Short Short
Lust For Life
「まさかオレが教会でお祈りを捧げるような日が来ようとは、思いもしなかった」
「ふふっ、そうですね」
酷く可笑しそうに目の前の女性が笑うのを見て、カフカはさらに笑わせてやろうと口を開く。
「聖王様はお許しになるだろうか」
「なにをです?」
「ここへ来るのが、聖王様に会いたいがためではないことを」
その言葉に、彼女は上品な笑みを浮かべて応えた。聖母がいれば、そのような優しげな顔をしているだろうと思わせるような笑みだ。けれど口にした言葉はほど遠く、
「わたしにも欲はあるんですよ?」
「それは初耳だ。てっきり聖王様に処女を捧げたとばかり思ってた」
「……そういうところ、本当に変わっていませんね。変わりませんか?」
教会でそのような口を利くなとばかりに彼女は唇を尖らせる。
「初めて会ったときから思ったものです。この人はどうしてこんなにも下世話な話を好み、下品な言葉遣いをするのだろうと」
「オレの記憶が確かなら、下世話な話を好むのはそっちも同じだったように思うね。試しに、シスターたちにキミの本棚を見せて反応を窺ってみよう」
顔を赤くしながら狼狽える彼女を見て、ふと思い出す。確かあのときもこんな風だったな、と。
聖王教会といえば、この宇宙に腐るほど存在する宗教団体の中でも比較的自由な教義を持っていることで知られている。
なにかしら特別な訓練がいるわけでもないし、厳しい戒律があるわけでもない。牛を食べることも豚を食べることも鳥を食べることも酒を飲むこともセックスをすることも金を稼ぐことも許されてる。
はずだ、とカフカは認識している。曖昧なのは、それらのことが明確に記されたものを目にしたことがないからだ。なにせ別段興味あることではないし、自分には関係ないことなので調べる気はない。だが、ある程度の自制は求められるらしい。先ほどから聞こえてくる話の内容からもそれはわかった。
「いいですか、仮にも聖王教会に身を置いているのだから、それなりの摂生を常に心がけてください。わかりますか? ヴェロッサ。いいえ、わかっていただきたい。いえ、わからせます」
「わかってるよ。ああ、ボクはわかってる。わかってるって口にしておかないと説教じゃ済まないだろうってことがね」
「またあなたはそんな口を利いて……! 一体いつまで子どもでいるつもりなんですか!?」
告白の部屋とでも言うのだろうか。ヴェロッサと共に教会にやってきた途端、彼は聖堂の一室に備え付けられたそのスペースに連れて行かれてしまったのである。そしてそこで始まったのは、もはや恒例となった説教の時間だ。
そんなものに付き合ってやる義理が全くないかと言えば、
「大体、カサブランカス査察官とつるむようになってからのあなたは、いささか羽目を外しすぎる傾向にあります」
と、このように実はそうではなかったりする。
彼女、シスターシャッハは、ヴェロッサの最近の行いが目に余るのはゴミのような友人とつるんでいるからだと思い込んでいるらしく。説教の中に度々そのような意味合いを含ませた言葉を用いるのだ。
無理もない、とカフカは笑う。
休日の教会、それも祈りを捧げる信者がちらほら見える聖堂で、ワインボトル片手に足を組んでいる人間をゴミと言わずしてなんと言おう。
だが待ってほしい。ワインは神の血である。だから飲めば飲むほど神様に近付くことができるのだ。はたして自分がアル中に堕するかそれとも神様になるのか、どうか見守っていてほしい――などと近くにいた少女の手を握って笑顔で語ってみたところで、およそ10にも満たない少女の瞳には困惑の色しか映らず。はたして目の前の人間が狂人か酔っぱらいかバカかクソか神の尻に口づけを試みる敬虔な信者なのか、そのいずれかの判断も下せずにおろおろするばかりだ。
そこへ救いの手が差し伸べられる。
子どもには難しい判断を代わりに下したのは、少女の母親だった。路上のゲロを意図せず踏んづけてしまったような顔をしたその母親は、世間一般の良識に従って少女を連れて行ってしまう。そしてご丁寧に聖堂入り口の教会関係者にゴミの処理まで依頼してくれたものだから、カフカは転がるようにしてベンチから石畳の床に身を伏せた。
