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月の蘇る
  4
 出発して半月あまり。
 苴の国内に入り、繍との国境を目指して馬を駆る。
 目指す方向に向かえば向かう程、人々が戦を警戒する空気が濃くなる。
 徐々にその姿を見る事が増えてくる兵たちは勿論、住人達からも緊張感が伝わってくる。異国の者というだけで、宿を取るのも苦労する始末だ。
 そういう事情で漸く取った宿で、朔夜は子供達が箒を槍や刀代わりに遊んでいるのを眺めていた。
 まだ日は高い。
 繍との国境沿い。ここから半日でも駆ければ繍に入る。国境を越える手続きの為に、ここに数日逗留している。
 皓照が居れば煩雑な手続きなど無いも同然だったのだが、燕雷では一般人扱いで難しいらしい。
 改めてあの男がどういう人物なのか知らされる思いがした。
 長閑な昼下がり。
 大人達の緊張感などどこ吹く風と言わんばかりに遊びに夢中の子ども達。
 路地裏の道の真ん中で快音が響く。
 それを二階の自室の窓から眺めながら、朔夜は遠い日の事を思い出していた。
 何度も、何度も痛い思いをしながら、燈陰に向かっていった稽古の日々のことを。
 あんなふうに長い物を持って呑気に遊んだ事は無かった。遊ぶ相手は居なかったし、遊べる状況でも無かった。
 だからこの街は、いつ始まるか分からない戦を警戒しているとは言え、かつての梁巴ほどの緊張感は無い。
 それで良いと思う。
 戦は人をおかしくする。あの頃の梁巴は異常だった。
 人々は、戦いの為に他の全てを犠牲にした。
 あの美しかった村は、自分達の手によって消されてしまった。
 色彩も音楽も失って、残ったものは殺伐とした山々のような、鋼の山。
 勝利して村を守る為に戦っているようには思えなかった。戦う為に戦っていた。
 その空気にほだされて、言ってしまった取り返しのつかない一言。
 『戦いたい』、と。
 その意味さえ知らなかったくせに。
 その先に何が待っていたのか、考えすらしなかったくせに。
 持ってはならない悪魔の力。その代償に。
 見なくとも良かった悪夢にずっと目を奪われている。
 背後で扉が開いた。
 誰が入ってきたかなど、分かりきっているからわざわざ振り返って見たりはしない。
 燕雷は今、関所に行って国境越えの交渉をしている。まだ帰っては来ないだろう。
「朔」
 無視を決め込んで窓の外を見続ける。
 旅の間、ろくに口を聞いていない。
 そのうち諦めて出て行くだろうと思った。
「おい、朔夜」
 しつこい、と思いつつもまだ無視をする。
 苛立つから遊ぶ子供達に意識を傾けていた。
「いい加減にしろ」
 言葉と共に頭に受けた衝撃。
 何かを投げつけられたのだとは判ったが何かは判らず、とにかく怒りが全身を駆け巡った。
「何しやがる!!」
 投げられた物を掴んで投げ返そうとして。
 それが何なのか漸く気付いた。
 軽い木材で彫られた木刀だった。
 それも朔夜の使う短剣に長さを合わせてある。そして、二本。
「見てるだけじゃなく体を動かせ。実戦訓練だ」
 口は利かないままに燈陰を一睨みして、木刀を両手に持ち直す。
 手に馴染む。朔夜の得物の事をよく理解して創っている。
 いつの間にか寸法も重量も全て計った上で作ったのだろう。持ち主の知らないうちに。
