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 明け方過ぎのクラナガンは寒すぎる。
 冷たい印象を受ける高層ビルのせいか、それともここが住宅街でないせいかもしれない。人の営みと言うものが感じられないのだ。今時分ならば、ゴミ出しをする主婦や新聞を届ける配達員を見かける頃なのに。しかし、ここには人の気配が無く、もう誰もこの区画へは来ないのではないのかという侘しさがある。
 間違えてしまった、とエリオ・モンディアルは路地裏の室外機の上に腰掛け、冷える手を擦り合わせながら息を吐く。
 今回は、今までより迅速かつ正確に事を運べていたと思っていたのだが、どうやそれに慢心してしまったらしい。追いかけてくる施設の職員の目から隠れながら逃げていたら、目的の方向とは逆のところへとたどり着いてしまったのだ。
 それもこれも、きっと具合の悪いこのサンダルのせいに違いない、とエリオはブカブカのそれをつま先に引っ掛け視線を落とす。
 施設職員のものであるそれは、未だ幼い彼には大きすぎた。
 しかし、文句ばかり言ってもいられない。

「どうしよう……」

 これからどうやって目的の場所へと行くのかを考えねばならないのだ。具体的に言えば、住宅街。それも高所得者が多く住む地区が彼の目的地だった。
 リニアかバスでも使えたなら悩む必要もなかった。だが、お金が無い上に頼れる知り合いもいない。このままでは少なくとも普通の方法ではたどり着くことはできないだろう。
 いや、そもそもすでに普通ではないことをしているのだから悩む必要なんてないじゃないか、とエリオは開き直った。
 覚悟を決めた彼は、施設から抜け出すときに持ってきたタオルケットを羽織り、辺りを見渡して路地裏から抜け出した。


「そんなの執務官補佐の仕事じゃない、なんて酷いことは言いやしないさ。けど、そのクソガキ一匹探すのにいちいち執務官補佐を引っ張り出すことはないんじゃないのか?」

 クロノの頼みごとを聞いたカフカの口から漏れたのは、文句だった。

「言ってるじゃないか、その酷いことを。それに、お前にだけ頼んだんじゃない」

 他に誰がこんな朝っぱらからそんな頼みごとを聞いたのかとカフカは訊ねた。

「なのは、それにはやてと彼女の騎士たちも協力してくれる」

 となると、捜し物が得意なヴェロッサ辺りもはやてに引っ張られているのかもしれない。カフカは相方のことを笑いながら、自らも出かける支度を始める。
 ここで断るのは簡単だが、現状暇な身の上であるので協力せねばならないのだろう。円滑な人間関係のためにも。

「フェイトには悪いが、僕は端っから彼女がエリオを引き取るのは反対だった」

「オレだって反対だ」

 コートを片手に、カフカは肩を竦めてみせる。そうでないからこういうことになったのだと言わんばかりに。

「彼女だってまだ子どもなんだ、周りに頼るということをしなさすぎる」

「普通逆じゃないのか?」

 くたびれたシャツを脱ぎ捨てて新しいものに替え、髪の毛を撫でつける。本来なら乱れた髪を直し髭も剃りたいところだが、そう悠長なことも言っていられないのだろう。

「いや、だからこそこんなことになったんだ」

 カフカは、適当な相槌を打ちながらはやての言葉を思い出した。

「面倒だな女の“子”ってのは」

「ああ、面倒なんだ」

 画面の向こうでクロノは苦笑いを浮かべる。

「苦労をかけるならもっと早いうちにしてほしかったよ」

「苦労をかけてほしいみたいな言い草だな」

「そりゃ、僕は兄だからね」

「できればオレは遠慮したかったね」

「悪い、後でフェイトを叱っておこう」

 送ってもらった問題のエリオ・モンディアルの画像とプロフィール(必要ないと思われる部分は閲覧できないようにしてある)を小型の通信デバイスで眺めながら、カフカは管理局の駐車場に降り立った。
 どうやらエリオ君は、今回のものを含めると今月に入ってからすでに三度も施設より抜け出している常習犯らしい。それを見ると、なんだか画面に映る赤毛の少年が生意気そうに見えてくるのだから不思議だ。
 大人を出し抜き施設から脱走、なんとも楽しそうではある。少年には心躍るシチュエーションではないだろうか。しかし、そのせいで周りの大人は迷惑をこうむるのである。具体的に言えば、保護者が。
 今から思えば、フェイトがたびたびどこかへすっ飛んで行ったのは彼のことだったのだろう。
 しばらくそうして送られた資料を確認しながらぼんやり考え事をしていると、唐突に前方よりクラクションが鳴らされた。
 顔を上げたなら、そこには宇宙一キュートな車がえらくご機嫌な調子でこちらに向かって走ってくるではないか。
 そのとんでもなくキュートな車は、なんとも鮮やかで可愛らしい赤色のボディを朝日で輝かせながらカフカの目の前で止まった。
 だがその愛らしい外見の車とは裏腹に、降りてきたのはみすぼらしい外見の老人だった。
 老人は、酷く寒そうに油で汚れたジャケットを合わせながらカフカにブチブチと文句を言い始めた。

