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他生の縁
他生の縁 4

相変わらず、体の不調は続いていた。
時折、目の前が白く霞んだり、意識が朦朧としたり――寝不足も多少はあるかもしれないが、流石に、それだけが原因で無い気がしてきた。

寝ぼけた頭を覚まそうと、公衆トイレの洗面台で顔を洗い、鏡で顔を見たとき、背筋が凍りついた。
一瞬自分の輪郭が、曖昧にぼやけていた気がしたのだ。

もしかすると、被写体である少年の姿が明確になるほど、撮影する自分の方は、逆に、姿が消えていってしまうのかもしれない。

それが原因で、体の不調も続いているとしたら――写真を撮るたびに、生気のようなものが被写体に奪われていき、最終的には死んでしまうのではないか。

まさか彼は、そうして俺を殺そうと――?……いや、違う。

彼に対して異常に執着し、写真を撮り続けたのは、俺自身の業だ。
俺の心が、この奇怪な現象を引き起こしている。

毎晩のように視る夢は、次第に具体的な内容を持ち始めていた。
昨日見たものは、やはりあの少年と、自分に面影が似ている青年(おそらく、自分の――)が初めて出会ったときの話だった。

散歩の途中、飼い猫が木に登ったまま降りられなくなり、少年がすっかり困り果てていたところを、青年がたまたま通りかかったのだ。

男が木を登り、猫を小脇にかかえて無事に戻ると、少年はとても喜び、何度も「ありがとう」と口にした。褒められ慣れていない青年は、少し照れていた。

その救出劇のおかげで、二人は友達になった。……友達と言っても、青年の方が三つ年上だったし、体格差もあったから、仲の良い兄弟みたいな感じだった。

いつからその想いに、おかしな狂いが生じたのか――……そう、あれがきっかけだったのかもしれない。

『ねえ、こうすると、花嫁のベールみたい』

少年はちょっとした遊びで、屋敷の自室にあるカーテンで、自身の体を包み込んだ。
白いレースに包まれ、無邪気に微笑みかける彼の顔が、あまりにも綺麗で――


「……好きだ」

夢の中の青年と、同じ言葉を口にして、俺はベッドの上で目覚めた。
起き上がるとすぐに、視線を机に向けた。そこには殺風景な部屋を唯一潤すように、花瓶が飾ってある。
あの白い彼岸花を、俺は手折って持ち帰り、大切に活けていた。

毎日水を替えているが、いつかは枯れてしまうだろう。……それが、妙に怖かった。
気付いた時には、既に枯れてしまっているように――この心霊現象が、いつ、どんなきっかけで、終わってしまうかもわからないのだ。

自分の姿がぼやけて見えた時から、数日間、俺はカメラに触れていなかった。もしかしたら、もう彼は写らないかもしれない――そう思うと、居ても立ってもいられなくなる。

部屋の隅に立ち、ベッドが映り込むように一枚撮ってみた。
チリンと、来訪を告げる鈴の音がして、俺の心配をよそに、少年は姿を現した。
ベッドの縁に腰掛け、彼はいつものように優しく微笑み掛けていた。自分はいなくならないから、安心して――まるで、そう伝えるように。

酷くほっとして、俺は壁に寄りかかり、ずるずると座り込んだ。
不思議そうに、俺の様子を伺っている彼に、静かな声で告げる。

「好きなんだ、お前のことが……なあ、俺はどうすればいい?」

『――……』

俺の問い掛けに、彼は答えようとして唇を動かすが、声は聞き取れない。
落胆してうなだれていると、すぐ近くに気配がした。
顔を上げると、彼が目の前に立っていた。

『――』

何かを告げて、俺に向かって手を差し出す。
すり抜けるだろう――そう予想した彼の手は、俺の手に確かに触れていたのだ。
生者らしい温かみは感じられず、氷のように突き刺すほど冷たい。けれども、涙が溢れ出すほど嬉しくて、俺は泣き笑いを返した。

「もう、お前に触れられるんだな……」

彼が生者に近付いたからか、俺が遠ざかったからか――きっと、その両方だろう。
おかげで触れ合えるようになったのだ。もう消えることを恐れたりしない。

「触れてもいいか……?」

そう尋ねれば、少年は笑って頷いた。
両手で、彼の白い頬を包み込み――触れ合うだけの、口づけを交わす。
彼と唇を重ねた瞬間、体から熱が急激に奪われ、芯から冷え切った。なるほど、これが死者に生気を奪われるということか――と、他人事のように実感した。

むしろ、そうすることで彼を温められるのなら、いくらでも触れ合っていたい。
同じ男とは思えない華奢な体躯を抱きしめ、俺は彼に囁いた。

「愛している――」

氷の海を抱いているようだった。
そこに浸かっている彼を引き上げられるのなら、自分が代わりに沈んでもいい。

恋に狂った心は、命すら磨り減らし、刻一刻と終焉に向かっていた――


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あきゅろす。
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