他生の縁 他生の縁 7 あの屋敷から戻って数日後――、俺は部室の前に来ていた。 ようやく絵が完成したから、君に見せたいと、霧島から連絡があったのだ。 俺の体調はすっかり回復していた。 撮り溜めた心霊写真とあのカメラを、しかるべき所に持っていき、念入りに供養して燃やしたら、吸い取られていたものが戻って来たらしい。とてもあっけない解決だった。 恋焦がれていた相手が、猫の霊だった――それなりにショックだったが、おかげで諦めがつくのも早かった。 俺が愛したあの少年は、最初から存在しなかったのだ。 俺の前世が本当に、あの夢に出てきた男かどうかも、もはや怪しい。 「やあ、待っていたよ。来てくれてよかった――」 部室の扉を開けると、振り返った霧島が微笑む。 その笑みが、以前と印象が違う気がして、俺は心の中で小首をかしげた。 部屋の中央には、絵を立てかけたイーゼルが一つ置かれていた。 お披露目をもったいぶるように、上に布が被せられていて、まだ見ることはできない。 「俺に見せたい絵って、これのことか?」 「そうだよ。……君はまだ、この前の一件について、分からない事ずくめだろう? それを説明するために、この絵を見せる必要があったから、君を呼んだ」 霧島はそう言うと、絵に被せていた布をめくり取る。 現れた絵を見て、俺は悲鳴を声を上げそうになった――しかし驚き過ぎて、逆に声が出なかった。ひゅっと、息を吸い込む音だけが鳴った。 獲物を見張るように、俺を注意深く見つめながら、霧島は真相を語り始めた。 「僕も実は、うっすらと前世の記憶があったんだよ。だけど、とても曖昧だった。 時々夢で見る光景を、僕は描くことで思い出そうとしていたんだ。君が写真を撮ることで、自分の中の記憶を掘り起こそうとしたようにね。……だけど、あまり効果はなかったよ。 君と屋敷に行ってから、急に記憶がはっきりとし始めた。そしてあの霊を取り込んでから、ついに完全なものになった。 君と出会うまで、自分が同性愛者だから女性に興味が持てないのだと思っていた……だけど違った。 「君だけ」にしか、僕は興味が無かったんだ。君と再び巡り合えたのは、やはり運命としか言い様がない」 うっとりと見つめられる眼差しに、薄ら寒くなった。だが、目を離せない―― 霧島の奥に潜む、何か良くないものに、俺は何故か惹かれていた。 「もう気づいているだろうが、あの部屋の本当の主は、僕だ――君の前世の恋人、あの少年の生まれ変わりだよ。 そして君は間違いなく、僕の前世の恋人だ。あの霊が君に憑いたこと、僕が無性に惹かれていることが、それを証明している」 霧島は何かに取り憑かれたような目をして、俺を見据えた――それは当然だろう。 あの猫の亡霊は今や、元の飼い主である彼の中にいるのだから。 「君が見た夢の内容は、僕が記憶している事実と、ほぼ一致している。 ただし、意図的に削られている部分がある――あの館が放棄されることになった経緯だ。 君も気付いたが、屋敷の内部は妙に荒れていたね。壁には爪のようなもので引き裂かれ、シャンデリアは鎖を引きちぎられて落下していた。 人間業ではない、何か別のものに荒らされたように――そう、あれは今僕の中にいる、怨霊の仕業だよ。 君が死んでしまったと知らされて、僕は気が違った。君に害を与えた者を呪いながら、狂い死んだんだ。 ……猫はおそらく、僕の死後に処分されたのだろう。もしかしたら、僕が狂った原因を擦り付けられたのかもしれない。死ぬ間際までずっと僕の側にいたし、あの猫は妙に賢くて、不気味がられていたから。 あの猫自身の苦しみや恨みに、僕が残していった情念、記憶、または魂の一部が加わり――屋敷を滅ぼす程度の、強力な呪いになったんだ。 あの猫の亡霊が人らしく振る舞えたのは、僕の霊体が多少混じっていたからだろう」 霧島が描いた絵には、まさにその時の、凄惨な場面が描かれていた。 巨大な爪が壁を引き裂き、人の体を引き裂き、赤い血しぶきが上がる。落下したシャンデリアに潰された人影もある――まさに、阿鼻叫喚の地獄絵図だ。 「君に暴行を加えた僕の兄や使用人を、その怨霊が次々に殺害した。 屋敷の主人――僕の前世の父親は、悪霊を封じるために、あの門を新しく造り、呪われた屋敷を放棄した。 ……これが暗に隠されていた、おぞましい真実だよ」 語り終えた霧島は、ぞっとするほど妖艶に微笑んでいた。 差し込んだ西日に照らされる姿は、炎に包まれているように見えて、あの彼岸花の中に立っていた霊の姿を思い出させる――ああ、そうなのかと、唐突に理解した。 自分が執着していたのは、あの霊が持っていた「呪い」そのものだ。 霧島の前世である少年の、気が狂うほど自分を恋い慕っていた感情だ。 ゆらりと、幽鬼のごとく歩み寄ってきた霧島は、俺の頬に触れる。 「記憶が戻ってから、ますます君への想いが強くなった。 もう、自分を抑えていられそうにない。……さあ、君はどうする?」 いつかと同じ台詞で、しかし全く違うふうに、霧島は問い掛ける。 拒んだところで殺されそうな気もするが、今逃げ出さなければ、黄泉から戻ってきた縁に、未来永劫囚われる気がした。 だが、結論は最初から分かりきっている。 あの心霊写真に、死ぬほど魅了されていた時点でもう、俺の命運は決まっていたのだ―― 伸ばされた腕が、壁を伝う蔦のように絡んでくる。俺はそれを振り払うことはしなかった。 大人しく抱き込まれ、湿り気を帯びた熱い吐息が、耳元にかかる。 霧島が押し倒したのか、それとも俺が自ら倒れ込んだのかはわからないが、気がつくと、ソファーに二人分の体重がかかり、悲鳴のような軋む音がした。 「愛している――」 悪魔の囁きような、甘くおぞましい声が、鼓膜を震わせる。 これから始まるであろう行為に、戦慄すると同時に、不思議な高揚感を覚えていた。 夕日で赤く滲む天井を見上げ、俺はぼんやりと考える。 この奇妙な再会をもたらしたのは、運命ではなく、もしかすると一種の呪いかもしれない。 ならばその呪いは、誰が、誰に対して向けているものなのか―― チリンと、どこからか鈴の音が聞こえた気がした。 何かその時、はっと気付いたことがあったが、降りてきた唇に塞がれ、思考はたちまち霧散した。 終 [*前へ][次へ#] [戻る] |