月の蘇る 3 夜になって、箪嬰は酒を出してくれた。 波瑠沙は大喜びで杯を受ける。朔夜も勧められたが。 「飲まないのか」 「好きじゃない」 「歳はあれでも子供だから」 横から波瑠沙に言われてむすっとする。 「じゃあ代わりに食え。前は何も食わせてやれなかったからな」 せめて何か食って行けと言われたが、それどころではなかった。 成旦が囲炉裏に鍋を置いてくれた。猪肉が入っている。 「うわあ…久しぶりに煮炊きしたものが食える…」 雑穀米も子供達が持ってきて置いてくれた。 「有難い。いただきます!」 がっつく。本当にこんな食事らしい食事が久しぶりだ。 「良かったなあ?その場で仕留めた獲物か、保存食ばっかり食ってたからな」 「ここまで店も宿も無かっただろう」 箪嬰の言葉に頷いて、波瑠沙が訊いた。 「どうやって暮らしてんだよ、この国の人は」 「まず外に出られないからな。大人はともかく子供は連れて歩けない。だから家の中で自給自足だ。自分の畑で細々と食い物を作っている。だから行商に行けば喜ばれるんだよ。畑で出来ない物も手に入るから」 「なるほど。お前は大儲けだ」 「儲ける程の値は付けて無いけどな。そもそもが皆貧しいから。子供を次々捨てる程に」 思わず二人は周りで食べたり遊んだりしている子供達を見る。 正真正銘の捨て子達。こうして手を差し伸べる大人などそうは居ないのだろう。 その結果が、道々見てきた惨殺体だ。 今はその光景を思い出すまいと朔夜は頭を振って食う事に集中した。 「良い食いっぷりだな。お代わりもあるからな?」 「良いの?お前達の食う分はある?」 「売る程あるよ」 笑って箪嬰は答え、空の茶碗を受け取って自ら飯をよそって来た。 「時々国境まで売り物を取りに行くんだ。国から外に出れば物は豊富にあるから」 朔夜に茶碗を返しながら箪嬰は説明した。 狭められた繍の国境から外は自由で豊かな暮らしが存在しているという事だろう。 かつて朔夜が滅ぼした惇峰(トンホウ)も今や繍の外だ。戻ってきた人々が幸せに暮らしていると良いが。 「お前は逃げないのか。こんな国から」 問いに、心外とばかりに箪嬰は眉を上げた。 「俺が逃げたらこの子達はどうするんだよ。…いや、この子達は一緒に逃げられても、まだ助けなきゃいけない子供は現れるからな」 「ほんっと人が良いよな」 ここまで来るとちょっと呆れる。 「それに、だ。約束があっただろ。お前は聞いていたか知らんが」 「ん?何それ」 自分に関わる事らしいが思い当たる事が無い。 「あの後、お前の親父達に会ったんだよ」 朔夜の手が止まる。初耳だった。 「すぐに分かった。銀髪だったから。何があったか話して、事態が落ち着いたらお前を礼に来させるって言われたから、元の場所で待ってるって言った。この場所で。そうしたらまたお前は来れると思って」 「…そうなのか」 「聞かなかったのか」 「悪い。あいつらのせいじゃなくて、あの後さ」 苦笑いしながら。 「俺は死にかけて、二年も昏睡してたから。それどころじゃ無かったんだと思う。その後も戔に行ってバタバタだったし」 「大変だったんだな」 頷く。この九年間の様々な思いを込めた笑みを、仄かに浮かべて。 出来れば、あの頃に戻りたい。 あいつとまた出会えるから。 「あの二人は元気か?」 「燕雷…よく喋る方な、あいつは元気だよ。親父は死んだ」 あっさりと告げる。 「死んだ…?まだ若かったろう」 鼻で笑って朔夜は言った。 「勝手に死にに行ったんだよ。自分の復讐の為に」 「復讐…?」 「俺達は梁巴の出だから」 それで理解した。そしてまだ新しい記憶に思い当たる。 「あそこでまた戦があっただろう。知っているか」 「知ってるも何も、当事者だから」 可笑しそうに返す。 「お前が…!?」 「今度は俺の復讐だから。この国を滅ぼす」 そう言う目の鋭さは、九年前と重なる。 しかし口元は笑っている。意思の固さと余裕に、成長を見た。 「それで戻ってきたのか…」 「ああ。九年ぶりに」 「だけどそんな事が出来るのか」 「やるんだ。やるしかない。各国の軍も動かしている。勝ち目の無い戦いじゃない」 「大きな戦になるのか」 「お前達には悪いけど。でもなるべく民は巻き込まないようにする」 箪嬰は胡座の上に頬杖をついて何か考えだした。 