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Short Short
Knockin' On Heaven's Door
 たとえ風が強く寒い日でも、隣りに誰かがいれば寒くはない。それが美人な女ならばなおさらのことだと、カフカは腕を組んだ女を見る。
 イヤミにならない程度の毛皮のコートを羽織った女は、目が合うとぷっくりとして色っぽい唇を突き出してくる。突いたら弾けてしまいそうなほど瑞々しい唇だ。
 カツンッと音を立て女の履いていたヒールがリズムを崩す。カフカが女の腰を抱き寄せたのだ。路上で二人の体が密着する。
 女の細い腰を抱いたカフカは、空いたもう片方の手で女の顎を持ち上げる。そしてそのまま女の唇に吸い込まれるようにしてカフカは自らのソレを重ねた。
 くぐもった声が女の鼻から抜ける。扇情的で誘うような声だ。彼女が目を伏せると長いまつげが瞬き、もっとしてと言っているかのようだ。
 吸い付き、啄み、絡めとる。何度となく繰り返される濃厚なそれは口付けだけの性交のようで、通りかかる人々の顔を赤く染める。

「――キスが丁寧な男は好きよ。愛されてるって気になるもの」

 うっすらと目を開けた女は、背伸びをすると、最後におしまいとばかりに触れるだけのキスをした。
 テラテラと濡れて妖しく光る唇をペロリと舐めたカフカは目を細めると、口の端を吊り上げた。そして女を連れ添って再び歩き出す。その光景を見ていた者がいたなど露知らず、ネオン輝くホテル街へ。

「――あかん、見てもうた。浮気や。不倫や。路上キスや。フライデーや。どないしょう、カフカ君エロい。エロ過ぎや。なんや、あの色っぽい目つき。あれか? あれが女を殺す目つきってやつなんか、そうなんか。エロいでしかし。えらいエロいわカフカ君。やっぱり、おっぱい揉みまくりなんやろうか、きっとそうやな。そうに違いない。『揉ませろ』とかあの目つきで言われたらヤバいな。思わず外してしまいそうや。ブラを。ええなぁ、わたしもあの目つきを習得できへんもんやろか……って、違う違う違う違う違う。どないしょう、フェイトちゃんに知らせな」

 買い物帰りに偶然現場を見てしまった彼女、はやては通信をフェイトに繋ごうとしてはたと気づく。こういう場合、知らない方が幸せだということがあるのではと。

「いやいやしかし、雨降って地固まるって言うし……」

 そう自分に言い聞かせ、はやてはフェイトに急ぎ通信を繋げた。だが彼女は知らない。雨は雨でも降るのは血の雨なのだということを――。

「――そう、カフカが……。今からそっちに行くから、わたし。うん。そっちに、はやては……そう。わかった。ありがと」

 はやてから入った通信を切ってからのフェイトの行動は早かった。急ぎ外出の支度をする彼女の顔には“不自然なほど”なんの表情も浮かんではいない。

「――フェイトさん? どうしたんで……すか」

 なにやら夕食時にバタバタと出掛ける用意をしている彼女にエリオが声をかけた。そしてすぐに理解し、後悔した。背中越しにでもわかるほどに彼女は強い負の感情を纏っているのだ。暗く重たい怒りを、まるでコートのように。
 ブーツに乱暴に足を突っ込んだフェイトがエリオに気がついて振り返る。そのあまりにも“不自然なほど”無表情なままで。

「ああエリオ、夕飯はキャロと二人きりになっちゃうけど、ごめんね。わたし、これから、ちょっと、行くところ、あるから」

 はい。分かりましたと、たったそれだけを口に出すだけなのにエリオの舌はもつれ、声は震えた。汗が出てくる。ものすごいプレッシャーだ。

「気をつけ、て……。いってらっしゃい」

「気をつけて? そうだね……。もっと気をつけるべきだった。もう遅いけどね」

 クスリとまるで淫靡な娼婦を連想させるような笑みをフェイトは一度浮かべると、それをすぐに引っ込めて能面のような表情に戻し家を後にした。

「――カフカさん……。どうかご無事で」

 なにがあったのか聞かなくとも、というより怖くて聞けないのだが、エリオにはカフカが原因だと分かった。
 女性というのは恐ろしい生き物だ。なぜカフカはいつも女性を追い求めるのだろう、エリオには不思議でならなかった。

