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月の蘇る
  8
 あれから雨が降り続いた。
 壬邑への道中、濡れ鼠になりながら馬を駆る。
 出発して三日目、二人は宿泊を決めている北州へ着いた。龍晶の母、朱花の出身地だ。
 日暮れで暗いのか、厚い雨雲に空が覆われているから暗いのか、それすら判らぬ天気だった。
 そんな天とは対照的に、地上の街明かりはこれまで宿泊したどこよりも明るい。都にも退け劣らぬ程だ。
 北州は地方の大都市と言った所だろうか。栄えているのは一歩足を踏み入れた時からすぐに判った。
 周囲の山々は赤茶けた土が剥き出しになっている所が多く、よく目を凝らせば洞穴が掘られ足場が組んである。あれが金山なのだろう。
「お前、この辺にはよく来るのか?」
 龍晶に訊くと、彼はぽつりと答えた。
「餓鬼の頃、一度か二度来ただけ」
 答えるだけ答えて、それ以上の追及を許さない。
 ここの所、ずっとこうだ。
 話を振っても会話らしい会話にならない。
 声に覇気は無く、俯いた顔色は悪いまま。恐らく夜はあまり寝ていない。
 毒物の一件で、必要以上に己を責めているのだろう。
 それでは奴らの思う壺ではないかと朔夜は苛立ちすら感じるのだが、その事について言及は出来ないで居た。言わでもの事を言ってしまいそうで。
 街の大通りに入ると、雨の中でも見物人が出てきた。土地に縁の王族なのだから、一目見たいのは当然だろう。
 その中の数人が首長の邸に案内してくれ、そこで馬を降りた。
 降りざまに龍晶は泥濘む泥の中に倒れ込んだ。周囲が騒然となる中、朔夜が駆け寄って抱き起こす。
「おい!しっかりしろ!」
 呼び掛けても薄目を開けるだけで反応が無い。
 顔面蒼白で意識が混濁している。病み上がりの身体に雨中の旅は堪え切れなかったのだろう。無理も無い。
 朔夜が何を言う間も無く、龍晶は引き離されて邸の中に運ばれて行った。
 慌てて後を追うと、使用人がてきぱきと動いて介抱している。近寄ろうとしたが、お客人はこちらに、と別の部屋へ通されてしまった。
 広く立派な客間に一人待たされ、落ち着かない。
 龍晶の許へ戻ろうかと何度か思ったが、部屋の外でばたばたと人々が走り回る音を聞いては邪魔になるだけかと縮こまる。
 案内してくれた使用人は茶だけは出してくれたが、こんな時に呑気に茶を啜る気にはなれない。
 触るのも熱い程だった湯呑みが冷めきった頃、漸く人が入ってきた。
 壮年の、立派な身なりの男だ。
「お待たせ致した。首長の桧伊(カイイ)と申す」
 突然の大物登場に朔夜は慌ててしまう。邸の主なのだから当然の挨拶ではあるのだが。
「あ…の、お世話になります。朔夜と申します」
 ええと、と思わず声に出してしまう。何をどう説明すれば良いものやら。
 首長は相手がほんの子供と知って、安心させるべくにこりと笑った。
「そう固くならずとも良いですぞ。儂は殿下の叔父に当たる者でな。友人の叔父さんの家に来たと思ってお寛ぎなされよ」
「そうなんですか!?親戚!?」
 素直に吃驚している。
「左様、殿下の母は儂の妹だからな」
 ああ、と納得する。よく考えれば朔夜も聞き及んでいる話だった。
 龍晶の母、朱花は北州の豪族の娘だと数日前に聞いたばかりだ。王に嫁ぐくらいだから豪族の中でも一番上の立場だと、少し考えれば解る。
 しかし、それならばあの悲劇の中で、この人達も影響は無かった訳ではないだろう。それを初対面で訊くような無神経な事は到底出来はしないが。
 そう言えば自分の事をまだ名前しか説明していない。
「あの…ええと、俺…じゃなくて私は…」
「殿下の供をしてくれているのだろう?」
 言い淀んでいるうちに、向こうから的確な言葉を頂いてしまった。
 そう名乗れば良いのかと手を叩きたい気分だ。
「そうです!二人で壬邑の戦場に行く途上です」
「戦場か…」
 桧伊の顔が曇る。朔夜はしまったと思った。また冷や汗が出そうだ。
 血縁のある人物に戦場に連れて行きますなんて言って、喜ばれる筈が無い。
「あ…の、龍晶…殿下のよう…容態は…いかがですか…?」
 あわあわと話題転換。
