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月の蘇る
  2
 まだ身動き出来ず寝台の上の生活が続く。
 十年眠っていたのだから数日で元に戻る筈が無い。尤も、本当にそんなに月日が経っているのかどうか、朔夜には実感が無いし信じられないのだが。
 見知らぬ場所で、顔を合わせるのは不老不死になった波瑠沙。月日を感じさせるものが無い。
 その上に、同じ館(やかた)に逗留しているのが明紫安だ。こちらもまた時間を超越したお人。
 その彼女が部屋を訪ねてきた。
「ご気分は如何ですか、朔夜君」
 問われて、枕の上の顔を綻ばせる。
「気分は最高です。波瑠沙がずっと近くに居てくれるから」
 歯の浮くような台詞を何の恥ずかしげもなく言ってしまう辺り相変わらずだ。
 その彼女は枕元で苦笑している。
「あとは早く体が動けばなあ。せっかくだから海で泳ぎたいのに」
 そこは少し不満げな顔をして言う。明紫安は優しく微笑みながら、波瑠沙と対面になる形で枕元に座った。
「焦らないで良いのです。いくらでもここに居て良いのですよ?」
「もう十年も居座ってるみたいだから」
 少し笑って言い、考えていた疑問をぶつけた。
「でも、なんでわざわざこんな所まで。繍(シュウ)からだいぶ離れてるのに」
 そこは波瑠沙が答えた。
「分かるだろ、他の国には置いておけなかった」
 四つの国が己を殺そうとしていたのは事実だ。
「でも北州(ほくしゅう)は?」
 北州の長である桧釐(カイリ)達の所に運ばれると思っていた。
「最初は北州に行ったらしいよ。燕雷(エンライ)達がそうしてくれたらしい。私もその時まだ目覚めてなくて記憶が無いけど」
 千里を見渡す能力によって遠くから事態を見ていた明紫安が後を引き取って説明した。
「しかし、戔(セン)王府はあなた方が国内に居る事を重要視しました。北州長に身柄を差し出すよう求めた。当然、彼は拒否しました。再び内乱となる一触即発の状態となりましたが、戔王がそれを止めたのです」
「鵬岷(ホウミン)が…?」
「今は改名なさってますが、それはまた別の話ですね。とにかく戔王は、あなたの身柄を国外に出す事で北州を許すという条件を出した」
 今度はまた波瑠沙が受け継いだ。
「そこで私が目覚めて、暗枝阿(アンシア)陛下に協力頂いて、哥に戻って来た。どうせなら都よりこっちが良いと思ってな。お前を海に連れて行く約束があったから」
「そっか…」
 波瑠沙に微笑んで。
「ありがとう。ちゃんと約束を覚えててくれたんだ」
「忘れるかよ。だって、それは私から言い出したんだし、一緒に来たかったんだ」
「そうだよな。あー、早くあの窓の向こうに行きたい!」
 波瑠沙は笑って頭を撫でてくれる。
 笑い返しつつも、今聞いた事を反芻する。
「…鵬岷はどうして許してくれたんだろ」
 あの王の裏に皓照(コウショウ)が居るのは明白なのだから、この際首を落とされてもおかしくなかった筈なのだが。
 明紫安は苦笑に近い微笑みで答えた。
「暗枝阿の脅しです」
「ええ?」
「どうやら直接、戔王宮に忍び込んで王に言ったようです。君を害すれば、戔は滅びると」
 朔夜も苦笑いで返す。
「そこまで言う?嘘だろ?」
「いえ。事実、君には無意識の中にそういう力が有るようです。皓照殿はそれを恐れているようで…その時は君に手痛い傷を負わされて姿を隠してしました。だから暗枝阿の脅しも効いた訳ですが」
「…え」
 丹念にあの時の事を思い出そうとするが、頭の中に霧がかかるばかりである。
「俺が、皓照に、傷を?そこまでの深傷?」
「だったらしいぞ。私も見てないけど。是非見たかったが」
 波瑠沙の言葉に哥王は微笑んだ。が、顔を引き締めて告げた。
「それも君の無意識が働いての事でした。暗枝阿が言うには…いえ、私も薄々感じてはいましたが…朔夜君、あなたには、途方も無い力が宿っているようです」
 本人は目を見開いてその言葉に驚いている。
 明紫安は続けた。
「しかしそれはあなたがあなた自身である時には発揮されないようです。覚えていますか?以前に繍(シュウ)に追い詰められて命を失った時の事を。あの時もあなたのその力は発揮されて、私達にさえ考えられない事態であなた自身と華耶さんが助かった。今回も同じです。皓照殿の絶対的な力に、あなたは勝った。どちらもあなた自身が命を失った後の事です」
 信じられない顔のまま、朔夜は強張った笑みを浮かべた。
