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なにやら意味深な言葉と共に、結局血塗れのスーツは持って行かれてしまった。願わくば、質の良いクリーニングサービスを期待したいものである。
愛車を道路脇に停め、カフカはヴェロッサと共に“家捜班”に合流すべく車を降りる。
男の自宅は、クラナガンの高所得者の住む高級住宅地に存在していた。この辺りの住宅地の特徴として、広い庭とプールがあげられる。中には警備員を雇ってセキュリティーを強化している家も少なくはない。男の自宅にも広い庭とプールはあったが、警備員までは雇っていないようだった。
綺麗な装飾、けれど、頑強な作りの門を撫でながらカフカは笑った。
「人生一度くらいは、こんな家に住んでみたいもんだ」
「思ってもいないことを口にするのは、キミの悪い癖だとボクは思うね」
「その悪い癖がなかったら、オレの頬の腫れが引くことはなかっただろう」
門の脇に立った査察部の人間に労いの言葉を述べ、広い庭へ足を踏み入れる。芝や生け垣の手入れの行き届いた、美しい庭だった。水でも撒いていたのか、無造作に放られたホースが目につく以外は。
足を止めて庭を見ていると、不意に子どもの姿が目の前を横切った。まだ5つか6つくらいの男の子だ。
ボールを元気いっぱい蹴る彼を目で追うと、その先にはぎこちない笑顔で彼を待ち受ける、1人の女性の姿が見えた。管理局地上本部の制服に身を包み、弦の細いメガネを掛けたショートカットの女性だ。
見知った人間の姿を認めたカフカは、ヴェロッサに断りを入れた。
「悪い、先に行ってくれ」
「へー……ずいぶんと趣味が変わったじゃないか」
彼の視線の先を追ったヴェロッサは、そう口にした。
けれど、カフカは苦笑いを浮かべながら首を横に振る。
「そんなんじゃないさ。ただ、懐かしい知り合いなんだ」
「彼女が何をしているのか、キミは知ってるのかい?」
「ああ知ってるさ。地上本部お偉いさんの秘書だろう?」
「正確に言えば、地上本部の防衛長官である父親の秘書だ。その彼女が一体全体どうして―――」
こんなところにいるんだ、と続くであろうその言葉を遮って、カフカは言った。
「懐かしい知り合いって言っただろう? ほら邪魔だ、さっさと仕事に行けよ」
ヴェロッサはわざとらしく肩をすくめ、一足先に“家捜班”に合流すべく歩いて行く。そして彼が邸宅に入ったのを見届けると、カフカは足の矛先をようやく彼女の方へと向けた。
膝立ちの状態で子どもの頭を撫でる彼女の横顔は、仕事に生きる女性がそうであるようにどこか冷たい印象を受けるが、決してそうではないことを知っていた。
歩み寄って来るこちらに気づいた彼女は、少し驚きながらも、立ち上がって膝についた芝を払った。
「久しぶりだな、オーリス」
「ええ、そうね……どれくらいぶりなのかしら」
「オレが査察官になってからは、一度も会ってないな」
「お互い忙しいもの、仕方がないわ」
小さな頃よく遊んでいて、現在も多少の縁のある人間のことを幼なじみと呼ぶなら、彼女との関係がそれだった。親が同じ管理局の人間ということと、自分と彼女の歳が近かったこともあり、自然とそういう関係になったのだ。
多くのものがこぼれ落ちてしまった今となっては、あまりに輝かしかった日々に、目を細めることなく振り返ることはできなかった。それは彼女も同じだろう。
オーリスは手に持ったボールを明後日の方向へ投げ、それを追い掛けに走る子どもにかつての自分たちを重ねたのか、口元に微笑を浮かべた。
「覚えてる? 小さな頃、あなたとよく遊んだことを」
「忘れたよ」
「私は覚えてる。あなたは嫌がる私に、散々ゴールキーパーをやらせた」
恨み言のように言われても、カフカはまるで覚えていない。
「オーリスが名キーパーだったんだ」
「そうだったかしら? いつだってキッカーが素晴らしかったせいで、とてもそうは思えなかったわ」
「古い話だ、今のオレは女に優しい」