その横で波瑠沙が酒を煽って手酌で入れながら言った。 「この子達を守ろうと思うなら、それこそ今のうちに国外へ逃げる事をお勧めするね」 箪嬰は頷いた。まさにそれを考えていた。 「それが良いかも知れないな。約束はこうして果たしたし、ここに残る意味はそう無い」 朔夜も頷く。 「北に戔の陣がある。俺の名前を出せば悪いようにはしない筈だ。率いる宗温という男は俺の仲間だから」 「分かった。頼ってみよう」 「悪いな」 「ん?」 「また俺はお前の生活を壊す事になる」 鼻で笑われた。 「行商人に生活も何も無いよ。売り物さえあれば何処でも暮らせる。それより子供達の命の方がよっぽど大事だ。そうだろ?」 その理念で救われた朔夜は、微笑んで頷く。 「良かったよ。お前が無事で。本当に良かった」 箪嬰は空になっている腕に鍋から肉を掬って取ってやり、返しながら言った。 「ほら食えよ。食えば年相応に大きくなるかも知れんぞ」 「それはどうかなぁ」 「せめてお前はもう少し肥えろ」 波瑠沙にも言われて、満更でもなく再び食事に集中した。 雨戸を開けて、夜気を全身に浴びる。 当てがわれた部屋で、波瑠沙と二人。 外の闇を睨んでいると、後ろから温かな体温で包まれた。 「久しぶりに湯に入った。お前も来れば良かったのに」 まだ湿った肌を撫でて。しかし視線は逸らさずに。 「子供が多いからなぁ、ここは。二人で入るのはちょっと」 「へー?なんだい朔ちゃん、何を考えてんだか」 「言わせるなよ」 苦笑いで流して、緩く組まれた腕を外した。 「どうした。何か気になるか」 頷く。視線はまだ外さない。 「後を尾けられてるとして、これほど襲い易い状況は無いだろう?同時に、俺としてもこれほど襲われたくない状況は無い」 「確かにね。子供を巻き込みたくはない」 頷き、開け放った戸から外へ出る。 「来るならこっちだ。表は開けてるから」 山に面したこちら側は身を潜められる場所だらけだ。 「せっかく宿があるのに寝ずの番かあ。今日こそは抱いてやるつもりだったのに」 「それは遠慮しときます」 丁重に断って、あ、と振り返る。 「湯冷めしないようにしろよ?」 「お前じゃないんだから!」 笑って、上衣を羽織った。ついでに刀も。 装備しながらまだ笑って言う。 「そうしてると年相応なのにな。なんで昼間は餓鬼に戻るかなあ」 「はあ?ふざけてる場合じゃないからだろ」 「へー。あれ全部ふざけてたんだ」 「だってそうじゃん!あれがふざけてないなら何だって言うんだよ」 「結構真剣に見えたぞお前」 「…真剣にふざけてるんだよ!」 「何だそれ」 笑って、戸口のへりに腰を下ろして。 「九年前のようにはならないよ。お前は一人じゃないから」 頷かれる。絶対の信頼が存在する。 「幸せが顔に出てるんなら、私としてはそれだけで満足だけどね」 「そうなのかなあ?変わった?俺」 「だいぶね」 自分の顔を撫でている。目が合って、にやっと彼女は笑う。 「あ、そういう事は無しで…顔つきの事だけでお願いします」 「うわっ、言おうと思ったのに」 「やっぱり!」 もー、と笑いながら。 「だから、子供の耳があるから。せめてここではやめてくれって」 「聞かれた所で意味は分かんねえよ」 「そうだとしても、だめ」 「お固いなあ、朔ちゃんは」 笑いながら。 「そうやって笑ってりゃ変わったなって思うよ。多分、箪嬰は梁巴に向かってた頃のお前の顔に近いものを見てたんだろうな」 病んで、食えず眠らずで、未来への不安に押し潰されていた数ヶ月前。 そこから考えれば、確かに今は人間らしくなった。 「よく笑うようになったな、最近」 「それこそお前の為なんだけど」 波瑠沙は満足げに頷く。 「お前の笑う顔が見たいって言ったからか」 「いつもこうなら良いんだけど。ごめん」 「良いんだよ。傷付いて治っての繰り返しの中の笑顔だって知ってるから。だからお前が笑ってると私も嬉しいんだ」 「…うん」 横に並んで座って。 「俺も、波瑠沙が笑ってると嬉しいよ。一番安心する」 「そうだろう?知ってるよ」 肩を抱き、頬を寄せ合って。 「夫婦ってこういう事なのかな」 「そうかもな」 「戦いが全部終わったら、堂々と夫婦に戻ろうよ」 「ああ。