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他生の縁
他生の縁 3

最近、奇妙な夢を見るようになった――
それには必ず、あの少年が生前の姿で登場するのだ。古ぼけたフィルムを見るように、映像はところどころ擦り切れ、音声には酷いノイズが混じった。

妙な懐かしさに胸が満たされていると、視界に現れた少年は美しい笑みを浮かべ、側にいる男に(彼は、どことなく自分と似ている気がする)呼び掛けた。

熟れすぎた果実のように、溶けるほど甘い声だった。


『ねえ、――……』

「――遠田君、食べながら寝るなんて、器用だね」

誰かに体を揺さぶられ、俺は目を覚ました。
遠田――自分はそんな苗字だっただろうかと、一瞬でも疑問に思ったのは、寝ぼけていたせいだろうか。

昼時の喧騒に包まれる大学の食堂の、窓際にある二人掛けの席に、俺は座っていた。
目の前には食べかけの蕎麦があった。

そして、呆れたような目をした友人の霧島が、俺の背後に立っている。その腕に、カレーを乗せたトレイを持っていた。

テーブルを回り込んでくると、向かいの席に腰掛けた。

「大丈夫かい、酷い顔色じゃないか、寝不足?」

「寝不足……かな。十分寝ているはずなのに、全然寝た気にならない」

それが最近のもっぱらの悩みだ。あの夢を見るのは好きだが、睡眠している間も脳が休まっていない気がする。
また寝不足が原因なのか、体が酷く怠かった。

「もっと栄養のある物を食べなよ。カレーはいいよ、生薬の塊だから」

霧島はそう言い、一口すくったスプーンを、こちらに突き出して来る。
大人しく口を開くなどせず、俺は嫌そうに顔をしかめて断った。

「……遠慮しておく」

「残念、君と間接キスできるかと思ったのに」

あだっぽい笑みを浮かべると、霧島はスプーンを引っ込めて、自分で食べた。

「お前が言うと、冗談に聞こえないからやめろ……」

霧島は、それこそ十人が十人振り向くほどの色男だが、自分が同性愛者であることをおおっぴらに表明している変わり者なので、構内ではすっかり遠巻きにされていた。

今から一年ほど前、苦手な人付き合いを避け、今日のように一人で昼を食べていた俺に、彼は声を掛けてきた。
「他に静かな席がないので、相席しても良いか」という申し出だった。

確かに、一人で食べているのは俺くらいだったので了承した。
それからも度々大学内で会うようになり、今では知り合い以上、友人程度の付き合いになった。

あまり酔うことが好きではないので(頭が痛くなるからだ)、酒は飲まない方だったが、霧島に誘われて飲みに行くようにもなった。

俺より酒が弱いくせして、俺の倍以上の量を飲もうとする霧島は、

「君と出会ったのは、きっと運命なんだ――」

普段の理知的な態度からは想像できない有様で、女性を口説くような台詞を吐き続け、やたらと腕を絡ませてきたりする。
彼は自身の醜態を、一切記憶していない。

噂に疎い俺が、霧島の特殊な性愛を知ったのは、随分と後になってからだ。

ある時、俺と霧島ができているという噂の真偽を確かめに、詮索好きが不躾に尋ねてきたのだ。
俺自身はその噂を感知していなかったし、霧島のこともまったく初耳で、ただ驚き困惑するしかなかった。

自分のことを、そういう対象として見ているのか――と訊くことは憚られたが、本当に同性愛者なのか、あくまで他人の口から耳にしたことだから、当人に確認する必要はあった。

「てっきり僕は、君が知っているものかと思っていた。
知ったのに、僕を避けようとしない君も、よっぽどの変わり者だね」と、霧島は可笑しそうに答えた。

確かに、俺の方が霧島よりも変わっているかもしれない――なんせ同性の少年、しかも幽霊相手に本気で熱を上げているのだ。
霧島ですら、この事を知ったら引くかもしれない。

