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 死んだ男の自宅からは、何かしら有益な証拠は見つからなかったそうだ。それが、涙を堪え息子を抱きしめる年若い夫人に、心を痛めながらも家捜しをした査察部の成果だった。
 それによりわかったのは、男が家庭に仕事を持ち込むタイプの人間ではなかったらしいということ。それと、査察官にはたまに鉄のハートが必要かもしれないということ。

「採用試験に盛り込んだらいい」

「どうやって鉄のハートの有無を調べるんだい?」

「金属探知機だろ」

 自分のデスクに腰を落ち着けたカフカは、ヴェロッサの言葉にそう言って笑った。
 場所は管理局、階ごとに部署が別れたその建物の、査察部にあてがわれた部屋である。
 タバコをくわえながら辺りを見渡せば、部屋には陰気で淀んだ空気が漂っていた。
 無理はない。男の証言があれば1で済むことが、無いと10もかかるのだ。これで仕事のモチベーションが上がろうか。
 カフカは欠伸をかみ殺し、小さく鼻を鳴らした。

「どうやら鉄の忍耐力も必要らしいな」

「それならもう間に合ってる」

 と、部屋にいた査察官からそんな声が上がった。釣られて別の査察官からも、

「それがなかったら、俺たちはお前たちに文句を垂れてたところだよ!」

「十分垂れてるじゃねえか」

 丸めた書類を、声を上げた査察官に向けて放り投げる。

「これが垂れずにいられるか!」

 お返しに飛んで来たのは、安いボールペンだった。そしてそれはカフカではなく、隣りのヴェロッサに直撃する。
 けれど、彼はそれを気にするでもなく、乱れた髪を撫でつけて言った。

「耐えるからいけないと、ボクはそう思うね。広い心を手に入れた方がいい」

「すかしやがって」

 だが、残念ながら査察部に広い心を持つ人間はいなかったらしい。紙コップが飛んでくる。
 中身が入っていたら間違いなく灰皿を投げて返すところだったそれを払いのけ、カフカは「そもそもは……」と、シニカルな笑みを浮かべながら口を開いた。

「どっかの無能共が男の身柄を一番に確保しなかったから、オレたちが追うハメになったんだろうが」

「万が一のときのために下にいる、って言ってサボってたのはどこのどいつだ!」

「お前らの無能っぷりを察した有能な査察官だ。茶を淹れて寄越せ」

 空のマグカップがその返答だった。
 壁に当たって砕け散ったカップを合図に、灰皿が宙に放物線を描き、雑誌(管理局のフリーペーパーだった)がページをはためかせて空を飛んだ。写真立て(家族が写された)が、時計が、手鏡(婚期を逃した女性査察官のもの)が、小さな鉢の観葉植物が、クリップが、その他オフィスに存在していたありとあらゆる物が宙を舞った。

「教会の坊ちゃんやい、広い心とやらは一体どうした?」

「聖王様は一昨日から南へバカンスに行ってるのさ!」

 誰かがヴェロッサを挑発すれば、彼は履いていた靴を放り投げた。
 カフカはタバコを誰かのデスクに押し付けて消し、代わりに降ってきたチョコレートをかじりながらそのデスクの下に潜り込んだ。空からチョコレートが降ってくるなんて、最高にイカした職場じゃないかと思いながら。
 食べ終えると指についたチョコレートを舐め、ネバーランドの住人が大人しくなるのを“Octopus's Garden”を歌いながら静かに待つ。
 そう頻繁に起こるわけではないが、査察部はこんな風に日頃の鬱憤が爆発することがあった。高く積み上げた積み木が、最後の最後で崩れてしまった今日のように。
 悪いことではない、とカフカは思う。査察官は本性を偽ったりすることが仕事の特性上多いのだが、そんなことを続けていればストレスが溜まる。だから、たまにはこうしてガス抜きが必要になるのだ。
 どう頑張ってもサビしか思い出せずにイライラする“Octopus's Garden”を諦めて“I Am The Walrus”を歌い始めた頃、カフカの目の前に通信が入ったことを知らせるモニターが展開した。そこに表示された名前はサリー、自分のガス抜きを手伝ってくれる女性だった。

『今夜は空いてる?』

 と、通信を繋げていきなりそんなことを聞いてくるあたり、向こうも大概色々と溜まっているのかもしれない。こっちはセイウチであっちは欲求不満のOL、どうやら相性は悪くないようだ。
 願わくば今夜はこの年上のガールフレンドに誘われるまま、甘いお菓子をねだったりねだられたりしたかったが、残念なことに今日はすでに予定があった。カフカは首を横に振る。

「今日は無理だ」

『あ、そう……。でもワタシ今、アナタのいる部屋の外に来てるんだけど?』

 くすんだブロンドの髪に指を巻きつけながら、彼女は舌打ちを鳴らす。呼んでもいないのにその態度、思わず彼女の頬にキスしたくなるほどだ。もちろん平手の。
 だが、平手打ちと股間を蹴り上げられることは、どう考えても釣り合わないだろう。カフカはもう1度首を横に振った。

