Short Short
Here, There And Everywhere
驚いた。とにかく驚いた。どのくらい驚いたかといえば、言葉が出ないくらい。頭の中が空になるくらい。
なにか、なにか言わなくては、なにか答えなくては、顔を真っ赤にしながら落ち着きなく視線をさまよわせるエリオとキャロに――と、口を開こうとしてフェイトはようやく気がついた。床の上、頭を抱えてのた打ち回るカフカに。
フェイトは慌てて駆け寄る。彼は大袈裟すぎやしないかというくらいに床を派手に転げ回っているのだ。
「どうしたのカフカ!?」
「どうしたのだって? 答えてやるよ! 隕石が落っこちてきたのさ! それも二つな!」
トゥー・コールド・フィンガー。ピースサインをひっくり返したイギリス流のファックサインを決めながら、カフカはヒステリーに声を荒げた。
「痛い痛い痛いねオイ。ケツの縫い痕も開きそうだ! ベッドに入るたび、お前は悔やむことになるだろう。『ああ、あなたのセクシーなお尻が……』ってな!」
「………隕石って、そんなの落ちてきたらカフカぺちゃんこだよ……。それに、お尻は縫ってない……」
「それくらい痛いのさ! ヘイ、お前たち。パパが心配なら今すぐお茶の用意をしてくれ。紅茶を飲めばきっとよくなる」
カフカの言葉に、エリオとキャロは慌ててキッチンへと走った。たぶん、なにがなんだかわからないまま言われた通り紅茶を淹れに行ったのだろう。
なんでそこに紅茶が出てきたのだろうと気になったが、それ以上に気になることがフェイトにはあった。
「………パパ?」
「違うのか? さっき、オレはお父さんって呼ばれたぞ?」
ひょっこりと何事もなかったかのように立ち上がったカフカが、乱れた髪を撫でつけながら笑った。
彼のこういう順応性の高さというか、なんにも考えていないようで実は考えているけど……やっぱりなにも考えていないところには驚かされる。なぜなら自分はあの瞬間、固まってしまったから。フェイトは少しだけカフカに嫉妬を覚えた。
「なんだ。イヤだったのか? 二人にそう呼ばれて」
カフカの言葉に、フェイトはふるふるっと首を振った。もちろん横に。
嫌なわけがない。むしろ嬉しかったりする。けれど、だけど、その、あの、やっぱり、どうしても……。
「………照れちゃうよ」
フェイトは、熱を持った頬を両の手のひらで挟んだ。
お母さん――耳から離れないその言葉は、けれど、離れてほしくない言葉で、本当は欲しかった言葉なのかもしれない。
「情けないなカサブランカス夫人」
カサブランカス夫人。少し、元気の出る言葉だ。テンションが上がる。
フェイトはカフカの襟首を掴みながら、彼の目をジッと見つめた。
「…………もういっかい」
「紅茶の用意を頼まれてくれないか? カサブランカス夫人」
キッチン。そこではエリオとキャロが棚を漁ったり、湯を沸かしたり、茶器を取り出したり、顔を突き合わせて相談したり大忙しだった。
さすがに紅茶の淹れ方を知っている子どもはいないかと、フェイトは苦笑いを浮かべ、二人の後ろからそっと紅茶の葉に手を伸ばす。
「ほら、コレだよ。カフカは紅茶にうるさいからね。……味がわかってるのかどうなのかは怪しいんだけど」
「あっ、ありがとうございます。母さん」
エリオの言葉に、フェイトは危うく茶葉を取り落としそうになる。
不意打ちだ。この子は将来、悪い意味でカフカのようになるのではないか。先ほどと打って変わって、照れが感じられない様子のエリオを見てフェイトはそう思った。
「ポット! ポット! ポット……用意しました! ………お母さん」
おずおずと視線を下に落としながらポットを差し出すキャロ。こちらはエリオと違って、まだ照れがあるようだ。それでも、だからこそ愛らしい。
フェイトはキャロの頭を撫で、彼女の手からティーポットを受け取る。そして、ポットを温めるべく水を入れて火にかけた。
「ポットはね? 温めておくの」
