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「友だちに会いに行くのよ」
受付の仕事をしているはずのサリーは、上へ行く理由を訊ねられそう答えた。相変わらず奇妙な受付嬢だ。
自分が宇宙の中心にいるような態度のこの女と、一体誰が好き好んで付き合いを持ちたいと思うのだろう。カフカは思わず自分のことを棚に上げて訊ねてみた。
「お前に友だちなんていたのか?」
「失礼ね、きっとアナタよりたくさんいるわ」
「そんなにたくさんいるなら、今度紹介してくれ」
「そのうちね」
彼女はブロンドの髪を鬱陶しげに払い、気だるそうに腕を組んでエレベーターにもたれかかった。
「それより、アナタこそどうしてこんな時間に? いつもならさっさと定時に上がるような人間じゃない」
「その“いつも”が終わったからさ」
「査察部を追い出されでもしたの?」
見透かしたような笑みと共に、サリーはこちらの顔を覗き込んでくる。そのいくらかこちらを小馬鹿にしたような表情には、憐れみがたっぷりと含まれていた。
「まあ、可哀想に」
「まだなにも言ってないだろう」
「じゃあどうして? ねえどうして? どうして、執務官補佐なんてやってるの?」
「……知ってたのか」
不意にグイッと、サリーにネクタイを引っ張られる。
そんなことをすれば、必然的にお互いの顔は近付く。彼女はそんな吐息が触れ合うような距離で、カフカの首筋の臭いを嗅ぐと
「ねえアナタ、ケンカしたでしょ?」
と、そう口にした。
カフカは伸びたネクタイを元に戻しながら笑った。
「してないさ。暴力はキライなんだ」
「頭突きね、頭突き。羽交い締めにされてたから、手が使えなかったのね」
「見てたのか?」
「いいえ、ただのカンよ」
よくまあそんな白々しく嘘がつけるものだ。と、カフカは呆れを通り越して感心してしまう。
しばらくして、エレベーターが目的の階に着いたことを知らせてくれた。さらに上へ行くらしいサリーとはここでお別れだ。
「年下で美少女の執務官によろしくね」
「なんでも知ってるんだな」
「ええ、なんでも知ってるわ。頑張りなさい、カフカ」
らしくないセリフ、それと珍しく自分の名前を呼んでくれたサリーにカフカは驚いた。けれどそれ以上におかしかったのは、どこか憂いを帯びたようなその目だった。
なんでも知ってると彼女は口にしたが。こちらは彼女が受付嬢をやっていることくらいしか知らない。それも、ただの一度も姿を見たことがないとくれば、なにも知らないのと同じだろう。
謎多き美女に比べたならば、友人の妹という実にわかりやすいポジションにいる美少女。その彼女がいる執務室へと帰還を果たす。
「なんだ、まだ起きてたのか」
「ただ服を取りに行くだけなのに。ただそれだけなのに、どうして人に頭突きをしなくちゃいけないのかを訊ねないといけないからね」
いつでも出動できるシャツ姿でベッドの上に腰掛け、フェイトはニコニコと笑みを浮かべながら待っていてくれた。けれどそれは決して心配や愛ゆえに、というわけではない。彼女はニコニコしながらも、怒っていたのだ。
情報が早い。てっきり彼女には明日知らされるものだとばかりカフカは思っていたのだ。
「うーん……カフカ君はどうしてもわたしに迷惑を掛けたいらしいね」
「悪かったよ。先に手を出してくるのを待つべきだった」
「そういう問題じゃない!」
ビリビリと大気を震わせるような大声と共に、フェイトは枕をカフカへ投げつけた。その顔にはつい今し方まで浮かべていた笑みはない。
「わたしたちは部隊を作ろうとしてるんだ。些細な火種も許さない。これからはそういった行動を慎んで」
「悪かった。これからは飼い犬のように大人しくなるさ。だから、しっかり手綱を握っといてくれ」
16の少女が眉間にシワを寄せて唾を飛ばしながら怒鳴り散らすなど、見たくはない。少なくともカフカはそうだった。
怒鳴らせてしまったことに謝罪の言葉を述べ、枕を放り返す。それを受け取ったフェイトは、肩の力を抜いて笑いながら言った。
「粗相は許さないからね」
「ワンッ」
「ほんと、調子だけはいいんだから……」
「あいにく、こっちは皮肉と減らず口とそれだけが取り柄なんでね」
空気が張り詰めたものから緩んだものへと変わる。
