[携帯モード] [URL送信]

月の蘇る
  9
 女の園は様変わりしていた。
 龍晶は最低限の設備管理しかさせていなかった。せいぜい庭の掃除と使用する御殿の維持くらいだ。
 それだけで十分気持ちの良い場所だったが、今は最初に忍び込んだ時に近い雰囲気となっている。
 御殿の彩飾は塗り直され、極彩色に戻った。
 庭の花々も所狭しと咲き乱れ、常に女官達が管理に動き回っている。
 人は明らかに増えた。知らない顔が殆どだ。
「王子様のお付きでね。灌から女官が沢山来て。あ、女官だけじゃないの。表向きの家臣まで灌から遣わされて」
 於兎が声を低くして説明した。
「そんなの…乗っ取りじゃねえか」
 眉間に皺を寄せて言い返した朔夜に、於兎は唇に指を立てて黙らせる。
「誰が聞いてるか分からない。面倒になったわよ、随分と」
 釈然としない思いで歩みを進める。
 他国の事ながら波瑠沙も溜息を吐いた。
「ここも大変なんだな」
「哥の王様の所が一番住み心地良さそうだよ」
「違いない」
 いよいよ政権を握った女王への期待は二人共通だ。
「ここ。蚕部屋」
 於兎は二人を招いて戸を開いた。
 虫達が葉を食む音が微かに聞こえる。
 そのくらい数が増えている。
「わあ。可愛い」
「え。可愛いか、これ」
 波瑠沙と朔夜の意見が真っ向から割れた。
「可愛いよ。ねえ於兎さん?」
「うん…まあ、私は世話してないから分からないけど、世話してる娘達は可愛いって言ってる」
 遠回しに朔夜へ一票。
「絹織物はもう少しで出来ると聞いてる。産業になるにはもっと時間が要るかしら」
「あいつが生きてるうちにそうなれば良いよ」
 当然のように朔夜は言った。
「そうね。…春音にも会うでしょ?」
 もっと当然のように於兎は案内する。
 波瑠沙は後ろを付いて歩きながら、朔夜に小声で問う。
「春音って?」
「二人の子供。養子だけど。本当の親は於兎達」
「二人って、王様とお后?なんで?」
 普通はその若さで養子など取らぬだろう。
 朔夜は少し言い淀んで、心を決めた。
 今朝の話ではないが、告げるなら今だ。
「華耶は俺が不老不死の体にしてしまった。事故で。…だから、子供が出来ない」
「えっ…」
「俺もだ、波瑠沙。不死の人間には、子供が出来ないって聞いてる。きっと哥の王様も香奈多もそうだと思うんだけど」
 波瑠沙は黙り込んだ。
 無理に何かを話そうとは思えず、朔夜も黙ったまま於兎の後に続いた。
 すれ違う女官達は何の違和感も抱いてはいないようだった。新顔が一気に増えたせいもあるだろう。
「十和、珍客を連れて来たわよ」
 於兎が御殿の奥に声をかけ、また手招きで二人を入れる。
 懐かしい顔に朔夜はほっと息を吐いた。
 驚いた顔の十和は、やがて笑顔に戻った。
「あら、懐かしい。相変わらずの美人さんね」
「あの時以来だよ、こんなの」
「勿体ない。お似合いなのに」
「いや、それは…」
 苦笑いで躱して、波瑠沙を掌で指して。
「哥王宮の親衛をしてる、波瑠沙っていうんだ。ほら、南部で二人が言ってた…」
「朔夜君の好きな人?」
 その会話の一部始終を聞いていた彼女が先回りして答える。
 朔夜は顔を赤くする事なく真剣に頷いて、恋人を見上げた。
「自分達に負けないような式を作ろうって、華耶は言ってくれたけど…。俺はそこまで望まない。波瑠沙も、龍晶も華耶も、ずっと一緒に居てくれたら」
「当たり前だろ」
 にっこりと、波瑠沙は笑って言う。
「みんなずっと一緒だ」
 朔夜は微笑み返した。胸のわだかまりが一つ取れた。
「朔夜君、陛下は…」
 言いかけた十和に、頷いて見せて。
「会いに行くんだ。その為のこの格好。笑っちまうけど」
「ああ…そういう事」
