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月の蘇る
  9
「華耶!」
 やっと出た声で名を呼ぶ。
 走り寄ろうとして、室内の禍々しい気配に気付いた。
 壁に沿うように、ぎっしりと弓兵が配置されている。後ろにも気配を感じて振り向くと、今来た回廊も同様に塞がれている。
 その鏃は、全て華耶に向いていた。
「貴様…!」
「お前の選択肢は二つ」
 朔夜の怒りなどどこ吹く風とばかりに、影は二本の指を立てて話し出す。
「ここで女諸共死ぬか、女を殺して元通り我々に服従するか――どちらかだ。この刃以外で女に触れれば矢は放たれる」
 足元に短剣が投げられた。
 鞘に虎の彫刻。
「ふざけるな!彼女が死ぬ必要は無いだろう!お前らが殺したいのは俺一人だろう!?俺を殺して彼女を自由にしろ!!」
 影は嘲笑う。応える必要は無いとばかりに。
 朔夜は話の相手を変えた。
「桓梠、見ているんだろう!?出てこい!お前が俺を殺せば済む話だ!」
「言っておくがな」
 桓梠の声。華耶の吊るされている、上から。
 朔夜は走って、華耶の隣から上を見上げた。見えないが、気配はある。
「私はこの縄をいつでも切れる状態にある。お前の我が儘を聞いてやる程、気は長く無いぞ」
 乗り出した顔に熱を感じて下を見る。
 遥かに離れた地上で、豪々と炎が焚かれていた。
「…悪魔を燃やして、ついに滅ぼそうって事か」
 真下で燃え上がる炎を呆然と見つめながら呟く。
 桓梠が縄を切れば、華耶がこの炎の中に落とされる。
「朔夜」
 細い、細い声が名を呼ぶ。
 まだ、呼んでくれる。
「華耶…ごめん」
 下を睨んだまま、ずっと言わなければと思っていた言葉を呟いた。
 顔は見れなかった。
「本当に、ごめん。俺のせいでこんな事になって…」
「違うよ。朔夜は悪くない」
「でもっ…」
「あの刀で刺して。お願い」
 思わず見上げた顔は、驚くほど美しく、穏やかな微笑が浮かんでいて。
 息が詰まって、視界がぼやけた。
「朔夜はちゃんとここに来てくれた。それだけで、十分だよ」
 殺せと言うのか。この手で。
「だから最後のお願い。朔夜は、生きて」
 また、生きていて欲しい人を、側にいて欲しい人を、この手で――
 宿命か。
 否。
「終わりにしよう」
 華耶に、影に、桓梠に、己に、告げた。
「終わりだ。月は沈み、この世は常闇となる。それで良いだろう」
「月が沈めば陽が昇る。闇はもう訪れまい」
 上階からの声に鼻で笑い、言ってやった。
「月明かりに頼っていた貴様らに、月の無い夜はさぞ昏いだろうな」
 朔夜、と留める声に、微笑を向けた。
「待ってて」
 身を翻して扉の側に落ちていた短剣を拾う。
 千虎の剣。これがあれば、彼の元へ導いてくれるだろう。
 中を改めると、錆が磨かれ、あの時の姿に戻っていた。
 全ての罪は濯がれる。悪魔の死を持って。
 華耶の元に戻ると、複雑な表情とぶつかった。
「どうして?朔夜が死ぬ必要なんて無いじゃない」
「華耶が死ぬ必要こそ無いよ。…だから、おあいこ」
「……」
「ごめん。俺の勝手だけど。でも、二人で行こう。怖くないから」
 しばらく、大きな瞳で見つめられて。
 ふっと、その瞳が細められた。
「そうだね。二人の方が楽しいもんね」
 その笑顔につられ、朔夜も口元を緩めて頷く。
 川辺に遊びに行こうと誘い合った、あの頃の様に。
 朔夜は後ろを見、影に言った。
「悪いな。お前の思っていた様な復讐には、してやれない」
 望んで逝くのだから。
