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月の蘇る
  10
 黎明の光で目覚めた。
 まだ夢の中の幸せを引き摺っている。
 父の温もり。母の笑顔。楽しかった、束の間の日々。
 もう二度と戻って来ない。最後に抱き締められた後、全ては壊れた。
 その後の悪夢は今は思い出したくない。せっかく、あの日々に戻れていたのだから。
 現実との落差に虚しくなって。
 怠い体を起こした。隣で眠る祥大を気遣いながら、身なりを整える。
 最後の務めがある。唯一のこの友を、逃さねば。
 昨夜兄に懇願しておけば良かったと思った。何をしてでも。
 もう一度ここに来てくれないか。勿論、顔を合わせたいとは微塵も思わない。
 だがそれ以外に方法が思いつかない。
 溜息。それだけで眩暈がした。力の尽きた体は眠りを誘う。覚めない眠りを。
 その方が楽かと思う。
 何も出来ない。どうせ。
――強くなれ。
 そんな言葉とは正反対の今の自分。
 何を見込まれていたのだろう。
 愚かな振りをして、それがそのまま己になって、愚かなまま死のうとしている。
 もうそれで良かった。
 疲れた。
 重い手で帯を持つ。
 考え直して、身に巻く事はやめた。
 部屋をざっと見回して、唯一それが可能なのは天井近くの明かり取りの窓だった。
 出来るだろうかと疑いつつ、椅子に乗って腕を伸ばし、窓に付けられた格子に帯を巻き付けて輪っかに結ぶ。
 その輪の中に首を入れた。
 あとは椅子を蹴るだけ。それだけで。
「兄さま!」
 椅子は蹴れなかった。強い力で抑えられていた。
「駄目です!やめて下さい!それは…それだけは!」
 祥大の泣き叫ぶ声に、諦めを覚えた。
 帯から首を外し、椅子の上に蹲る。
 足に力が入らなかった。沈むようにそこに座っていた。
「祥大」
「はい」
「俺が死ねば、お前は帰れるんだぞ」
「いいえ」
 か弱いのに強い、少年の目がある。
「僕は兄さまのお供です。何処でも一緒に行きます」
 そして少し、微笑んで。
「そうじゃないと、兄さまは誰にも話が出来ないでしょう?僕があの世の番人に説明するんです。この人は隆統様と言って、喋らないけどとっても良い兄さまだから、天国に行かせて下さいって」
 くしゃりと、無表情が崩れた。
 笑う。笑いながら咽び泣く。産まれた時からの友を抱き、彼もまた肩を抱いて。
 二人なら怖くない。
 そんな声が、頭の中に響いた。

 朝食は無かった。その代わり、複数の男達が押し寄せた。
 隆統は既に腹を決めていた。これ以上は無駄だった。
 この場で決定的な反逆罪を犯す。謀叛ではない。自分一人の、兄への反発だ。
 この場で手討ちにされる程の。それが駄目なら捕らえられて死罪だ。それでも良い。行く先は同じだ。
 問題は祥大だが、本人がその気であるのでなるに任せる事にした。
 どうせ逃げても捕まって同じ罪に問われる。
 それなら、同時に死にたい。
 男達に取り囲まれる。複数で来るのは初めてだった。驚く事では無い。そうだろうと思っていた。
「隆統殿下、今日こそはお認めになって下さい」
 中心に居る孥晋が口を開く。
「証拠は出ました。北州に近い啓州(ケイシュウ)で捕らえた者が口を割りましたよ。北州長、即ち殿下の実父は謀叛を企てている。その旗印はあなただとね。どうですか?お認めになりますか?なりますよね?」
 その男を睨む。
 その目に、運命に抗う強さが戻っていた。