「こんなに朝もはよから……。予め金をもらってなかったら、追加でいくらか請求してたところだ」

「いいじゃないか、ゆうべのうちには直ってたんだろ?」

「ああ、ガタがきてた足回りもついでにリペアしておいた。あんまり乱暴に乗ってやるなよ、そのうち取り返しのつかんことになる」

「つまり?」

「おしゃかってことだ」

「覚えとくよ」と、カフカは老人から車のキーを受け取り直ったばかりのミニに乗り込む。

「ところで、ワシはどうやって帰ればいい?」と、老人。

 カフカは肩を竦めて答えた。

「アー……足回りをリペアしたんだろう?」

「そいつは車の話だ!」

 老人は、ドアと車体の間に体を滑り込ませると、車が走り出すのを阻止しようとする。

「朝のクラナガンは空気が気持ちいいそうだ」

 カフカはバックではなく車を前進させ、老人を引き離すと彼に手を振ってドアを閉めた。
 そうしてバックミラーに拳を振り上げて抗議する老人が段々と小さくなっていくのを認めながら、そのまま駐車場を後にする。
 こんなとき映画やドラマでは車になんらかの仕掛けが施されていそうなものだが、幸いにしてこの車にはそういったものはないようである。むしろ修理に出す前よりもご機嫌な調子で走る車に、カフカの機嫌も良くなる。
 通信用デバイスを操作して、先ほどのエリオ・モンディアルの個人情報とともにクロノから送られてきたクラナガンの地図を呼び出す。
 地図には管理局を中心としてぐるりと丸く円が書かれている。つまり、この円の中がカフカの担当であった。
 クロノもあまり期待していないのか、それともこちらの性格をよくわかっているのか、捜査範囲は他の人間に比べて狭い。もちろんこの円の範囲にエリオがいないと確認が取れたなら、捜査指揮を執っているクロノに報告して次に捜索する場所の指示を仰ぐことになっているのだが。
 そもそも元査察官と言う職業上追いかけっこは苦手ではない。しかし、例外も中にはあるが、本来ならば相手に悟られないうちに動いて身柄を押さえると言うのが査察官の仕事だ。
 これはもう警察の領分だろうに、とカフカはエリオの個人情報を思い出しながら彼がいそうな場所を考える。けれど、最低限の情報しか与えられていないのだからそれにも無理があった。
 子どもが好みそうな場所と言うことで、ゲームセンターや騒がしい繁華街を想像してみるが、担当している場所にそういったものはない。ビジネス街なのだから当たり前だが。
 カフカは、なんだか一気にやる気が削がれてしまったような気分になる。もともとそれほどやる気は無いのだが、いるかもしれない場所と端っからいないことが分かっている場所を探すのとではやはり違う。
 半々だった目的、車の慣らし運転とエリオ捜索の天秤を前者に傾けてカフカは肩の力を抜いた。
 しばらくして店が開いたら朝食を取るのもいいかもしれない。カリカリのベーコンに目玉焼き、それとバターと粉チーズのかかったふかしイモもつけてもらおう。そして、ベーコンと同じくカリカリのトーストをかじって熱いコーヒーを流しこむのだ。
 そんなことを考えていたらますますエリオのことがどうでもよくなってきた。ふたつだけだった天秤にもうひとつ皿が加わったのだ。ベーコンに目玉焼きにイモにパンにコーヒーと乗ったそれは、もちろんエリオよりも重かった。
 はてどこかに気のきいた店はあっただろうか、とカフカは思いだしながら車を走らせる。交差点もなにもないただの直線だ、ブレーキに用などなかったはずだった。
 だが、突如として路地裏から茶色のタオルケットが車の死角から飛び込んできて、カフカは慌ててブレーキを踏み込むのと同時にハンドルを切った。
 足回りをリペアしたという老人の言葉どおりミニは抜群の反応をみせ、それを交わし切ることに成功する。しかし、交わした先にあるガードレールを飛び越えてみせろというのは酷であった。
 ぐしゃり、という音の次に耳障りな金属音を鳴り響かせ、ガードレールに車体を擦りつけながら数メートル進んで車は止まった。
 カフカはハンドルにぶつけた額を擦り、懐からタバコを取り出して火をつけた。
 まずは落ち着かなくてはならない。つまり、これからどうするのかだ。
 先ほど飛び込んできたのが人ならばこのままバックして轢き殺してやるのもいいだろうし、布切れならばそれを投げ込んだ人間を轢き殺してやるのもいい。もしかしたら動物だったかもしれない。ならば轢き殺してやるのがいいだろう。
 カフカは、丸っこいシフトレバーを撫でながらバックミラーを覗き見た

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