――それは命を掛けるほど素敵なことなんですか? カフカさん。教えてください。生きていたら。

 念話で知らせるでもなく、ただ心の中でカフカの無事を祈るところにエリオの彼に対する深い愛情が窺えた。

「……キャロも、いつかあんな風になるのかな……。やだな」

 急に過剰なまでにロマンチックなラブソングが聴きたくなったエリオは、カフカの部屋のレコードを漁りに行こうと思い立った。

「――GPS、カフカに付けとくんだった。なんで躊躇したの、わたし」

 唸りを上げてエンジンが喜びの声を上げる。フェイトは蹴り付けるかのような勢いでアクセルを踏み倒した。本当は空を飛んで行きたかったのだが、当然飛行許可など下りるはずもない。理由が理由だ。なんと答えたらいい? 痴情のもつれ? とても素敵だ。素敵すぎる。明日の朝刊のネタはこれで決まっただろう。
 フェイトはカーステレオを弄り、音量を上げる。スピーカーをすり潰すかのような粘っこいギターのリフと、狂ったニワトリの鳴き声としか思えないボーカル。ブレイクでの悪魔が取り憑いたような背筋を震え上がらせるギターソロ。イカれてる。巨人の足音のような重いバスドラム。ブルースを尻に敷いたギターとドラムのみのバンド。カーステレオから流れる現代に蘇ったゴミ、それらがフェイトの血を熱くさせる。
 腹が立つ。とてもとても。またか。またなのか。あの節操なしのロクデナシの人間のクズは。一体いつになったら分かるのか。あの節操なしのロクデナシの人間のクズは。ギチリと音を立て、フェイトのハンドルを握る力が一段と強くなる。
 彼女のことを知る人間が今の彼女を見たならば、とても驚いたことだろう。眉間に皺を刻み、何かを呪い殺さんばかりに鋭い視線。形の良い唇はつり上がり、剥き出しにされた美しい並びの歯。思わず二度見だ。二度見。普段の美しい彼女からは、とてもではないが想像もつかない鬼のような表情。金棒の代わりに斧がある。足りないのは角だけだった。

「――んっ、キスをちょうだい」

 むっとするほど濃い香りが立ち込める中で、シーツにくるまった女は乱れた髪を気にするでもなしにタバコを吹かすカフカの背に寄り添った。
 しっとりと湿り気を帯びた肌と肌がぴたりとひとつになる。カフカは首を捻って女の頬に口付けをした。

「それにしても……よかったの?」

 なにがとは聞かずにカフカはタバコの煙を吐き出す。

「――お前の好きなものはなんだ?」

「好きなもの? ウォッカのオレンジ割りね。それをパカパカ空けるの。けど、いつも夜が明けて朝を迎える度に思うわ。アルコールのない国に行きたいって。それでもまた夜になれば飲むんだけどね」

