Short Short
She's So High
黒と白の細身のスーツを着た二人の優男が管理局の無機質な廊下を歩く。黒はカフカで白はヴェロッサだ。
二人は揃って面白くなさそうな仏頂面を顔に張り付け、管理局憩いの場であるレストルームの喫煙席に腰を下ろした。
カフカは席に着くなりウェイトレスにコーヒーを頼み、灰皿を引き寄せる。いつもならウェイトレスに愛想を振り撒くくらいはするものの、今日はそうしなかった。
「いつも気になる。その白いスーツはどこに売ってるんだ?」
ぷかっと煙を吐き出したカフカは、テーブルにライターを滑らせる。
「欲しいなら式場に行くといい。胸に花もおまけしてくれるよ」
そのライターを拾い上げ、ヴェロッサも口にくわえたタバコに火をつけた。
「オレには縁のない場所だ。ライスシャワーもファザーマッケンジーもな」
「そうかい? キミがいつそうなってもいいように、祝辞の言葉は考えてあるんだけどね」
「なら、ブーケはお前にくれてやる」
「遠慮しとくよ」
カフカとヴェロッサの二人が軽口を叩いていると突然、レストルームの入り口から女性管理局員の甲高い声が上がった。キャーキャーといった嬉しい悲鳴だ。まるでアイドルを見たかのような。
カフカとヴェロッサが揃ってそちらを見たなら、そこには女性局員に囲まれた男がいた。その男はイヤミなくらい爽やかで、日に焼けた健康的な肌と白い歯をちらつかせて女性局員と会話を楽しんでいる。
聞けばその男は、名の知れた提督の息子だそうで、魔導ランクは余裕のS越え。そのうえ顔良し性格良しときたものだ。夢中にならない女性局員の方が少なかった。狙え玉の輿、といったところだろう。
「またか……。見ろよロッサ。話題のルーキー君だ」
面白くなさそうに目を細め、不健康カフカはタバコの灰を落とす。
自称管理局一抱かれたい男カフカは、別段男のことを妬んでいるわけではない。面白くないだけだ。ただ面白くないだけだ。
「見たくない。あそこに彼女がいるんだ。ボクに数日前、ありったけの罵声を浴びせて喧嘩別れしたレイチェルが。将来性のない発情犬に用はないと、ボクに拳をお見舞いしたレイチェルが」
カフカは、男の周りにいる女性局員の中からレイチェルを探した。ボブカットがコケティッシュな魅力のレイチェルを。
「ああ、いるな。男の一番近い場所をキープしてるぞ。やるなレイチェル。あざといぞレイチェル」
ニヤリと口の端を歪め、カフカはヴェロッサに報告してやる。
「………こう考えられないだろうか。レイチェルは、ボクを嫉妬させたいんじゃないかって」
「そのオチはないな。トップ100にも食い込んじゃいない」
栗色ボブカットの彼女レイチェルは、とても楽しげに笑いながら男の視線を独り占めにしている。と、そこにウェイトレスが割り込むようにして男の前にコーヒーを置いた。とびっきりの笑顔を添えて。
「オイ……。オレたちの方が先に席に着いてただろうが」
先ほどよりもスカートの丈が短くなっているウェイトレスを見たカフカは、舌打ちをした。
妬んでいるわけではない。決して妬んでいるわけではない。面白くないだけだ。ただ面白くないだけだ。
「クソッ、なんだアレは? どういうつもりだ?」
いや、カフカは妬んでいた。みっともないくらいに妬んでいた。いっそ清々しいくらいに妬んでいた。男の周りにいる局員の中には、自分が口説いていた女もいるからだった。
「止めなよカフカ。男の嫉妬は見苦しいって言うだろう?」
先ほどまでの自分を棚に上げ、ヴェロッサはニヤニヤしながらカフカを諫める。
「嫉妬じゃない。嫉妬じゃないさ。あのクソ野郎はオレの―――」
「―――“オレの?”」
背後から聞こえた声に、カフカはくるりと振り返る。そして咳払い。タバコを灰皿に押し付けて、額を指で叩く。叩く叩く叩く。うーん……と悩んで、叩く叩く叩く。
「“オレの?”で、続きは?」
「オレの………。オレのフェイトに手を出したらただじゃおかない!」
振り返った先にいたのは、もちろんフェイトだ。彼女は浮かべていた冷たい笑みを、少しだけ柔らかなものに変えると、カフカの隣りの椅子を引いた。
「あの新人君の周りには、カフカの大好きなブロンドの女の子もいるよ?」
