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Paint It Black
 その日、カフカいち押しの野暮ったい喋り方と顎の形がセクシーなお天気お姉さんの週末の予報は外れた。彼女は週末は残念ながら雨だと、寒冷前線がどうのこうのと悩ましげに言っていたのだが晴れたのだ。

「ファッキンヘイト! ミルウォー!」

 青い芝を根こそぎ持って行くかのように蹴り上げられたボールはどこまでも青い晴天に高く上がり、ボールを蹴り上げたカフカのご機嫌な気分が雲の上の女神のデカいケツまで届くかのようだった。
 ポカンとそれを見上げるキャロと、文句を言いながらソニックムーヴでボールを追い掛けるエリオ。対照的な二人を満足そうに眺めたカフカは、木陰に置かれたミッドチルダでは旧世代に位置付けされる音楽プレーヤーの電源を入れる。スピーカーから流れる泥臭いロックは音割れがヒドかったが、それでもカフカは満足だった。ドラムのもたつく感じがなんとも言えない味があるではないかとも思いながら。
 ボリュームのツマミを弄っていたカフカの隣りに、ドサッと重そうな音と共に荷物が置かれる。スピーカーから流れていた曲が衝撃で軽く二、三秒ほど飛んだ。
 手のひらで日の光を防ぎながら顔を上げたなら、そこにはフェイトがいた。いつかと同じくカフカの部屋から失敬したウェストハム・ユナイテッドのユニフォームを着て、髪を動き安いように結っている。
 そしてカフカの前でそれを見せびらかすかのように指差し大きく息を吸い込むと。

「おーっ! シャボンだまー!」

「ヘイ……、オレの部屋からそいつを勝手に持ってくるな。汚れるだろう? 着るならミルウォールにしろ。ファッキンミルウォールに」

「えー……仕方ないなあ、じゃあ脱ぐからユニフォーム交換しようよ。ほら、よくあるでしょう?」

 そう言ってフェイトはさっさとユニフォームを脱ぎだす。インナーを着ていたためエロスな展開はない。ないったらない。

「はい。早くカフカも脱いで。寒いから」

 仕方ないとばかりにカフカは着ていたジャージをフェイトに放り、代わりに頭からウェストハムのユニフォームを被る。

「お弁当もたくさん作って来たからね。お昼、楽しみにしてて」

 少し大きなジャージの袖を捲ると、フェイトはまだ人もまばらな芝生ばかりの公園に向かって駆け出して行く。向かう先には仲良くボールを蹴りあっているエリオとキャロの姿がある。
 そもそも今日は雨だと予報が言っていたので、特にどこかに出かけるなどといった予定を組んではいなかった。ところが予報は外れて天気は晴れた。そこで、休日の朝っぱらから絶好調にダレていたカフカを叩き起こしたフェイトがみんなで公園に行こうと提案したのだった。カフカは遠出を渋るだろうと見越しての公園だったのだが、彼は近場ですら渋った。そんなカフカにキャロは思い出したかのように呟いた。

――そう言えば、あそこの公園ってお母さんたちがよく集まるみたいですよ? 綺麗な。

 人妻って良いよなとか近頃思っていたカフカは簡単に釣られた。つい先日も下半身でものを考えるアホ、とトラウマザンバーフェイトにこれでもかと口汚く罵られたばかりなのにも拘わらずである。
 ウェストハムのユニフォームを着たカフカは、はぶられているのかいじめられているのか、エリオとキャロのパス回しに翻弄されているフェイトを確認すると、そそくさと公園の散策に向かう。
 緑豊かな景観を楽しみながら散歩をするのに最適な広いこの公園は、まだ午前中だからなのか家族連れよりもむしろ、軽くジョギングで汗を流す人や犬の散歩に訪れている人の方が多く見られた。
 カフカは時折すれ違うやたらと小綺麗な犬を連れたマダムに挨拶と笑顔を、メタボリックファーザーには嘲笑をくれてやる。
 ふと、小型犬を連れてベンチに腰掛けた女性を見つけたカフカは彼女に近づいた。

