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「ん?」
なにか言ったか、とばかりにヴェロッサは顔を上げる。
カフカは、視線を前方に向けたまま眉をしかめた。つまらない冗談を2度も口にするのは面白くない。
「家にでも帰るんじゃないか?」
「ああ、すまない。身辺情報に目を通してた。この男の奥さんが24なんだ。男との歳の差が、17もある。その上子どもが今年6つだから……大変だ! 罪状が増えたぞ!」
アクセルを踏んでいた足の力が抜けそうになるのを堪え、話題を別の方向へと持っていく。
「14も下の女を、どうやって口説いたんだろうな?」
「さあ……想像がつかないね。キミならどうする?」
「そうだな……ロリポップでも用意するとしよう」
キャンディの代わりにタバコをくわえたカフカは、少し車のスピードを落とす。
ぐるぐると、空港の周囲にはまるで円のような道の作りになっている。これは車のスピードを落とさせるためのものだ。
緩やかに円を描いていた道の終わり、やがて駐車場と空港の出入り口への分かれ道が見えてくる。
セダンが駐車場へと入っていたのを確認していたため、ミニクーパーは迷うことなくそちらへと向かった。
クラナガン空港の駐車場には、今日も車が溢れるほど止まっていた。太陽の光を反射し、車内にいるにもかかわらず熱気が襲ってくるようで辟易する。
スペースの無さそうな駐車場に車を停めて空港へ向かうには、結構な時間を要することだろう。だが、逃走を図るような男が車をきちんと停めて空港へ向かうのだろうか。
クラクションが鳴る方を見れば、そこには案の定ドアが開きっぱなしの紺色のセダンが停まっていた。
乱暴に乗り捨てられたそのセダンを見たカフカは、空港の方へ顎をしゃくった。
「行けロッサ、男を捕まえて来い。オレは車を停める場所を探さなきゃならない」
「キミの方が向いてる。ボクは戦闘が苦手なんだ」
「バインドくらいできるだろう? 相手は魔導師じゃないんだ」
査察部は通常、戦闘またはそれに準ずるような行為をすることはない。デバイスを持たない査察官すらいる中で、幸か不幸かこの場には戦闘を行うことができる査察官が2人いた。
「さあ、ヒーローは譲ってやる。行けよ、オレにロイヤルフラッシュを見せてくれ」
「なんだいその、万が一にもありそうにない言い方は」
「いいから、さっさと行けよ。わからん奴だな。手柄は譲ってやるって言ってるんだ。なんなら今晩、奢ってやったっていい」
めんどくさそうに、手をヒラヒラさせながらそう口にすると、ヴェロッサはため息を吐き出して言った。
「あの広い空港の中、沢山の人間がいる中、特定の人間を見つけろっていうのかいキミは?」
「まさしくお前の領分じゃないか。とびっきり鼻が利く“犬”を飼ってるお前のな」
「まあ、できないとは言わないよ」
「やらないとも言ってくれるなよ?」
「わかった、わかったよ」
と、ヴェロッサは車を降りた。
ネクタイを緩めながら、太陽の光に目を細めてけだるそうに歩いて行く彼の周りに、鮮やかな緑色の光が現れ始める。
その緑の光は、ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、とまるで局地的な蜃気楼でも起こっているかのように、ゆらゆらと増えていく。やがて彼の足下が霞むくらいの数の緑色の光が集うと、それらは一様に形を成した。
「相変わらずおっかないな……」
緑色の光を引き連れて空港へと向かうヴェロッサを見送ったカフカは、ポツリとそう漏らした。
現れたのは、20頭近くにも及ぶであろう緑色をした大柄な体躯の猟犬だった。
レアスキル『無限の猟犬』と名付けられたそれは、宇宙広しと言えども彼だけにしか行使することができない能力である。
猟犬の名のとおり獲物を追い詰めるのだが、その獲物は獣ではなく情報なのだ。ありとあらゆるネットワークに侵入し、アクセスを解除し、必要な情報を襟分け、持ち帰る。彼の猟犬は情報を狩るのだ。
『教会に拾われて管理局に入らなかったら、ボクは今頃テロリストにでもなっていたかもしれない』
と、いつだったかそんなことを言っていたヴェロッサを思い出す。