食べ終えたところで、霧島は俺に訊いた。

「そう言えば、また廃墟に行ったんだって。新しい写真は無いの?」

俺は撮った写真を、霧島にだけは見せていた。
話の種程度の軽い気持ちで、写真を数枚見せたところ、いたく気に入ったようで、撮り溜めたアルバムを貸したこともある。
ただの世辞かもしれないが、彼に褒められると悪い気はしなかった。

「君の写真を見ると、妙に懐かしい気分になる」と、霧島は評してくれる。

しかし、今回の写真には全て、あの霊が写っている。
あの少年に対して自分が抱く、特別な感情を、この友人には知られたくなかった。

「ああ……でも、撮らなかったんだ。カメラの調子がおかしくて」

嘘を吐いた俺に、霧島は心から残念そうに言った。

「この間頼んだ集合写真も、駄目だったね……いや、君を責めているわけじゃないんだが。
なんだか君らしくない失敗が多いから、僕は心配になるよ」

労わるような優しい眼差しを向けられ、心が落ち着かなくなった。
結局残してしまった食事のトレイを持ち、俺は席を立ち上がる。

「夏バテしたせいだろ……しっかり休むよ、またな」

「また気が向いたら、部室に顔を出してくれ。いつでも歓迎するよ」

部室というのは、彼が創設したサークルのものだが、すっかり彼専用のアトリエになっている。
他の部員は籍を置いているだけの幽霊で、俺もその内の一人だった。

決して広くない空間に、霧島と二人きりになるのは、やや躊躇われる。

「ああ、気が向いたらな」

おざなりな返事をして、霧島と別れた。

夏季講義も終わり、今日はバイトも無いから、真っ直ぐ帰宅すればいいのだが、鞄の中に入れているカメラの存在を思い出すと、また色めいた欲が疼き出した。

家とは逆方面の電車に乗り、二時間ほど揺られ、駅舎から山道を登っていく。
以前にも訪れたことがある廃屋に着く頃には、日が暮れ始めていた。
九月の中旬、夏がようやく終わるちょうどこの頃に訪れると、特別な景色が見られるのだ。

「よかった、ちょうど見頃だな……」

紅い彼岸花の群生が、崩れかけた家を飾るように、一面に咲き乱れていた。
庭先だけでなく、家の内部、割れた床板の間からも硬い花茎を伸ばし、奇妙な形の花を咲かせている。
不思議な存在感があり――花ではない、何か別の、得体の知れない生き物にも思えてくる。

夕日の中に咲く彼岸花は、燃え盛る業火の海に見えた。
この景色を初めて見たとき、俺は時間を忘れて立ち尽くすほど感動を覚えた。

だから、彼にも見て欲しい――おかしな話だが、そう思って来たのだ。

カメラを取り出し、花の群れの中心に向けて構えた。
シャッターボタンを押すと、すぐにカメラから視線を外して顔を上げる。

彼の輪郭は、今でははっきりとして、もうすっかり人らしい形になっていた。
自分の周囲に咲いている花を、体が透き通った少年は、楽しむように眺めていたが、ふいにこちらを向いて微笑むと、手招きをして何か知らせた。

側へ近寄ると、彼はすぐ足元を指差す――そこには、珍しい白色の彼岸花があった。
鮮血のように紅い花の中、それだけが儚げで、夕闇に溶けてしまいそうだった。

「……お前みたいで、綺麗だな」

自然と口から、そんな感想が漏れ出る。
まるで男が、想う女を口説くような台詞だった。
恥ずかしげに頬を染めた少年は、時間切れとなり、そのまま消えてしまった。

もう少し写真を撮りたい気もしたが、またすぐに呼び出すと、気まずくなる感じもしたので止めておいた――ああ、だけど、わかってしまった。

俺達は互いに、同じ類の想いを向け合っている。
だがその間には、決して越えられない川が横たわっている――

湧き上がる喜びと、一層深まる絶望に、心が半分に引き裂かれそうだった。
遠い落陽を見つめながら、燃える花の海に立ち尽くしていた。


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あきゅろす。
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