ひんやりとした石畳は、アルコールで火照った肌にはあまりに心地よく、そのままひと眠りしたくなるほどだ。だが、のんびりしているわけにもいかない。牛のクソよりも長い説教はごめんなのだ。
母子が出て行った方とは別の出入り口を目指して、カフカは惨めったらしく這っていく。ウジ虫のように。
そしてたどり着いたのは外へ通じる出入り口ではなく、他の建物へと通じている扉。教会関係者、または招かれた人間しかはいることができないその扉を潜りぬけたカフカは、酒臭い息を吐いた。
扉を潜りぬけた先にあったのは石畳ではなく、毛足の長い絨毯続く廊下。パッと左右に首を振っても、教会とは無関係な人間には落書きでしかない宗教画がちらほらと見受けられるだけである。極めて静かな空間で、どこからか聞こえてきてもいいはずの咳払いもなく。代わりに塵が地面に積もる音が聞こえてきそうだ。
そのカビ臭さすら感じさせる灰色の空間を、カフカは酔い覚ましに少しぶらついてみることにした。
そうして行く先に曲がり角があれば曲がり、階段があれば上り、退屈な宗教画を見つければ顔をしかめた。
どれくらい歩いていただろうか。
気がつけばアルコールの潤いを失った喉が渇きを訴え、足もいつの間にかじんと痺れてふかふかのソファを求めていた。
カフカは辺りを見渡して誰もいないことを確認すると、目についた部屋に入り込んだ。
部屋に入ると同時に、ふわりと風に揺れる白いカーテンが眩しくて思わず顔をそむけるが、風に乗って香る爽やかなハーブが鼻をくすぐり、それにかすかに混じった甘い匂いがこの部屋の主は女性だと教えてくれる。
ソファだけではなくベッドまでもが置かれているのを見ると、もしかしたらこの部屋は完全な私室なのかもしれない。だとしたら不用心なことだ。それが若い女性ならば特に。
几帳面に整頓された本棚から一冊の本を抜き取り、そのタイトルを指でなぞる。読書などめったにしないカフカですら耳にしたことがあるその本は、巷で流行っているラブストーリーものだ。映画化もされている。3回ほど見た。それぞれ違う女性と。
だから話の内容もしっかり覚えている。簡単にいえば、若い性をもてあました夫人が不倫に走り、邪魔になった年上の夫を不倫相手と共謀して殺害するというものだ。ラストの不倫相手に裏切られるシーンはなかなかよかった。
聖王関連の書籍よりもそういった小説が棚の多くを占めるのを見るに、やはりこの部屋の主は若い女性とみて間違いないだろう。お堅い教会の中で、もしかしたら若い性をもてあましているのかもしれない。この本の主人公のように。あるいはチャタレイ夫人のように。
そんな風に期待してしまうのは、自分もまた同じようにもてあましているからだろうか。などとほくそ笑んだカフカは、教会にあるには少しばかりいかがわしいその書籍を戻して、きこりらしく大股で部屋の中を歩いてみる。けれど残念ながら腕っ節など自信はないからして、書きものでもするような小さな机の椅子を引いた。そして机の上の水差しからコップへ水を注いで、それをがぶりと飲み干す。
一呼吸置いて落ち着けば、机の上のクシャリと丸まったメモ用紙が目に止まった。整理の行き届いている部屋の中で、机の上に無造作に置かれたそれはなんだか不安な気持ちにさせる。真っ白なシャツにほんの少しだけミートソースが跳ねたような、そんな感じだ。
そうすることが当たり前のように、カフカはそれを広げてみた。
一体なにが書かれているのかと思いきや、メモ用紙には可愛らしい詩が書かれているではないか。それも、あまりに使い古されたクリシェから始まっている辺りがとても痛々しい。
もしかしたら自分は大きな勘違いをしていたのかもしれない、と不意にカフカは思った。
この部屋の主は確かに若い女性だろう、それも間違いなく。ただしどうやら夫人などと形容するような年ごろではなく、お嬢さんとお呼びした方がよさそうな年齢である。
カフカは机上の羽ペンを手にとると、“私は籠の中の鳥”で始まるそれに皮肉な一節を付け加えた。
“自らの手でエサをとる苦労を知らない鳥に羽根は必要ない”と。
―→Lust For Life2へ続く。
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