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一体全体どういうわけだ。いつからミッドチルダの労働法は管理局の人間には適用されなくなった、とカフカは頭を掻いた。
まさかその日のうちに帰って来ることになるとは思いもしなかった執務室、目の前のフェイトは2つあるソファをそれぞれベッドへ変えると、満足そうにニッコリと笑った。
「どう? スゴいでしょ? いざという時はベッドに早変わり」
「ああスゴいね。そいつで夜を過ごしちまったら、もう他のベッドは使えない」
応接用のテーブルを間に挟んで並んだベッドは、なかなかシュールな光景だ。
その片方のベッド。つい先ほどまでソファだったそれへと腰を下ろし、カフカはため息を吐き出す。どうして事前に重大な事柄を教えておいてくれないのだろう、と思いながら。
クローゼットから2人分の枕とタオルケットを引っ張り出してきたフェイトが、先ほどとは打って変わって、こちらを冷たい眼差しで見下ろしながら口を開いた。
「いい? 絶対にそのテーブルを越えてこっちに来ないで」
「あいにく、そちらへ行く予定はないね。お呼ばれされたって行きっこないから安心してくれ」
乱暴に投げつけられた枕をキャッチし、ベッドに置く。
「シャワー浴びてくるから、絶対に覗かないで」
「そういうセリフは―――」
次いで投げられたタオルケットはキャッチすること叶わず、視界を真っ暗なものへと変えられた。
顔からそれをひっぺがし、カフカは立ち上がる。
「わかった、こうしよう。キミがシャワーを浴びてるうちに、オレは査察部へ着替えを取りに行ってくる。確か、査察部に替えのシャツをいくつか置いといたはずだからな」
「そう、なら安心して長湯できるよ」
「念入りに洗ったところで、キミが期待するような展開は起こらないから安心するといい」
シッシッ、と彼女を追い払う。
こっちも期待してない、とでも言うかのように。カッとなったフェイトは、手に持った最後のものを投げつけた。
「キミにはまだ早いんじゃないのか? コイツは……」
バスタオルにくるまった黒い下着を放り返すと、フェイトは真っ赤になってさっさとバスルームへと駆け込んで行った。
やれやれ、とカフカは肩を落とす。
「文句を言うならオレじゃなくて、クソ兄貴によろしく頼みたいね」
けれど、クロノも大概わからない。妹のことを大事に思っているのなら、自分のような人間を寄越さなければいいはずだ。
まあ万が一のことがあっても、彼女なら自分でなんとかできそうではある。なにせSランク魔導師だ。こちらを消し炭にするぐらい、造作もないことだろう。希望を言えば、レアからウェルダンまで焼き加減を調整してくれるはずだ。
執務室を後にしたカフカはエレベーターへと乗り込み、査察部のある階で降りる。
管理局は下の階に行けば行くほどカースト制よろしく、質素な作りになっているのだ。とは、カフカの個人的な感想であるが。
そんな質素な作りの廊下をカフカはカツンカツン、と音を鳴らしながら歩き。ノックなしで査察部の扉を開け放つ。挨拶は決まっていた。
「よお、裏切り者ども。オレがいなくてハッピーか?」
一斉に視線がこちらへ向くのを感じながら、カフカはそれに応えることなく悠々と歩みを進める。
そんな中、元同僚が立ち上がって目の前に立ちふさがった。
「……なにしにきたんだカサブランカス」
「冷たいな、オイ。まるで氷のようだ。ハグのひとつでも寄越してくれるんじゃないか、って少しは期待してたんだぞ?」
相手の肩を叩いて道を空けてくれるよう暗に告げるが、彼は動こうとしない。
「今すぐ回れ右をして、この部屋を出て行くんだ」
「どうして? 何か不都合なことでもあるのか?」
肩をすくめ、手近にあったデスクの上の書類を手に取る。
それの内容を目にしたカフカの口から、嘲りにも似た軽い笑い声が漏れた。そして書類を引き裂き、床に放る。
「仕事がないのか? そうだろう? でなけりゃなんだって終わったはずの案件に関わる書類が、いつまでもデスクの上にある? 感謝してくれ、オレがシュレーダーの代わりをしてやった」
内容は、横領の疑いがかけられた男が自殺を遂げた事件だった。カフカとしては終わったはずの、最悪の結果を迎えたソレだった。
「馬鹿が。まだ終わってない、お前の中では終わったとしてもな。まあ、お前が終わらせたのか……」
カフカは、まるで絞め殺すかのような勢いで彼につかみかかる。ガタガタと椅子が床に転がり、デスクは埃を立てながらその位置をずらした。
「男が死んで、終わったはずだ。その先はないはずだ」