「頷くだけで良いのですよ。今なら悪いようには致しません。あなたの意思ではないと誰もが知っていますから」
 嘲る笑いを浮かべて。
「物言わぬ人形にそんな大それた事が企める筈が無いでしょう。北州長の言いなりになっておられるのでしょう?この城の全員が殿下に同情しますよ、あなたは可哀想な操り人形だ」
 孥晋の手が肩に触れた。
「さあ、頷いて下さい。もう良いのですよ。操る糸を切って楽になりましょう」
 その手を。
 握り、翻して、噛んだ。
「いいっ!!何をされる!?」
 怒鳴り声に構わず立ち上がり素早い動きで周囲の男の手を躱す。そして孥晋の背後を取り、帯をその首に回した。
 手元で帯を交差させ、己へと引き寄せる。
「動くな。動けば締めるぞ」
 初めて彼は男達に声を聞かせた。
 声変わりをしていない少年の声ながら、それは落ち着き払って年齢以上のものを感じさせた。
「殿下…なにを…」
 苦しげに問う孥晋の首を更に強く締める。
 別の男が問うた。
「何が狙いだ」
 最早、この子供は王族ではない。王の意思に逆らう罪人だ。
 隆統は睨みつつ答えた。
「俺とその子を城の外へ。おかしな真似をすればこいつは殺す」
 やめろ、と孥晋の口が開いた。
「おやめなさい。そんな事をして何になると言うのです」
 また別の男が猫撫で声で言う。
「この後宮の外に出た所で武器を持った兵に囲まれるだけですよ?脱出など不可能です」
 ぐっとまた更に腕の力を込める。
 孥晋の手が動いた。外に出ろ、と。
「仕方ない。行ってみましょうか」
 一番、扉に近い所に居た男が動いた。
 扉は開かれている。男は突然の事態に怯える祥大を手招いた。
「さ、君から出ると良い」
 彼は義兄を振り返る。隆統は頷いた。そのまま逃げろという意味で。
 祥大は扉に近付いた。が。
 そこで男の手に捕まった。思いがけず、その手には短刀が握られていた。
 後宮の規則を破る行為。が、それを許可するのは王だ。
 信じてはならなかった。
「どうしますか殿下。この首を斬る事は簡単ですが」
 祥大の首筋に刃が突き付けられる。
 孥晋が人質に居るとは言え、絞殺には時間がかかる。それ以前に殺してしまう訳にはいかない。脅しの意味が無くなる。
 そもそも――全てが無意味だ。
「…その子を離せ」
「殿下が疑惑を認めて下さるのなら」
 向こうの目的はそれ一点だ。はなから孥晋の人質など意味が無いと思っている。殺せる筈も無い、と。
 男達はせせら笑う。祥大に向けて言った。
「ほら、主人に命乞いをしてみろ。きっと助けて貰えるぞ?」
 少年は泣きそうな目で義兄に言った。
「大丈夫です、兄さま。一緒に天国に行きましょう?」
「健気な事だ」
 男は笑って。
 刀を離す――と、その小さな体を蹴り上げた。
「やめろ!!」
 三人の男達が寄ってたかって子供を甚振る。
 床に血が散った。
「やめろ!やめてくれ!」
 隆統は帯を離し、男達と弟の間に割り込んで腕を広げた。
 一瞬、後ろを窺う。荒い息遣いが聞こえた。
 再び男達を見上げる。
「認める。認めてやるよ。だがお前達の考えとは逆だ。俺が北州を動かした。俺が消えれば反乱軍は瓦解する」
「これはまた…健気な嘘を」
「事実だ!」
 叫んで、懐から一片の紙を取り出した。
 常に肌身離さず持っている、父の形見。
「俺は父上の望みを叶えたかった!それだけだ!」
 孥晋がその紙をひったくって覗き込む。
 名付けの書。
「万一の時は隆の字を改めよ、か」
 嘲笑い、紙を少年の前に捨てた。
「陛下には到底お見せ出来ませんな、このような…不敬なもの」