「朝になれば女性をベッドから追い出すような人のことを、優しいと言えるのかしらね」
そう言ってシニカルな笑みを浮かべた彼女は、子どもがボールを持ってくるとその笑みを一転して邪気のないものへと変え、再びボールを明後日の方へと放った。
「あなたは本当に、あなたのお父様そっくりになってきたわ。女癖の悪いところなんて特に」
「どうだろうな……自分じゃよくわからない」
「なら、一刻も早く自覚すべきね。女に刺される前に」
「そうするよ。死ぬのはごめんだからな」
その言葉に、オーリスの体が緊張したかのように小さく震えた。
「……ごめんなさい」
「いや、いいんだ。気にしてない」
カフカは話を変えた。
「今日はどうしてここに?」
「………死亡退職金についての説明をしに来たのよ」
場に、耐え難いほどの重苦しい沈黙が下りた。
死んだ男の所属は地上本部だったから、この場に防衛長官の秘書であるオーリスが説明にやって来たということは理解できる。しかし葬式も終わっていないうちからでは、いくらなんでも早すぎるのではないだろうか。もちろんその疑問を口にすることはできない。
「あなたが追っていたのよね……」
「ああ、そうだ……。もっと上手くやるべきだったと、後悔してる」
「責めるつもりはないわ。むしろ、あなたの方が私を責めたいんでしょうね」
「いや……お前のせいじゃないさ」
「ええ、私たち地上本部のせいね」
「そうじゃなくて……」
と、カフカは視線を落とした。
そこへ子どもが顔色を窺うかのように、ビクビクしながらボールを運んで来た。重くなった空気を察したのだろうか。
カフカは彼からボールをふんだくると、思い切り蹴りつけた。子どもは半泣きになりながらボールを追い掛けていく。
それを見たオーリスは、呆れたように呟いた。
「……意地悪なのね、あの子泣いてたわ」
「これからもっと涙を流すことになる」
「それは……あなたの経験論?」
「さあね」
取り出したタバコに火をつけ、煙を吐き出す。続かない会話を誤魔化すためのタバコは、あまり美味くはなかった。
彼女との会話は、いつだって途切れ途切れで長く続くことがない。少なくとも小さな頃は違ったはずだったが、いつからかこんな風になってしまったのだ。そして今では、会うたびによそよそしくなっていく。
“Yesterday”を歌いたい気分だ、とカフカは生まれて初めて思った。昨日に戻るだけでは、とても足りないだろうが。
「ところで……お母様は最近どうされているの?」
「元気だ、相変わらず2000光年の彼方を生きてる」
今日はやけに“Yesterday”を歌いたい気分になるらしかった。最も、こちらも昨日に戻るだけでは足りなかったが。
「そう……変わりないのね」
「ああ、変わらない」
しばらくの間、ポール・マッカートニーを信じることができないだろうとカフカは思った。ハリスンはもっとだ。太陽は雲に隠れて顔を出さない。
「それじゃあ、私は行くわ」
「ああ、またな」
「…………ええ、また」
むしろ会いたくはなさそうにそう言って、オーリスは背を向けて去っていく。
あれほど期待感のかけらも籠もっていない“また”というのを、カフカは初めて耳にした。こちらが「またな」と言ってしまったことを、後悔させるほどだ。
「ボール………」
だから、怯えたような調子で差し出されたそのボールを、先ほどよりも遠くへ蹴り飛ばした。子どもはヤケクソになりながらそれを追いかけて行く。
彼には、いつか気づくときがやってくるのだろうか。父親を死なせたのは、意地の悪いこの男だったということに。
それも構わない、とカフカは思う。敵は見えていた方がいいし、牙を突き立てる場所は知っていた方がいい。
「弱い者いじめかい?」
「じきに強くなるさ、嫌でも」
だから、後ろから聞こえたヴェロッサの言葉には振り返ることなくそう答えた。
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