「そいつばかり毎日やってると、さすがに飽きるだろう?」

 少し考えた後、女は首を縦に振った。つられて下りてきた長いブロンドの髪が彼女の顔を隠してしまう。その光景に二人は少し笑った。

「そういうことさ。毎日同じものを食べてたら飽きるし、毎日同じものを見てたら飽きるのさ」

 たとえ、それがどんなに美味しくても、どんなに美しくてもとカフカはタバコの火を消しながら言葉を付け足した。

「それが、アナタの言い訳?」

「違うな。オレだけじゃない。全ての男の言い訳さ。そして事実でもある」

「大変ね。男の人って。女の何倍も弱い生き物だもの。だからアナタもそんなに口ばかり上手くなったのね」

「酷い言い種だ。そんな風に言われたら、男はもう立ち直れない」

「大丈夫。元気にしてあげる。ワタシが、もう一度。いいえ、何度でも、アナタを」

 女はカフカの首に回した腕に力を込め、ベッドに引きずり込む。ギシッとスプリングが音を上げた。それは、またやるのかと文句を言っているかのようだった。

「――張り込みっちゅーのは、やっぱりあんパンと牛乳が基本やね」

 カフカと女が入って行ったおとぎの国を思わせるような作りのホテル前、はやては一人そこにいた。
 ペリッとあんパンの包装を破き、彼女はそれをかじる。しかし肝心要のあんまでは到達しなかった。

「今ごろカフカ君はアレやな。そうや。きっと違いない。『僕の〇〇〇をお食べ』とか言うてるんやろな……」

 ガハハと品のないオッサンのような笑い声を上げたはやては牛乳を流し込む。それは女としては控えめに言っても残念だと言わざるを得ない姿だった。

「――お待たせ、はやて。ありがとう。教えてくれて」

「なんや案外早かったなあ」と、はやては振り返った。しかしそこには彼女の知るその人の姿ではなく、代わりに鬼がいた。金の鬼が。

《――Set Up....》

「もう大丈夫だよはやて。寒い中、ご苦労様。風邪引かないように、もう帰った方がいいよ?」

 ガシャンッガシャンッと重火器の撃鉄を思わせる酷く威圧的な音と共に鬼の金棒、そのカートリッジが消費される。
 彼女が浮かべている聖母を思わせるかのような笑みは、心中をドロドロと渦巻く怒りに蓋をするためなのか。けれども暗く濁った瞳だけはこれっぽっちも笑っておらず、ソレは隠しきれていなかった。
 長い付き合いだが初めて見る親友の全力全壊な姿に、はやては凍りつく。

「ふぇ、フェイトさん? 何故ばりあじゃけっとナンゾを着込んでイラッしゃルのでヤンス?」

 色々と間違っていたが、はやてには言葉を発するだけで精一杯だったのだ。

「なぜって……ひつようでしょう? だって、“話し合い”になるんだから」

 これがゆとり教育の弊害なのかと思うよりも先に、はやてはとりあえず全力全壊なフェイトを落ち着かせに掛かる。まず初めに彼女には、殺人というのは一番やってはいけないことなのだと教える必要がありそうなくらい全壊だった。

「あんな、フェイトちゃん。怒るのは、分かる。うん。仕方ない。けど、そこは、広い心で、アンパンチくらいにせえへん?」

「アンパン血? あまいよはやて。はやて、あまい。うん。あまい。バイバイキンしなくちゃ。うん。カフカのまわりをバイバイキンするの。キタナイ雌猫ばかりだから、ネッ? わかるでしょ? バイバイキン。きれいにするの。ぜんぶ。だって、イヤだもん。キタナイの。すごくイライラする。じゃまなの。シアワセになれない。カフカのためにひつようなの。だから、バイバイキンする」

 フェイトはそう言って童女のような笑みを浮かべる。コインの裏表がひっくり返ったかのような、そんな呆気なく突然の変容だった。
 はやては謝りたくなった。今ごろニャンニャンお楽しみになっているであろうカフカに――申し訳ない。本当に申し訳ない。全力全壊です。フェイトちゃんは全力全壊です。どうかお逃げください。光よりも速く。火星よりも遠く。でないとバイバイキンされます。

「あー……フェイトちゃん? 今さらやけど、見間違いやったかもしれへん。なんか、カフカ君にしては背低かったような気、するし」

「ううん。あってる。だって、ここからカフカのニオイするもん」

 最後の関門、突破されました。さよならカフカ君。良い旅をと、はやては空を仰ぐ。けれど隣りのフェイトはいつまでたってもホテルにかち込む様子がない。それを不思議に思ったはやてが尋ねると。

