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月の蘇る
  9
 寝る子を背負って夜道を歩くのでは、そう遠くまでは行けない。
 馬も放してしまった。とりあえず荷のある元の場所まで帰るのがやっとだった。
 背中の寝息を聞いていると危機感など消えてゆく。よく寝ている。
 これだけの打撃を加えられた後で敵も立て直しに必死だろう。朝になってから後の事は考えれば良い。
 とにかく目覚めて自力で歩いてくれねば話にならない。
 自在に歩けるようになるまでは放っておいて貰いたいものだが。
 漸く寝る子を地面に下ろした。踏まれ、土に塗れた毛布を拾い、拡げて土を払い体に掛けてやる。
 力を使い果たし、しかし何も不安を感じさせない寝顔。
 こいつに斬られた九年前が嘘みたいだ。
 すっかりその力を己の物にしている。念の為の警告はされたが、以前ほどの不安は自分でも感じていないのだろう。
 悩み、過ちを繰り返し、絶望してきたこれまでの犠牲が、漸く報われた。
 だからこそこの戦いを決断出来たのかも知れない。
 己の半生を払拭する戦い。
 その決着の為に。
 ふと、光を目の端に感じた。
 向き直ってよくよく目を凝らす。
 木立の向こうに揺れる灯り。
 見ていると、それが徐々に増えてゆく。
 それが迫ってくる。
「…まずい」
 朔夜を揺り動かす。
「朔、起きろ。敵だ」
 目覚めない。力尽きているのだ。尋常の眠りではない。
 灯りが松明だと分かる程に近付いてきた。
 こうなったら、気配を潜めてやり過ごすより無い。
 しかし数が多い。今日退却した軍の生き残り、それに加えた数が迫ってきているのではないか。
 このままやり過ごせるか。
 無理か。そうしたらどうする。
 自問しているうちに足音が迫る。
 朔夜は目覚めない。燕雷は己の刀に手を掛ける。
 その時聞こえた声に度肝を抜かれた。
「皆さん、ここですよー!ここに悪魔は居ますよー!」
 全く場違いな朗らかな呼び掛け。
 あの男だ。
 最早、力が抜けた。
 これはもう、どうにもならない。
 予想通りの金髪が視界に現れた。
「君も懲りない人ですね、燕雷。だけどもう、良しとしませんか」
 深い溜息。
 ここで死ぬか。
「刀を抜きますか?やめておきましょうよ。私だって長年の友人を斬りたくはありません。大体、今死んで何になるんです?」
 兵が自分達を囲む。
 もう逃げる事は不可能だ。
「そこに悪魔くんは眠っています。王城まで運んであげて下さい。桓梠への良い土産になりますよ」
 皓照は兵達に言って、再び燕雷に向き直った。
「止めないで下さいね。繰り返しますが、君を斬りたくはありませんから」
 動かなかった。
 動く気が無かった。
 相手の言う事は正しい。
 ここで死んでも意味が無い。
 兵が朔夜の身を運んでゆく。結局、全く目覚めぬまま。
 二人、そこに残った。
「…皓照」
 乾いた口を、漸く開いた。
「教えてくれ。どうしてあいつ一人の為にここまでする?あいつにもう危険は無いのに、何故」
「危険が無いとは言い切れませんが、確かにそうですね。彼は以前と比べて格段に力を操れるよう成長している」
「だったら何故!?」
「世の為ですよ。彼は必要悪なんです」
 分からない。眉根を寄せる顔に皓照はにっこりと笑う。
「だって、見ての通りですよ。悪魔退治の為に四つの国は纏まった。分かり易い敵が居れば人は団結するものです。即ち、彼は国々を統一し和平を齎す為の必要悪なのですよ。素晴らしいでしょ?」
 愕然と、その男を見る。
 反論すべきだった。そんな事は間違っていると。そんなものは和平と言わないと。全て、お前一人の為の計画だろう、と。
 何も言葉にならなかった。そして叫んだ所で無意味だった。
 もう、何もかも、遅い。
 そして人々はこの男の掌の上の和平を享受するのだ。
 それの何が悪いのか、言う事が出来ない。
「燕雷、以前の関係に戻りませんか?私は君が居た方が生きていて楽しい」
 友人と名乗る男は言う。
「私達の関係も、悪魔によって歪まされたのですよ。彼が消滅するなら元に戻っても良いと思うのですが?」
 無視をして、脇を通り抜ける。
 行く当ては無かった。とりあえず山を下る。
 永遠の命が、初めて憎いと思った。

 意識が戻ると共に、聞き慣れた声が耳に入ってきた。
 耳から頭に入って、ぼんやりと考える。
 有り得ない。だって、俺はこうして何もしてないのに。
 彼女の声。抱き合う時の、愉悦の声。
 はっと目を開けた。
 見なければ良かった。
 憎い男の体で、愛した人が悦ぶ様を。
 前のめりになった時、喉に鋭い痛みが走った。
 刃を突き付けられている。可能な限り視線を下に向ければ、影の手だとすぐに分かった。