とんだ間抜けなテロリストもいたものだ、とは口にはできない。むしろ、拾われてくれたことに感謝すらしてもいい。それほどまでに彼のレアスキルは恐ろしいと言えるものなのだ。
「オレにもなんかひとつくらいあればラッキーだがな……」
例えば予知能力なんかがあれば便利そうだ、と車を空いた駐車スペースに、短くなったタバコを灰皿に放り込んだカフカは笑った。
バタン、と乱暴にドアを閉めて車に鍵を掛けて向かったのは、乗り捨てられた逃走車の下だ。
いつまでも放置されていては邪魔だろうという配慮と、一応押さえておいた方がいいだろうという査察官の都合からだった。
「あっ、おい、待ってくれないか?」
「はい、なんでしょう」
紺色のセダンはちょうど、困ったような顔をした駐車場の警備員が移動させようとしていた所だった。
カフカは警備員を呼び止めると、自分は管理局員であるとの身分証明をして、車を見せて欲しいと告げる。
警備員から了承を得ると、まず車内を注意深く覗き込んだ。
車はキーが刺さりっぱなしの状態で、何かが残されているような形跡は見受けられない。慌てて何かを持ち去った風でもないようだった。
「なにかあったんですか?」
「聞いてないのか?」
不安そうにこちらを窺う警備員に、彼は車内に突っ込んでいた顔を抜いた。
「今、凶悪な魔導師のテロリストが逃げてるんだ。取り調べの最中に逃げ出してね、身内が4人もヤラれたよ……」
「そ、そんなことが……!」
「嘘に決まってるだろ。逃げたのはテロリストじゃなくて、税金泥棒の類だ」
どうやら駐車場の警備員にまでは知らされていないらしい。
ならば、水際で捕まえるために空港内部の警備員にのみ知らされているのだろうか。頼りなさそうな駐車場の警備員を見れば、それが正しい判断だろうということがわかる。
セダンのドアを閉めると、キーを警備員に放って返す。
「とりあえず、そっちで預かっといてくれないか? 後で査察部が押収するだろうけどな」
危なげなくそれをキャッチした警備員に背を向け、ひとまず愛車の下へと戻る。デバイスを取りに行くのだ。
念のため、というよりも後ほど提出しなければならない報告書のために、一応形だけでもヴェロッサを手伝うべきだろう。よっぽど必要ないであろうが。
愛車に乗り込んだカフカは、待機状態のデバイス、アンティーク風の作りをしている鍵を手に取ると、ヴェロッサに向けて念話を送った。
『見つかったか?』
『いや、まだだ……見つからない。猟犬の数をもう少し増やして、探査領域を広げてみようかと思ってる』
空港内をうろつく緑色の猟犬を目にした一般人は、果たしてどのような感想を抱くだろうか。
決して気持ちのいいものではないだろうが、尻の穴を嗅ぐような真似はしないので許してやってほしいものだ。
苦笑いを浮かべたカフカは、デバイスを弄びながらドアに手をかけた。
『オレも今そっちへ…………』
けれど、こめかみに押し当てられたナニカによって、その動きを止められる。
浮いた腰を薄っぺらなシートに再び落ち着け、カフカは肩をすくめた。
「チケットは買えなかったのか?」
「買わせてくれたのか?」
返ってきたのは酷く枯れた声と、カチリと音を立てるナニカ。
背中にイヤな汗が流れるのを感じながら、そっとバックミラーを覗き込む。すると、ギラギラと鈍い光を発する瞳を持った男と目が合った。
白髪の混じった髪に、高そうなスーツ、目元に刻まれた皺。さながらその姿は、高給取りのビジネスマンのようだ。
だが、男が手にしているのはバッグでもペンでもファイルでも書類でもなく、黒光りする拳銃だった。
カサついた唇を舐め、カフカは再び口を開いた。
「アンタの顔、どこかで見たことがあるな……」
「そうだろうね」
「きっと、この間パブで会ったんだ。そうに違いない」
「記憶にないな」
「そりゃそうだ。だって、アンタ酔っ払ってた」
「よし、思い出してみよう……」
「思い出したか? オレは確かアンタに一杯奢ったはずだ」
「いくらだね? 今払おうじゃないか」
「いや、払わなくていい。ただ、頭のソレをどけてくれるだけでいいんだ」
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