「もう動けるだろう?いや、動けなくては困るだろう?刀も満足に持てない奴に、国境を越えさせる訳にはいかないからな」
 嘲笑う燈陰の言に、また睨んで、吐き捨てるように朔夜は言った。
「あんたが練習台になるのか?」
「不足は無いだろう?尤も、弾き飛ばされるのはお前だけどな」
「…表に出ろ」
「言われなくとも」
 あの頃とは違い、剣呑な二人は、子供達の遊んでいた路地裏で向き合った。
 場を譲った子供達は脇で何事かと固唾を飲んで見ている。
「あんたの得物は?」
 手ぶらの燈陰に朔夜は問う。
「必要無い」
 さも当然とばかりに燈陰は言い切った。
「ふざけてんのか」
「いや?俺に刀を抜かせたら及第だ」
 目を据え、無言のまま朔夜は木刀を構えた。
 あの頃とは違う。簡単に弾き飛ばされる事は絶対に無い。その自信がある。
 幾度も死線を掻い潜ってきた。月の力だけで戦ってきた訳ではない。あの頃には無かった経験と、己の腕への絶対の信頼がある。
 目前の男の自信と嘲りをへし折って、後悔させてやるつもりで。
 地を蹴った。
 微動だにしない相手の鼻先まで迫った得物が、しかし標的を捉える事は無かった。
 軽く左に動いてかわされた。確実に当たると思っていただけに面食らったが、即座に対応して体の向きはそのままに左手で薙ぐ。
 が、見切られていた。後ろへ軽く跳んだ燈陰の上衣を掠めたかどうか。
 舌打ちしながら今度は正面から、腰を落とし下から薙ぎ払う。
 当たらない。
 半ば自棄になって次の一手を繰り出したが、単純に横に薙いだ手がまずかった。
 その手首を掴まれ、はっと息を呑んだ時には景色が逆転していた。
 次いで全身の衝撃。がらがらと積んであった木箱が崩れる。
「いっ…つ」
 痛みとしては軽いものだが、直ぐ立ち上がろうとして身体に違和感を感じた。
 怪我ではない。たったこれだけの動きで息が上がり、身体に力が入らない。
 ぐったりと崩れた木箱の上に横たわるより無かった。
 後ろで事の成り行きを見守っていた子供達が、驚きに目を丸くして覗き込んでくる。
「お兄ちゃん…大丈夫?」
 喉は詰まって言葉が発せず、二三度何とか頷いた。
 見ている側にとっては一瞬の対峙だっただろう。朔夜とてこのくらいは準備運動程度の動きの筈だった。
 それが数ヵ月動いてなかったお陰でこの様である。
 何よりもこの現実に頭がくらくらした。
 今から国境を越えて繍に入るのに。
 華耶を救うのに。
「話しにならんな」
 遠くで憎い父親の声がした。
「お前なんざここに置いて行った方が良さそうだ。足手纏いどころの話じゃない。赤子同然だ」
 だから最初からそう言っていた――そう思いながら。
 沸々と、怒りが沸いてきた。
「華耶も今のお前を見ない方が良いだろう。落胆させるだけになる」
 ――じゃあ何でここまで連れて来たんだ。
 華耶を迎えに行くのは、俺だからだろう。
 待っていると言われた。俺を、待っていると。
 信じて待っている、今も、彼女の事だから、きっと。
 だから。
 こんな所で、倒れている場合じゃない。
 動け。
「頑張って!」
 子供達の声。
「頑張って!お兄ちゃん」
「立って!頑張って!」
 朔夜の口元が、微かに笑った。
 あれだけの人に忌み嫌われ、死すら願われた俺が。
 応援されている。立て、生きろ、と。
 俺は、どっちを望むだろう?
