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月の蘇る
  1
 藩庸の言う『屋敷』は、街からも城からも随分離れた山の麓にあった。
「随分と都合の良い物件があるもんだな」
 朔夜が茶化すと、藩庸はしれっと答えた。
「城に入れる訳にはならない王家の方に住まわって頂く為の場所です」
「…誰の事を言っている」
 怒りを押さえて龍晶が問う。
「別に、特定のどなたかという訳では。代々そうされてきた屋敷ですよ」
「どうだかな。まだ新しそうだが」
 二人は下馬し、手綱を祥朗に託した。
 龍晶は空になった手で愛馬の首を撫で、初めて不安げな表情を浮かべる。
 玄龍は主人を気遣うように鼻面を龍晶の頬に寄せた。
「長い留守になるだろうが…頼む」
 祥朗が心得たように頷く。
 人馬共に離れ難そうだったが、憲兵が促そうとする素振りを見せ、龍晶は踵を返した。
「…条件がある」
 門の前で立ち止まり、藩庸を見据えて言った。
「何でしょう?」
「貧民街に医師を派遣し、病の治療法を探れ。そして必ず街の人々に治療を施す事。これを約束しなければ、俺は貴様らを蹴散らしてでも戻る」
 最後の、唯一出来る抵抗であり、救済策。
 戻ったところで出来る事は無いだろうに、どうするのだろうと朔夜は思ったが、意外にも杞憂に終わった。
「当然ですよ。我々も無能ではありませんから、国の一大事には然るべき処置を致します」
「本当に?」
「ええ。殿下は何も心配なさらず、ごゆるりとお過ごし下さい」
 龍晶は顔面いっぱいに疑念を表していたが、これ以上どうする事も出来ない。
「入るか」
 朔夜が先に門を潜り、暫しその構えを睥睨して龍晶も続いた。
 後ろで扉が閉められる。そして、錠を閉める音。
「…出す気は無いかも知れないぞ」
 龍晶が脅したが、朔夜は肩を竦めただけだった。
「度が過ぎるなら壁ぶち破って出るさ」
 壁の向こうで憲兵どもが引き上げる音がする。
 龍晶は座敷へ回り、二重に格子が嵌めてある窓を覗いた。
 人の流れの向こうで、祥朗が二頭の馬と共に所在無く立ってこちらを見つめている。
 流れが絶えても尚、その場を動かない。
「祥朗」
 龍晶が呼び掛けた。
「今日は一先ず帰れ。日が暮れる」
 山林に囲まれたこの場所は、もう夕暮れの影が濃い。
 それでも動けずに居る弟に、龍晶は言った。
「少し遠いが、明日またここに来てくれれば良い。街や城の様子を伝えてくれ」
 祥朗は頷く。だが、まだ格子の向こうの兄を見ている。
「…俺は大丈夫だ。いくらなんでも、一夜で死にはしない。この悪魔は騒がしくて寝首なんか掻けないからな」
「は!?寝首掻く時くらい黙ってやるっての!そんな間抜けじゃないし!大体お前にそんな事しないし!」
 やっと祥朗の顔がほころんだ。
 二人もつられて表情を緩める。
「怖い思いさせて悪かった。また明日な」
 龍晶の言に首を振って、祥朗は朔夜の馬に跨がり玄龍を引き連れ帰って行った。
 それを見送り、ふと気付けば、闇が濃い。
 夜が来る。
 朔夜はその間屋敷内を見て回っていたが、諦め顔で戻ってきた。
「良い部屋が無い。鍵付きの部屋があるならって言ったのに」
「当たり前だろ。こっちの都合を聞く相手か。奴ら…いや、兄の狙いは俺がお前に殺される事だからな」
「そう言われると、絶っ対、殺したくねえ」
「頼むよ」
 とは言え確証は無い。
 龍晶も屋敷内を見回す。
 建具は外され、柱だけが立つ殺風景な建物だ。
 その中の一点に目を留め、朔夜に言った。
「おい、刀を貸せ」
「刀無くても俺は関係無く攻撃出来るんだけど」
「違う!良いから寄越せ」
 朔夜は首を傾げながら、いつもの短刀二振と、長刀を外して差し出した。
「こっちだけで良い」
 龍晶は長刀のみ引ったくって、押入れを開けた。
 仕舞ってある夜具一式を引っ張り出すと、中はほぼ空になる。
「ここだ。入れ」
「え?でも…」
「良いから!」
 蹴り入れられて文句も言えないままにぴしゃりと戸が閉められ、息の詰まりそうな闇の中。
 龍晶は長刀を戸のつっかえ棒にして、一応中に呼び掛けた。
「開けてみろ」
 中の朔夜が手探りで戸を横に引く。が、びくともしない。
「これで良し。朝には開けてやる」
「って!おい!まだ早いだろ!?開けろ!せめて布団一枚寄越せ!」
「嫌だ。布団のせいで殺されたくない」
「殺すかーっ!!」
 どんどんと戸を叩いたが一向に開けられる気配が無い。
