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月の蘇る
  9
 商人から受け取った木箱を手に、龍晶は人目につかぬ道を選んで歩いていた。
 この城内で下手に人に会いたくないのは常だが、今は特にまずい。
 木箱の中には薬草が入っている。貧民街に流行る病気の為の薬草なのだが、それを購った事が知れたらどうなるか分かったものではない。
 そもそもあの街への出入りはまだ禁じられてこそいないものの、見つかれば良い顔はされないだろう。
 城の人々にとってあの街は、有って無い場所、存在を認めてはならない場所なのだ。
 黄金による財で繁栄を極めたこの都の、影の部分。
 それは黄金に対する国家の欲によって心身を踏みにじられた人々の行き着く場所。
 金山の採掘による事故で大怪我をした人、奴隷同然の扱いで酷使され体を壊した人、そうして働き手を失った家族…事情はそれぞれだが、国の過失が透けて見える。
 彼らを無かった事にして繁栄を貪る、城内や都の人々が、龍晶には信じられない。
 誰も当てにならない。だから自分が王族として彼らを救う義務がある。今はこの薬草を、あの街に届けねば。
 小脇に抱えられる程の大きさの木箱には、十分な量は無いだろう。貴重な薬草らしく、値段も相当張った。
 だが、これで絶対に治るかと言えば、誰にも分からない。何せその流行り病が何なのか誰にも――と言っても訊けるのは例の医師しか居ないのだが――見当が付かないのだ。
 恐らく新種の病なのだろうと医師は言っていた。
 前例が無いと言う事は、治し方も分からないという事だ。
 だから――この薬草以外にも希望を賭ける術を、今日は持って行く。
 事態は刻々と悪化してゆく。猶予は無い。
 それなのに。
「殿下、そのお荷物は何でございますか?」
 一番聞きたくなかった声を耳にして、龍晶は露骨に舌打ちした。
 前に立ちはだかるのは、潘庸(ハンヨウ)という男で、兄に最も親い家臣の一人である。要するに龍晶にとっては天敵と言える人物だ。
 その後ろには潘庸の従える憲兵が並んでいる。只では通さぬと言わんばかりに。
 ならばこちらは意地でも通ってやるという気概で、龍晶は答えた。
「お前には関係の無い物だ」
 二、三歩詰め寄り、道幅いっぱいに並ぶ憲兵達を睨む。
「道を開けろ」
「お帰りになる前に、そのお荷物をこちらにお預け下さい」
 いけしゃあしゃあと告げる潘庸に睨め付ける視線を移し、龍晶は言い返した。
「預ける?奪い取るの間違いだろう?この泥棒め」
「これは心外ですな。殿下に罪人扱いをされるとは。私めは殿下の為を思って申し上げておりますのに、私が罪人ですか。これは質の悪い冗談だ」
「…何が言いたい」
 木箱を抱える逆の手が、刀に触れる。
 罪人はお前の方だと、この男は暗に言っている。
 玉座を脅かした反逆者が、王の腹心たる己を罪人扱いするのかと。
「お若いからと言って血気に逸るのは良くないですぞ」
 薄ら笑いで潘庸は後退しながら言う。
「お怒りになる事ではありますまい。私は、その箱の中身を問うているのです。お答えになれぬ物がある訳ではないでしょう?」
 いちいち勘に障る言い方をする。
 龍晶は刀の柄を握った。
「俺は最初から、お前に答える筋合いは無いと言っている。分からんか?」
「お分かりになってないのは殿下の方でしょう」
「は?」
「私には陛下の治められるこの国の為に、安寧を乱す者を取り締まらねばなりません。例え陛下と血の繋がりを持つ方でも」
「俺がこの箱で国を乱すと?寝惚けた事を言うな」