「前王の宸筆だぞ…!?」
「尚更ですよ。父に死ねと言われて落胆しない子供が居るものですか」
 その考えは無かった。
 謀叛は、今の王の命を奪う――それが丸ごと頭から抜けていた。
 突き付けられて、青ざめた。
 もしかしたら、逆の立場だったかも知れない。
「この子は…生かしてくれ」
 目を瞑って、告げる。
「俺を殺せば全て終わる。だが、この子は」
 兄さま、と小さく呟く声が後ろから聞こえた。
 上からは鼻で笑う音が聞こえた。
「連れて行け。本物の牢獄でお過ごし頂く」
 広げた腕に手が伸ばされる。
 立たされながら、祥大を振り返った。
 酷い有様だった。頭から血を流し、手足はあらぬ方向に曲がっている。
「治療を…!生かしてくれ!頼む!」
 押されながら叫ぶ。
「あいつだけは…!」
――たすけて。
 とーと、たすけて――
 突然。
 腕を掴む力が消えた。
 えっ、と小さく声を漏らす。
 支える力が無くなり、かと言って限界を超えていた我が身も己を支えられず、その場に座り込んで。
 見上げた先に。
 薄紫の絹が翻った。その中から銀髪が覗いた。
 煌めく光。鋼のそれだ。
 どうして刀が、と思う間もなく。
 その刃は、男の首筋を物凄い速さで捕らえた。
 次の瞬間迸ると思われた血潮は、しかし無く。
 代わりに、ごっという鈍い音が響いた。
 気を失った男が倒れる。
 刀を逆刃に持っているのだと気付いた。しかし何という速さ、隙の無さだろう。
「大丈夫か?」
 言いながらその人は振り返った。
 お互いに、目を見開いた。
 ――さく!
 幼い自分の声を脳裏で聞いた。
「…龍晶」
 彼は父の名を呟いた。
 すぐに別の敵が襲ってきた。危ない!と叫ぶ声は上げられなかった。
 が、その敵は刀を振り下ろす暇も無く崩れた。
「油断すんなよ」
 渋みのある女の声。聞いた事がある。
 そして言葉通りにすぐに身を翻す。また、ごっという身を叩く音が聞こえた。
 孥晋がそこに伸びていた。
「こんなもんか?」
 拍子抜けと言わんばかりに波瑠沙が問う。
「だろうね。完全に不意打ちだから」
 言いながら朔夜は祥大の横に跪いた。
 血を流す頭に触れる。
「急げよ。次が来ると面倒だ」
「うん。とりあえず、ここだけ」
 光が浮かぶ。優しい光。
 それを見ていると、波瑠沙が手を差し出してきた。
「立てるか?」
 手を握り返す。ぐっと引かれるが、その瞬間強い眩暈がして目の前が白んだ。
 完全に立てないまま倒れた体を波瑠沙は支える。そのまま抱き上げた。
「気を失ったみたいだ」
「無理してたんだろ、きっと」
 治癒を終えた朔夜がその手で祥大の上体を支え起こした。こちらも意識が無い。
 片手で隆統を抱いた波瑠沙がもう片手に祥大を抱える。十代前半の男の子を二人持ってけろっとしている。
「やっぱり馬鹿力…」
「うるさい。さっさと行くぞ」
 去り際、朔夜は落ちていた紙片に気付いて拾い上げた。
 すぐに察してそれを懐の巾着袋に大事に入れた。中には今も骨片が入っている。
「静かだな」
 後宮は息を潜めていた。何が行われているか、誰もが知る所だったのだろう。
 だが助かった。変に敵が増える事が無い。その場所ゆえに兵達が異変を感じて駆け付ける事もまず無い。
 朔夜は勝手知ったる様で後宮の迷路を抜け、行き道に壊しておいた塀に辿り着いた。
 塀と堀の間の細道を抜け、最寄りの橋を渡ると、馬が四頭。
 うち二騎は人が乗っている。賛比と飛雀だ。
「奪還は成功だ」
 波瑠沙が言いながら、それぞれに子供を預ける。賛比に隆統を、飛雀に祥大を。