 朔夜は諦めて狭くて埃臭い板の上に寝転がった。
「龍晶、そこに居るか?」
「ああ。何だ、寂しいのか?」
「それはお前だろ…」
 聞こえない程度にごちて、話を切り出した。
「お前があの街に拘る理由が知りたい。ただ責任感だけで動いてるようには見えないから」
 沈黙が返ってきた。
 見えない戸の向こうで、龍晶はどこかに逃げたのかと思った。
 実際には考えているだけで、暫くしてから声が返ってきた。
「巻き込んだ以上は話さなきゃならないか…」
「ああ。こんな所に閉じ込める以上はな」
 返答があった事に安堵して、朔夜は口許を緩ませた。
 龍晶は格子窓の向こうに目をやる。月が昇っている。
 同じ月を、見ていて欲しい人が居る。
「俺の母親があの街を救済しようとしていた。誰も見向きもしないあの街を、一人で」
 妃になろうとしていた時も、貧民街に通う事を止めなかった。
 それがどれだけ人々を勇気付け、助けてきたか。
 龍晶はそれを間近で見ていた。
「祥朗もあの街の出身だ。出会った時にはもう両親も居ないし声も出ない状態だったから、母が連れ帰って城に置く事にした。名前も分からなかったから母が付けた。まだあいつが三つかそこらの頃だ」
「…じゃあ、祥朗の為に?」
「いや…そうじゃない。俺があそこに行きたいだけ」
「何故?」
「あの街との繋がりが切れたら、もう母が戻って来ない気がする。…お前に意味は分からないだろうけど」
「分かるよ」
 朔夜は即答した。
「上手く言えないけど、分かる。俺の母さんはもう会えない場所に居るけど、お前はまだ何処かで会えるもんな」
「…だと良いけど」
「大丈夫。生きてれば何とかなる」
「ああ。だからお前なんざに殺される訳にはいかない。そこで大人しくしててくれ」
「……了解」
 これには二の句が継げない。
 仕方がないから寝てやろうと、無理にでも目を瞑って眠気を待つ。
 だが、戸の向こうからの声で眠気は断たれた。
「悪魔は他人を励ます事も仕事なのか?」
「…え?」
「お前にそんな悪魔だのと言われる力があるのか…疑わしいな」
「あのおっさん達がお前の条件を守るかどうかより確実だと思うけど?」
「藩庸か…奴は何の当てにもならない。それよりお前の事だ」
「どうしたんだよ、急に」
「俺の事ばかり喋らされるから、不公平だと思って」
「はあ?」
「お前と喋れば喋る程、お前が何者か解らなくなる。俺は冷酷無比な戦の悪魔と聞いていたのに」
「…そのうち分かるよ」
「虫も殺せそうにないのにな」
「普段はね」
 言ってから、否と、考える。
「やっぱ、そんな事知らないが良いよ。悪魔の姿なんて見るもんじゃない」
「そうか?」
「そうだよ。このままで良い。俺とて好きで戦に行ってる訳じゃないんだ…」
 矛盾は解っている。
 繍に復讐を果たす、その為に来た。
 だけど本当は華耶を悪魔の力から遠ざけたい一心で、戦も復讐も二の次なのだ。
 なら、ここに居る戔の人々は。龍晶は。
 巻き込んでも良いのか。
 付き合えば付き合う程分からなくなるのは朔夜も一緒だった。
 本当にここに居て良いのかどうか。
 龍晶は、死なせたくない。
 それだけは、強く強く、願う所だった。

 翌日朝早くに祥朗はやって来た。
 とは言えそれは狭くて痛くて寝付けず、その時まだ押入れの中で微睡んでいた朔夜の感覚で、実際には日も燦々と照る辰の刻の事である。
「来たか。早いな」
 押入れの中で龍晶の声を聞いた朔夜は最初、彼の一人言かと思いつつうとうとしていたが、相手が祥朗と気付いてがばりと起き上がった。
 戸を開けようとすると、がつんと何かにぶつかる。言う間でもなくつっかえ棒にした長刀だ。
「ちょ…!龍晶!開けろ!」
 このまま本気で閉じ込められてはかなわない。
 必死の叫びに何ら悪びれない声が返ってくる。
「あ、そうだった。忘れてた」
 声にならない怒りはともかく、長刀がどかされると同時に這って出、祥朗の居る窓辺へ走った。
「祥朗!頼みがある!」
 走り寄ったは良いが、そこに予測していたのと別の顔があってつんのめった。
 確かに祥朗も居る。もう一人、朔夜も知る顔だ。
「佐亥さん!」
 名を呼びながら、それはそうかと一人勝手に納得する。
 普段、龍晶の世話をしているのはこの佐亥なのだ。
 こんな所に軟禁されたと知って心配しない筈は無い。祥朗を一人でこのような山中に行かせる事もまた心配だろう。
 どこまでも優しげな厩番は、押入れから転がり出てきた朔夜にもにこりと笑って挨拶した。