「では、眠気覚ましにその箱の中身、教えて下さいませ」
「ふざけるな。どけろ」
 進もうにも、立ちはだかる壁は動こうとしない。
 無理に押して進もうとしたが、憲兵の一人が木箱に手を出してきた。
 咄嗟に身を躱して刀を抜く。
「おや、いけませんね」
 潘庸が薄笑いを深めて言った。
「城内での抜刀はお立場を更に悪くしますよ」
 じりじりとした間合いを保ちながら、龍晶は刃を向け続けた。
「…通せ。俺は急いでいる」
「何故です?我々の質問にお答え頂ければ、抜刀の事実も見逃した上でお通ししましょう」
「馬だよ」
 ふいに憲兵たちの後ろで声がした。
「馬の餌が届いたんだよな?あいつら腹減らして待ってるぞ」
 振り返った憲兵たちの隙間から、朔夜の顔が見えた。
「本当ですか?殿下」
「ああ」
 潘庸に頷き、出来た隙間を通ろうとした。
 が、木刀がその道を塞いだ。
「商人は薬草と答えましたが?」
「知っているなら最初から言えよ」
 苛立ちを押さえず呻いて、朔夜に目配せする。
 龍晶の意図を悟って、にやりと広角を上げた。
「それだけの量の薬草を、よもや私用で使われる訳ではございますまい?もしやあの街に持って行くのではないかと、こうしてお待ちしておりました」
 潘庸の知れ切った口上に、龍晶は問い返した。
「そうだとしたら?」
「都の治安維持の為、没収させていただきます」
「何が治安維持だ」
 龍晶は鼻で笑って言ってやった。
「貴様らの治安は無駄に人死にを出す事か?ま、奪えるものなら奪ってみろ」
 言って、朔夜に向けて木箱を投げた。
 投げられた朔夜は受け取るなり走り出す。城内など迷路のようなものでまだちんぷんかんぷんだから行先は出鱈目だ。
「追え!」
 潘庸が叫び、憲兵が朔夜の後を走り出す。
 それを見送りながら、共に残った敵に龍晶は言った。
「これを王に報告するか?言っておくが、まだ俺は中身もその用途も喋ってはいないぞ。貴様の憶測に乗ってやっただけだ」
 潘庸は苛立だしげに走り去る一行を見、また少年を見返して、言った。
「この国を掻き乱して陛下の御悩の種になられるのはもうお止めになって下さい。全く、血の為せる業とは困ったものだ」
 言うだけ言って潘庸はその場から消えた。
 現れた時と同じく龍晶は背中に舌打ちする。
 決して母も自分も国を掻き乱してなどいない。おかしいのはお前らだ――そう言ってやる事も出来たが、通じないのは目に見えていた。
 同じ国で、同じ言葉を使っているのに、その意を通じなくなせる見えない壁がある。
 兄王は己の考えに従わぬ者は意見も聞かず遠ざける。酷ければ処罰する。それが家臣にまで浸透している。そして、都に住む裕福な民にも。
 見えない壁は、富裕層と貧民の間で高くなるばかりだ。
 このままで良い筈は無い。いつか、国が割れる。
 龍晶は宮殿の中に入り、上階へと走った。自分も木箱を追わねばならない。
 高い所から見下ろせば、茶番のような追いかけっこはすぐ見つかった。
 そのまま窓から屋根へと出る。
 女中に見つかり悲鳴をあげられたが、舌をちらっと出して瓦の上を走った。
 潘庸のような面倒な人間に会った時など、しょっちゅうここを通って逃げる。慣れたものだ。
 屋根から屋根へ伝って行けば、目的の場所へ着くのも早い。
 木箱を持って逃げる朔夜に上で並走しながら、声を上げて指示した。
「真っ直ぐ塀を目掛けて走れ!」
 朔夜は驚いた顔で上を見上げる。
「行き止まりだろ!?」
 誰がどう見ても真っ直ぐ行けば行き詰まって捕まる。
「良いから!」