「じゅうでんしてるの。カートリッジをろーどするように、いらいらをじゅうでんしてるの。待って待って待って待って待って待って――ドスッと……ね?」

 バルデイッシュに頬ずりしながらアハッと笑うフェイトは、けれど、それでも可愛らしく魅力的だ。
 念話を使って危機を知らせたら良いではないかと、今さらながらにはやては思い立ちカフカにソレを送る――。

「――急にどうしたの? なにか忘れ物でも思い出した?」

 シャワーを浴び終わった女が、バスルームから出て見たのはタバコに火をつけようと固まっているカフカの姿だった。

「いや、念話だ……はやて?」

『聞こえてる? カフカ君。ええか? 今からわたしの言うことを復唱しぃ――天に召します我らが父よ……』

 カフカは頭をテーブルに打ちつけた。なんという死亡宣告、と思いながら――しかし、すぐに金の鬼の素敵な笑顔が頭をよぎり顔が青ざめる。

「マズい。死んだ」

「は? どうしたのいきなり」

「家の雷様がお怒りだ――しかも……!? 全力全壊、らしい」

 言うが直後、カフカはさっさと着替えを済ませると、瞬時に頭の中で十六通りの言い訳を考える。しかしそのどれもが、全力全壊の彼女には通用しないとの結論をはじき出した。アーメン。

『――最後に。カフカ君、ごめんな。フェイトちゃんに知らせたん、わたしなんよ。ほんまごめんな。生で昼ドラが見られるかと思うたら、なんやこう、わくわくしてもうたわ』

 それを最後に念話は切れる。同時にカフカは再びテーブルに頭を打ちつけた。

「アー……ヤバい。現行犯だ。マズいぞ。トラウマザンバーでは済まない可能性がある。どうするカフカ。いっそ開き直るか? ん?」

 タバコに火を付け、ガタガタとみっともなく貧乏揺すりしながらカフカは考えてみる。開き直ればどうなるのか――フェイトよりもこの女がイイんだ! と言ってみる……ハイ。

――嘘だッ!!嘘だ嘘だ嘘だ嘘だッ!!

 血を吐かんばかりの大声で喉を枯らし、頭を振りながら叫ぶフェイト。膝はあまりのショックからかガクガクと笑っている。けれど、突然フェイトはニコリと安心したかのように笑う。なーんだ。そういうことなのか、とでも言うかのように。

――騙されてるんだよカフカ。その女に。ね? ね? ね? そうだよ、ね? うん。そうに決まってる。待ってて、今、助けるから。

 バルデイッシュより射出された金の刃をカフカの隣りにいる女に向け、フェイトは唇を噛み締めながらその女を睨み付ける。

――バルデイッシュ、非殺傷設定解除……早く。早く。早くしてっ!!

《…………All right》

 一撃で決めてやると、体勢を低くしニヤリと口の端を吊り上げるフェイト。その笑みはまるで、お前には彼の隣りは相応しくないと言っているかのようだ。

――ダメだ。開き直れない。このお話の結末はきっと『あなたを殺して、わたしも死ぬ!』パターンだ。

 カフカは三度、頭をテーブルに打ちつけると立ち上がって部屋をぐるぐると歩き出す。何かイイ考えはないかと。

――コンッコンッ………。

 突然、部屋をノックする音がしてカフカの背筋が凍りついた。ついにきたかと。

「あっ、やっと来た。ルームサービス頼んでたのよ。ワインのね」

 今まで雑誌を読んでいた女は顔を上げると、雑誌をベッドに放り投げ立ち上がる。

「嫌味のひとつでも言ってやるわ。道が混んでいたのかしら? ってね」

 ケラケラと笑いながら女が扉に手を掛ける。カフカはベッドに下に滑り込んだ。シュワッチ! と言わんばかりの勢いで。そして、その判断は、正しかった。

「――フフッ、バイバイキン♪」

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