 朔夜の隣へやれやれと言わんばかりの龍晶が戻って来る。そもそもここで二人と話していた所を邪魔されたのだ。
「何だよ、頼みって」
 言った本人が忘れかけていた。龍晶に言われて思い出す。
「布団を差し入れてくれないか?こいつが全部取って行ったお陰で寝不足なんだよ」
「あぁん?さっさと支度しなかったお前が悪いんだろ?それに祥朗に布団なんざ重たい物を運べって言うのか?」
「お前が布団一枚分けてくれたら良かっただけの話だろ!」
「布団は敷く方と掛ける方があって初めて用を成すんだ。よってお前に分けられるものは無い」
「はあぁぁ!?」
 無駄な説得力はともかく、佐亥がおずおずと進言した。
「明日には用意しますから、もう一晩辛抱してもらえませんか?」
「佐亥、こいつを甘やかす必要は無い。布団なんて上等な物は与えなくて良いんだ。藁で良い、藁で」
「だから何でお前が偉そうに言う!」
「お前が何も解ってないからだよ!お前の布団を佐亥がどうやって用意すると思ってんだ!?自分の物も満足に誂えられない生活をしてるんだぞ!お前みたいにいつでも国から何もかも貰える訳じゃないんだ!」
「だって…」
 お前だってそうだろ、と言いかけて。
 兄王から居場所を奪われ、挙げ句貧しい厩番の世話になっている龍晶その人は、ひょっとして様々な物が満足に手に入らないのではないかと思い当たった。
 そんな中で更に貧しい人々の為に薬草を購い、見返りも無く提供しているのだ。
「お前、薬草はどうやって買ったんだよ?」
「殆どが二人が内職して稼いだ金だ。国から金が出る訳ないだろ」
 お前の金じゃないのかよと喉まで出かかったが、話が脱線したまま戻って来なくなる可能性があるのでやめておいた。
「…藁でも良いよ。それなら」
 小憎たらしい龍晶にはともかく、祥朗や佐亥にまで迷惑は掛けられない。
「ならばすぐに用意します」
「持って来るのは明日で良いぞ、佐亥。こんな所に一日二往復してたら仕事にならんだろう」
「あ、うん。明日で良いです」
 朔夜もしおらしく同意する。
「では、すみませんがまた明日、持って参ります。他に御入り用なものはありますか?」
「そうだな、暇潰しに俺の部屋にある書物を適当に持って来てくれ」
「畏まりました」
「あと、佐亥…頼みがある」
 窓際へ顔を寄せて、小声だが力を込めて龍晶は言った。
「貧民街に行く者が居るかどうか、それとなく気にしておいて欲しい。恐らく居ないだろうが…それでも」
 厩番の佐亥ならば、人が城から出入りすれば必然的に知る所となる。
 藩庸が約束を守るとは思えないが、貧民街に対する何らかの対策を取るか否かは知りたい。
「良いか?頼んでも」
「勿論です。動きがあれば即座にお知らせします」
「済まんな。我儘ばかりで」
「何をおっしゃいますか」
 祥朗が佐亥の袖を引く。
「どうした?」
 三人の視線を集めると、彼は来た道を指差した。
 憲兵が三人ほど、こちらに来ている。
「流石にほったらかしには出来ないって事だな」
 龍晶がにやりと笑って言った。
「だがこの時間からの登場とは、よほど悪魔が怖かったんだろう」
「失敬な。俺は大人しく押入れに収まってたってのに」
 憲兵が屋敷前の坂を登りきり、佐亥と祥朗の姿を認めて怒鳴りつけた。
「貴様ら!そこで何をしている!?」
「佐亥、ここは大人しく帰ってくれ。俺が上手く言っておく」
 龍晶が言って、佐亥は頷いて憲兵に応えた。
「殿下に御不便は無いかをお訊ねに参りました。勝手をして申し訳ありません。今日はこれで失礼致します」
「病を広げる危険がある故、勝手に近付く事は許さん!」
「はい、今後は許可を頂きます」
「許可など出ぬわ!」
「おい」
 中から龍晶が憲兵を見据える。
「勝手は貴様らだろう?俺が許可を出す。文句があるなら入って来い。悪魔の餌食にしてやる」
 黙り込んだ憲兵達。朔夜も苦い顔をしている。
 そんな外野を尻目に龍晶は二人に言った。
「明日もまた頼む」
 二人は笑って頷き、自らの馬へ騎乗し帰って行く。
 憲兵達は彼らに成す術も無く、かと言って屋敷に近付くのも嫌らしく、坂の辺りでやる気の無い見張りを始めた。
「俺は近付く奴を取って食らう怪獣じゃない」
 朔夜が餌食発言について抗議したが、龍晶は鼻で笑っただけで相手にしなかった。




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