他生の縁
他生の縁 1
あなたを、死ぬまで撮り続けたい――
『他生の縁』
廃墟を撮ることが、たまらなく好きだった。
プロの写真家などではないから、さほど技術に自信は無いし、撮った作品を世間に発表したこともない。ただ、自分が鑑賞するためだけに撮るのだ。
何故こんなにも惹かれるのか、自分でもよく解らない。だが、緩やかに崩壊へと向かう廃屋を見つけると、踏み込まずにはいられなかった。
そして、何か大切な失せ物を探すように、隅から隅まで写真を撮った――そこに埋まっているはずの、忘れてしまった過去の記憶を、写し取るように。
滅多に人が踏み入れない、それこそ行くことすら困難な場所にも、進んで足を向けた。大学生の身分だから金はないが、時間と体力なら十分にある。
その夏の日も、同じ趣味の知り合いから入手した情報を元に、何時間も険しい山道を歩いて、かなり昔に、富豪の主に放棄されたという屋敷を訪れた。
人つてに聞いた噂なので真偽は怪しいが、その当時、家人や使用人が次々と不審な死を遂げたため、ついに主人一家は出て行ったそうだ。
理由が理由であるし、とにかく山奥なので、買い手もつかなかったのだという。
立派な洋館だが、黒っぽい外壁を覆うように蔦が絡みつき、なかなか恐ろしげな雰囲気を醸していた。夜に訪れていたら、おそらく入る勇気は無かっただろう。
腰の高さまである茂みに踏み入れば、驚いた羽虫が一斉に飛んでいく。
口の中に入って来ないよう固く唇を結び、正門に近付いた。
まるで獄のように高い鉄の囲いは、屋敷の荒んだ状態に対して、妙に新しく綺麗な気がした。
幸い、錠前や鎖などは付いておらず、軽く押せば、門扉は簡単に開いた。
廃墟だから当然なのかもしれないが、全く無用心というか、逆に招き入れられている気分になるほど、すんなりと敷地内に入ることが出来た。
入ってから気付き、ぎょっとすることがあった――門扉の内側の面だけが、赤く塗装されていたのだ。
一瞬それが血のように見えて、恐ろしくなった。
もともと墓場だった土地に建設するとき、魔除けのために、外壁を赤にすることがあるらしいが、これもそういう風水的なものだろうか――
玄関扉もまた鍵はかかってなく、苦労せず、屋敷の内部に侵入した。
天井が吹き抜けになり、二階のフロアと繋がっている玄関ホールは、思わず感嘆の声を漏らすほど、美しい造りだった。
もちろん、天然石の床は埃を被っているし、窓ガラスは割れ、壁紙は引き裂かれるように破れ、やたら酷い有様だったが、かつての壮麗な姿が目に浮かぶ。
ホールの中央に、布を被せて置いてあるものの正体が気になり、恐る恐る剥がしてみると、それはシャンデリアだった。老朽化して落下すると危ないから、天井から外したのだろうか。
カメラを覗き、シャッターを切ろうとして――手を止めた。
二階に見える半開きの扉の向こうで、一瞬、人影が揺れた気がしたのだ。
こんな山奥の廃墟に人がいるはずもないが、もしかしたら、自分と同じような物好きが居たのだろうか。あるいは、この屋敷を住処にしている、野生動物かもしれない。
ともあれ、原因を突き止めない限り、落ち着いて撮影出来そうにない。
軋む階段を慎重に上がり、影を見かけた部屋の前までやって来た。警戒しながら、恐る恐る扉を押してみる。ぎぃ……と不気味な音を立て、部屋の扉が開いた。
ふわりと風で持ち上がったレースのカーテンが、一瞬、花嫁が被るベールに見えた――何故、そんなふうに連想したのか、この時は解らなかった。
割れた窓から吹き込む雨風で、次第に引き裂かれたのだろう。高級な代物だったのだろうが、今は幽鬼じみていた。さっきの影の正体はこれだろうか。
最近になって誰かが侵入した形跡は無く、ゆっくりと時間をかけて降り積もったダストに、部屋全体が覆われていた。家具はベッドと机、書棚だけだ。やけにシンプルで物が少ない気もするが、屋敷を放棄する前に、部屋の主が持ち出したのかもしれない。
窓辺に残された鉢植えに、風で種が飛んできたのか、野生の花が咲いている。
その光景を見て微笑み、俺は持っているカメラを構えた。ファインダーを覗き、好ましい構図を探っていく。……そうしている内に、奇妙な感覚を覚え始めた。
何者かに見られている気がする。首筋の辺りがチリチリと痛かった。
――チリン。
涼しげな鈴の音を耳にして、カメラを構えたまま、音が聞こえた方に向きを転じると。
空だったはずのベッドに、「何者」かが腰掛けていた。
白煙のような影が、自分に向かって微かに笑んだ気がした――
「――うっ、わ!」
情けない悲鳴を上げた拍子に、シャッターを切っていた。カシャッと作動音がして、確かに『それ』を写したことを報せる。
嫌な汗がどっと体から吹き出す。……恐る恐る、カメラから目を離した。
視線の先にあるベッドは、やはり無人だった。
[次へ#]
[戻る]
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!