 華耶の上を見上げる。手首に巻き付いた綱は、飛び上がれば手が届きそうだ。
「行くよ」
 華耶は頷いた。全てを託す笑みだった。
 窓の手摺に足をかける。背後で弓を引き絞る音がした。
 華耶の身体を抱いて。もう離れないように。
 至近距離で飛んできた矢が身を貫く。それでも華耶に当てたくなくて、彼女に覆い被さった。
 最後の力で跳ぶ。短剣は縄を切り裂いた。
 二人、夜の闇に浮かぶ。
 落ちながらも、華耶の口元には笑みがあった。
 それを見て、何物にも変え難い安堵を抱いて、朔夜は眠った。


 宮殿の塔は見える。なのに、もどかしい程に近付けない。
 否、近付いてはいるのだ。ただ気ばかり焦る。
 擦れ違う兵の数は尋常ではない。平時ならばこの数は有り得ない。何かが起きている。恐らく、自分達にも関わる何かが。
「朔があそこに居るとは限らんぞ」
 冷めた――少なくとも燕雷にはそう聞こえる声で、燈陰は言った。
 こうも冷静で居られる神経が解らない。危険なのは自分の子なのに。
「じゃあこの世界を当ても無く探せって言うのか!?こんな時に!」
「落ち着け、面倒臭い」
 高速ですっ飛ばしている馬上での会話だ。
 殴りたくともそれは無理だ。
 ただし燈陰は燈陰で本当は手が出そうなのだ。一端黙らせるにはそれが手っ取り早い。その後はともかく。
「どうして街中こうも兵が溢れている?今から市街戦でもやるのか?違うだろう」
「知った事かよ…!」
「奴らは何か探している。通行人の顔を一人一人見て、家の中まで押し入って。誰かが誰かを匿っているかの様だ」
「何だよ…朔が逃げたって言いたいのか!?」
「だから城に居るとは限らないと言っている」
「そんな事言ったって…!」
 少し先からこちらを執拗に追ってくる視線。
 その女と擦れ違った。
「待って!」
 後ろから掛けられた声。
「待って!今、朔夜って言ったでしょ!?」
 燕雷は馬を急停止させた。
 仕方が無いから燈陰もそれに倣う。
 女の目は案の定、燈陰の髪に向いていた。
「朔夜を知っているのか!?」
 燕雷の問いに女は頷いた。
「私は於兎。あなた、朔夜のお父さん?」
 燈陰は頷く。
「乗せて。城まで…朔夜の所まで案内するから」
 二人乗りの馬上で於兎はこれまでの経緯を簡単に語った。
 禾山での任務で出会った事、処刑寸前に玄の弓との繋ぎを頼まれた事、そして今の状況。
「あの子、死ぬつもりで居るわ…!お願い、止めて!」
 燕雷は無表情で手綱を握り続ける燈陰を窺い見る。
 何の反応も無い。朔夜が死に向かう事が当然だとも考えているのだろう。
「無論、止める気でいるさ」
 言うべき人間に代わって燕雷は於兎に応じた。
「親父殿が屁理屈捏ねても俺はそのつもりだ」
 燈陰がちらりと睨む。
 へぇ、と燕雷は小さく漏らした。
「異論はあるらしいな。どの向きの異論かは知らんが」
「少し黙れないのか貴様は、という向きだが文句あるか?」
「こういう時黙れないのが俺でね。お前がきちんと息子を助けるって表明してくれれば少しは落ち着くんだがな」
「…そうでなければ今こうしていない」
「そりゃそうだけど」
 溜息を落として燈陰は言った。
「あいつを疑う事と、救いに行く事は、全く別の話だ。お前がつべこべ言わなくとも、親として最低限の働きはする。それでもまだ足りないって言うなら、それは事が終わった後に言え。今は先を急ぐ事だけだ」
 やっと燕雷は頷いた。
「正しいよ、お前は」
 その後はただ黙々と馬を追った。
 ただし、もう距離はそう無かった。於兎と出会った場所が既に城と離れていなかった、それ故の偶然だったのだが。
