月の蘇る 4 「何だよお前ら!まだ終わってない!終わらせちゃならないんだよ!!」 怒鳴り続ける龍晶を旦沙那は掴んだまま、王宮の外まで連れ出した。 庭園まで出てやっと解放され、すかさず中へ戻ろうとする龍晶の鳩尾に膝をめり込ませそれを阻止した。 そこまでされて、もう立ち上がる力は無い。 咳込みながら恨めしげに異国人の友を見上げる。 「殿下…申し訳ない。しかし、兵達の動きが怪しかったので…あれ以上は…」 孟逸がおずおずと言い訳する。 龍晶とて分からぬでは無かった。脇に控える兵達は既に刀の柄に手を付けていた。居続れば膾にされただろう。 『矢張りお前は馬鹿だ。あれでは戔を攻めろと言っているも同じだ。大臣はそれを確認したかっただけだろうよ』 旦沙那の無情な言葉に血の気が引いた。 哥は、戔の現状について確証を持っていなかったのだ。それを龍晶から引き出す為の謁見だった。 『そんな…』 『だから言ったろう。この国は甘くない』 言葉も無く、ふらふらと立ち上がる。 衛兵が自分達を見つけ、駆け寄ってきた。 預けていた武具を返しに来たのだ。 旦沙那がそれに気付き、己の刀を受け取る。 若い衛兵は先刻大臣が龍晶に下賜した袋を旦沙那に差し出した。 『お預かり下さいますか』 旦沙那は頷き、受け取った。今、本人に手渡しても捨てられるのは目に見えている。 続いて孟逸、龍晶にも刀が返された。 それを手に取り、龍晶は刃を抜いた。 『馬鹿っ!』 旦沙那が叫び、孟逸が咄嗟に己の得物を投げつけ刃を落としていなければ、龍晶は首を掻き切っていた。 がくりと膝を折って蹲る。白砂を掴み震える手に血が滲んだ。 旦沙那は衛兵に、即刻退去するので他言無用だと言い含め、馬を引いてくるよう頼み、落ちている龍晶の刀を取り上げた。 『もう終わった事だ。それよりも大臣の言う通り、首が繋がったままであるのを幸運に思わねばならん』 抗う言葉は無かった。 馬上に龍晶を押し込め、曳き綱を旦沙那が持ち、家路につく。 朔夜は驚き戸惑いつつ友を迎えた。 「おい…大丈夫…か…?」 視線もくれない。何も耳に入っていないように。 早々に寝床に入り、しかし寝るでもなく膝を立てて座り、初めて視線を上げて口を開いた。 「燕雷」 「ん?」 指名に驚きつつも平然を装って問い返す。 「これで酒を買ってこい。お前も飲みたいだろ」 旦沙那から渡された金襴の袋を投げる。 重たい音を発ててそれは床へ落ちた。 燕雷が中身を確認すると、溢れんばかりの銀貨が入っている。 「好きなだけ使え…但し早く持って帰ってくれ」 朔夜は心配そうに燕雷を見上げた。 「分かったよ坊っちゃん。今日くらい付き合おう」 燕雷は朔夜ににやりと笑い、小声で告げた。 「酔い潰して寝かし付けてやる」 そして意気揚々と街へ繰り出した。 朔夜は孟逸に視線で説明を求めた。 孟逸は日が暮れ闇の迫る外へ視線を向ける。 二人は中庭に出、小声でぼそぼそと喋り始めた。 「哥は兵を退く気などさらさら無かったらしい。殿下に戔の現状を喋らせて、今が好機と確認したかっただけのようだ」 孟逸の説明に朔夜は顔を顰めた。 「だけど、それを止める為の交渉だろ?」 「聞く耳など無かった。あれ以上長居していれば、兵に斬られていただろう。その前に旦沙那と私で殿下を連れ出した」 「…それで荒れてるのか」 溜息混じりに言って、窓からそっと龍晶の様子を見る。 寝台の上に蹲っている。 「やっとここまで来たのにな…」 泣きたい気持ちは朔夜も同じだ。 「なぁ、お酒飲んだら嫌な事って忘れられるの?」 子供のような問いに孟逸は微笑した。 「忘れられたら良いんだが」 ややあって燕雷が酒瓶をどっさり抱えて帰ってきた。 思わず朔夜が吹き出す。 「そんなに飲む!?」 「俺がな!」 燕雷はやたら嬉しそうだ。 卓に並べられた一本を龍晶は無言のままひっ掴み、また寝台に戻って開けた。 どんよりした一角にはお構い無しに、燕雷は孟逸を誘って酒宴を決め込んでいる。 朔夜は双方に気を遣いながら、はらはらと事態を注視していた。 と。 突然龍晶が咳込み、持っていた酒瓶は床に転げ落ちた。 