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ベッドの上でガールフレンドは、「アナタはワタシの一番じゃないの、そこのところよく覚えておいてね」と言わんばかりに振る舞う。まるでロック・スター。もちろんシーツは独り占め。そして朝から氷で割ったサザン・カンフォートを煽る様などは、ジャニス・ジョップリンの生まれ変わりなのかも、と思わせるほどだ。
もしそうならサインを貰おうと、ベッドに寝転がってグラスを指で混ぜている彼女の、露わな太ももをカフカは叩いた。瑞々しい太ももはぺちりと可愛らしい音を鳴らして、反撃に躍り出る。
「足癖が悪いな」
「舐めると大人しくなるわ」
欲求不満の受付嬢サリーの足首をベッドに叩き落とし、彼女の手からグラスを奪い取る。スマートに生きたい身としては、アルコールとヤニと汗とが入り混じった部屋で寝起きするのは些か堪えた。
「オレは今、アルコールの無い国へ行きたい気分なんだ」
「地獄しかないわよ、そんなところ」
そう言って彼女は瓶に直接口を付ける。
地獄へ行くにはまだ5年ばかり足りていないカフカは、サイドボードにあったタバコを口にくわえながら、ベッド下に散らばった下着から自分のものを選んで手に取る。が、シャワーを浴びていないことに気がついて全部放り投げた。まだ頭が上手く機能してくれていないらしかった。
ベッドに腰掛け、タバコを吹かす。
「今日は何日だ?」
「知らないわ」
「じゃあ、何曜日だ?」
「月曜日じゃないことは確かね」
どうもつい先日強烈な1日があったせいなのか、その後の日々があまり印象に残っていないのが原因らしい。なにせ危うく死にかけた。007になるにはもう1度死にかけなければならないが、そんなものは望むところではない。
あれから何日経っただろうか、3日ぐらいだろうか。いや、日にちはいい。それほど重要ではない。何か約束をした覚えもないからだ。それよりも曜日と時間が気になる。窓の外から入る日を見るに、もう昼前くらいだろう。
「アー……クソッ、遅刻だ」
「日曜なのに?」
「なに? 今日は日曜か、そうなら早く教えてくれよ」
「今思い出したのよ」
そう言って、楽しげに笑うサリーにタバコを奪われる。
相変わらず憎たらしいことこの上ないガールフレンドだったが、何故だかカフカは彼女のことを嫌いになれないでいた。だから今日もこうして彼女の家に転がり込んでいるのだ。
彼女の粒子の細かい砂のような手触りの背中に頬を寄せ、くびれた腰を抱く。予期せぬ日曜に気分は上向きだった。
サリーの止まない笑い声を別のものへ変えてやろうと、彼女の首筋に唇を這わせ、形の良い耳を甘噛みする。弱い部分への愛撫に、彼女は吸っていたタバコにむせた。
くすんだブロンドの髪が揺れ、甘い香りが鼻に広がる。きっとこの髪だ、とカフカは思った。昔から決まってブロンドの髪の女に惹かれるのだ。
サリーの首に顔をうずめた彼を、彼女はタバコの灰を手に落とすことによって現実に引き戻した。
「熱っ!?」
「ほら、今日は用事があるんでしょ?」
「用事?」
と、カフカは手のひらに落とされた灰を払いながら訊ねた。
やれやれ、とばかりにサリーは首を振って応えた。
「久しぶりに会うとか言ってたじゃない……なんとかハラオウン提督だっけ?」
「……そういうことは早く教えてくれよ」
「フフッ、今思い出したのよ」
約束の時間は12時で、現在の時刻は11時47分だった。クラナガンにある洒落た店で昼食を、という手筈になっていたが、残念ながら今からではとても間に合いそうにない。
シャワーを浴びることを渋々諦め、カフカは散らばった下着を拾い集める。
「クローゼットに服があるわ」
「誰の?」
「アナタの」
危うく夕べのスーツと同じ格好をしなくてはならなかったが、どうやらそうしなくて良さそうだった。彼女の言うとおりにクローゼットの扉を開く。
目に付いたおろしたてのシャツを手に取り、それを黒のテーラードジャケットと共に羽織る。そしてネクタイの代わりに、サリーのものと思われるルーズなネックレスをシャツの上から身に付けた。寝癖を直している時間はないので、ダーグブラウンのハットを頭に乗せることによって誤魔化す。最後に鏡で自分の姿を確認し、裏返った襟を整えて頷く。
「完璧」
「ズボンを履けばね」
「今、履こうとしてたんだ」
スラックスに足を通して、財布とタバコと車のキーだけを手に持って部屋を後にする。
慌ただしく部屋から出て行った彼を見送ったサリーは、ごろりと寝返りを打ってクツクツと笑い声を上げた。
「やれやれ、全く躾のなっていない坊ちゃんだことで……。パパとママから何も教わらなかったのかしらね?」
いくらサリーのマンションがクラナガンの中心部に程近い場所に位置しているとは言え、10分かそこらで目的地に着くことができるわけないのだ。カフカはそう開き直ることにした。
約束のレストラン、その向かい側の路上に車を停めて車を下りる。
その店でまず目に付くのは、ヨットを連想させる白い幌だ。幌が屋根のように店先に突き出し、オープンテラスで食事が楽しめる。もちろん海鮮料理だ。ワインも美味い。平日で休みが取れた日などは、昼食をこのレストランでとるべきだろう。忙しく動き回る人間と海鮮料理を肴にワインを飲んだなら、また格別だからだ。
海に漂うかのようなゆったりした時間が流れるその店のオープンテラスに、しかめっ面で腕を組む男の姿があった。海鮮料理とワインが売りのこの店で、あろうことか彼はただ水のみを目の前にムッとしている。とてもこれからアルフレスコと洒落込むような雰囲気ではない。
そんな不機嫌な顔とは対照的に、カフカはヘラヘラと笑みを浮かべて男の向かい側の椅子を引いた。
「なにか頼もう。この店はワインがなかなかイケるんだ」
「車で来たんじゃないのか?」
「車? ああ、それなら心配ない。親切な警察官が代わりに乗って行ってくれるさ」
向かいの道路を指差す。そこではちょうど、赤いミニクーパーが路上駐車でレッカーされているところだった。
これで安心してワインが飲める、とウェイトレスを呼ぶカフカに、男は呆れたように言った。
「まったく、お前は……管理局の人間としての自覚はないのか……」
「お前が2人分持ってるからいいさ」
「いくら僕でも3人分は無理だぞ」
そう言って彼クロノ・ハラオウンは、向かいの道路で女に頬を叩かれるヴェロッサを見てため息を吐き出した。
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