 幼い頃から王に仕えた彼女は泣き笑いだ。
「分かった。どうか、龍晶様を、よろしく」
 於兎が春音を抱いて戻ってきた。
「花音に慣れたらこの子が重いわあ」
「嬉しい重さよ、於兎さん」
「そうね、本当」
 久しぶりに見た赤子の顔に、朔夜は目を見開いた。
「え…これ、本当に…」
「私の子じゃないけど私の子よ。ね?似てるでしょ?」
「なんだろ、ずっと華耶が言ってたから暗示に掛かってる?」
「だとしたらこの子は親孝行なのよ。華耶ちゃんの願いが分かってる」
「どういう話?」
 波瑠沙が問うて、朔夜は笑って答えた。
「こいつの顔が、実の親より龍晶に似てるって話」
「あら、私にも似てるわよ。色白で綺麗な顔」
「あ、そうだな於兎。とりあえず少なくとも桧釐には似てない」
「あの人には似なくて良いの」
 へえ、と感心した声を出して波瑠沙は赤子の顔を覗いた。
 確かに花音とは違う。あの娘は目が大きくてくるりとした感じだったが、この子は切れ長の目で、既に賢そうな顔をしている。
「あいつと並べて見てみないとな」
 朔夜はそう言って笑う。
 それが実現可能な未来だと、彼女達に信じさせるように。
 ふと、外に異様な雰囲気を感じ取って振り返った。
「ああ…王子が来た」
 於兎がどこか邪魔そうに呟く。
 多くの女官と宦官を引き連れて、その少年は近付いてくる。
 以前見た時とは少し大人になった顔。でもまだ子供だ。
 お付きの者の多くを外で待たせ、数人を伴って、鵬岷は入ってきた。
「春音に会いにきた」
 於兎の姿を認めて彼は言った。
 見ない顔など全く目に入っていないかのように、於兎の抱く弟へと近寄る。
 朔夜は薄絹の奥の目を鋭くして少年を睨んでいた。
 彼が龍晶を死地へと追いやった。本人達にその自覚は無いかも知れないが。
 否、鵬岷は自覚しているのかも知れない。この企てを知ってこの国に来たのかも。
 この少年が気付いているのだとしたら、龍晶が気付かぬ筈が無いだろう。
 知っていて飲んだのかも知れない。
 戔を生かす為にはそれしかないと考えてしまったら。
 そこまで追い詰められていたとしたら。
「なるべく会って、兄弟として育って欲しいと父上から言われていて」
 鵬岷は微笑みながら於兎に説明した。
 何の悪気も無い顔だ。
 於兎は固い無表情で少年を見ている。
「抱いても良いか?」
 屈託なく少年は手を伸ばした。
 仕方なく、於兎は我が子を彼に預ける。
 鵬岷は慣れた手付きで抱き上げてあやしている。頬擦りまでして、嬉しそうに。
「可愛い王子様じゃねえか」
 朔夜の隣で波瑠沙が低く話しかけた。
 双眸の鋭さを和らげようとして。
 朔夜は小さく息を吐いて言った。
「…そうだな。あいつは龍晶を助けてくれた事がある。…悪いのは、いつだって大人だ」
 鵬岷の目が、初めて朔夜へ向いた。
 一瞬、完全に目が合った。
 慌てて朔夜の方が目を逸らす。この格好で気付かれないとは思ったが。
 春音を抱いたまま、鵬岷が前に立った。
 いつの間にか背が同じくらいになっている。
 真正面から見据えられて、朔夜は俯くしかない。
 鵬岷はおもむろに自分に付いて回る女官を振り返った。
「この人と話がしたい。奥の間で、人払いを」
 その女官は驚いた顔をしたが、恥じらうかのように俯く少女の顔を確認し、意味深な笑みで頷いた。
「承知致しました。そのように」
 鵬岷は頷いて、於兎に義弟を返した。
 思わず彼女は王子に確認する。
「あの者が、何か?」
 彼は笑顔で首を横に振った。
「別に、ちょっと話がしてみたいだけだ」
 朔夜は助けを求めるように波瑠沙を見上げたが、意地悪なにやにや顔にぶつかった。
「見初められたんじゃねえか?流石は美少女だな」