そしてフェイトは少ししゃがみこんでキャロに視線を合わせ、女の子の彼女に将来必要になるかもしれないお茶の淹れ方を聞かせる。
「紅茶は濃いめが肝心。紅茶の葉っぱは直接ポットへ入れるの」
沸いた湯を捨てて紅茶の葉をティースプーンで5杯ポットに入れ、フェイトはやかんの湯をゆっくりポットに注ぐ。紅茶の淹れ方を覚えようと、真剣な眼差しをしているキャロを微笑ましく思いながら。
「紅茶ができたなら、ポットをよくゆすります。カップを用意してくれるかな?」
キャロが置いてくれた4つのカップにフェイトは紅茶を注ぐ。すると、香りがキッチンいっぱいに花開き、明るい気分にさせてくれる。
「ミルクはいいけど、砂糖は絶対に入れちゃダメ。……カフカが怒るから」
チロリと舌を覗かせ、フェイトは笑う。 以前、くたびれた様子のカフカを気遣って砂糖たっぷりのミルクティを作ったことがあったのだが、彼はそのミルクティを飲むなり怒ったのだ。『こんなもの紅茶ではない!』と、かなり激しい口調で。
後にも先にも、カフカがあんなに怒ったところをフェイトは見たことがなかった。紅茶に砂糖……たかがそんなこと、彼にとっては逆鱗に触れることだったらしい。
「これが、うちの紅茶の淹れ方だから」
「うち……、ですか?」
「うん。……カサブランカス家、かな?」
自分で口にした言葉に、フェイトは笑みを浮かべながら唇をなぞった。まだ言いなれない響きの言葉を慣らすように。
「だから、キャロも覚えようね?」
「わかりました。お母さん」
嬉しそうに笑うキャロがどうしようもなく愛おしくなって、フェイトは彼女の頬を優しく撫でた。
紅茶を手にリビングに踏み入れたならそこでは、カフカがホンキー・トンクでご機嫌な調子にピアノを弾いていた。
リンディがクロノとエイミィの子どもたちにと購入したそのピアノは、少しばかり早すぎた投資だったのか、リビングに置かれたまま弾かれることなく埃を被っていたのだ。
それを今、カフカが弾いている。驚きだ。彼はピアノなんて弾けたのか。隣りのエリオとキャロも同じように驚きの眼差しでカフカを見ている。けれど、彼はきっと女にモテるためという不純な動機でピアノを覚えたのだろう。それか、ピアノ教室に美人な講師がいたに違いない。
少し、口元を綻ばせた横顔。得意気な様子を見せる子どものようだ。鍵盤で踊る細い指。あの指で今までどれだけの女を喜ばせてきたのだろうか。
「紅茶、入ったよ」
自然と自分の口調が素っ気ないものとなるのを感じながら、フェイトはトレーからテーブルへと紅茶を移す。
カフカは鍵盤から指を離すと、カップを引っ掛けフェイトの隣りの椅子を引いて紅茶を口にした。
「ピアノ弾けたんですね父さん」
エリオがまず食いついた。カフカがそれに、ご機嫌に笑みを浮かべて応える。
「ベートーベンが好きなんだ。特に詩がいいね」
「ほら、やっぱり………」
隣りのカフカをジッと睨みながら、フェイトはポロリと心の声を漏らした。なにがベートーベンだ。ベートーベンは作詞なんてしていない。
「女の人に聴かせるためでしょ? どうせ……」
「ああ、もちろん。フェイトに聴かせるために」
「……………許す」
お茶請けのクッキーをかじり、フェイトは短く告げた。まあ嘘なんだろうなと思いながら。けれど、嘘だろうとわかっていても少し嬉しくなる自分が腹立たしい。
「エリオはこんな風になっちゃダメだからね?」
「父さんのように、女の人に優しくしたらいけないってことですか?」
そういう見方もできるのかと、フェイトは頭を抱えそうになった。
子どもたちの目には、カフカが女性に優しい紳士にでも映っていたのかもしれない。なんてことだ。カフカは紳士などではない。フェミニストなんかではないのだ。
「エリオはモテるな。きっと。そう、オレのように」
「本当ですか?」
「ああ、もちろん。そのうちに女の子の口説き方でも……」
フェイトはカフカの足を踏んづけた。させてなるものか。素直で頑張り屋さんなエリオを、カフカのようなロクデナシにさせてなるものかと。