 城壁が続き、その中に門が見える。先程、朔夜が激戦を繰り広げていた場所だ。
「あそこで私達は別れたんだけど…」
 辺りを見回すが、屍が残されているだけで、生きる者の気配が無い。
「朔は力を使った後だった。動けない所を敵に見つかった可能性が高い」
 燈陰が言うと、燕雷が渋い顔で見てくる。
「…可能性の話だ」
「分かってるよ」
 下馬して、その辺りの繁みを探ってみるが、手掛かりは無い。
「この辺で寝てないとなると、まだ一戦交えてるかもな」
「それならすぐ判るが…」
 自然と視線は黒く聳える王宮に止まる。
「…華耶の所か」
 燕雷は口だけで、ああ、と肯いた。
 於兎ははっきりと頷くと言った。
「桓梠はあの中にその娘を監禁してる」
「中に押し入るしか無いか」
 敵の本丸にたった二人で乗り込む事になる。
 朔夜や皓照のような特殊な力は無い。あっても無事帰って来られるか、微妙な所だろう。
 無謀だ。
「その為に来たんだろう?」
 成功の可能性の低さを知りながら、二人ともそれをおくびにも出さない。
「まぁ、な」
 救いたい。その使命感。ただ、それだけ。
「お嬢さん、華耶が捕らえられている所、判るか?」
「きっと桓梠の自室…」
 ふと、言葉を途切らせる。
「あれ、何?」
 燕雷と燈陰も同じ物に目をやった。
 宮殿の下で、不自然な火が灯る。
 その火は瞬く間に大きな炎となり、城壁を赤く染めた。
「なんでまたあんな所であんなでかい焚き火を…」
「もう少し近くまで行ってみましょう」
 於兎の提案に二人は動き出した。広い庭を、その炎目指して馬を走らす。
「おい」
 燈陰の一声で足を止めた。彼は炎の上の一点を指差す。
 その先を追って、あとの二人は鋭く息を飲んだ。
 宮殿の、かなり上階部分から吊り下げられた物。それが人だと判る距離に三人は居た。
「…女の様だな」
「それも子供のような…」
 したくもない想像と、何より近いであろう答えに、それぞれが黙り込む。
「下に回り込むか」
「落ちてくるのを受け止める気か?あれだけ人目があって、火まで燃えているのに?」
「…じゃあどうする」
 苛立たしげに燈陰は上を見上げる。
 問われながら、術が無い。
 中から助けるには時間が無いだろう。恐らく侵入に気付かれれば落とされる。
 最早八方塞がり。だが、諦めたくは無かった。
「消火してみるか?」
 自ら打ち消した燕雷の案を問い返す。
 発案者はにやりと笑って馬を駆ろうとする。
 が、於兎がそれを止めた。
「あれ見て!」
 華耶が吊り下げられている位置の窓から覗いた顔。
「朔!」
 燕雷が叫ぶ横で、燈陰が舌打ちした。
「二人を燃やす気だ」
「そんな…!でも、朔夜は自由に動けるでしょう?自ら飛び降りる訳…」
「敵はどうにでも脅せる。それに、華耶が落とされるならあいつは自ら火に飛び込むだろう」
 於兎は口元を覆って、何かに縋るように訊いた。
「でも、あの子、死にはしない…でしょう?」
 燈陰は険しい顔で遥か頭上の二人を見詰めたまま暫し黙り、重く口を開いた。
「身を燃やし尽くされたら、再生の余地は無い」
「何それ…どういう…」
「おい!」
 燕雷が怒鳴り、於兎が悲鳴を上げた。
 朔夜と華耶が落ちる。上から駄目押しの様に矢の雨が降り、血の軌跡を残して。
「朔夜!」
 燈陰が叫んだ。馬を駆けさせ、少しでも近寄ろうと。
「燈陰待て!無理だ!」
 後ろから燕雷が制止した時。
 落ちてゆく――しっかりと抱き合って落ちてゆく二人の身に、光が纏った。