「頑張って!」
 ――動け。
 木箱を蹴り上げ、宙を舞い、詰めた間合いから渾身の力で降り下ろす腕。
 燈陰の顔に驚嘆が過ったのを、はっきりと捉えた。
 木刀は、硬い感触で止められた。
 鯉口を切る余裕も無かったのか、鞘ごとの刀で防がれていた。
 その反動で、一歩二歩、後ろによろめいて。
 悲鳴を上げる脚が、ぺたりと地面に着いた。
「…抜けよ」
 呼気だけで笑って朔夜は父親を見上げた。
 少し馬鹿にした笑みだった。
 対する燈陰も、にやりと笑っていた。
「抜くか。こんな奴に合格点出せる訳ないだろう」
「よく言うよ。抜けなかっただけの癖に」
 ふん、と燈陰は鼻で笑った。
 朔夜も十分解っていた。こんな事では燈陰も繍に行けとは言えないだろう。体力は一割も戻っていない。
 それでも何だか清々しかった。
「お兄ちゃん!」
 子ども達に囲まれる。笑顔と、称賛の言葉が並ぶ。
 まだ。
 誰かに必要とされている自分が居る。
 待っていてくれる大事な人が居る。
 何より、まだ、自分は自分を必要としている。どこかでまだ信じている。
 光のある方に進める事を。
「…立てるか?」
 燈陰に問われ、朔夜は返さず意地でも自力で立とうとした。
 たたらを踏みながらも立ち上がり、頼んでもないのに伸ばされる子ども達の手を頼って歩きだす。
「なぁ」
 自分が子供嫌いだという事も忘れて朔夜は彼らに問うていた。
「戦は嫌じゃないのか?」
 彼らに、かつての自分を重ねていた。
 迫り来る戦の嵐を待つ、無力な自分。
 役に立つとも思えない刀を振るって、未来から目を背けて。本当はそんな事もしたくなかった。
 戦が無ければ、と。
「どうして?お兄ちゃんは戦が嫌なの?」
 意外な返答に面食らう。
「嫌って言うか、良いものじゃないだろ。だって…」
 人が死んで、故郷が無くなって。
 言えなかった。
 彼らの近い未来をわざわざ絶望で塞ぐ事は無い。
 何より、まだ、朔夜自身の心にその事実が重く重くのし掛かっていて、簡単に口には出来なかった。
「戦があるからこの町はあるんだよ」
 少し年長そうな子供が言った。
「兵隊さんが来てくれるから、父さんは仕事が出来るんだ。戦が無くなったら困るって、みんな言ってる」
「…そうか」
 それ以上何も言えなかった。
 己の全てを奪った同じものが、彼らの生活を支えている。
 あまりに簡単な、あまりに当たり前の事に、強く頭を殴られたような感じがした。
 部屋の前まで来て、子ども達の手を離した。
「お兄ちゃん、元気になったら僕らとも勝負してよ」
 朔夜は苦笑して頷いた。要は遊び相手だ。
 恐らくそうなる前にここを発つし、そうならなければならないのだが。
「じゃあな」
 言いながら扉を開ける。
 子ども達は手を振って帰っていった。
 後ろから付いて来た燈陰も部屋の中に入った。
「良かったな、友達が出来て」
 馬鹿にしているようにしか聞こえない。朔夜は舌打ちで返した。燈陰は鼻で笑った。
「…戦を歓迎出来るような奴と付き合えるかよ」
 ややあって朔夜は言った。
 根本的な価値観が違う。許せないものは許せない。
 同時に、彼らが必要としているのも理解は出来る。
 だが、共存は難しいだろう。
「この世は皆戦をしたがる奴ばかりなのか?誰も止めようなんて考えられないのか?金になるなら何をしても良いと思ってるのか?」
 解らない。解りたくもない。
 自分が間違っているとは思わない。誰も戦の本当の姿を知らないからあんな事を言えるのだ。
 おかしいのは、世の中の方だ。
「世の中からしたら、お前は戦そのものだがな」
「…は?」
「お前自身が災厄だと思われているんだ。そのくらい解るだろ。少なくとも、戦があるお陰でお前の存在価値がある…一番戦を必要としているのは、お前だってな。現実はともかく、世間の認識なんざそんなもんだ」
 咄嗟に怒る事もできなかった。