 波瑠沙の目がこちらに向けられた。
 何か言いたげに。
 口は嬌声を上げ続けている。
――裏切った。
 俺はそれを望んだ。だけど。
 意識が再び遠退く。
 これも悪夢だと、己の無意識がそう教えた。

 地下牢。
 結局、ここに戻された。
 逃れられない運命。全く馬鹿みたいだ。
 体は動かない。手足を縛られているが、それ以前に体力が尽きている。傷も治っていない。
 何より、これ以上動く意味が無い。
 生きる意味が見当たらない。
 己の全てだと信じた人は向こう側に行ってしまった。
 ならば、この世界に残る意味は無い。
 死んだ友の所へ行きたかった。
 足音。振り返る気にはなれない。
 何も見る意味が無い。
「朔」
 耳なんて聞こえなくなってしまえば良いのにと思った。
 誰かこんなもの削いでくれ。俺が影の鼻を削いだように。
「起きてんだろ?まあ、聞けよ」
 嫌だ。聞きたくない。お前の声なんて。
「私が桓梠の子を宿したと判るまでお前は生かされる。その間にお前が再びあいつの駒になると決断すれば寿命は伸びるんだが」
 なんだよ、それ。
 自分が何言ってんのか分かってるのか。
 否、分かってるか。だって、お前は。
 俺の知ってるお前じゃない。
 もう、別人だ。
「悪い事は言わない。心を殺してでも、身を生かす方を選べ。華耶もそうすると言った。未来は何があるか分からないから」
「それでお前は奴を選んだのか」
 掠れた声で問う。
 憎しみを存分に込めて。
「いや?選びたいから選んだ。お前よりよっぽど良いぞ。あいつに抱かれるのは」
「ふざけんな!」
 初めて、顔を向けた。
 鉄格子を挟んで目が合った。
 涙でその顔は曇っていた。
 笑う唇だけが見て取れた。
「…お前」
 偽物の笑みだ。
「そういう事なのか…?」
 彼女の後ろに黒い影が蟠っていた。
「そういう事だよ。残念だったな」
 雫が一滴、溢れて落ちた。
 信じていたいだけの自分が居る。
 これ以上裏切られたら、本当に崩れてしまうと分かっているのに。
 彼女が俺の形を保ってくれている。
 今も、まだ。
 まだ、好きなのだ。
「泣くなよ、朔。本当に子供だな」
 笑って、波瑠沙は振り向いた。
「餓鬼に飯くらい食わせてやりたいんだが。何せこの雛は私の口からじゃないと食わないんでね。餓死させる訳にはいかんだろう」
 影に言うと、低く不機嫌に問い返された。
「生かしたいだけだろう?」
「そうだとして、何か不都合が?」
 余裕たっぷりに返す。
「桓梠は出来ればこいつをもう一度生かして使役したいと考えている。最悪、それが駄目でも必要なのは生肝だ。生かさなきゃどうにもならないんだよ」
 いよいよ機嫌を損ねた様で、仮面の下で憤然と息を吐く音がした。
「勝手にしろ」
 言い放って、牢の鍵を開ける。
 その黒い仮面の頬に、白い手を絡ませた。
「そう怒るな。これが終わったら抱かれてやるよ」
 影は無言のまま退がった。
 波瑠沙はそこに置かれていた水と飯を手に牢の中に入る。
 動かない体を抱き起こした。
 朔夜は表情の無い顔で、涙だけ垂れ流している。
 最早何も前置く必要は無く、波瑠沙は飯を口に含んで噛み、その口へと移した。
 初めは拒もうと顔を逸らした。が、逃げ場は無く為されるがままに。
 飲み込むしか無かった。
 この現実を。
 そのまま口付けを受ける。
 正直、分からない。これが己を生かすものなのか、壊すものなのか。
 壊されても良いと思った。
「私が憎いか」
 まだ触れそうな口元で訊かれた。
 ああ、と答える。
 憎い。あの様を見せつけられて、こんなにも惨めな思いをさせられて、その上まだ。
 裏切られる。そうして欲しい。いくらでも。
「波瑠沙…俺を殺して、お前は生きて。頼む」
 泣きながら、笑って。
「お前に殺されたい。そう願ってしまう。馬鹿だな」
 彼女は微笑み、頷いた。
「分かるよ。逆の立場なら私も同じ事を言う。だけどな朔、私は殺さない。今までずっとそうしてきたように」
 酷薄にも見える笑みで。
「お前の命綱は私が持ってるんだぜ?」
 朔夜は顔を背け、頷いた。
「…桓梠は俺に何をしろって?」
「従うか?」
「お前に従う。俺は」
 彼女は大きく頷いて、鉄格子の外に笑みを向けた。
「懐柔は成功だ。お前の主人に報せて来いよ」
「お前がここを出るまで離れる訳にはいかない」
「お固いなあ。そんなに疑わなくて良いのに」
 笑って、再び下へ目を向けて。
「お前はこうして捕らえたのに、戔苴の兵が帰ってくれないと王が戦々恐々としているらしい。その上に灌の兵も加わった。このままこの王城を攻め滅ぼす構えだ。お前が行って蹴散らして来いってよ」
「分かった…」
 感情の無い応え。最早道具だった。
 その頬に頬を擦り寄せられる。