それは自分達だけの問題だけどさ」 「今は戦友で同志で相方で」 「肩書きが多いなぁ。何が一番しっくり来る?」 「なんだろ。運命共同体かな」 「長えよ」 「じゃあ何が良いのさ?」 「伴侶かな。永遠の連れだよ」 夜空の中に、碧眼が向けられる。 藍色の瞳の中にも、星が浮かぶ。 「永遠か…」 「永遠だよ。お前の血を飲んだから」 「えっ」 驚いた顔で見返される。 「やっぱり意識無かったか。お前が首を切った時にさ。止血したくて、口で塞いだ」 「…効きそう?」 「分かるかい、そんなの」 笑って、肩を組み直して。 「ずっとこのままだと良いな」 全ての辛苦は横に置いて。 今この瞬間が永遠だと良い。 大好きな人が隣に居る、その現実だけで。 それは限りなく難しいと知っているから。 「…良かった」 「ん?」 「怖かったんだ。繍に居た頃、影に言われた。良い顔になったって。奴らと同じ冷徹な仮面の顔になったのかって…自分が」 「うん。今は違う」 「取れたんだ、あの仮面が。もう無理なんじゃないかって絶望してたから。…人間の顔に戻れたなら、良かった。波瑠沙のお陰」 「うん、だけど、半分は龍晶のお陰だろ?」 「そうだな…」 ぐず、と鼻を啜る。 「泣くなよ」 「泣かないよ」 「全部終わったら思い切り泣け」 「…うん」 その、晴れやかな日を希望にして。 またいつか、堂々とあいつに会える、その時まで。 生きる。絶対に。 生き残る。 夜が更けてゆく。 並んで座ったまま、交互に薄く眠りながら。 「朔」 軽く揺すられ、小さな呼び声で目を開けた。 すぐに気付いた。 山の中に、赤い光がちらつく。 「火矢だ」 「懲りねえな」 瞬時に二人は走った。 波瑠沙は真っ直ぐ山の中へ。朔夜は家に並行して走る。 火矢が放たれた。 己の頭上まで来た時、朔夜は見えぬ刃を飛ばした。 空中で矢が半分に斬られ、炎を纏ったまま地面に落ちて来る。 続いて放たれた火矢も同様に斬られ、地面に燻って消えた。 朔夜はその矢の放たれた方向を睨む。 その時には波瑠沙が討ち手と対峙していた。 闇の中で大刀を振る。逃げ出した敵は、しかし逃げ道を得られぬまま斬られた。 「残りは…!?」 火矢だけである筈が無い。残党はまだ隠れている。 その時、家の表側から喧騒が聞こえた。 朔夜は走った。出てきた戸口から再び入り、家を突っ切る形で表へと出た。 「どうした!?」 音を聞きつけた箪嬰が怒鳴りながら出て来る。 「中へ!子供達を出すな!」 朔夜は怒鳴り返して刀を抜いた。 彼は察したようですぐに引っ込んだ。 道の向こうから、軍勢が姿を現した。 「わざわざ月夜に来なくても…」 眉根を寄せて一人呟く。 桓梠は一体、何を狙っているのか。 考えても無駄だった。 地面を蹴る。 己の意識のまま、敵中に入り刀を振るった。 数は分からない。とにかく視界の全てが敵だ。この狭い空間にどれだけ犇いているのか。 斬って、斬って、流石に疲れを感じて一度退いた。 間合いを取る。いつの間にか体中に切り傷が出来ている。じりじりと血が出て行く感覚。 「朔」 すっと、隣に波瑠沙が並んだ。彼女も別の方向から斬り進んで来たのだろう。 自然に笑みが溢れる。 隣に居る事の心強さ。疲れが飛ぶ。 「背中は預ける」 「お互いにな」 同時に踏み出した。 一歩遅れて敵も動く。 波瑠沙の大刀が一気に敵を蹴散らし、討ち漏らした者を朔夜の刀が確実に仕留めてゆく。 彼女の隙を突く相手は、見えぬ刃がその腕ごと斬り飛ばしていった。 みるみる敵が減っていく。一人ではキリが無いと思われたものが。 二人で息を合わせていく。最初は少しのズレがあったが、すぐにぴったりと合うようになった。その快感は、抱き合う時のよう。 刀を振るう事が急に楽しくなった。 かつては嫌で嫌で仕方なかった。 死にたい程に止めにしたかった。 だけど、自分にはこれしかないと諦めて。 友にもう止めろと言われた時は、冗談にしか聞こえなくなっていた。 平和な暮らしを一度味わって、もう刀は持たないと決めた。 だけど、まだ、戦い続けねばならなくなった。 でも今は、独りじゃない。 共に刀を振るう大好きな人が居る。 永遠の伴侶。彼女を守る為に。そして、自分が共に居る為に。 戦える。何処まででも。 この命が、果てるまで。 [*前へ][次へ#] [戻る] |