「悪いね、仕事が忙しいんだ」

『ふーん……、ところでアナタどこにいるの? なんだか後ろが真っ暗だけど』

「デスクの下。割と気に入ってる場所なんだ」

『そこで何の仕事をしてるの?』

「金玉の位置を直してやる仕事だ」

『とんだ給料泥棒ね』

「別に盗りはしない。ただそっと直してやるだけだ」

『つまらないわ』

 サリーはモニターから視線を外し、その言葉どおり退屈そうな表情でため息を吐き出した。

『アナタ、きっと世界で一番つまらない男に成り下がった』

「宇宙一でなくて何よりだ」

『たった今、宇宙一になったわ』

「管理局で一番イイ女にそう言われたんじゃ、きっとそうなんだろう」

 彼女は眉をしかめて、唇を尖らせた。

『アナタにとって、ワタシは管理局一でしかないのね』

「でも、オレの中では一番だ」

『そんな安いセリフを吐けば、女が喜ぶとでも思ってるの?』

 通信は始めがそうだったように、終わりも一方的だった。
 ずいぶん気が立っている様子だったが、あんなに無愛想で受付嬢の仕事が勤まるのだろうか、とカフカは思った。サリーは受付嬢なのだ。
 誰々を呼び出して欲しいのですが、という要望に、彼女はひょっとしたら眉をしかめて舌打ちを返すのかもしれない。もしそうなら、管理局は今すぐにでも彼女をクビにすべきだろう。けれど、そんな態度でも彼女の魅力は失われることはない。むしろ、そんな態度の方が彼女に合っている。
 不思議なことに、未だ受付にいるサリーの姿を見たことがなかったカフカは、受付での彼女の様子を想像して苦笑いを浮かべ、デスクの下から外の様子を窺った。
 デスクの外では物の投げ合いから罵り合いに移行したらしく、現在はヴェロッサが女性査察官に責められていた。あの約束は嘘だったのか、一度寝ればそれだけなのか、と。この後は湿っぽい空気へと移り、傷ついた女性査察官を慰めにみんなで呑みにいくのだろう。
 女性査察官たちの傷の舐め合いに興味がないカフカは、デスクの下から這い出て体についた埃を払う。
 片付けはきっと清掃員がやってくれるだろうが、今日はもう仕事ができない。よって、さっさと帰ることに決めた。

「あなたもよカサブランカス!」

 が、そうもいかないらしい。

「あなたも女性の敵よ!」

「味方であろうと、常に努力はしてるんだけどな」

 散らばった自分のデスクから、車のキーを探しながら笑う。

「オレの愛は伝わりにくいみたいだ」

「しかも複数の女性に捧げてる」

 入れなくてもいい相槌を打ってくれたヴェロッサに感謝し、車のキーを見つけたカフカは外へ出るドアに手をかける。
 と、そこでドアの隙間に挟まれたメモ用紙が目に付いた。
 “1番になれなかったアナタへ、アナタの1番より”という言葉が書かれたそれを、クシャリと丸め、カフカは女性査察官に向かって放り投げた。

「けど、そっちも大概わかりづらいとオレは思うね」

 ドアを開けて出た廊下、鼻を掠めたよく知る甘い香りは、きっと勘違いではないだろう。
 自分が追い掛けて来るのを待っていた彼女のことを思うと、自然と可笑しさがこみ上げた。

 ガールフレンドの魅力的な誘いを断って帰路についたカフカの心中は、酷く憂鬱だった。ブルーにこんがらがっていた。別れた女に「あんたの名前、なんだった?」なんて言われたことはなかったが。
 カフカはため息を吐き出し首を振った。
 自分は少し疲れているみたいだ。なにせ今日は色んなことがあった。カーチェイスもやったし、こめかみに銃を突きつけられた。目の前で人が死に、未来へと歩む女性に会い、過去の関係に戻れない女にも会った。空からチョコレートが降り、タコの庭に行くことはできず、セイウチになり、つまらない男だと言われた。
 とある一件の邸宅の前に車を停めたカフカは、懐からタバコを取り出そうとする。けれど、懐なんて無かった。

「ああ、おまけにスーツは血まみれだったな……」

 と、そこでスーツに入れたままになっていたのが、タバコだけではないことに気がつく。無いと少し面倒なことになるものだった。
 今からはやてに連絡を取ってどうするわけにもいかない。彼女だって忙しいのだ。ヴェロッサを通じて彼女のことを知るカフカには、それがわかっていた。
 仕方なしに諦め、車を降りる。
 街灯が夜道を照らす住宅街。その住宅街において、周りから500年は遅れているような風貌の邸宅があった。赤茶けたレンガ作りに暖炉用の煙突。それだけでもタイムスリップしたかのようだ。
 カフカは立ち止まって煙突を見上げた。あそこからサンタクロースがやって来ると信じていたのは、一体いつまでだっただろうかと思いながら。
 やがて庭へ足を踏み入れる。外からはわからないが、手入れのされていない庭は荒れ放題だった。伸びた雑草が風に揺られている。
 家主の心象を表したその庭を通り過ぎ、カフカはドアベルを鳴らした。
 パタパタとスリッパの軽い足音と共に、彼女はやって来る。そして勢い良く玄関のドアを開き、会いたくても会えなかった恋人のような笑顔で言うのだ。

「おかえりなさいアンソニー」



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