 否、燈陰を怒っても仕方ない事は解っていた。
 それが現実だというくらい。
「…俺を生ける兵器にしたのは、あんただ」
 それだけ、力無く言い返した。
 虚しさだけ心に残った。
 正しさや理想を掲げ、声高に叫んだところで、一体誰に届くのだろう。
 そんなものが踏みにじられる世の中であり、存在そのものが否定されるのは自分自身なのだ。
 戦場でしか生きる事の出来ない人間が、どうして戦そのものを無くす事が出来るだろうか。
「かつて、お前と同じ事を言った奴が居る」
 おもむろに燈陰は言った。
 朔夜は訝しむ眼を上げた。
「お前達と別れたあの夜、繍の陣に乗り込んだ俺に奴は、何故愚かな戦で命を落とすと問うた」
「…それは…」
「お前の言う通り、馬鹿な俺は多勢に無勢で瀕死の状態で命からがら山中に逃げ込んだ。そのまま死ぬつもりで。…そこに奴が現れた。俺を…いや正確にはお前をだが、探していたと言ってな」
 いくら燈陰が腕が立つとは言え、敵の陣中に一人突っ込めばちょっとやそっとの怪我では済まなかっただろう。
 何とか敵の手を逃れ、第二の故郷の山中で死の夢を観た――その傷を治癒し、再び刀を握らせる程に救える人間は、この世界で一人しかいない。
 否、己を除けば一人しか知らない。そう言った方が正確だ。
「あんたも皓照に助けられたのか」
 呆れて朔夜は言った。燕雷のように命の恩人として皓照に従い、ここまで来たのか。
「知るか。奴が勝手に治しやがったんだ」
 乱暴に燈陰は言い棄てた。死に場所を奪われた男の言い草だった。
 朔夜とて梁巴を死に場所としたかった一人だ。気持ちは解らないでもない。
「…死んでも何も変わらないと言われた」
 どこか悔しさを滲ませて燈陰は言った。
「梁巴は滅ぼされ、家族は危うく、取り返しのつかない結果になる。ならば自分と共に生きて世界から戦を無くそう、と。手始めにこの戦を終結させよう…そう言われた」
 延べられた手を取る以外に、選択肢は無かった。
 救われた命は、皓照の手の内にあったからだ。
 馬鹿馬鹿しい、おとぎ話を本気で語っているに過ぎない、そう思いながらも燈陰は再び立った。命を賭しても止められなかったこの戦を終わらせられるなら、そうしなければならなかった。
「…で、何が言いたい?あんたは皓照を捨てたんだろ?今頃後悔してるのか?」
 朔夜が問うと、いや、と燈陰は否定した。
「俺が奴と歩みを共にする義理はもう無い。元より馬が合わないしな。…ただ、お前が戦無き世を理想とするのなら、この事を知っていた方が良いだろう。お前の生は長いのだから」
「生きて…万年も生き永らえて、奴と共に歩めと言うのか」
「それも一つの方法だろう。万年は長い」
「馬鹿らしい。今から死にに行くかも知れないのに」
 ふん、と燈陰は鼻で笑った。
 死ぬ筈が無いと言わんばかりだった。どうせ殺しても生き返る化物の癖に、何を偉そうに、と。
 癪に触るが事実でもあるので朔夜は何も返さなかった。
 そして燈陰は、全く違う事に思いを馳せていた。
 出立して朔夜と言い合ったあの日の夜からずっと、甦ったきり頭から離れなくなった記憶。
 その前後を思い出していたが為に、皓照の言がふと口に上ったのだ。
 その肝心な記憶については、語ろうとして、止めた。
 あの事について、今は忘れたふりをしている朔夜に話しても、戦いを前に不要な感情を蒸し返させるだけだと思った。
 ただ、この先、話す事が出来るとも思えなかった。己の胸の内にのみ秘めていれば良いのかも知れない。
 その記憶。
 皓照に救われて連れられた、戦場となった梁巴の光景。
 その中に見た。
 横たわる妻の亡骸、その横で抜き身の刀を手にぼうっと突っ立っている、血に濡れた息子の姿を。







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