それは幸福
4
「俺は、おかしいのか」
千晶に再び突きつけられたのは聞きたくないことばかり。
“少年愛者の変態”
−なぜそんなことばかり言う。違う、俺はそんなんじゃない。そんなんじゃ...
それならどうして、幼い誠太に手を出した。
どうして、昔のハメ撮りの動画を見て興奮した。
どうして、こんなに焦っている。
「ちが、う...違う違う、どうして俺がおかしいみたいな言い方をされなきゃいけないんだ」
終わらない自問自答。事実から目を背けている限りみえない答えを探しては胸を締め付けた。
−シャワーを浴びて少し冷静になろう。
今更になって半裸という自身の滑稽な格好に気がつき、春臣は気分転換にシャワーを浴びることにした。
部屋に備え付けられているシャワー室はトイレと一体型になっており簡易的なものだが、使い勝手は良かった。
服を脱ぎ、温かな湯を全身に浴びればいくらか気持ちは落ち着き冷静さを取り戻していく。
−こんなくだらないことで悩んでる暇はないじゃないか。今大事なのは千晶との関係性だ。この撮影期間中、きっと今日みたいな脅迫行為は続く...自分はそれに耐えられるだろうか。
「いや、耐えなきゃダメなんだ」
そうじゃなきゃ、全てが水の泡だ。
増え続ける汚点。ここまできたら最早反抗など無駄な足掻きであった。
ただひたすらに千晶たちに従順であること、それだけが皮肉なことに唯一の救いに繋がるのだから。
−そうだ、役になりきればいい。これは一つの作品だ、もちろん主役は自分自身。主人公は苦難に立ち向かいながらも輝かしい未来を獲得するんだ。
演じれば、辛くない。
この現実も、辛くない。
これはあくまでも作品だと思えばいいんだから。
辛く、ない...はずなんだ。
「...助けて、京太」
しかし、気持ちとは裏腹に震える唇から出るのは蚊の消え入るような声であった。
「おはようございます。今日もよろしくお願いしまーす!」
撮影現場に着き、笑顔で挨拶をしながら歩いて行く。どんなに苛ついた気分の時も気落ちしてる時もきちんとスイッチは切り替える。あくまでも今の自分は“俳優の藤堂春臣”だからいつでも明るく元気で礼儀正しい好青年を演じなければいけない。
貼り付けた笑顔の仮面に向けて周りからも笑顔を向けられる。
− あぁ、よかった。今日もちゃんと俺はできてる。あんなことがあっても俺は大丈夫だ。
「おはよう、天宮くん。長期ロケは初めてって聞いたけど...どう、初日は眠れたかな」
俳優陣の控え場所に行けば案の定、今1番会いたくない男である千晶が1人椅子に腰掛け台本を読んでいた。
そんな男に話しかけたくない春臣を見ない振りして、みんなに優しい“春臣”が千晶に近づいて話しかける。
「それ、あんたに言う必要ある?」
「いや、ただ俺が勝手に心配しちゃっただけ。今の質問で嫌な気分にさせちゃったならごめんね」
台本を読んでいた千晶は春臣を一瞥することもなく、台本に目線を向けたまま気怠そうに口を開く。
刺々しい言葉は予想内のもので一々傷ついてなどいられない。
一方的に作られる険悪な雰囲気にこれはもう退散してもいいということだろうかと思った時だった。
「おはようございまーす!藤堂さん、今日は共演シーンありますね、よろしくお願いします!」
「あぁ、おはよう。春海(ハルミ)さんとは初共演だね。最近の活躍観てるよ、今人気の演技派女優って雑誌でも紹介されてたでしょ」
険悪な雰囲気を吹き飛ばすような元気な声が向けられた。
声のする方を向けば今話題沸騰中で演技派として売り出してる女優、春海の姿があった。歳は千晶と同じ20歳。丸く大きい目で小動物のような愛くるしさのある顔、細い腰から伸びる足はすらりと長くスタイルの良さを強調していた。
春海は今回の映画ではヒロインのあかり役だ。一応映画の中ではある意味でライバル同士となるのだが...。
「初日の挨拶の時にも話させていただいたんですが、私本当に藤堂さんのファンで憧れて女優目指して...今日は共演できるのが楽しみでした!」
春海は春臣に憧れ女優として励んでいるらしいのだ。そしてよく話を聞けば、春海という芸名も春臣の名前の“はる”と“み”をもらい春海にしたと言っていた。
これは熱狂的と言ってもいいのではと思うほどに春海の春臣を見る眼差しは輝き、期待に満ちていた。
「それじゃあ、撮影前にたくさんお話しして邪魔してしまっては悪いのでまた...」
「邪魔なんてことないよ。また休憩時間にでも話聞かせてね」
にこりと笑って送り出せば、春海は顔を赤くし満面の笑顔で会釈するとマネージャーの元へと走って行った。
− 意外にも礼儀を弁えてて遠慮深いし嫌いじゃないんだよね。
演技派というだけあって春臣から見ても演技は悪くなかった。
煩わしい人間が嫌いな春臣にとって一線引いて控え目な部分もある春海は印象のいい存在であった。
何よりも、今気落ちしている春臣にとって春海は安定剤のような心地よさをくれた。普段は何とも思わないが今だからこそ響く良さもある。
「あの女、何もわかってないね」
しかし、そんな浮上してきた気持ちを再び沈めるかのような冷たい声が春臣の胸に突き刺さる。
「あんたも自惚れないことだね。それにさ、あの動画を見てもあの女はあんたのことを憧れ続けることができるかな」
「...っ、」
「今日も演技指導よろしくね、春臣」
先程まで台本にしか目線を向けなかった千晶は狐のように笑み春臣を見ていた。
その時、笑顔の仮面に不釣り合いの冷や汗が春臣の背中を伝った。
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