尋常の咳ではなく、朔夜が飛んでいって背中を摩る。が、すぐには止まらない。 口を抑える手から赤いものが溢れ落ちて、朔夜は悲鳴を上げるように燕雷を呼んだ。 燕雷は酒瓶を包んだ風呂敷で龍晶の口元を抑えた。みるみる赤く染まる。 やっと咳が収まって、龍晶は荒い息を吐きながら倒れ伏した。 愕然と、震えながら、朔夜はその様を見る。 燕雷も血に染まった風呂敷を持ったまま呆然としていた。 「医者を呼ぼう」 孟逸の一言でやっと我に返る。 「そうだ…が、誰が通訳を?」 燕雷が疑問を呈したその時にはもう旦沙那の元へ孟逸は走っていた。 すぐに旦沙那が飛び込んできた。 『そいつに酒を飲ませたのか!?奴にとって酒は毒だと知らないのか!』 怒鳴られても意味が分からないので呆気に取られるしかない。 旦沙那は苛立しげに片言で告げた。 「酒、毒」 龍晶を指差して言い、驚いて目を見開く面々を呆れたように見遣る。 彼らは知らない事だが、龍晶は隠れ里で旦沙那らと酒を飲んで倒れて以来一口も飲んではいない。三人にそれを知る術は無かったのだ。 「哥、医者、無い。祈る」 旦沙那の単語に彼らは目を剥く。 「なんだって…!?医者が居ない!?」 燕雷の絶句に旦沙那は頷き、部屋を出て行った。 「なんて不便な国だ!」 燕雷が怒鳴る。宥めるように孟逸が言った。 「この国は南方の進んだ医術が伝わっていないのでしょう。我々南方諸国も少し時代を遡れば祈祷師に全て任せていたように」 「じゃあこのまま見殺しか」 「まだ死んでない!」 朔夜が一言叫んで龍晶の枕元に跪いた。 「こんな死に方するような奴じゃないだろ」 全て分かっていて龍晶は酒を煽ったのか。 本気で死にたいと思ったのか。 何も教えてはくれない。昏々と眠っている。 「…死なさない」 朔夜は呟いた。 いつかのように奇跡は起こる。それを固く信じている。 龍晶の枕元に座り込んだまま、朔夜は朝を迎えた。 いつの間にか眠っていた。目をこすり、顔を起こす。 龍晶は変わらず昏睡している。ひょっとしたらただ熟睡しているだけかも知れない。ずっと寝ていなかったから。 はあ、と息を吐いて己の楽観を笑った。 寝具には昨日の吐血がべっとりと付いたままだ。 「なぁ龍晶、帰って来いよ。一人で行く事無いだろ。…俺を置いて行くな」 耳元に囁く。 どうか、昏い夢の中まで届いて欲しい。 「生きたいんだろ?ずっと、ずっと永遠に。俺はお前と永劫生きられるなら、それ程嬉しい事はないんだよ。今、こんな所でそれを諦めてる場合かよ…まだ…」 俺は、お前を不死にする術を知らない。 頭を抱える。やっぱり俺は、それを望んでしまう。 手段を選ぶ事など出来ようか。この一人を救う、それの何が悪い。 ゆるゆると頭を振って正気に戻した。 考え過ぎだ。今にも目覚めるかも知れない。 黎明の光が射し込み二人を照らした。 くっきりと影の作られた顔。こんなに綺麗だったっけかと思いながら。 出逢って間もなく軟禁された屋敷で見た、紫の朝焼けを思い出す。 自分一人の命ではないと、それを分からせるまで死なさないと、あの時決めた。 まだ分かっていないのか。 この命を捨ててでもお前を救いたいと願っている事を。 それとも、それは。 お互い様なのか。 「なんで一人で行ったかな…」 龍晶が王宮に連れて行ってくれなかった理由。 それは、他ならぬ朔夜を守る為。 分かっていた。庭で頼まれた時、やっぱりそんなの駄目だと迷いを見せた時から。 お前の人生をまた壊す、そう言って。 それが全てだった。龍晶はそれを恐れた。 交渉が決裂する事よりも、己が絶望の淵へ立つ事よりも、何よりもそれを恐れた。 だから。 俺は出来得る限りお前を守る、と。 でも、こんな守られ方なら、無い方が良かった。 むしろ、俺の方がお前を守るべきなのに。 どうして一人で抱え込んでしまった? どうして。 永遠に生きる術を、俺に探させる為? 昼近くなって、旦沙那が酷く驚き慌てた様子で入ってきた。 何か喚いているが、何を言っているのかさっぱり分からない。 ぽかんと見詰めるだけの面々を諦め、彼は眠り続ける龍晶を揺り起こそうとした。