「うむ…。熱があるらしく今はお休みになっておられる。雨のせいもあるだろうが、相当お疲れになっておられたのか?」
「それはもう。大病をした側からこの命令ですから」
「大病?」
 ああもう。どうして余計な事ばかり喋ってしまうのか。
 自分の頭を叩きたい気分になりながら、朔夜は正直に説明せざるを得なかった。
「都の貧民街で流行り病が起こって、病人達を援助していた殿下も感染してしまって。数日前まで生きるか死ぬかという所だったんですが、何とか治癒したその日に王からのこの命令です。俺も無茶だとは思うんですがねぇ…」
 それこそ言わなくても良い本音が溢れ落ちる。
 桧伊は大きな溜息をついて、遠くに目をやった。
「ご関係は相変わらずと言う事か…」
 はぁ、と余所者の朔夜は生返事をする。昔の事は知らないが、想像に難くない。
「供の方を前に言う事では無いが、たった二人で戦地に赴くというのも無茶な話だ。北州で兵を募ってお連れ頂くようにしましょう。陛下がお許しになればの話だが」
「許しが出ないという事があるんですか?」
 戦う兵は多い方が当然良さそうなものだが。
「それはお伺いせねば何とも」
 朔夜は小首を傾げる。何か奥歯に引っ掛かる物言いだ。
「都に早馬を出しましょう。その返事を待ちながら、時の許す限りここに逗留されよ。殿下も少しお休みになった方が良い。朔夜殿もゆるりとお過ごしなさい」
 ありがとうございますと礼を言いながら、朔夜は立ち上がる。
 先に桧伊が扉に向かい、二人揃って客間を出ると、別々の方向へ動き出した。
 桧伊は都への書状を書くのだろう。
 朔夜はやっとの思いで龍晶の様子を見に行った。
 それも、邸の勝手が判らない上に龍晶がどこへ運ばれたのかも知らない。迷子になりながら走り回る使用人におずおずと尋ねて何とか辿り着いた。
 広々とした客室の寝台に寝かされていた龍晶は、朔夜の入ってくる気配で目を覚ました。
「悪い、起こしたな」
 謝りながら枕元まで歩く。
「どうせ起こす気だったろ」
 寝たまま目だけで朔夜を見上げて龍晶は言った。
「そんな事無いけど。気分はどうだ?」
「良くはない。だが死にかけた時を思えばこのくらい何ともない」
「そりゃそうだろ。比べる対象が間違ってるよ」
 軽く笑って、そこにある椅子に腰を下ろした。
「お前の叔父さんに会ってきた。都に使いを出してる間、しばらく休んで行けって」
「使い?」
「お前に兵を付けてくれるって。その許しを王様に乞うらしいけど」
 朔夜にはわざわざ許しを乞わねばならない必要性が理解出来ない。
 若干、不本意そうな口振りになる。
 だが龍晶は、真逆の事をあっさりと言い放った。
「無理だろうな」
「は!?何が?」
「兄は許さないだろう。俺に兵を付けるなんざ」
 虚を突かれてぽかんと口を開けたまま首を傾げる。
 その間抜けた顔に苦笑して龍晶は説明してやった。
「逆心を疑う相手に兵を引き連れて欲しくは無いだろう。無論、俺に反乱を起こす気なんざ無いが…都が今一番恐れているのは、この北州の反乱だ」
「それは…お前の母上の事があるから?」
「まぁな。王家と結ばれて安泰の筈が、反逆者を出した街と見なされ、今や都に搾取される一方だ。都はここの金が必要だから、乱を起こさせる訳にはいかない。母の件で本当なら立場の危うかった叔父は赦され、都の顔色を伺いながらここを治めている。出兵の伺いもその一環だろう。本当に兵を出す事になるとは誰も思ってない」
「なんだそれ…」
 兵を付けると言ってくれた言葉は、王への建前という事なのか。
「お前の為じゃないのかよ…」
「ないだろうな。叔父にとって俺は厄介者に過ぎないだろうよ」
「そんな…」
 本当はそんな事は無いと思いたい。だって身内ではないか。
 龍晶は理詰めで物事を捉え過ぎていて、滅多に顔を合わさない叔父の本音など知らないだけだと、朔夜はそう考える事にした。
「どの道、兄は俺に兵など付けさせない。そのつもりなら都から連れて来させるだろ」
「まぁ、そうだけど。でもそれもずっと引っ掛かってた。どうして俺達二人だけなんだ?行くのは戦場だろ?」
 朔夜は繍でずっと単独行動をしてきた身だから別に良いが、龍晶が居るとなると話が違う。
