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Perfect Doll
きる

 また、雨が降っていた。

 昨夜はまだ小雨だったが、夜が明けてから本格的に降り始めた。

 この寒い時期だ。昔なら吹雪を危惧せねばならなかったが、生憎ここ数年雪という物を拝んでいない。

 原因ならどんなに平和ボケしたこの国の人間でも、皆知っている。

 地球すら、人間の欲深さに殺されるのか。

 それとも、愛想を尽かしたか。

 いっそ、こんな生き物は死に絶やしてしまった方が賢明だろう、と。

 全く馬鹿馬鹿しいが、しかし正しいかも知れない。

 他の生き物を命として見ず、同じ人間同士ですら殺し合える様な愚かさだ。


 『他の生き物』か。

 お前は自ら『物』を名乗っていたが、確かに生きていただろう?

 人間である事が尊いのではない。

 命を持っている事が尊いんだ。


 こんな事、俺が言う事じゃないな。大体、資格が無い。




 雪のように掌に落ちてきて、

 ふわりと溶けて消えた。


 だがそれは俺に見えなくなっただけで、在り様を変えただけだ。

 結晶から、水へ。

 今もどこかに存在しているのだろう――








 年に数える程しか鳴らないベルが鳴った。

 公共料金の徴収だろうか。それとも家賃?