 朔夜は片手で騎乗した。手の空いた波瑠沙も続く。
「よし、行こう」
 朔夜を先頭に走り出す。南西へ向けて。
 追手も来ない。尾行されているとしても、後ろは密かに孟逸と侖賓で守ってくれている。
 彼らは真っ直ぐ一つの街に駆け込んだ。
 救民街。
 今もそこは白い建物が並び、運河が流れ、作物が青々と育っている。
 診療所の前に朔夜は馬を止めた。後続もそこに止まる。
 中から二つの人影が出てきた。
 子供達の、それぞれの父親だ。
 二人が子供を馬上から受け取る。祥朗は愛息の酷い有様に涙を浮かべた。
 一方で桧釐は苦く笑っていた。こういう姿を昔、何度も見ている。人は違うが完璧に重なる。
「二人共ご苦労だった。賛比もな。あ、お前もありがとよ」
 飛雀だけついでのように言われる。本人は不満顔だ。完全に巻き込まれただけなのに。
 入ってすぐに朔夜は祥大の治癒を続けた。折れている手足を治す。
「本当に…なんとお礼して良いか」
 声を震わせながら祥朗は言う。
 桧釐は我が子の様子を窺いつつ首を横に振った。
「いや、その前に俺が謝らねば。大事な子息を巻き込んで済まなかった」
「そのような…。皆様のお陰でこうして帰ってきてくれたのです。それで十分です」
 朔夜は治癒を終えて顔を上げた。ちょっと眠そうに。
「これでもう大丈夫ぁわあ…」
 後半は大欠伸だ。
 波瑠沙は大真面目に忠告した。
「化粧したまま寝るなよお前。お肌荒れちゃうぞ」
「どーでもいいよー」
 目をごしごしと擦りつつ立ち上がって、隆統を見下ろす。
「こいつは大丈夫そう?」
「傷だらけだが緊急性は無いだろう。休め」
 桧釐に言われてそのまま横の寝台に倒れ込んだ。
「おい、着替え」
 波瑠沙は言うが、女装したまま朔夜は既に寝ている。
 苦笑いで諦めた。
「皆さんご無事ですか」
 この診療所の主である要(ヨウマ)が顔を出した。
「子供達が無事かどうかはともかく、生きて帰ってきた」
 桧釐が答える。
「それは良かった。ゆっくりして行って下さい…と言う訳にもなかなかいかないでしょうけど」
 軽く笑って桧釐は頷く。こちらは追われる身だ。
 要は眠る隆統を覗き込み、額に手を当てた。
「熱っぽいですね…これから高熱になりそうだ」
「何?大丈夫か?」
「今のうちに水分と食料を。液体状にして飲み込んで頂きましょう。お若いとは言え、体力が持たねば危ないかも知れない」
「手伝います」
 祥朗が立ち上がって支度すべく奥へと入った。
 我慢ならないと言った顔色で賛比が傍らに寄ってきて寝顔を覗いた。
「申し訳ない…何もお力になれず」
「いや、お前は悪くない」
 桧釐の言葉に溜息を吐き、頭を下げ、このひと月で痩けてしまった若い頬を掌に包む。
「起きていれば生意気なのに、こんな姿見るとまた生意気言って欲しいと思ってしまうじゃないですか…。狡いですよ、若様」
 桧釐は少し微笑んで、自分などより余程愛情を持って接する彼らにその場を任せる事にした。
 外に出ると、暮れゆく空。
「あんまり似てるからびっくりしたよ」
 後ろから波瑠沙が言った。
「俺に?」
 振り返りつつ問う。
「な訳ねえだろ」
 軽く笑って彼女はきっぱり否定した。
 自然に視線は空へと向く。
「あいつは…どう思ってんのかねえ」
 桧釐も空を見上げた。
 細長い雲が夕陽を受けて輝きながら、龍の形を作っていた。


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