「いい? エリオ。カフカみたいになるってことはね? 女の子にザンバーを叩き込まれるってことなんだよ?」
「………普通の女の子は、母さんみたいにザンバーなんか叩き込まないと思い……なんでもないです」
フェイトの迫力に押されたのか、エリオは素直に頷いた。トラウマザンバーはイヤなのだろう。
フェイトは、エリオの頭を撫でてやる。よしよしイイ子イイ子と。そのまま真っ直ぐ育ってねと。
「キャロも。カフカみたいな男に捕まっちゃダメだよ?」
「はい。わかってます」
ニッコニコに笑いながら頷くキャロ。彼女はわかってくれているらしい。やはり女の子はそういった方面の成長が早いのだろうか。
彼女とは反対に、カフカは酷く傷ついたような表情だ。信じられないとでもいうかのような。
「聞いたかエリオ。キャロは、キャロは、オレみたいなロクデナシのクソッたれは大嫌いだって言ったぞ……」
「……そんなこと言ってないですよ」
「いいや聞こえた。オレには聞こえたね」
涙が出そうだねと言いながら、カフカは身を乗り出してキャロの手にあるクッキーをぱくりと食べてしまう。まるで意地悪な子どもみたいだ。
当然クッキーを食べられたキャロはご立腹だ。彼女は頬を膨らませると、小さくなってしまったクッキーを口に放り込んだ。
「お父さんは女の人が大好きですけど、お母さんを泣かせるのはよくないと思いますよ?」
キャロの追撃を、フェイトはいいぞもっと言えと心の中で応援する。エリオとキャロのためにも、カフカにはだらしない生活をなんとかしてほしいと思いながら。
「……よくないか?」
「はい。お母さんを泣かせるのはよくないです」
「困ったな……。ゆうべも鳴かせたばっかりだ……」
とりあえず、フェイトはカフカを殴っておいた。
思わず、あくびが出てしまう。夕日にはそんな、人を眠たくさせる効果でもあるのではないだろうかと思いながら、フェイトは窓の外の太陽を見た。
いや、あるに違いないと、フェイトは苦笑いを浮かべながら今度はソファで寝息を立てる三人を眺める。カフカを一番端にしてエリオ、キャロがもたれ掛かるようにして横になっているのだ。倒れなかったドミノのようなカフカが少し、可笑しい。
「わたしも、混ぜてもらおうかな?」
ドミノを倒してやろうと、フェイトは笑いながらソファに腰を下ろした。4人座るには、少し狭いソファに。
キャロの口から声にならない可愛らしい音が漏れた。寝言だろうか。フェイトは彼女の背中を優しく叩いてやる。ぽん、ぽん、ぽんと安心させるように何度も。
子守歌でも歌ってみようか。世の中のお母さんが子どもにそうするように。なにを歌おうかなと、フェイトは考える。あれがいいだろうか、それともこれかなと。
そういえば、イギリスのお母さんはビートルズを子守歌に使うと聞いたことがある。なら、それに倣おうではないか。フェイトは子守歌にラブソングを選んだ。
フェイトが歌い出してしばらく、ソファの端にいたカフカが体を起こした。そして、歌い終えるのを待っていたかのように、彼は終わってから口を開いた。
「ビートルズか。……ポールだな」
「うん。よくわかったね」
「当たり前だ。ママの腹の中にいるときから聴いてる」
カフカは茶化すかのような笑みを浮かべた。エリオを起こさないように気を使っているせいか、少しヘンテコな体勢なのが笑える。
「ポールの脳天気なラブソングが、ずっと嫌いだった。でも、悪くないな」
「なんでだろうね?」
「……もう一回歌ってくれ。その間に気の利いたセリフを考えとく」
カフカはそう言って横になった。
わかってないなと、フェイトは苦笑いを浮かべた。気の利いたセリフよりも、飾らない言葉が聞きたいときだってあるのだ。それに、エリオとキャロの二人には気の利いたセリフなんてわからない。
歌が終わるまでに、彼がそのことに気がついてくれるのを願うばかりだ。ポールのなんのひねりもないラブソングを聴いて。
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