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 ミッドチルダから200年ばかり取り残されたような古めかしい作りの木の扉には傷やへこみが目立ち、取っ手の金属部に至っては錆びているのではないかと言いたくなるような具合である。さらに夜に点灯して玄関を照らすはずのランプには埃とクモの巣が絡みつき、郵便受けからはあふれ出た新聞とチラシは落ち葉とともに玄関マットのようになっている。
 本来ならば人の出入りが多いはずの玄関でさえこの有様だ。他の場所など見なくともおおよその検討はつく。できることなら、今すぐにでも家の前に『売物件』の看板を突き立ててしかるべきなのだろう。それこそがこの家に最もふさわしい状態であるのだから。
 思わず口から出たのは、ため息ではなく舌打ち。散らばったチラシをかき集め、落ち葉を足で蹴り払ってカフカはチャイムを鳴らす。
 しばらくすると、いかにも人気がなさそうな家の中からパタパタと駆け寄ってくる音がし、次いでガチャガチャとカギを外す音。そしてわずかに開いたドアの隙間から、美しいブロンドの髪をもった女性がひょっこりと顔を覗かせる。
 それなりの年齢だということは顔立ちから想像がつくのに、表情や雰囲気、仕草だけが正反対で。まるで映像と音声がずれているかのような、そんなちぐはぐとした印象を相手に与える女性だった。
 その女性はこちらの姿を認めると、やはりどこか少女染みたような笑みとともにわざとらしく驚いた顔をみせた。

「あら……どうしたの? ずいぶん早いじゃない」

「しばらく帰ってこられないから、替えのスーツやらなんやらをまとめておいてくれ。その間に少しシャワーを浴びてくる」

 グシャグシャになったチラシの束を頼み事とともに彼女に押し付け、玄関に入り込む。
 ブロンドの女性は不満げに唇をとがらせると、カフカを睨んだ。

「ちょっと、久しぶりに帰ってきたのにそれ? イヤよ、あんまりだわ」

「少しの辛抱だ。終わったら長い休暇が待ってる」

「その長い休暇を迎える頃には、あの子はきっとあなたのことを忘れているかもしれないわね。“おじちゃん誰?”なんて言われたりして」

 カフカは肩をすくめるにとどめ、忘れていたとばかりに後ろのオーリスを指差して紹介する。

「アー……彼女はオリヴィア。とても優秀な部下なんだ。茶でも淹れてやってくれないか?」

 なんだそれは、とでも言うかのような表情をオーリスはみせたが、彼女が疑問を口にするよりもブロンドの女性が口を開く方が早かった。

「どうもはじめまして、妻のマリアです。いつもうちの主人がお世話になっております」

 笑顔と共にブロンドの女性マリアは会釈し、オーリス改めオリヴィアとなった彼女を招き入れる。
 けれどオーリスは半ば茫然としながら、その場から動けないようだった。そして明らかにこちらに説明を求めていた。言葉にするなら、はじめまして? うちの主人? とでも言ったところだろう。
 なぜならマリアがオーリスに会うのは「はじめまして」ではないし、自分は彼女の言う「うちの主人」などではないからだ。
 マリアはかつて毎日のようにオーリスに会っていたし、彼女の言う「うちの主人」はとうの昔に死んでいる。それに自分は彼女の息子だ。
 固まったまま動かないオーリスに同意を求めるように、カフカはシニカルな笑みとともに言った。

「素敵な家だろう? あまりに居心地がよくて、オレはときどき時間を忘れるね」

「ええ、そうね……」

 自分の目で確かめろ、というこちらの言葉を、彼女は噛み締めるように頷いた。
 あのときの返事に偽りはない。母は元気だ。それはもうなにも変わりなく。
 なぜなら、都合の悪いことは母の中では全て“なかったこと”になっているのだから。
 母の中では今も夫は生きていて、現実には存在しないという齟齬を埋めるために自分が夫であるアンソニーとして選ばれているのである。
 実の母親にこんなことを言うのは許されないのかもしれないが――つくづく狂ってる。カフカはそう思わざるをえない。
 母は実の息子を死んだ夫に仕立て上げ、そのように思い込み、幸せだった頃に時間を巻き戻し、時間を止め、存在しない“永遠”を生きたつもりになっているのだ。
 それはまるで痛々しいままごとのよう。
 不愉快で、吐き気すら覚えるお遊びだ。
 母は最初から選択を誤った。狂うほどに父を愛していたならば、すぐにでも会いに行けばよかったのである。土の下、雲の上へと。


 こぽこぽ、と小気味いい音とともに紅茶がカップへと注ぎ込まれる。品のいい香りがリビングに広がり、思わず鼻歌でも歌いだしたくなるほど気持ちが軽く高揚する。
 シャワーを浴び終えたカフカが紅茶の香り漂うリビングへとご機嫌に帰ってきたとき、そこはまるで葬式でも執り行われているかのような静けさだった。思わず立ち止まってしまいそうになるが、それでも気にすることなく椅子を引いて、紅茶の入ったカップを指に引っ掛ける。
 たとえ狂っていようともこの味だけは変わらないのだな、とカフカは口をつけたカップをテーブルに置いて代わりに隣のオーリスを盗み見る。
 彼女は目の前の紅茶に手をつけようとはせず、先ほどから軽く俯いたまま黙っていた。その様子はまるで、彼女が初めてこの家へ来たときのことを連想させた。けれど、あのときと今とでは押し黙っている理由が違うだろう。

「ひょっとして紅茶はお嫌いだったかしら?」

 クッキーの盛られた皿をテーブルに乗せたマリアが、どこか不安そうな表情でオーリスを見た。

「いいえ、そんなことは……」

「そう、なら冷めないうちにどうぞ。時間からいって、イレブンシスってやつね」

 朝からなにも口にしていない身としては、イレブンシスなど飛び越えてさっさとブランチにありつきたかったが。腹をすかせたカフカは、テーブルの上のクッキーへと手を伸ばした。
 オーリスは紅茶に口をつけたものの、相変わらず俯きがちになって黙りこくったままだ。おそらくは昔のことでも思い出しているのだろう。彼女のそんな思いなど知るわけもないマリアが、先ほどからチラチラと困ったようにこちらに視線を寄こしてくる。

「なにかいいことでもあったのかオリヴィア? さっきからずっとご機嫌じゃないか。よかったらなにがあったのか教えてくれないか?」

「少し、疲れているのよ……」

「なるほどね。悪かったな、疲れているところを無理に誘ったりして」

 なにも知らない風を装ったその言葉は、彼女の癇に障ったのか。目を細めてこちらを睨んでくる。

「ごめんなさいねオリヴィアさん……大変でしょう? ほら、うちの主人ってばいつもこんなだから」

「いえ、その……大丈夫です……」

 なぜそんななんでもないような態度でいられるのか。オーリスの表情はそう物語っていたが、カフカは涼しい顔で無視を続ける。
 マリアはしばらく唸った後、唐突にオーリスに言った。

「この人でなにか困ったことがあれば、いつでもわたしに言ってね? なんなら今すぐにでもいいわよ?」

「オレのことについて困っていることなんてなにもないさ。そうだろうオリヴィア?」

 そんなのはわからないでしょ、とマリアは笑った。
 わかっていないのはどっちだ、とカフカも笑った。

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