 やめてくれと顔に出して、しかし口には何も出せず女官の指示に従うよりない。
 奥の部屋に通され、二人きりとなった。
 臆する事なく鵬岷は近寄ってきて、顔を覆う薄絹をたくし上げた。
 朔夜はただ、相手を睨むしかない。
「…お似合いですよ。びっくりしたけど」
 悪戯っぽく少年は言った。
 朔夜は荒く息を吐いて舌打ちした。
「好きでやってる訳じゃねえからな、言っとくけど」
「何の為にですか?春音に会う為?」
「それはついでだ。於兎に付き合わされてたんだよ。この格好で苴に行けと言われたから」
 くるりと、少年の目が見開く。
「苴に…行ってくれるんですか?」
「当たり前だろ。俺の他に誰が行くんだよ」
「父上を助けられる当てがあるのですか!?」
「無えよ」
 朔夜は即座に言い捨てた。
 悔しさで口元が震えた。
「それを当てにするならお前の親父の方がよっぽど力を持っているだろう。その気があればの話だが」
 鵬岷は目を見開いたまま、少し引いた。
 少年を睨み据えたまま、朔夜は詰問した。
「どうなんだよ。お前の親父はどういうつもりでお前をここにやったんだ?何も動かないなら、あいつも華耶も、俺も、ただあの親父に利用されただけって事になるが」
「父上は…そんなつもりでは…」
「純粋な王子様は何も知らないって?それほどお前ももう子供じゃないだろ?お前の年頃で俺はもう人を殺しまくってたぜ?」
 初めて鵬岷の目に怯えが見えた。
 目の前に居るのは悪魔なのだと、その時初めて知ったような。
 最初から躊躇なく近付いて来ていた子供の目が、消えた。
「僕たちを恨みますか」
「いや?龍晶が託して行ったものを、踏み躙る気は無えよ」
 少年は恐々視線を上げた。
「ただ、どう見てもおかしいだろ。お前の周りに人が多過ぎる。灌の人間が。それをお前は分かってやってるだろ?」
「灌の父上がそうするようにと送ってきた人達です」
「お前の父親は灌に居るって事だな。ま、龍晶も好き好んでお前を子供にした訳じゃないと思うけど」
 見る間に少年の肩が萎んで、がっくりと頭が垂れた。
「分かってますよ…そんな事くらい…」
 心とは裏腹の言葉が滑り落ちる。
 子供を利用する父親。それに応えるしか無かった自分達。
 それでも愛されないまま。
「くだらねぇ」
 吐き捨てたかったのは、子供の頃の自分。
 きっといつかは愛されると信じていた、あの頃。
「あいつが帰ってきたら、お前の王様ごっこも終わりにしてやれる」
「でも…あなたにはそれは出来ないんでしょう!?」
「やってやるよ。そういう気になった。お前を見てたら」
 立ち上がって、見下して。
「どれだけの血を流して俺達がここまで来たか分かってないだろ。戔のてっぺんには、あいつが居なきゃ嘘なんだよ。てめえらみたいな泥棒に盗らせる訳にはいかねえんだ」
「…灌でも同じ事を言われた」
 ぽつりと溢した少年の顔を、怒りだけではない目で見て。
「足掻けよ。自分の運命を呪うしかない生き方なんて、糞みてえだから」
 その口で言うべき事を言え、と。
 かつて龍晶にもそう言われた。
 二人揃って――運命に翻弄されるしか無かった二人が揃って、同じ事を言う。
 てめえの人生は、てめえで決めろ、と。
「朔夜さん」
 踵を返そうとした足を止める。
「僕はあなた達みたいに強くはなれません。きっと、戦ってきたものが違うんです。でも」
 見上げた顔に、元の少年の目が戻ってきていた。
「だから憧れるんです。あなたや父上を見て、いつかはこうなりたいって、そう思うんです」
「じゃあさ、まず手始めに、あの取り巻きは突っ返せよ。灌の狸親父にさ。あんたは過保護だって言って」
 冗談ぽく言って笑い、少年を残して外へ出た。

「いくら格好良い事言ってもその顔じゃ説得力無いよな。残念」
