Short Short
Hell's Comin' Down
時空管理局レストルーム、そこは男性局員がコーヒー片手に仕事の愚痴を垂れ流し、女性局員は化粧品にお菓子、休日の予定と会話に花を咲かせる場所だ。
置かれた観葉植物に目に痛くない柔らかな光の照明、味気ないくらい個性のないヒーリングミュージックのBGM。
カフカは思わず目を擦りながら背筋を伸ばす。ギシッと、安っぽい椅子が音を立てた。
「――人が真面目な話をしているというのに、何だその態度は」
そんなカフカを一睨みしたのは、彼の向かい側に座るシグナムだ。彼女は伝票を指で弾くと、機嫌が悪そうに腕を組んだ。
「待てよ。今月はピンチなんだ」
小遣いが、とカフカは付け加え、チーズケーキを小さなフォークで切り崩す。少ない小遣いをやりくりする彼にしてみれば、ぼったくりを飛び越え詐欺だろと言いたくなるほど美味しくないケーキだった。
「テスタロッサに頭が上がらないのは相変わらずだな」
「信じられるか? 小遣いだぞ小遣い。ただでさえ稼ぎが少ないのに、小遣い制だ」
「自業自得だろう。女遊びに浪費したお前が悪い」
涼しい顔をしながらカフカの話しを受け流し、シグナムはコーヒーカップを傾ける。
「今は、そんなことはどうでもいい。私の話だ」
「わかったわかった。話せよ」
チーズケーキにいちゃもんを付け、ウェイトレスとお近づきになろうと考えていたカフカは、大人しくシグナムの方を向いた。ただし、意識と目線は彼女の向こう側、笑顔を振りまきながら注文を取るウェイトレスの瑞々しい太ももだ。
なるほどな、とカフカは唐突に納得するに至った。クソ不味くお高いチーズケーキは、ウェイトレスの短いスカートのサービス料金に違いないと思ったからだ。
ならば遠慮などいらないと、カフカはウェイトレスを目で追う。追う。Oh!? 目が合う。ニッコリ。
「――主が仰ったのだ」
「胸はデカいけど、顔がなー……」
「いい歳をしながら浮いた話のひとつもないのでは、さすがに心配だと」
「歳……いってるな、結構。化粧が上手いのか……」
「しかし、私はヴォルケンリッターの烈火の将。主を第一に考える身だ」
「劣化か……。まあ、頭の悪いビッチは嫌いじゃない」
「主のために生き、主のために死ぬ。男などにうつつを抜かす必要などないのだ」
「女のために生き、女のために死ぬオレとしては連絡先を聞きたい……。だが、小遣いが減らされる」
「だが、優しい主はそんなくだらないことでも私を心配してくださる」
「アー……フェイトがもう少し優しかったらなー……。女の子に名前を聞くたびに、トラウマザンバーを喰らう心配なんかしないのに」
「かつては私たちヴォルケンリッターを、道具のように扱う主もいた……」
「今じゃフェイトは、オレをボロ雑巾のように扱う」
「ああ、優しい主。あなたがいるだけで、私はそれだけで幸せだというのに」
「ハァ……恐ろしいフェイト。アイツのせいで、オレはそれだけで寿命が縮むね」
ぐっと、言葉に詰まり目元を押さえて俯くシグナム。うっと、チーズケーキが喉に詰まり慌ててコーヒーを手に取るカフカ。
フェイトの呪いかと忌々しげにケーキを睨んだカフカは、タバコを手に取り火を付けると、ようやく思い出したかのようにシグナムを見た。
「――で? なんの話だ?」
「聞いて、いなかった、だと……?」
シグナムはテーブルから紙のナプキンを手に取り、下から睨むかのようにカフカに視線を寄越す。
「アー……いや、聞いてた。ばっちり聞いてたさ。アレだろ? はやては素晴らしい……そうだろう?」
「そうだ。主は素晴らしいお方だ」
ホッとしたかのように椅子の背にもたれかかり、カフカはタバコを吹かす。
それだけ? などと、くれぐれも軽い調子で聞いてはいけない。主至上主義であるシグナムには。そんなことを口にすれば、シグナムにマグナムを斬り落とされかねないからだ。
「アー……、はやては素晴らしい。素晴らしいな、確かに。で、その前だ。なんて言ってたっけなお前」
「あ、あぁ……浮ついた話のひとつもないわたしが心配だと、主が仰ったのだ」
それもはやての話だろうがと、溜め息など吐き出してはいけない。そんなことをすれば、シグナムにマグナムを斬り落とされかねないからだ。
