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ミニクーパーに背をもたせて目を瞑り、ヴェロッサがぶつぶつと何事かを呟き始める。猟犬に指示を出しているのだろう。
それを確認すると、カフカは黙ってアンティークな作りの鍵を目の前に垂らして、短く「セットアップ」と告げる。
するとその瞬間、足下に歯車を連想させる灰色の魔法陣が現れた。それは、歯車がそうであるようにクルクルと回転すると、一際強い光を放ってやがて弾け飛ぶ。
その間、およそ1秒にも満たなかったであろう。
カフカが着ていたスーツはいつの間にか、ミッドチルダから遠く離れた地球の軍服、ナポレオンジャケットにその姿を変えていた。上質な黒地に、ひとつひとつ美しい装飾が施された金のボタンが数多く配されたものだ。腰元が絞られたデザインは、バリアジャケットが魔導師の戦闘服だということを省みれば、動きを阻害する以外のなにものでもない。
「いいね、相変わらずきまってる。そんなイカしたバリアジャケットを着てるのは、管理局でキミだけだ」
「ようはアホって言いたいんだろう?」
窮屈な襟元に指をやって舌打ちをひとつ鳴らす。
ヴェロッサはその言葉に首を横に振って答えた。
「違う。バカって言いたかったんだ」
カフカは思わず頬を引きつらせた。
だが、このやろう、と怒りをぶつけるのも情けないので、気づかれないようヴェロッサのポケットにタバコの吸い殻を放り込む。
トレードマークの白いスーツ、そのポケットが灰まみれになっていることなど知りもせず、彼は真剣な表情で口を開いた。
「もうすぐ男が来る。キミはバインドの準備を」
「任せろ。縛るのは得意だ」
時代錯誤、惑星錯誤なのは何もバリアジャケットだけではない。
カフカがヒラヒラと手を振ると、その手に一丁の銃が現れる。正確には、質量兵器にしか見えないデバイスだ。
それを両の手のひらで包み込むようにして握り、立ち上がると、愛車の屋根に肘を付けて狙いを定める。今はまだ誰もいない場所へ向けて。
「オーケー、あとどれくらいだ?」
「30秒だ。今、ルーシーが男をこちらへ追い込んでる」
「ルーシー?」と、思わず聞き返しそうになったが、すぐさま思い直した。この男が、猟犬に別れた女の名前を未練たらしく付けていることを思い出したのだ。
「なんなら、ルーシーも一緒にふっ飛ばしてやろうか? 空高く、ダイヤモンドと一緒に」
「いや、彼女は縛られる方が好きだった」
その言葉を言い終えると同時に、ヴェロッサは顔を上げた。
何十台と停められた車の間、一直線に伸びるアスファルトの道を男が駆けてくる。広い駐車場を走り回ったのか、足下がややもつれぎみだ。そして男のすぐ後ろには、彼をせっつくようにして猟犬のルーシーがいる。
デバイスを構えるこちら側に気がついても、男は真っ直ぐ進まなければならない。後ろには猟犬。停められた車の間に飛び込もうにも、陰からまた別の猟犬までもが吠えかかるのだから。
ようやくこれで幕引きだ。
編まれたカフカの魔力が、銃口の先で歯車を描く。
「カモとイヌ……それと、足りないのはなんだった?」
「ネズミじゃないのかい?」
「よし、なら夢の国へお帰り願おう」
三食飯付き、運動も読書も奨励されている。ベッドが固いのと取り調べがキツいのと自由が少なくなったことを除けば、ハッピーな生活と言えるだろう。まさに夢の国。檻の中の小さな夢の国。自分はそんな生活ゴメンだが。
数年の間そこで過ごすことになるであろう男を内心でそう皮肉り、ゆっくりと引き金に指を掛ける。
発砲。先に撃ったのはカフカではなく男の方だった。だが、銃弾は大きく逸れて別の車の窓ガラスを砕いた。
銃を撃つことに意識を移したせいで動きの鈍った男の足に、すかさず猟犬ルーシーが噛み付く。
男は反射的に上空へ発砲し、膝から落ちるようにして体勢を崩した。
焦って引き金を引いた銃というものは、いつだってイイ結果をもたらさないものである。
ティーンエイジャーじゃあるまいし、それくらいわかるだろう? と、シニカルな笑みを浮かべたカフカは引き金を引いた。
硝煙の代わりに魔力光を撒き散らし、派手な音と共にデバイスから放たれた灰色の矢が、一直線に男の下へと向かう。
膝から崩れ落ちた男の体に迫った灰色の矢は、形を縄のように変えて男に巻きつく。だが直前に再び銃を発砲したせいで跳ね上がった男の右腕が、バインドの拘束を免れていた。
カフカは焦ることなくデバイスを男に向ける。
けれどそこで男が思わぬ行動を取ったことによって、引き金を引く指が若干遅れてしまう。
その遅れはほんの少しだったが、それは男にとって十分過ぎた。
「捜査官が来るそうだよ」
「だろうな」
通信を終えて帰って来たヴェロッサを、素っ気ない言葉で出迎える。
場所は変わっていない。駐車場だ。
元のスーツ姿、けれど、ジャケットを羽織っていない姿で、カフカは愛車のボンネットにもたれてタバコに火を付けた。
ゆっくりと煙を吐き出し、視線をそちらへと向ける。
「高かったんだ、あのスーツ」
駐車場に横たえられ、顔にジャケットがかけられた男の方へと。
ジャケットが掛けられているのは、男の姿がとても見られる状態ではないからだ。
アスファルトに散った隠しきれない血痕から目を逸らさずに、言葉を続ける。
「夢の国の住人はえらく金を取るからキライなんだ」
「捜査官には、そんな口を利かない方がいいだろうね」
「わかってる」
男は自殺した。自らのこめかみに銃を当てて穴を開けたのだ。
その現場にいた自分とヴェロッサは、これからやって来る捜査官の事情聴取を受けなければならない。
相手が質量兵器を持っていたということと、こちらが戦闘に重きを置かない査察官であるということを省みれば、非難を受けることはまずないだろう。それどころか、色々と口を噤んでいれば感謝されるかもしれない。男のいた地上本部からは。
灰を落とし、カフカは話を変えた。
「査察部は? なんて?」
「捜査官はキミに事情聴取するだけだろうから、終わったらすぐ“自宅チーム”と合流するようにだってさ」
「スーツをクリーニングに出してから向かう、って伝えとけ」
やれやれ、とばかりにヴェロッサは肩をすくめて言った。
「捜査官はキミに良い印象を持つことはないだろうね」
「持つさ」
「どうして?」
「来るのが女なら」
「残念、男性の捜査官だそうだよ」
「―――ところが、その先輩捜査官に『君みたいな女性で、なおかつ新入りの捜査官には良い経験だろう』とかなんとか言われて押し付けられてしもうたわ。イビリやなイビリ。これってパワーハラスメントと思うんやけど、どう思うお二人さん?」
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