうしようかな、まだ一ヶ月以上あるからいいかなー」
「何がだ?」
独り言を言ったはずなのに返答が返って来て、吃驚した遼介は視線を上へと移す。
そこには予想通りの男が、昨日よりはマシなものの若干不機嫌そうに見下ろしながら立っていた。
「久遠さん! こんなところで会うなんて偶然ですね。仕事でしたっけ」
「まあな、見回りってとこだ。余計な仕事増やしやがって……」
煙草のフィルターをがじがじと噛みながら舌打ちをする。
よっぽどこの臨時の仕事に納得がいっていないようだ。
「丁度いい。もう少しで帰るから、先事務所行ってコーヒーでも準備しといてくれ」
久遠はがさがさとポケットを漁り、見つけた鍵を遼介にぽいっと投げる。事務所の鍵らしい。
まだ会って一週間も経っていない自分が鍵を預かってしまっていいものか、困った顔のまま無言で久遠を見る。
「気にすんじゃねぇ。さっさと行っとけ」
「は、はい。分かりました!」
急かされた遼介は早足で事務所へと向かう。
最初は自分のミスでこうなったのだから、ぞんざいな扱いをされるだろうと思っていた。
しかし斉藤も小宮山も、何だかんだ言って久遠も優しくてしてくれているわけで、本当にお詫びになっているのか些か疑問に思ってしまうと同時に、居心地の良い環境を嬉しく思っていた。
事務所があるビルに辿り着いた遼介は、きょろきょろしながら二階へ上がる。
それはこの事務所がヤクザの事務所として知られているかは別として、もし知られている場合ここの鍵を持っているのが誰かに知られるとまずいと思ったからだ。
高校生である自分がこんなところに通っているのがバレたらまずい等は全く考えていない。
「鍵鍵ー」
鍵を差し込む際ドアノブに何となく触れたところ、違和感を感じる。
「あれ……開いて、る」
おかしい、久遠は誰もいないから遼介に鍵を渡したのだ。
もちろん事務所内は無人で鍵が掛かっているはず。
誰かいるのか、小宮山か斉藤か。それとも他の誰か……味方か?
ドアノブに手を掛けたままどうしたらいいものか固まっていると、室内から足音が聞こえた。
どうする? 足音は確実にこちらに向かってきている。
一旦逃げておいた方がいいか、と思っていると、それより早くドアが開いてしまった。
まずい! と思った時には出てきた相手と目が合っていた。
「……あっ!」
「君……」
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