「浮ついたはなしぃ? シグナムにぃ?」
カフカは、バカにした調子で居心地の悪そうに視線を逸らすシグナムの顔を覗き込むと、テーブルを打ち鳴らしながら笑う。
「うっ、うるさい! わたしにだって分かっている! 黙れ! 叩き斬るぞ!?」
今にも目の前のカフカに掴みかからんといった勢いでシグナムが立ち上がる。
「ハッ、やれるもんならな」
あくまでもバカにした調子を崩さずに、カフカはシグナムのことを鼻で笑う。だが、椅子から腰を浮かしていつでも逃げられる体勢に入っているところに、彼の小物っぷりが窺えた。
フェイトのご機嫌を窺うことで鍛えられた危機的状況の察知能力、フェイトの重苦しくのし掛かるような無言のプレッシャーによって鍛えられた精神力、フェイトの恐ろしいまでの速度で振られるトラウマザンバーを、何十、何百と受け流して鍛えられた動態視力、それら全てがカフカの骨となり血となり肉となって息づいているのだ。
カフカは軽薄そうな笑みを消し、鋭く目を細めシグナムを睨む――オレを今までのオレだと思うなよ? 生まれ変わったのだ。ただのカフカではない、ハイブリッドカフカだ――と、その目は語っていた。
そして、ハイブリッドカフカはそれまでの経験を生かし、口を開いた。
「――話せば、分かる」
ニコニコと愛想笑いを顔に張り付け、できるだけ角のない優しい声を出しながら、立ち上がったシグナムに座るよう促す。
だが、自分はまだ腰を椅子に下ろしてはいけない。カフカの今までの経験から言えば、話し合いとは即ち暴力へと繋がっていたからだ。もちろん一方的な。
「自分に言い寄る男がいないことが不満なのか? ん?」
「――違う!」
「まあまあ、落ち着けよシグナム。コーヒーが空だ。おかわりを頼もうじゃないか」
もちろんお前の奢りでと、カフカは口にしそうになったが、そんなミスは犯さずウェイトレスを呼びつけコーヒーのおかわりを頼む。
「お前は美人だ。ああ、美人だとも。オレも初めて会ったとき、思わず声を掛けたな。覚えてるか? すぐに――」
後悔することになったが、と続きそうになった言葉だったが、カフカは口を噤んでニコニコと愛想笑いを取り戻す。フェイトによって鍛えられた防衛本能だった。今までの彼ならばこうは行くまい。
「……そうだな、笑顔を浮かべてみるといい。お前は少し無愛想だからな」
「なにが面白くて愛想など振りまかなくてはならない」
湯気の立つコーヒーカップを傾け、シグナムは胡散臭さそうにカフカを見る。
「浮ついた話でなくとも、ようは恋する乙女でも演じたらいい。そうすれば、はやても安心するだろう」
「恋する乙女……だと?」
「試しに笑ってみろよ。さあ、オレに素敵な笑顔を見せてくれ」
「こ、こんな風にか………?」
口を吊り上げ頬をひくつかせながら、けれど半月を描くように歪められた目だけは笑っていない、そんな邪悪な笑みをシグナムは浮かべた。
「……ああ、素敵な笑顔だ。獲物を前にした肉食獣だ。人がゴミのようだと、今にも言いそうな笑顔だ。バルス」
カフカの唱えた滅びの呪文によって爆発したのはラピュタ――ではなく、シグナムだった。
彼女は再び、掴みかからんばかりの勢いでカフカに詰め寄った。
「馬鹿にしているのかお前は!?」
「アー……いや、悪かった。悪かったよシグナム。甘い物でも頼んで気持ちを落ち着けるといい。そうすれば自然と笑顔も浮かぶさ」
趣味が模擬戦の彼女だ。仕方のないことだろうと、カフカは笑う。
料理やお菓子作りにでもシフトチェンジすることを勧めたかったが、不器用そうな彼女には無理だろう。
もっとも、料理やお菓子作りが趣味ですなんて、平気で嘘をつく人間よりはよっぽどマシと言うものなのかもしれない。人前で趣味は料理ですと言って微笑むフェイトに、カフカは何度訂正を入れようとしたことか、『趣味は、返り血を浴びながらうっとりすることです』と。
「――ところで、なんでオレにそのことを相談しようなんて思った?」
「ああ、お前なら適切な助言をくれると思ったからだ。年がら年中頭の中がピンク色のお前なら、な」
チョコレートケーキをつつきながら、シグナムはシニカルな笑みを浮かべる。甘い物効果か、先ほどよりも柔らかで自然な笑みだ。恋する乙女とまでは届かないでも、普段無愛想な彼女が浮かべる笑みとしては破格ものだろう。