 血の軌跡は、光の残像に代わり、その粒が宙に漂いながらゆっくりと二人について行く。
 この世のものとは思われぬ光景に、その場の誰もが魅入られた様に上を見上げた。
 息子を救わんと前進した燈陰もまた、馬を止めてその光景に息を飲んでいたが、はっと踵を返して燕雷らに叫んだ。
「逃げろ!」
 刹那、炎の中に落ちた光は、全てを白く照らし出し――
 於兎を同じ馬に乗せた燕雷もまた、帰ってきた燈陰に促されて馬首を返す。最早前も何も見えなかった。
 暴力的なまでの光の中を、馬が怯え逃げるに任せて駆けてゆく。
 どのくらい走ったか、どこまで走ったか、何も判らない。気付けば城の外に出ていた。
 振り返ると光は無く、見覚えのある門があった。
「二人は…」
 どうなったろうか、それを言いかけて飲み込む。
 絶望の闇が拡がる。燈陰はただそれを虚ろに見ていた。
 誰も何も言えず、動けず、どのくらい時間が経ったか判らない。
 ふと、光が差した。
 青い光。城の方向から、徐々に近付いてくる。
「…朔夜」
 燕雷が光るものの正体に気付いて呟いた。
 燐光を放ちながら、まるで宙を滑るように、朔夜が歩いてくる。
 その顔に表情は無い。悲哀故の無表情ではない。人形のように、ただ前だけを向いて。
 両手には、華耶を抱いていた。
「朔…」
 逆方向を向いていた燈陰も、燕雷の呟きによってそれに気付いた。
 名を呼び、近寄ろうとして、しかし二、三歩歩いてとどまった。
 燕雷と於兎もまた近寄ろうとしたが、燈陰に止められた。
 その理由は訊かずとも分かった。
 朔夜を中心に、尋常ではない冷気が放たれている。触れれば凍りそうなほどに。
 敵に囲まれていた中を無傷で通り抜けられたのはその為だろう。敵が気味悪がったか、近寄るだけで何らかの危害が加えられたか。
「朔夜、無事だったか」
 目前まで近寄った時、燕雷が呼び掛けたが、反応は無かった。
 反応どころか、絶対に視界に入っている筈なのに、視線もくれない。ただ行く道を見るだけ。
 そのまま素通りし、山の中に入って行った。
「何だあれ…」
 拍子抜けして燕雷はその背を見送る。
 燈陰は無言のままその背を追った。
「月の力…って事なのか」
 燕雷が一人ごちると、後ろに同乗する於兎が催促した。
「早く、私達も追わなきゃ」
 山の闇の中で、ただ一つの光を放ちながら、朔夜は迷わず歩んでゆく。
 やがて少し開けた場所に出て、立ち止まった。
 燈陰らも少し離れて止まる。
 洞穴があり、そこから人の声がした。
「月神様…!」
「華耶!」
 走り出た女性が近寄ると、朔夜はそっと華耶を地面に降ろし、自身は数歩退がった。
 その時にはもう、光は弱まり、強烈な冷気も無くなっていた。
 女性――華耶の母親が娘を抱く。
 下馬した燈陰が姿を現し、彼女に訊いた。
「無事か?」
 突如現れた昔馴染みに、彼女は少し面食らったようだが、問いに頷き答えた。
「眠っています。大きな怪我は無い様です」
 ほっと息をつく間も無く、後ろを振り返る。
 光を失った朔夜が倒れていた。
 燈陰が駆け寄り、上体を抱き起こす。
 顔は眠っているようだが、背中は血で染まっており、添えた手が滑った。
「朔は!?」
 怒鳴るような燕雷の問いに、燈陰は唇を噛んで振り向くと、ゆっくり首を横に振った。
 信じられぬとばかりに燕雷は自ら朔夜の傍らに膝を着き、その口元に手を当てる。
 息は無かった。






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