「そうだな。確かにオレはブロンドの女が好きだ。それが赤い瞳と大きな胸を持っているならなおさらな」
テーブルに置かれたフェイトの手に、自らのそれも重ねてカフカは彼女の瞳を覗き込んだ。ふたつの大粒ルビーを。しかし、フェイトはそっとカフカから視線を外して俯いた。
「実は、あの新人君に食事に誘われたの」
「なんだって!? あれだけ女を侍らせておいて……クソッ、羨ま―――なんて節操なしなんだ!?」
自分のことを棚の上どころか棚の遥か向こうへ放り投げ、カフカはわざとらしく憤慨してみせた。
男の方を見る。その視線に気がついたのか、カフカと男の視線が交差し、にこりとイヤミなくらい爽やかな笑みを返される。
「言ってカフカ。お願い。もう一度」
フェイトは、目を閉じ顔を上げた。長い髪が、さらさらと肩へ流れる。
「オレのフェイトに手を出したらただじゃおかない」
カフカは彼女の頬を優しく撫でると、桜色のぷっくりとした唇にそれを押し付けた―――ティースプーンを。
「んぅ……あぁ、ふっ……」
どうやらフェイトはお熱いのを所望だったらしく、ティースプーンに舌を重ね始めた。
桃色の舌がスプーンの形をなぞるようにいやらしく這う。ぬらぬらと、生き物のように。ハァッ、と熱い吐息が彼女の鼻から抜け、今度はスプーンを啄み始めた。チュッ、チュッと。みるみるうちに唾液に濡れ、てらてらと輝きを帯びていくスプーン。今、宇宙一愛されているスプーンはこれだろう。
「キミが羨ましいね。ずいぶん愛されてるみたいで」
「バカ言え。首輪付きの生活だぞ? 他の女に尻尾を振っただけで雷を落とされる」
「可愛いらしいものじゃないか。女性の嫉妬なんて」
「刃物を持ち出さなきゃな」
「女性の嫉妬ほど恐ろしいものはないからね」
ふむ、と顎をさすりながらヴェロッサが眉間に皺を寄せた。
「なんでだろうな。ついついそのことを忘れて、可愛らしいものだろうと鷹をくくる。オレも、お前もだ」
カフカはシニカルな笑みを浮かべると、スプーンをフェイトの口の中に突っ込んでコーヒーを手に取った。
うっとりしたままスプーンとキスを続けるフェイトの口から、カチャリカチャリと音がする。
今、こんなにも濃厚にスプーンと愛し合っているのは、宇宙広しと言えども彼女を置いて他に乳幼児くらいのものだろう。
「歯ぁ……当たっ、てるよ? や、激し」
カフカは彼女の口からスプーンを抜き取る。
「もう……激しいよカフカ。何回も歯、当たっちゃったし……」
頬を赤く染め、フェイトは荒くなった息を整えながらカフカを上目に睨んだ。
泡を作るほど唇を濡らした彼女の口の端からは、唾液が糸を伸ばす。
「悪いな。あんまりにもフェイトが綺麗だったから、つい夢中になった」
コーヒーで唇を濡らしたカフカの口からは、嘘が飛び出した。
「二人とも、ボクがいることを忘れているんじゃないかい?」
短くなったタバコを灰皿に放り込んだヴェロッサが、コーヒーに口をつける。
「どうやらロッサは傷心中らしいからな」
恥ずかしさから、むにゃむにゃと言葉にならない音が口から飛び出すフェイトに、カフカは気にしなくていいと笑った。
「呆れてたのはボクだけじゃないさ。みんながキミたちを見てた」
厳密に言えば、スプーンと濃厚なラブシーンを繰り広げていたフェイトをだろう。
普通に考えたら危なすぎる。常軌を逸脱したぱっぱらぱーな行為だ。
「ぅあ……、もう、レストルーム、来られない……」
どうやらぱっぱらぱーながらも、フェイトには恥ずかしさを感じる心は残っているらしい。
もっとも彼女は、自分がスプーンと濃厚なラブシーンを繰り広げたということを知らないのだが。
「ぎゃ、逆に考えたら、これでカフカに手を出す女の人はいなくなるよね?」
よし、とフェイトは小さくガッツポーズを決めて前向きな考えを口にした。
「そうだな………。ただでさえあのルーキーに女を持っていかれてるんだ。もうオレには―――」
「オレには?」
グッと、拳を握り締め、フェイトはなにかを期待するかのようにカフカを窺う。ふたつの大粒ルビーがキラキラと瞬き出す。
フェイトの期待に応えてあげようと、カフカは彼女の耳元に口を寄せ、とびっきり甘い声音を用いて囁いた。