 屋根が一段深く垂れ下がっている箇所まで走り、地上に飛び降りて朔夜を迎える。
 立ち止まればたちまち捕まる所に追手は迫っている。
「どうするんだよ!?」
「こっちだ」
 朔夜の腕を捕まえて、生垣の裏に回ると、塀に大きな穴が開いていた。
 二人の体型だから何とか通れる大きさで、今追っている体の大きい大人には無理だろう。
 通り抜けると、後ろの憲兵達は止まってその穴を見ていたが、それ以上の追求は諦めたようだ。
 追手の手が伸びない事を認めて、改めて前方に目をやる。
 いかにも宮殿らしい花畑と池のある庭、その向こうに朱塗りの建物。
 今まで居た場所より明らかに華やかだ。
「ここは?」
 訊くと、龍晶はまだ後ろを窺いながら答えた。
「奴らには絶対に入れない所」
 彼に倣って再び穴を覗くと、憲兵達がすごすごと帰る後ろ姿が見える。
「別の場所から追ってくるんじゃないか?」
「だから言ってるだろ、奴らはここに足を踏み入れる事は出来ない」
「…なんで?」
「ここは後宮だ」
 朔夜は一瞬固まり、辺りを見回して。
「…後宮って何?」
 思わず龍晶はつんのめった。
「餓鬼には十年早かったな…」
「は!?歳は同じだろ!?」
「歳は、な。歳は」
 『は』を矢鱈強調して言うが、その意味が通じているかどうか。
 尤も、と龍晶は口調を変える。
「餓鬼じゃないと入れない場所ではあるが…」
 龍晶の視線の先に、騒ぎを聞きつけた女官が近寄ってくる。
「何者!?」
 手には槍、口調も猛々しい。
 朔夜は訳も分からず硬直しているが、龍晶は涼しい顔で応えた。
「客人に生まれ故郷を見せようと思って邪魔している。おばば様を呼んで貰えるか?」
 その声と顔を認めて、女官は急に態度を百八十度転換した。
「これは…殿下…!し、失礼致しました…ご立派になられて見違えてしまいましたわ…。いえ、相変わらずお綺麗で…あっ、国母様ですね!お待ち下さい!!」
 青くなったり赤くなったりして、最後は逃げるように飛んで行った。
 朔夜は終始きょとーんである。
「相変わらずはここの事だな」
 苦笑い、しかし懐かしそうに龍晶は改めて後宮を眺めた。
「生まれ故郷って、お前ここで生まれたって事?」
 とりあえず疑問符いっぱいの頭をほぐそうと、理解できる所から質問する。
「ああ。当たり前だろ…ってそうか、餓鬼には後宮の何たるかが分からないか…」
「餓鬼ガキ言うな!何だよちょっと知らないってだけで!!そんなにお偉い場所なのかここは!?」
「ああそうだな。この国の中で一番入り難い場所だ。特に男は」
「…へ?」
 それ以上の説明は置いておいて、龍晶は口を閉じた。
 世にも華やかな行列――列を成した女官の中心に、一際豪勢な衣裳を身に付けた女性がこちらを見ている。
 その彼女が一声かけ、行列は止まった。
「お前が呼んだ人か?」
 そっと朔夜が訊く。龍晶は口元だけで「いや」と答えた。目は挑むように女を見据えている。
「何やら騒がしいと思えば…つみびとの御子が、今ごろどうなさいました?」
 扇で口元を隠しながらも、眼は小馬鹿にするように細められている。
 何ら動じず龍晶は応じた。
「あなた様の余興で少し窮地に陥りましたので、ここに逃げ隠れておるのです。お陰で毎日楽しませて頂いてますよ」
「それは重畳」
 言葉とは裏腹に細められた目が別の色を帯びる。
 龍晶の涼しい態度が面白くないのだろう。
「しかし後宮に入るにはあなたは少しご立派になられ過ぎました。宦官に身を落としたいなら話は別ですが」
 周りの女官が声高く笑う。龍晶は苦笑を作って躱した。