美人が怒る姿は絵になると同時に、非常に苛烈なものだとカフカは改めて思い知った。一体、今まで何度怒らせたのかは覚えていない。
シャワーを浴びるために持ってきた着替えをベッドに放り投げ、フェイトが寄越してくれたハンガーにスーツを掛けていると、不意に彼女は忘れていたとばかりにクローゼットを開いた。
「スーツ、はやてからカフカ君のスーツを預かってたんだった」
はい、とクリーニングから返ってきたそれを渡される。血抜きの料金はきっと高かったことだろう。
「それと……こっちも……」
「ああ……」
スーツに入れっぱなしのまま、クリーニングに出してしまった小さなアクセサリーケースに入った指輪。それも受け取って、中身を確かめる。なにもおかしなところはない。自分がこれを持っているということ以外は。
「中、見たか?」
「み、みてないよ」
彼女は視線を明後日の方へと向けながら首を振る。
よくもまあ、そんなあからさまな態度で嘘をつこうと思ったものだな。と、カフカは呆れを通り越して感心してしまう。
「意外だろう? 既婚者なのさオレは」
「へ? だって、A&Mって彫ってあったよ?」
「ウソだ。拾いもんだよコレは」
「だったら、ちゃんと届けなきゃ。犯罪だよそれは」
「そうだな。キミの正直さを見習って、届けるとするさ」
スーツのポケットにそれを戻し、今し方脱いだスーツと一緒にクローゼットに掛ける。
いつ現れるかわからないガジェットに備えて、寝るときの格好はシャツとスラックスだ。窮屈なのは仕方ないが、文句はガジェットに叩き込むしかない。暴力で。
明かりが落ちた部屋のベッドに潜り込んだカフカは、眠れるときに眠っておいた方がいいというフェイトの言葉に従って目を閉じる。
できれば今夜だけは勘弁してほしい、とカフカは思った。慣れない1日を過ごして疲れているのだ。そしてそれは彼女も同じだろうと思っていたが、どうやら違ったらしかった。
「起きてるカフカ君?」
「寝てる」
「……起きてたでしょ」
「寝てたさ。それも、イイ夢を見てた」
「どんな?」
「宇宙の半分を手に入れる夢だ」
「宇宙の半分?」
「女だ」
はあ、と吐き出されたフェイトのため息が、静かな部屋には虚しく響いた。
カフカは欠伸をかみ殺し、タオルケットを引き寄せ眠りに入ろうとするが、またしても彼女はそれを許してはくれない。
「あのね……」
「オイ、止せ。眠れって言ったのはキミだ。オレはくたびれてる。寝かせてくれ。さもないと、キミが寝かせてくれなかったって言い触らしてやる」
「止めてよ、そういうの」
ムッとしたような気配がこちらまで伝わってくる。
「さっき、聞いてなかったことがあるの」
「なにを?」
カフカは眠るのを諦め、会話を早く終わらせる方を選んだ。
「どうしてカフカ君は暴力を振ったのかな、って」
ずいぶんとおかしなことを彼女は口にしてくれる。部下の失態に上司が叱責を加えるのは当たり前だ。失態の理由は、例えどんなことであろうと言い訳でしかない。言い訳にしか聞こえないのだ。
カフカは彼女の心意を図りかね、やがて諦めると「忘れたさ」と口にした。
「忘れたって……忘れるくらい些細な理由で人に暴力を振ったの?」
「本当は暴力なんてあんまり得意じゃないんだ」
「じゃあどうして?」
「けど、暴力にはひとつだけイイところがあるだろう?」
「……どんなところ?」
「言葉にするよりも早い、相手を否定する手段になるってところさ」
これはきっと宇宙の共通言語に違いない、とカフカは笑った。
肝心の答えがはぐらかされたままなことに不満なのか。暗がりの向こう側からはうなり声が聞こえるが、しばらくするとため息へと変わった。
「まあ、いいよ。嘘をつかれるよりもよっぽどいい。話してくれないなら仕方ない。まだわたしたちの間にそこまでの信頼はないわけだしね」
「納得してくれたみたいでよかった。そろそろ寝ていいか?」
「まだ、ダメ」
今度はカフカの方がため息を漏らす番だった。彼女は忍び笑いでそれに応える。
「信頼を得るために、わたしからカフカ君に話さなきゃいけないことがあるからね」
「それは長くなりそうか?」
「寝ないでよ? 機動六課設立への、熱い思いを話すんだから」
「紙に書いて置いといてくれないか? 明日の朝一に読むから」
「ダメ」
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