「―――フェイトしかいない」
うひゃらっ! と口から奇妙な音を漏らし、フェイトは赤くなった頬を押さえながら、くすぐったそうに身を捩る。
そしてフェイトは、そわそわとスカートの皺を伸ばしたり髪を撫でつけたりした後に、咳払いをひとつ。カフカをジッと見上げた。
「……オンリーフェイト?」
「お、オンリーフェイト」
オンリーフェイトという言葉に噴き出しそうになりながらも、カフカは頷いてみせた。
「……いえす。あいむおんりぃふぇいと」
ギクシャクと動きながら、フェイトはコーヒーに口をつける。
それはオレのだと、カフカは彼女の手からカップを取り上げて、代わりにティースプーンをくわえさせる。かぷりちょんっ! かちゃかちゃ、かぽかぽ、ふごふご、もちょもちょ。
「かふか、ひょっとして、にせもの? かふかまーくUとかなんじゃない? わたしのしってるかふか、そんなこといわないもん」
テーブルに頬杖をつきながら、フェイトはとろけそうな笑顔をカフカに向けた。スプーンはくわえたままだ。
「偽物ね、またずいぶんと酷いことを言ってくれる」
「ああまったくだね。カフカがキミ以外にそんなことを口にするのを、ボクは聞いたことがないよ」
もちろん嘘だ。むしろ、会う女全てにそんなことを口にしていると言ってもいいくらいだ
だがフェイトはその言葉にとけた。固めるには冷凍庫に入れて、半日ほど放置しておかなければならない。たぶん。
「ひょっとして、あれ? 嫉妬? 新人君に食事に誘われたって言ったから?」
唇を尖らせ、フェイトはカフカの袖をちょいちょいっと引いた。
「ああ、それを聞いたときのオレといったら、それはなかった。あまりに嫉妬しずきて、狂いそうだったさ」
「本当だ。あのまま放っておいたなら、カフカは新人君を八つ裂きにしていたかもしれないね」
でれーっと、フェイトのとけ具合が加速した。
もちもちと頬をテーブルに擦り付けながら、彼女は白昼夢でも見ているかのような虚ろな眼差しでカフカを見る。
「………もう、恥ずかしいなあ。このっこのっこのっ!」
“ぷんちゅかぴー”っと、フェイトはカフカをスプーンでつつく。
唾液に濡れたスプーン。とても地味な嫌がらせだった。
「あっ、でも………」
なにかを思い出したかのように、フェイトはルーキーを指差した。
唾液に濡れたスーツをテーブルナプキンで拭きながら、カフカは顔を上げる。
「食事に誘われたの、わたしだけじゃない……」
「あ? ハーレムか? 奴は他の女も一緒に誘ったのか? 最低だな。信じられん。クソだ」
棚の遥か向こうに放り投げた自分を土に埋めたカフカは、吐き捨てるかのようにそう口にした。
けれどフェイトは、ううんと首を振る。横に。
「『カフカさんも是非ご一緒してくれたら嬉しいんですけど……』って言ってた」
カフカは、思わずヴェロッサと顔を見合わせた。
「どう思う?」
「そう思うね」
チラッと、カフカは女性局員に囲まれたルーキーの方を見た。
心なしか、彼は少し嫌そうな顔をしているようにも思える。自分が同じ状況ならウハウハなはずなのだが、彼はそうではないらしい。
ルーキーがこちらの視線に気がついたのか、とびっきり爽やかな笑顔を浮かべながら手を振って来た。花開くような笑顔だ。というかぶっちゃけ恋する乙女の笑顔だ。
「………どう思う?」
「………そう思うね」
ヴェロッサはさっさと席を立って逃げ出した。掘られないためだ。
フェイトは、ぱちくりとまばたきしながら同じく立ち上がったカフカを見上げた。
「どうしたの?」
「フェイト、オレから離れるなよ? 絶対に離れてくれるな? オレを一人にしないでくれ」
でれーっと、頭を掻きながらフェイトは頷いた。よくわかんないけど任せてと。
それからしばらくの間、管理局では四六時中フェイトにくっ付くカフカの姿があった。
少しでも一人になれば半泣きになりながら彼女の名を呼び、なにやら後ろを気にしては彼女の名を呼ぶ珍しいカフカの姿が。
「………ふふっ、追いかけるのは好きでも、追いかけられるのは苦手なんだねカフカ」
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