 滞納しているつもりは無かったが…

 邑哉が考えを巡らせていると、今度はドアを激しく叩く音が響いた。

 まさか、足がついたか。

 咄嗟にこの数年、引き金を引く事の無かった相棒を手に取る。

 用心しながら扉に向かい、鍵穴から相手を窺った。

 微かな血の臭い。

 これは、決定だ。

 そっと鍵を開け、勢いよく扉を開き――


 拍子抜けした。


 もう見る事も無いだろうと思っていた顔が、そこにあった。






「ったく…押しかけるなって言ったろ」

 ずぶ濡れの頭にタオルを投げて、邑哉は言った。

 その濡れ鼠―潤也は憮然とした顔でフローリングに座り込んでいる。

 人の家に押しかけて上がりこんでおきながら、この表情だ。

 普通の奴なら蹴り出して追い返したい所だが、この子供だけは別だ。

 むしろ、良かったと思っている。

 前は、表情すら無かった。人形の様に。

「着替え、俺のでいいか?選択権無いけど」

 言いながら、洗濯物の山を穿り返す。

 ハタから見れば独り言だ。

「さっさと拭け。水吸って床が痛む」

 渋々といった感じで手が動く。


 何があった、なんて野暮な事は訊かない。

 聞いた所で掬えはしない。

 ただ、ここに来ると言う事は、生きる気があるからだ。

 それだけで、十分な救いだ。


 どれだけ辛かろうが、生きていたい。

 それが生き物だ。



 狭いキッチンで温かい飲み物を作っていると、咳が聞こえた。

「風邪でも引いたか?」

 雨に濡れながら来たのだ。無理も無い。

 ただ、その咳が、酷い。

「…大丈夫か?」

 様子を覗く。

 嗅ぎ慣れた臭いがする。

 そう、昔、嫌と言う程嗅いだ――


「おま…!?」

 あまりの事態に、二の句が出なかった。

 痩せ細った掌に、赤い液体が溜まっている。


「…迷惑だろ?こんな物…」

 咳込んでいた息を落ち着かせながら、潤也は囁いた。

「出て…行った方が…いいよな」

「馬鹿言え!!こんな状態で追い出せるか!?」

 血を拭い、飲み物を無理矢理喉に入れた。

「…本当に、馬鹿だよ、お前」

「こんな馬鹿が居なきゃ、そんな口も叩けないだろう」

 「全くだ」と呟いて、潤也は微かに笑う。

 それが意外で、思わず見つめた。


 笑えるのか。否、笑えるようになったのか――

 こんなに“人間らしく”なっているとは、夢にも思わなかった。



 だが、それも考えようによっては。

 残酷だ。







「お前、医者にかかる気あるか?」

 物は試しと訊いてみた。


 窓際のベッドを貸してやれば、ガラスを伝う雫を飽きる事無く眺めている。

 本当は違うものを見ているのかもしれない。


 まだ、雨は止まない。


「無い」

 きっぱりと、予想通りの答えが返ってきた。

「俺が昔世話になっていた闇医者だ。素性は問わない。…気が変わったら、連れて行ってやる」

 一応、そう告げた。

「邑哉」

「何だ」

 呼ばれた事すら意外だ。名を覚えていた事も。

「お前は人間なのに憎む気になれない…何故だ?」

 真顔の問いだが吹き出さずにはいられない。

「命の恩人まで憎めねぇだろ!普通!」

 この際『普通』が当て嵌まるかどうかは別問題。

 邑哉が笑っても、潤也の顔が和む事も怒る事も無かった。

「分からない…。人間全てが憎かった筈なのに…だから殺せてきた筈なのに」

 怒りを持っていたのは人間の利己的な所だ。

 その利己によって生み出され、人だって殺してきた。

「本当に憎い筈の相手が殺せなかった…」

「殺せない?お前が、か?」

「理由なら俺が訊きたい程だ」

 驚きを持って潤也を見る――が、

 何か分かる気がした。

 彼が、こうなった理由が。

「殺す為に生きると決めたのにな…。その矢先だ。今は生きていたいのか、さっさと死にたいのかも分からない」

「生きろよ」

 強く、はっきりと。

 潤也は邑哉を見返す。

「少なくとも、前のお前よりは良いと思うぜ。今のお前は、さ」

「…別に、そういう問題じゃ…」

「生きていたいんだろ、本当は。でなきゃここにも来なかった筈だ」

 そうかもしれない、と素直に潤也は思う。

 行く当ても無かった。だが、このまま死のうとは考えなかった。

 何を求めるでもなく、気付けばここに向かっていた。


「邑哉…お前の事、訊いていいか?」

 驚きもあったが、返答に少し躊躇った。

 いずれにせよ、思い出したくないのはいつまで経っても同じで。

「…ああ。いいぜ。何を聞きたい?」

 だが、この場で逃げてはいけない気がした。


「お前はどうして『殺し』をしてきた?」

 好奇心から来る問いではない。

 必死なのかも知れない。彼なりに。

 生きる目的を見出す事に。

「最初はそれが当然だったから…命じられるままに殺っていた。顔も知らない父親から命令され、達成すれば金が送られてきた…」

 殺しが出来るようになるまでの記憶は一切無い。

 誰に育てられたのか、どうしてこの世界に入ったのか。それは分からぬままだ。

 母親の顔も朧ろだ。

 誰かに殺された――その記憶だけが鮮明で。

 殺したのは誰なのかも分からない。

 自分だったかもしれない。

「ただ、一人じゃなかったからな。俺には三つ子の姉弟が居て…アイツらは普通の生活に戻れた。親父には俺だけで十分だったらしいな」

「不公平だな」

 邑哉は首を横に振る。

「俺にとっては嬉しかったよ。アイツらが楽しく暮らしている事が。それからは…それを守る為に殺してきた。俺が命令に背けば危ないのはアイツらだから。…でも、それじゃ解決にならないんだよな」

「殺したのか…父親を」

「ああ。お陰でお尋ね者だ。今も見つかって殺されるんじゃないかって、内心穏やかじゃねぇよ」

「そうは見えない」

「三年もこんな生活してたら慣れるさ。警戒してばかりじゃ疲れるし」

「その…姉弟は?」

「さぁ…元気に暮らしてるといいけどな。俺が近付いたら危ないから、分からない」

 殺されないという保証は無い。心配だが様子を見に行く事の方がよっぽど危険だ。

 何事も無ければ、今は大学生だろう。

「無事を信じて…今は耐えるしかない。いつか再会できる事を願って」

「そうか…」

「お前の参考にはならないだろうが…満足したか?」

 潤也は頷く。

「…助けたいヤツが居る」

「へぇ?」

「自衛軍に捕らわれているが…俺一人じゃ無謀だ。協力してくれないか?」

 言っている事は無茶苦茶だが、嫌ではない。

 率直に頼んでくる素直さは、潔くもある。

「残念だが、それは無理だな。死んでやる程はお人好しじゃないから」

 自分だけではない。

 大事な人にまで累が及ぶ。

「…そうだよな。悪い、気にしないでくれ」

「ああ。お前こそ。…だが、お前はその人の為に生きるんだな?」

 暗がりの中で、彼が目を丸くしたのが気配で伝わってきた。

 思ってもみなかったのだろう。

「…助けたい。今はそれだけだ」

「生きなきゃそれも出来ないだろ」

 言うべき言葉を考えていたようだが、やがて諦めて布団に潜り込む音がした。

「おやすみ」

 返事は返らなかった。だが、不思議な満足感を、邑哉は感じていた。




 生きていたいんだ。

 それは贖罪にもならない明日だけれど。

 これだけ手を汚してきた俺が願ってはならない事なのかもしれない。


 それでも。




 人間はどこまでも利己で。

 それが自分達以外のものを傷付け続けてきた。

 その罪深さは拭いきれない。だが

 その利己で俺達は生きている。


 どんなに罪深くても、生きる事、それ自体が希望だと信じて。




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あきゅろす。
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