「――久しぶりだなジェーン。髪を切ったのか? それに、少し痩せただろう? 腰回りがセクシーだ」

「えっ? 人違いじゃないですか? 私はジェーンではありませんよ?」

「こいつは驚いた。名前まで変えたのか?」

 いつの間にか女性の隣りに腰を下ろしたカフカは、そこで今初めて気が付いたとばかりに人違いだと口にした。

「確かにジェーンじゃないな……彼女はこんなに美人じゃなかった。残念なことに……。おっと、今のは内緒にしておいてくれないか?」

 シーッと口元に人差し指をやったカフカの子どもっぽい仕草に、女性はくすくすと笑いながら分かりましたと頷いた。

「この公園にはよく?」

「ええ、この子の散歩に毎日」

 女性の足下にいる小型犬にカフカは手を伸ばす。犬種は知らないが、つぶらな瞳とぷるぷる震える体がなんとも言えない可愛さを醸し出している犬だった。
 短い毛の体をそっと撫でてやる。すると犬は膝を折って好きにしろとでもいうかのようにカフカにされるがままだ。

「珍しいですね……。この子、臆病なんですよ?」

「犬と子どもにはよく好かれるんでね。本当は、とびっきりの美人に愛されたいんだけど」

「ふふっ、この子はメスですよ?」

 二人は徐々に打ち解けていく。最初から馴れ馴れしいカフカのせいもあったのだろう、女性も釣られて自分から口を開くことや、カフカの話を急かすことが多くなっていった。

「――カチコチの目玉焼きと焼きすぎて縮れたベーコン、それと茹ですぎて水っぽいジャガイモと黒くて苦い炭、じゃなくてトーストをくれって言ったのさ。ところがフェイ……アイツはそんなものは無いって言いやがったんだ」

「それで、カサブランカスさんはなんておっしゃったんです?」

「ああ。オレはフェ……アイツにこう言ってやったのさ――そいつはオカシイな。昨日の朝はそっくりそのまま出てきたじゃないかってな」

「ふふっ、酷いですね。怒ったんじゃありません? 相手の方」

「――いいえ。次の日からカフカにはサラダだけを食べてもらうことにしましたから」

 背後から聞こえた何かを抑えたような声に振り返ることなくカフカは逃げようとするも、ウェストハムのユニフォームの襟首はガッチリと握られており、それは叶わなかった。

「そろそろお昼にしようかって、思ったんだけど? お弁当、カフカの口には合わないかもしれないけど食べる? 不味いと思うけど食べる? たぶん不味いけど食べる? もしアレだったら、外食にしようか? せっかく朝早く起きてお弁当を作ったんだけど仕方ないよね、不味いんだから」

「カサブランカスさん。カサブランカスさん。こちらの方は?」

 のんびりとした口調のまま、彼女は苦しそうなカフカに尋ねる。返答はできない。首が締まっているのだ。代わりにフェイトが彼女の質問に答えた。

「フェイト・カサブランカスです。フェイト・カサブランカス。カ・サ・ブ・ラ・ン・カ・ス」

「まあ、ではこちらの方がそうだったんですか……」

「ええ。とても不味い朝食を出すフェイト・カサブランカスです」

 パチッと、何かが弾けたような音をカフカは確かに聞いた。フェイトのカサブランカス姓よりも、彼女が今バルディッシュ持っているのかどうかの方が気になった。とてもとても。

「食べて差し上げてはいかがでしょう。カサブランカスさん」

 すでに頷く力さえも残っていないカフカは、ずるずるとフェイトに引きずられながら最後の力を振り絞って地面に書いた。

――ハラオウン。フェイト・T・ハラオウンと。

 犯人を書き記し、カフカの視界は真っ暗になった。フェイトは目ざとく地面に書かれたそれを見つけると、わざわざカサブランカス姓に書き換える。

「ウフフフフ……バカな人。そのうち、絶対に、本当に、こうなるんだから……」

 今は外堀を埋めていけばいいとフェイトは笑う。焦る必要はない。当たり前だと、周囲や彼自身に自分が彼の側にいることが当たり前だと思わせたらいい。エリオとキャロもなんら不思議に思うことなく当たり前だと思っているではないか。そうして事実になっていくのだ。

「ありがとうエイミィ。本当に、とても参考になるよ」

 そうして母親にまでなった義理の姉にフェイトは感謝した。

――カフカはもう引き返せない。

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