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それは幸福
3


 ある日のこと、その日は珍しく早くにロケが終わり仕事が残っている京太を残して春臣は1人家に帰って来ていた。
 その時、発見したのはマンションの入り口の前で立ち尽くしている1人の少年。

 何をしているんだ、と思ったものの関わるのも面倒だと春臣は知らん顔してその横を通り過ぎようとした...のだが。

 「誠太、悪い遅れた」

 すぐ後ろで最早聞きなれつつある嫌な声がし、チラリと後ろを振り返った。

 「あれ、春臣。帰り時間が一緒なんて珍しいね。遂に干された?」

 「...。」

 そこにはやはり、目の上のたんこぶである存在、千晶が中学の制服に身を包ませて佇んでいた。
 目の前にいた少年は千晶の友人だったのかと把握するとともに、こんな生意気なガキにも友人がいたのかと僅かに驚いた。

 「誠太、こいつ春臣。俺今こいつの家に住んでるんだよな」

 すると千晶は友人である少年に駆け寄り、手短に春臣の紹介を済ませ、家主をおいて先にマンションの中へと入っていった。

 「こんにちは。小学校の時から千晶と仲良くさせてもらってます。九重 誠太(ココノエ セイタ)です。よろしくお願いします」

 「...あぁ、そう。よろしく」

 自惚れているわけではないが、普通、今人気の俳優を目の前にすれば騒ぎ立てるものだ。しかし、目の前の少年...誠太はその年からは想像もしていなかったほど丁寧にあいさつをし、小さく会釈するとそのまま千晶の後を追ってマンションの中へと入っていった。

 ある意味、騒がれ慣れていた春臣はそのまさかの反応に逆に興味を惹かれた。
 その子供らしからぬ態度に妙な引っ掛かりを感じたのだ。
 そして、マンションに入り、部屋に帰った春臣は柄にもなくソファに座っている誠太の元へと近寄る。

 「誠太君、よく変わってるって言われない?」

 春臣がそう言えば誠太はもちろんのこと、その隣に座っていた千晶さえも目をぱちぱちとさせ、固まる。
 普段プライベートで春臣から誰かに話しかけること自体が珍しかったからだ。春臣から話しかけるのは京太ぐらいである。そんな春臣があったばかりの誠太に話しかけたことを、千晶は驚いていた。

 「物怖じしないっていうか...変に冷静というか...まず、礼儀が正しすぎるし、」

 「当たり前じゃん。こいつ九重組の組長の長男なんだから」

 すると口を開きかけた誠太よりも早く、吐き捨てるように千晶がそう言った。
 お前には聞いてない、と言いたくなった一言を飲み込んで春臣はなるほどなと頷いた。通りで中坊の割に妙な落ち着きがあるわけだ、と。そして湧いてきたのは親近感だった。

 不可抗力ながらも自身の親もヤクザの端くれだったためか、普通なら近づかない“組長の息子”という存在に尚更興味がわいた。

 「親がヤクザだと友達、作りにくいだろ」

 「...っ、まぁ、それが普通ですよ。みんな怖がるから...」

 「ならさ、俺と友達になってよ」

 口角を上げ、笑うと誠太に握手を求めるように手を差し出す。...―――― だが、

 「は?何言ってんのあんた。誠太、やっぱお前の家行こ。ここ、こいついるから嫌だ」

 パン、と乾いた音を立てて千晶が春臣の手を叩く。そしてそのまま自分勝手に部屋を出ていってしまった。
 一体何なんだとはたかれた手を見ていれば不意にその手は小さな手にギュッと掴まれた。

 「よろしく...おねがいします、」

 頬を赤くし、恥ずかしそうに誠太はそう言う。そうして挨拶をして急ぎ足で千晶を追うその背中を春臣は見送った。

 その後姿はどこか可愛く見えた。




 芸能界で過ごし、人間の裏の部分ばかりを見てきた春臣にとって飾り気のない、初心な誠太の反応は心地よく感じた。
 媚ではない、純粋な好意。そんな気持ちを含ませた眼差しを向けられれば誰だって興味を持つはずだ。

 ― だから遊ぶことにした

 面白いと思った。ゲーム感覚だった。純粋無垢なその少年を大切に大切に包み込んで―――― 汚したいと思った。

 「なぁ、京太、人間失格って本あるだろ。お前はどんな奴をそう言う?」

 「え?急だなぁ。そんなすぐには出てこないけど...というよりも、僕には人の価値を決めることなんてできないかな」

 車を運転する京太はそう言い、頭を悩ませた。それは何とも京太らしい答えだった。なんせかんせ人嫌いする姿を生まれてこの方、見たことがない。
 それからロケ現場に着いた春臣は京太と共にスタッフたちの元へと歩いていく。

 今日はドラマ撮影などではなく、食レポの撮影で、何ともやる気の出ない仕事だったが、これも知名度を高めるための仕事だと、春臣はいつもの営業スマイルを振りまく。

 「おはようございます!今日も一日よろしくお願いします」

 「おはよう春臣君、今日も相変わらず元気がいいねぇ。やっぱり若いのはこうでなくちゃ」

 「いやいや、昇さんも十分若いですって!大人で格好良くて俺、憧れちゃいます」

 目の前にいる今日共に食レポを行う男、昇は30〜40代の女性に今人気の俳優だ。演技はもちろんのことその甘いマスクに幾多の異性が恋に落ちたのだろうか。

 ― ただ演技を女を落とす道具としか思っていない当たり、心の底からこいつのことは尊敬できないけど。

 「春臣君、おはようございます。今日は春臣君との撮影楽しみにしてたんですよ、会うのは前のドラマ以来ですよね」

 「あれ、前のドラマ以来か!なんだか久しぶりな感じがしないな。よくテレビで見てるからかな?」

 次に現れたのは同じく撮影を共にするアイドルのあやなだった。アイドルブームの今、その中でもトップに立つ存在だ。あやなは前のドラマで恋人役として共演したが、それ以来何かと色目を使ってくる発情した雌犬だ。
 何かと胸を押し付け上目遣いをしてくるが春臣の目には仕事仲間のただの棒人間の一人にしか映っていなかった。

 ― 演技も何もできないくせによくドラマに出たりするよな

 あまりの下手さに何度笑ってしまいそうになったことか。こんな人間でもドラマの重要な役につくことが出来ること自体に批判を送りたいところだった。

 「それにしても、素敵な2人に囲まれて撮影なんて嬉しいな。今日は撮影ではありますが皆さんで楽しんで行きましょうね」

 そして棒人間たちに囲まれたまま春臣は演技を続けた。


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