無論、それで目を覚ます筈は無い。 「何するんだよ!?さっきまた血を吐いたばかりなのに!」 朔夜が非難し旦沙那の腕を掴んだ。 彼はぎょっとしたようにその腕を振りほどき、後退るように朔夜から離れた。 「何…」 旦沙那が後ろを振り向いて更に目を見開く。 開け放された扉から、見慣れぬ者達がこちらに来ているのが見えた。 「何だ…?」 燕雷も低く溢す。只事では無さそうなのは分かる。 先頭に王宮で見たのと同じ格好の衛兵が二人。後方にも同じく二人。 その彼らに挟まれて、華麗に着飾った、まだ幼い顔の少女がやって来る。 その五人が部屋に入り、旦沙那は畏れを表すように跪いた。その少女の顔を見る事も出来ぬとばかりに。 衛兵は少女を中心に控えている。明らかに彼女の位は高い。が、何者なのか想像もつかない。何の為に来たのかも。 ぽかんとしたままの異国人達を見渡し、彼女は口を開いた。 「南方の方々、私は哥王明紫安(メイシア)陛下に仕えます香奈多(カナタ)と申します。どうぞお見知り置きを」 何の違和感も無く自分達と同じ言語を喋る少女と、その内容に驚愕する。 「王の…使いだと…!?」 燕雷の言葉に香奈多はにこりと笑う。 笑う顔はほんの十二、三の少女にしか見えない。だが、身に纏う高貴さはその歳のそれではない。 少女は更に驚くべき事を言い出した。 「陛下は長年あなた方を待っておられました。いえ…正確には、戔の次王となる御子様、そして」 眠る龍晶から視線を移し、ひたと朔夜に目を留めて。 「朔日の月を」 何故だろう。自分よりもずっとひ弱な筈の少女に見つめられただけなのに、肌が粟立っている。 朔日の月ーーこの言葉は、一体何処から。 「陛下がお待ちしております。王宮に案内致します故、どうか輿にお乗りください」 昏睡状態の龍晶を連れて行けと言うのか。 流石にそれは無いだろうと互いの顔を見合い、朔夜が口を開きかけた時。 『お許し下さい!戔の殿下をこのような状態にしたのは、私の監視不足でした!どうかお許しを!』 旦沙那が土下座し頭を床に擦り付ける勢いで少女に謝罪し始めた。 その異様さに言葉を飲む。 この国において、王とは、そこまでの存在なのか。 否。姿を見せず存在すら神ほどに遠いからこそ、畏敬の念だけが民に膨れ上がっているのだろう。 旦沙那ほどの男でも、その存在の一端に触れて震え上がる程に。 『ご安心ください』 少女は自国の言葉で語りかけた。 『陛下は全てご存知です。あなたはよくお働きになりました』 その一言で、彼は緊張が一気に解けたように脱力し項垂れた。 香奈多は再び面々に問う。 「お眠りになったままで構いません。陛下は治療して差し上げるおつもりです。お二人とも輿に乗って頂いてよろしいですね?」 何とも言えぬ空気の中、燕雷が相手に詰め寄った。 「何が起きているのか全くちんぷんかんぷんだが、一つだけ訊きたい」 どうぞ、と少女は促す。 燕雷は鋭く問うた。 「二人に危害を加える可能性は有るのか?」 にっこりと笑い、香奈多は首を横に振った。 「陛下はそんなお方ではありません。せっかくのお客人に無礼など、決して有りはしません」 「へえ?」 その陛下という人をこちらは全く知らない。故の危惧なのだが。 「どうする、朔」 決定権が回ってきた。 迷いは無かった。 「行くよ。龍晶は必ず守るから」 「ほお?相手が何者か分からんのに?」 「王様って事は確かなんだろ?なら、交渉の続きが出来るって事だ」 「お前が?」 朔夜は頷いた。直接、国王に訴えられる絶好の機会だ。龍晶の為に働かねば。 「それに、なんか行かなきゃならない感じがする。相手は俺の事知ってるっぽいし、ずっと待ってたって言ってるんだぜ?今行かなきゃ気になって眠れなくなっちまうよ」 「はは、確かに」 燕雷は笑い、怪しい一行に再び目を向けた。 「無事に戻すと約束してくれ。そうでなけりゃ、あんた達は南方諸国からの信頼を永久に失うと思ってくれ」 「承知致しました」 少女は可憐な笑みを浮かべたまま頷いた。 [*前へ][次へ#] [戻る] |