「あるんだ、カサブランカス。遺された家族に死亡退職金が振り込まれた。それも、普通じゃ考えられない額のなっ!」
彼はカフカの細腕を握り締め、振り払うようにして拘束を解いた。そして首をさすりながら、今度は彼の方が嘲るような視線を寄越す。
「甘いんだ、お前は。そのせいでいつも詰めを誤る。お前は事が最悪を迎えたとき、クールじゃいられなく―――」
「そこまでにしとけ」
男に殴りかかろうとしたカフカを、別の査察官が羽交い締めにする。
ホッとしたかのように男はスーツの乱れを直し、羽交い締めにされたカフカに顔を近づけ言葉を続けた。
「その激情だ。お前のソレはいつもお前自身の目を濁らせる。あるいは優しさと言い換えてもいいし、同情でも構わない。けれど、それは査察官に最も不要なものだ。お前の言葉を借りるなら、鉄のハートだ。それを持ってないのはお前自身だよ、カサブランカス。だから、査察部はお前の出向を許可したんだ」
「言いたいことはそれだけか?」
「まだ、ある。前から俺はお前のことが嫌いだっ―――」
それはお互いさまだ、とカフカの頭突きが男の顔面に直撃する。
距離が近かったせいで避けることが叶わなかった男は、鼻血を撒き散らしながら回りの椅子を巻き込んで床に倒れ、そのまま気を失った。
「黙らせてやったぜ」
伸びた男を見下ろし、カフカは満足げに薄い唇を吊り上げる。
が、すぐに自分のことを羽交い締めにしていた男に頭を叩かれた。
「黙らせてやったぜ、じゃないだろう。いいのかお前、面倒なことになるぞ? 一時的とは言え、今は査察官じゃないんだ。始末書で済むと思うか?」
「………査察部の連中はみんな口が固い。そうだろう?」
と、周りを見渡すが、皆一様にニヤニヤと笑うばかりだ。
「年下の上司に説教されるってのは、どんな気分なのか今度教えてくれよカサブランカス」
「しかも美少女だ。なんたってフェイト・T・ハラオウンだぞ」
「いいねー……新しい扉が開くかもしれないな」
「マゾの扉だな」
「ロリコンの扉も開くみたいだぞ」
クシャリと歪んだソフトケースから取り出したタバコに火をつけ、カフカは疲れたように煙を吐き出した。
「いっそクビにしてもらいたいね」
場所を査察部の隔離された部屋へと移し、カフカは先ほど自分のことを羽交い締めにしていた元同僚と向き合ってソファに腰を下ろす。査察部で一番の年長者であり、査察部には珍しくガタイのいいこの男がいわばカフカの上司のようなものだった。
「どうだった? 執務官補佐を1日やってみて」
「コイツの他に適当な言葉が見つからないから言わせてもらうが、“最悪”だよ」
彼は短い髪をジョリジョリと撫でながら苦笑いを浮かべると、気を失ったまま医務室へと運ばれて行く男に視線を向けながら言った。
「わかってると思うが……さっきあの馬鹿が言ったのは嘘だ。ハラオウン提督がな、直々にやって来て頭を下げたんだ。『どうか、カフカとヴェロッサの出向を認めていただきたい』ってな」
「そういうことにしといてやるさ」
「元々査察官志望じゃなかったあいつには、それが気に喰わなかったんだろうよ。なにせ異例の大出世だ」
「本人は望んじゃいない。ありがた迷惑な話さ」
ボーナスがでなけりゃ今すぐ降りてる、と吐き捨てるように付け加える。
「だが、奴の言うことも一理あるのを忘れるな。お前は弱った者に疑いの目を向けられない人間だ。それがお前の経験からくるものなのか、それとも根が優しいのかは知らないし聞かない。だが確かなのは、査察部はこれからも死んだ男の捜査を続けるということだ」
「そこに情の入る余地は?」
「査察官としては無い。けど、人間としてなら答えは別だ。遺された家族には同情をするし、涙だって流すかもしれない」
「それを聞いて安心した。頑張ってくれ」
タバコを灰皿に押し付け、カフカは先ほどロッカーから引っ張り出した着替えを持って査察部を後にする。
本音を言えば、一切の捜査を止めて欲しかった。遺された母親と子どもに必要なのは時間なのだ。これからあの2人は、途方もない時間をかけて開いた傷口を塞いでいくことになる。そこに他者の介入は必要ない。一歩間違えれば傷口が悲惨なことになる、とてもデリケートな作業だからだ。
しくじったその先にあるのは悪夢だ、とカフカは自嘲の笑みを浮かべ、やって来たエレベーターに乗り込んだ。
「あら、まだ残ってたの?」
「今出勤して来たのか? だったら、お前が行くのは上じゃなくて下だろサリー」
乗り込んだエレベーターの中。そこには、もう百年は顔を見ていないような気がするガールフレンドの姿があった。
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