「死んだ後…なら、俺じゃないんだよな。俺自身の力じゃなくて、何かに操られているだけなんだ…」
「そうとは言い切れません」
 また目を見開く。
「その大きな力の一端を、君自身が使い熟せるようになってきています。徐々にその力量は上がってゆくでしょう。その全てを己の意思で使えるようになる日が、いつかは来る」
「…そうなったら、どうなるの?」
「分かりません。それは、君次第」
 朔夜の顔が青ざめていた。
 恐ろしい話だった。
 しかし更に恐ろしい事を彼女は続けた。
「皓照殿はそれを危惧しています。そしてそれは暗枝阿も口にしていた。その強大な力に君が飲み込まれたら、自分以上に非情な恐ろしい存在になると」
 瞳が大きく揺らいだ。
 震える。暗枝阿の非情な行いが脳裏に過(よぎ)る。
 いつかは自分もああなると脅されてはいたが。
 それ以上になると言うのか。
「嫌だ…そんなの…。王様、俺はどうすれば良い?どうすれば飲み込まれずに済む?やっぱり首を落とされた方が…!?」
「馬鹿野郎!生き返ったそばからそんな考え起こしてんじゃねえよ!」
 波瑠沙に一喝されて口を噤んだ。
 明紫安は考えつつ言った。
「これは…思案のしどころなのですが、朔夜君」
 朔夜は頷いて先を促す。
「暗枝阿と燕雷さんは、腕を元に戻すなと言うのです。片腕ならば力はどうしても削がれる。尤も、君が意識を失ってその力を暴走させればそんなものはあまり関係無いのですがね。しかしその不便があれば行動は慎重になるだろうと…すみません、私はこの意見にそこまで賛成は出来ないのですが。彼らが言うので」
 揺らいでいた朔夜の瞳が、すっと定まった。
 覚悟を決めた顔で。
「それで回避できるなら、俺はそうします」
「朔…!」
 波瑠沙が顔を顰めた。彼女もこの意見には反対だったのだろう。
 その彼女に笑んで、朔夜は言った。
「片手が無いぶん慣れるまでお前に甘える事になるから、それは悪いなって思うけど」
「そんな事…」
「でもお前に甘えられる状況が嬉しいかも」
「馬鹿っ」
 頬を叩かれた。彼女は思わず手が出たというくらいの軽いもののつもりだろうが、そこは彼女なので相当痛い。
 いでで、と頬を抑えようとした手が無い。
 反対側の左手で押さえて苦笑する。慣れるまでこれは相当かかるだろう。
「無理せずとも良いのですよ、朔夜君。今すぐその危険があるとは思えません。再生させましょう。矢張り利き手はあった方が良いでしょう?」
 王の親切に朔夜は首を横に振った。
「良いんです。俺が怖いから」
 悲しく笑って。
「多少の不便なんてどうだって良い。…もう誰も傷付けたくないから。それを叶える為なら腕の一本くらい、要らないです」
 明紫安は俯いたが、顔を起こして微笑んだ。
「分かりました。気が変わったらいつでも言って下さい」
 朔夜は頷く。
 今のところは要らない。でも、この先は何があるか分からない。
 明紫安は頷き返し、気を取り直すように言った。
「体の他の部分ならお役に立てます。早く動けるようになるよう力を送りましょう」
 無邪気に朔夜は笑う。
「やった。これで早く海で泳げる」
 波瑠沙は仕方ないなとばかりに笑った。
「お前はそればっかりだ」
「ずっと楽しみにしてたんだもん」
「そうだな。本当に」
 明紫安の手が体に触れる。撫でるように全身に掌が当てられてゆく。
 微かな光を伴いながら。
 温かく気持ち良くて、眠くなる。
 明紫安が手を離す。
「終わりましたよ」
 告げながら顔を見ると、幸福な寝顔がある。
 彼女は娘と目を見合わせて、笑った。

「朔、飯だよ」
 遅い起床に合わせて朝食兼昼食を波瑠沙は運んできた。
 左手で上体を起こして、鼻をくんくんとさせる。
「良い匂い」
「腹減ったろ」
 頷いて、寝台から降りようと足をついた。
「おい、無理すんな。食わせてやるのに」
「良いって。そこの机で食べる」
 まだ立った事が無い。だが構わず朔夜は足に力を入れて寝台から体を浮かせた。
「ほら!」
 立って見せて、笑う。
 波瑠沙は急いで卓上に食事を置いて、朔夜に手を貸した。
 肩を担がれて歩く。十年ぶりに。
「嬉しいな。いろいろ出来るようになるって」
 飾らない言葉に波瑠沙は笑った。
「子供みたいな事言う」
「ほんと、生まれ変わって子供に戻った気分だよ」
「そりゃ良いや」
 笑って、椅子を引いてやる。
 座らせて、自分も横に座って。
「ご馳走だ!」