「ご勘弁を…。いえ、おばば様にお邪魔の詫びを一言入れさせて貰おうと思いまして」
 はっと、明らかに顔色が変わった。
 そして辺りを見回し、後方に、また同じような行列を認め、明らかに嫌な顔をする。
 一方で龍晶には張り詰めていたものが消え、安堵からか口元が緩んだ。
 新しく来た行列の中心には、かなりの御年と見えるが背筋の伸びた老婆が、威厳を纏って歩いている。
 それが龍晶の言う「おばば様」だろうと、朔夜にも分かった。
「これはこれは皇太后殿。ひょんな所で出会いましたこと。少しお邪魔させて頂いてもよろしいか?」
 太くしっかりとした声で「おばば様」は先に居た皇太后に告げた。
 皇太后が答えぬうちに、彼女は庭の隅にいる龍晶を認め、先程とは違う声音で彼を招いた。
「龍晶や、久しいこと。その様な所で立っておらんで、近う寄りなさい。ご客人も」
 目で問う朔夜に龍晶は言った。
「俺の父方のお婆様だ。十まで俺を育ててくれた」
 だから大丈夫だと頷いて、彼は育ての親の元まで駆けて行った。
 父方と言う事は前王の母となる訳で、ならばこの威厳も理解出来る。先に威張っていた皇太后にとっては姑となるのだ。
 朔夜も龍晶について庭を横切った。
 間近で見るとそのお婆様は、ますますお婆様には思えない。纏う空気が違う。
「おばば様、お久し振りです。この度はお騒がせして申し訳ありません。皇太后様の御余興に巻き込まれてしまいまして」
 朔夜が盗み見ると、皇太后の顔がみるみる赤くなる。
「それは…どういう事か?」
「いえ、私はそれで楽しませて頂いておりますから良いのです。こうしておばば様にも会えましたし」
 龍晶の取り成す横で、女同士の睨み合いが勃発している。朔夜は慌てて目を逸らした。
「そうですか。皇太后殿、我が孫で楽しまれるのは、ほどほどになさいませ」
「何やら行き違いがあるようですが…国母様、私は関係ありませんよ。そこの殿下が勝手に吹いておられる事。しかしお二人の邪魔は致しますまい」
 女官を睨み付け、行列を進ませ皇太后は去った。
 途端にそこには「おばば様」と孫が現れる。
 悪戯な笑みをお互い交わし、皇太后の行列をニヤニヤと笑いながら見送った。
 行列が消え、それでも龍晶は小声で言った。
「おばば様、抜け穴をご用意下さって助かりました。感謝します」
 塀の穴はわざと開けられたという事だ。
「いえいえ、御安い御用です。あの穴は塞がれるでしょうから、また新たに土木工事をしましょう」
「お願いします」
 ふふ、と笑ってやっと朔夜に目を向けた。
「殿下のお友達ですか?」
 これには二人、言葉に詰まる。
「友達と言うか…兄上よりこいつの世話を仰せつかりまして…離れるに離れられない関係なのです」
 この国の大いなる母親は、若い二人の本心など見透かして頷いた。
「良い良い。そなた、名は?」
「朔夜です」
 この国に来て初めて名を訊かれた。龍晶も初めて聞いたとばかりに眉を上げている。
「そうか。龍晶は負けん気は強いが根は優しい子でな、どうかよろしく頼みます」
「おばば様、また話はいずれゆるりと。今少し先を急いでおります故、後宮の裏門を抜けてよろしいでしょうか?」
 気恥ずかしさも手伝って、早口に龍晶は問う。
「無論、そうなされよ。後宮の主たる私の許可です、誰にも文句は言わせませんよ」
「感謝します。では、また!」
 勝手知ったる様子で走りだす龍晶に置いて行かれぬように朔夜も走る。
 国母は穏やかに笑いながら孫達を見送った。





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