 話の内容を聞いた波瑠沙はせせら笑ってそう評した。
 朔夜は頭を掻き毟る。元の子猫ちゃんに戻ってもうやり込められている。
 しつこく落ちない化粧を風呂場で波瑠沙に落として貰っている。
「でもま、ちょっとは効いたんでないの?於兎さんは喜んでたぞ。王子様のお付きの人間が減りそうだって」
「そう?そう言ってた?」
「ああ。あの部屋から憑き物が落ちたみたいな顔して出てきて、すぐに命令を出してたって」
「そっか」
 言って、後ろ頭を掻いて。
「俺、あいつに啖呵切っちゃったよ。何が何でも龍晶を連れて帰らないと」
「ハナからそのつもりだろ?お前は」
「ま、確かに」
 悪い笑顔で頷いて。
「でも戦にはしたくない。それは絶対だ」
「それこそ無理だろ。良いじゃん。戦ってやれば」
「え?」
「私はお前とやれるのならいくらでも付き合うぞ?愉しいから」
「それって戦の方の話だよね?」
「何を考えてるんだよお前は」
 ざぶりと、頭の上から冷や水を掛けられた。
「いや、だって!戦が愉しい訳ないから…!」
 頭から流れる水を両手で拭って言い訳する。
 波瑠沙は真顔で言い返した。
「済まんが私は愉しいんだ。ま、北方の血がそうなんだから、お前には理解出来んかも知れんが」
「そんなもんかなぁ」
「お前の見てきた地獄を否定する気は無いよ。ただ、開き直る事は出来るだろって思うけど」
 皺の寄る眉間を小突いて立ち上がり、湯船に向かった。
 旅の身になればまた暫くこんな贅沢は出来ないだろう。
 後ろで水音がして、波が立った。
 背中から腕を回される。濡れた銀髪が頬に付けられた。
「俺、波瑠沙が居るから今は自分を保ててるんだ。多分今までの俺だったら、誰が止めるのも聞かずに苴に走って…殺しまくってた」
「友を救う為ならその方が良いんじゃないか?」
「そうかも知れないけど…でも、本当の意味であいつを救ってやらなきゃならない。あいつが刀を置けって言ってた意味がやっと分かったんだよ。お前が居るから」
「私が?」
「このままで居たい。だから…俺のままで居なきゃ駄目なんだ。時間はかかっても、刀を置けるようにならなきゃ。そうじゃないと、…そうじゃないと、俺はただ人を殺して愉しむ死神になってしまう」
 暗枝阿の姿が未来の自分なのだとしたら。
 それに抗わねば、鵬岷に言った自分の言葉が嘘になる。
「俺、ずっと波瑠沙と笑っていたい」
「だから刀を抜かずに友を救うって?」
「うん。難しいのは分かってるけど」
「良いんじゃないか?私は付き合うよ」
 笑って、横の頬を撫でて。
「私も、今のままのお前が良いからな」
 首を後ろに倒して、紅の取れた素の口元へ。
「朔兄、湯加減どお?」
 外から賛比の声がした。
「あー…えっと、ちょうどいい!」
 叫び返して額を叩いた。絶対、あいつわざとやってる。
 邪魔されたのに波瑠沙はくくっと喉で笑っている。朔夜には不可解だ。この前は足蹴にまでされたのに。
「分かったろ?自分が如何に何も知らなかったか」
 耳元で囁いて、波瑠沙は外に声を上げた。
「もっと熱くしてくれたって良いぞ」
「了解!」
 賛比は嬉しそうな声を返して、笑い声と共に釜へ向かった。
「どういう顔して今度から賛比に会えば良いんだか」
 苦い顔でぼやく。
「べっつに、あいつは最初から察してたと思うけど?ま、明日からはまた二人きりだから、そんなこと気に病むな」
「うー…」
 ぶくぶくと泡を立てて湯の中に沈む。
 波瑠沙は笑って、窓から逃げる湯気を目で追っていた。


[*前へ][次へ#]

9/10ページ

[戻る]


第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!