 皿の中身を見て嬉しそうに言い、左手で匙を取った。
 波瑠沙は食べ易いように朔夜の手元に皿を寄せてやる。
 皿の中身は肉や野菜が柔らかく煮込まれた、粥。
「お米?」
 哥には無い筈だが。
「ここは港だ。海の外から何でも手に入る。この米は樊(ハン)から来たんだ」
 朔夜は納得して大きく頷く。
 樊はかつて繍に属する小国として存在していた。海に面していると聞いた事がある。
「お前の為に陛下が買って下さったんだよ。ま、実際に買い付けに行ったのは私だけど」
「へええ。ありがとう!」
 匙を口に運ぶ。まだ難しく、匙の中身は半分程溢れてしまったが、そこは波瑠沙が上手く皿で受けた。
「美味い」
 満足の笑み。
「良かったな」
 見てる方も嬉しくなる。
「王様は都に居なくて良いのか?」
 食べながら疑問に思っていた事を訊いた。
「ああ。都には今、暗枝阿様が居られるから。
このでかい国は東西にそれぞれ王が居た方が政は捗るってさ。明紫安様は港で交易も出来るからこっちが良いって言うし」
「それだと東西で別の国にならない?書状を出しても時間がかかるだろ?」
「お前、二人が普通のお人じゃないのを忘れてるな?あのお二人はな、離れていても会話出来るんだ。遠くを見通す能力の応用なんだって」
「そうなの!?そんな便利な能力があるんだ!良いなあ」
「羨ましいのか」
「だって、俺にもそれがあったら、いつでも波瑠沙と話が出来るんだろ?」
「…直接話せよ。四六時中こんな近くに居てやってんのに」
「それもそうだ」
「馬鹿かお前は」
 呆れつつ、軌道に乗った伴侶の食事を見て自分も皿を引き寄せて食べる。
「こんな事言ったら誤解されるかも知れないけど」
 緩んでいた顔をいくらか引き締めて。
「遠くの人と会話出来るなら、華耶と話がしたいかな」
 波瑠沙は食べながら頷いた。
「確かにそれはあるな」
「今どうしてるんだろ」
「灌に居る。結局、あのままだ」
「灌王は健在なんだ」
「ああ。歳取ったぶんタチの悪いジジイになってるよ」
「最悪だ。そのジジイに華耶は…」
「相手をさせられてるんだろうな、今も」
「最悪」
 朔夜は繰り返して溜息を吐く。
「龍晶に託された。華耶と春音を頼むって」
「うん…そうだろうな」
「春音は?」
「変わらず北州に居る」
「良かった。変な事にはなってないんだな」
「とりあえず今の所はな」
 頷く。これから成長するにつれ、都が何を考えるかは分からない。
「十年経ったなら…十四?」
 あの小さな子が。想像がつかない。
「お前が動けるようになったら会いに行ってやるか」
「うん。でも、覚えててくれてるのかな」
「思い出すよ。あれだけお前の事慕ってたんだから」
「うん…」
「そう考えたらお前、やっぱり右手はあった方が良いんじゃないか」
「え?」
 そこは朔夜の中では繋がらなかった。
「心配させるだろ」
 匙を口にくわえたまま、うーんと考える。
 波瑠沙は更に言った。
「それに、春音や華耶をどうにかしようと思うなら、お前には刀が必要だと思うが?」
「まあ…他に出来る事は無いのは確かだけど」
「刀を持ちたくないと言うなら無理強いはしないけどな。もし二人を守る為にって言うのなら両手が無いと。お前の得物は双剣だから」
「そうだよなあ…」
 腕を組んで考えようにも片方は肘までしかない。
 当たり前に在ったものが無くなるというのはこういう些細な場面で堪える。
「とりあえず、左手だけで刀がどうにかならないか探ってみても良いか?」
「そんなに手を戻したくないのか」
「化物にはなりたくないから」
「ならねえよ、お前は」
「いや…自信無い」
 俯いてしまう。これまでの事があるから。
 波瑠沙は自分の食事をさっと終えて、明るく言った。
「海に出てみるか、朔」
 顔が上がる。
「良いの?」
「ちょいと波打ち際まで散歩だ。何ならおんぶして行ってやっても良いぞ」
「なるべく自分で歩く」
「遠慮するなよ」
「遠慮じゃないよぅ。動かなきゃ戻らないし」
「本当は甘えたい癖に」
「それは…また別の所で」
「なんだよ別の所って」
 頬を指で突かれる。緩い口元で笑いつつ、なされるがまま。
 一頻り悪く笑って、波瑠沙は立ち上がり手を差し出した。
「行こう」
 左手を繋いで、立ち上がって。
 少しよろめいた体を支えて、十年ぶりにその部屋から出した。


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