「成功して無事帰って来たらまた抱いてやるよ。報酬に」
「要らねえよそんなもん」
「そう?ま、要るようになったらいつでも。子を孕むまではな」
 それを抜け抜けと言うのが信じられない。そこまで見下げ果てた女だったか。
 拒むように体から離れた。
 まだ動けない。それだけの動きで息が上がり目が回る。
「もう少し寝ておけ。奴らもまだ様子見だろ」
 波瑠沙は立ち上がって言い、牢を出た。
 飯か水に薬が混ぜられていたのかも知れない。身体も頭も急速に痺れていく。
 閉められた鉄格子の向こうで。
 女が、黒づくめの男に絡まっている。
「これで約束してくれるよな?悪魔との真剣勝負を見せてくれるって」
「無論。その時が来ればな」
「それが一番楽しみだ。ぶっちゃけ、王妃になるより楽しみ」
 笑い声が女の甘い鳴き声に。
 どうしてこんなになっても耳は聞こえるんだろう。
 削いで欲しい。何も聞きたくない。

 宗温は賛比と共に身を潜めていた。
 目前には繍王城。それを囲むように苴、戔、そして灌が陣を構えている。
「結局、繍は攻め滅ぼすようですね」
 賛比が声を絞って言った。
「そういう大義で兵を挙げているからな。だが、見せかけだけかも知れない」
「少し攻めたら帰るって事ですか」
「ああ。兵を納得させる為だけの戦だ」
「悪魔狩りでは納得出来ませんもんね。少なくとも俺はそうです」
「お前は特殊だろう。あの兵達は、繍から報酬を奪う事が目的だ。少し脅して金を出させる。でなければ出兵してきた意味が無い」
「そっか。戦は金がかかりますもんね。世の中そういうものかあ」
 若者の社会勉強はともかく。
 人々の声がざわついた。
 目を凝らすと、王城から一つの人影が出て来たと分かった。
 小さな人影。大人ではない。
 そう、その見た目だけは。
「朔兄…!?」
 賛比が驚きの声を漏らした。
 彼を救う為に自分達はここに居るのだから。
「朔夜…いや、あれは」
 纏う空気の禍々しさ。あの時と同じだ。
 砂漠の城の牢の中で、世の全てを呪っていた。
 そして。
 人影が動いた。目に留まらぬ速さで。
 断末魔だけが響き渡る。いくつも、続けて。
 三ヶ国が結集した何万という兵が、なす術無く倒れていく。
 賛比は言葉を失ってその様を見ていた。
 慕った人の変わり果てた姿。
「…止めなきゃ」
 呆然としながら呟く。
「戔軍の中には、まだ俺の仲間が…。朔兄に教えて貰った仲間が居る…」
「待て」
 ふらふらと動き出した体を抑える。
「危険だ。今の彼は、相手など見えない」
「でも朔兄ですよ!?」
 泣き声のように反論して。
「だったら尚更じゃないですか…!あの中に紛れてたら、朔兄はやってしまう。その前に止めなきゃ…!」
 手を払い、駆け出す。親しみを込めて呼び続けた名を叫びながら。
 宗温も後を追った。
 飛び出した二人を気にする余裕など軍勢の中には既に消えている。
 一人が作り出した強力な磁場に、寄せられるか、逃げるか。
 殆どは既に退いていた。
 何せ意味が無い。こんな所で死んでも。
 これはもう終わったも同然の戦なのだ。それをこんな形で蒸し返されては、たまったものではない。
 ぽっかりと空いた彼の前に、賛比一人が立った。
「朔兄!」
 正面から向き合った。
 表情の無い、生気も無い顔。銀の長い睫毛の下の瞳は、曇って何も見えていないような。
 急に怖くなった。
 この人は、悪戯小僧のようだった以前の彼ではない。
 もっと何か超越した――別の何かが乗り移ったような。
 それに相応しい容姿なのだと今更気付いた。
 馬鹿をやって笑い転げていた時は何も思わなかったのに。
 人間らしくない美しさがそこにはある。
 その優美な動きで。
 彼はこちらに刀を向けた。
「いけない!」
 後ろから身を引き倒された。
 またこの人に庇われた。
 刀が振られる感触を紙一重の所で感じた。
 金属音。恐る恐る目を開ける。
 切っ先は、地面を叩いていた。
 その人は蹲って、肩で息をしている。
「朔兄…」
 ゆっくりと肩越しに振り向いた顔に、やっと表情が浮かんでいた。
 酷く悲しい目。
 それはすぐに背けられ、彼は立ち上がる。
 非情に戻った冷たい目で己の戦果を見渡し、踵を返した。
「朔兄!待って!」
 聞こえぬかのように城へと向かう。
「帰ろうよ!戔に!」
 城門の中に姿は消えた。
「どうして…!?」
 虚しい叫びが血生臭い風に攫われる。
 その横で、矢張りどこか呆然としながら宗温は教えた。
「あれが月夜の悪魔だ」
「…戻ったって言うんですか。朔兄は」
「そうらしい…」
 信じたくは無かった。
 それは、新たな戦乱の幕開けを告げている。


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