不覚にもカフカは彼女に見とれてしまった。ブラックなはずのコーヒーが少し甘く感じる。
「クソマズいケーキひとつで笑えるんだ。普段からもっと笑えよ」
「……笑っていたか? 私は」
「ああ、笑ってた。その調子で愛想笑いもやってみろよ」
「こ、こうか……?」
「―――バルス」
コーヒーがやけに苦く、濃い。カフカはテーブルに置かれたガムシロップをカップに垂らし込んだ。
「難しいな……愛想笑いというのは」
「楽しいことでも浮かべてみろよ」
楽しいこと? と、シグナムは腕を組み思案する。そして、思いついたとばかりに笑みを浮かべた。見る者の背筋を凍らせる邪悪な笑みを。
「………模擬戦を思い浮かべたろ、お前」
「ああ、楽しいからな」
思わず腰を浮かしていたカフカは、ドサッと乱暴に腰を下ろして椅子の背にもたれ掛かる。
周りを見れば、残業を後に控えた局員が最後の一服とばかりに、くたびれた顔でコーヒーを啜る姿がときおり目に付くだけだ。お喋りをする女性局員はもういない。皆帰ってしまったのだろう。
実を言えば、カフカもさっさと帰りたかったりする。というか、早く帰らなければならない事情があった。
「――帰っていいか?」
「ダメだ。まだ話は終わっていない」
「いや、時間がな、そろそろ帰らないとマズい時間なんだ。腹も減ったしな」
「なんだ。なら、家に来るといい。主の手料理は絶品だからな」
ぜひご馳走になりに行こうなどと口にしてはいけない。そんなことを口にしたなら――もれなく空の鍋を、お玉でカラカラするフェイトを目にすることになるからだ。
あれはつい先月のことだった。外食して帰るということを、うっかり伝え忘れてしまったカフカがほろ酔い気分で家に帰ったなら、蛍光灯のみが照らされる薄暗いキッチンでなにやらカラカラと音がするではないか。明かりを消し忘れたのかとキッチンを覗いたなら、そこには鼻歌を歌いながら鍋をお玉でかき混ぜるフェイトがいたのだ。疲れたような背中、薄暗い蛍光灯の灯りがそうさせるのだろうか、その姿は不気味にも思えた。
酔いが一気に醒めてしまった。フェイトは怒っているのだろうか、謝らなければとカフカが口を開こうとするより先に彼女は振り返った。光を照り返すことのない暗く沈んだ赤い瞳、パラパラと纏めていた髪の毛はほつれ、けれど、彼女はニッコリと笑い――遅かったんだね、と口にした。
「――察しろ、シグナム。空の鍋をお玉でカラカラはイヤなんだオレは」
カフカは、うなだれるようにしてテーブルに両腕をつき、絞るように声を出す。
だが、シグナムはそんな彼の様子などまるで無視するかのように言った。
「主の手料理が食えないというのか!?」
「食いたいさ。シャマルとイチャイチャしたいさ。けどな、無理なんだ……」
気がつけばレストルームからは、シグナムと自分以外の人間がいなくなっていた。そのことに気がついたカフカは、焦ったように立ち上がる。
「マズい………」
「主の手料理が不味いだと!?」
「クソマズいぞ……」
「クソ不味いだと!?」
今からでは、とても夕食の時間には間に合いそうにない。ならば帰りが少し遅れると、フェイトに連絡を入れておこうとしたカフカは通信を繋げる。
だが、通信が繋がるより先に、激昂したシグナムがカフカに掴みかかった。はやてのことに関して言えば容赦のない彼女ゆえに、その力は凄まじい。
椅子を吹き飛ばし、カフカは派手に倒れた。そこへ馬乗りになったシグナムが彼の襟首を掴み、顔を近づける。
鼻と鼻がくっつきそうな距離、唇を突き出せばキスだってできるだろう。そんな超至近距離で、シグナムはゆっくりと口を開いた。
「不味いと言ったな、カサブランカス」
「……時間がな」
「ならば食してみるがいい。主の手料理が本当に不味いのかどうなのか……」
「アー……、もうわかったわかったよ。オレには、この後の展開が手に取るようにわかるね――ほら、な」
首を捻ったカフカの視線の先、繋がれた通信、展開するモニター、そこに映るのはもちろん――
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