 王にどう思われていようと、王族である事に違いは無い。戦地においては一将でもおかしくない立場なのに、単騎で戦地に向かうなど有り得ない。
「別に、俺にお守りは要らんだろ。死んで来いって言ってるのに」
 投げ遣りに龍晶は吐き捨てた。
「俺は悪魔を戦場に連れて行きさえすれば、後はどうなっても良いんだ」
 朔夜は唇を尖らせる。
 それが血を分けた兄の考える事だろうか。戦場で死んで来いなどと。
 そんな心情を見透かしたように、龍晶は言った。
「お前がどう思おうと、これが兄のやり方だ。あの人は政をやっているんだ。非情な政を」
「弟を一人で戦場に放り込むのが政かよ」
「ああ。俺に力が無い事を見せしめる為に」
 まるで他人事のように話す龍晶に、朔夜は眉を顰めた。
 命令が出てから、何か人間らしい感情を一つ失ってしまったような、そんな感じがするのだ。
 よく言えば達観しているような、だが本当は諦観であり自暴自棄にも見える。
 朔夜が何か言いたげなのを察して、龍晶は溜息をついた。
「…あの人には絶対に逆らわないと俺は決めている。それがどんな命令でも」
「どうして」
「餓鬼の頃の話だ。父が亡くなり、母が追放され、あの人が都に帰って来て初めて会った時…何も知らずに俺は兄が居るという事が嬉しくて出迎えた。存在すら知らされてなかったからな。餓鬼だから純粋に兄弟が居る事が嬉しくて飛び出しちまった。馬鹿だったよ。向こうは積年の恨みを晴らすつもりで戻ってきたのに」
 何かしたという記憶は無い。
 ただ前に出て行った。それだけ。
「痴れ者と怒鳴られて殴られた。それこそ立てなくなるくらいに」
 訳も判らぬまま殴られ、蹴られ――唖然として見ていた周囲から、守り役の女官が止めに入った。
 お静まりください、陛下――そう懇願して間に入った女官をも、王は見る影も無く殴り付けた。
 彼女は命こそ取り留めたが、療養する為に宮を去ったまま、帰っては来なかった。
「あの時、俺は思い知った。俺の勝手な行動が周りを巻き込むと…。兄に逆らえば俺が殴られるだけでは済まなくなる。下手をすれば誰かの命を奪う」
 だから、己を殺して無茶な命令に従う。
 朔夜は過去の自分を振り返り、いたたまれなくなった。
 華耶を死なせたくなくて、敦峰の罪無き人々を大勢殺した。同じにはならないかも知れないが、似たような心理だろう。
「でも…お前、このままじゃ居られないだろ」
 このまま行けば王の命令は龍晶の手に負えないものになる。
 朔夜は無茶ではあったがそこから脱した。
 だから尚更、龍晶が王の傀儡となり果てるのを見ては居られないのだ。
「別に…。この戦で死ぬんだ」
 関係無いと投げ棄てて、それ以上の会話を拒絶するように布団に潜り込んだ。
 それでも朔夜は言ってやった。
「言っただろ、お前はこの戦で怪我すら出来ない場所に居るんだ。死なせなんかしない、絶対に」
 反応は無い。
 朔夜もそれ以上は口を噤んだ。
 龍晶は口では死ぬと言い続けているが、どこまで本気なのだろう。ただ自棄で言っているだけで、その覚悟は無いように見える。
 怖いのは当然だろう。未知の戦というものに対しても、死そのものに対しても。
 戦場に行けば死ぬしかないと思い込んでいる節もあるが、そうではないのだ。生きて帰ると腹を括らねば生き残れないのが戦場だ。
 だからどうにかして、今の絶望による自暴自棄を正してやらねばならない。己から生きるという意思を持たねば、朔夜がいくら生かそうとしても危うい。
 だが、果たしてどうやって意識を変えれば良いものか。
 朔夜は部屋を出た。廊下の窓に雨が叩き付ける。気の滅入る長雨だ。
 ――生き延びたとしても。
 更なる窮地に追い込まれるだけだろう。
 それを判っているから、生きろ生きろと無責任に言い放つ言葉は苛立つだけなのではないか。
 頭を振って大きな溜息を吐き出す。
 駄目だ。こちらまで気が滅入って建設的な思考が出来ない。
 とにかく、安全な場所に縛り付けてでもこの戦を生きる事だ。後の事など知った事ではない。
 夜半、雨は漸く上がった。朝には日の光が雨粒を宝玉のように照らしていた。


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