月の蘇る
8
一人用の寝台に二人で寝るには流石に狭くて、布団を床に下ろして身を寄せ合って寝た。
夏の事だから薄い毛布一枚で十分、寧ろ特にそれも必要無かった。波瑠沙は戔って暑いなと、そればかりぼやいていた。
都は北方に位置するのでそこまで暑いとは思わないが、夜の冷え込みの厳しい哥に比べれば暖かいのかも知れない。
朝方の爽やかな空気が肩を撫でた。
どちらからともなく目を覚ます。
間近にある目で見つめ合って、ちょっと気恥ずかしく笑う。
波瑠沙が寝返りを打って横向きになり、朔夜の顔の横へ手をついた。
「起きる?」
訊くと、顔を横に振って。
「そのまま」
言いながら、覆い被さって口付けを交わす。
なんとか身を隠していた毛布が、するりと落ちた。
流石に朔夜も慣れてしまって、落ちた毛布を片手で掴んだだけ。
波瑠沙が元のように横に戻ると、当たり前のように訊いた。
「寒くない?」
「あっつい。暫くここまで良い」
じゃあ離れれば良いのに、と思いつつも口には出さない。
自分の上にだけ毛布を戻した。肌寒いし、ちょっと恥ずかしい。
波瑠沙の指が胸をなぞってゆく。
「傷痕、消えたな」
「そう?自分じゃ見えない」
「もう殆ど分からない。ここに赤みがあるくらいで」
腹の上をくりくりと指が動く。
「ふへへ、くしゅぐったい」
「もっとやってやろうか?」
にやりと笑った顔に待ってと言いかけた時。
「誰か来る」
どしどしとした足音。
「げっ!」
その音だけで主は分かった。音だけに。
夜中のうちに脱いだ服を探す余裕も無かった。毛布を二人の身に被せ直した所で、問答無用で戸が開く。
「朔夜!!朔っ!!この子ったら!」
きんきん響く耳を塞ぐのが精一杯。
「もー!何やってんの!!ほんと、何やってんの!!」
二度言った。別に大事でもないが。
「えーと、於兎」
何やってるかは時間と状況で判断して欲しいものだ。
「一旦閉めて、百数えてから出直してくれ」
慌て過ぎたら人間、一周回ってとてつもなく冷静になるらしい。
「良いわよ、分かったわよ」
扉が閉まった。二人は視線で合図して、戦闘開始。
壁の向こうで声をあげて於兎は数えている。
朝からなんて迷惑な!と思いつつ。
九十あたりで最低限の身支度は整った。
「ひゃーく!開けるわよっ!」
良いとも悪いとも答えさせずに全開。
「この子ったら命の恩人である私に黙って何やってんの!」
改めて最初に言おうとした台詞を言った、らしい。
「命の恩人?」
波瑠沙がきょとんとして問うが、朔夜の視線は明後日に飛んでいる。なんなら白眼を剥きたい気分で。
於兎の奥から聞き慣れた笑い声が、抑えた調子でくつくつと。
「もう桧釐、朝から何やらせてんだよ。頼むよ、もー」
朔夜の疲れきった言葉を受けてげらげら笑いに変わった旦那が姿を現す。手には赤子を抱いている。
「決まってるでしょ。見たいし見せたいから来たのよ。この時間しか空いてないでしょ?この人が」
時間の都合は桧釐の都合らしい。
波瑠沙は赤子に反応して初対面の家族に寄って行った。
「ああ、世話になったやたら美人の奥さんの」
繋がったらしい。
「やたら美人?」
「お前の母さんのこと」
「何吹き込んでんだよ、お前」
「俺のせい?」
波瑠沙は赤子の顔を覗きながら訊いた。
「なんて名前?」
「花音(カオン)ちゃん」
でれでれの顔で親父が答える。
「可愛いな。顔も名前も」
「だろう?やっぱ、この娘は俺の血をひいてとびっきり美人になるんだよ」
「それは私のかも知れないじゃない!」
於兎が噛み付く。どっちでも良いし、将来の顔などまだ分かったものではない。
「それよりお嬢さんよ!お名前は?」
あ、と彼女は顔を上げて答えた。
「波瑠沙」
「ちょっと、朔夜」
「はい」
直立不動で返事。
「どうやってこんな美人引っ掛けたの!しかも異国で!ウブなあんたのやる事じゃないわよ!」
「あー、ウブだから引っ掛かったんだよ。私の方が。なあ?」
「ええ?えっ?」
同意を求められても言われている意味が分からない。
「ほら、こういうとこ。可愛いじゃん?」
肩越しに親指で指して於兎に共感を求めている。
「ああ、まあ、分からなくはないわね。良かったわねぇ朔夜。あんたに魅力を感じてくれる人が居て」
「えー、えっと、はい」
もうやり過ごすしかない。
「抱いてみる?」
於兎が波瑠沙に訊くと、嬉しそうに彼女は頷いた。
袖を上げて花音を受け取る。
露わになった波瑠沙の腕を見て、感心したように桧釐が言った。
「おお、逞(たくま)しい腕だな。これは抱かれ心地が良さそうだ。なあ朔夜?」
「なんで俺に振るの」
「お前が一番知ってるからに違いない」
波瑠沙にまで言われてしまう。何も言えない。
その心地良さを証明するように花音は大人しく抱かれている。くりくりとした目で知らない大人を観察して。
「良いなあ。お前の子供はきっと泣き虫だろうな。こんなに大人しくしてくれない気がする」
波瑠沙に言われて、朔夜は若干顔色を変えた。
事情を知る夫妻は苦笑いで我が子を受け取った。
「子供が好きなのね」
於兎に問われて、波瑠沙は首を傾げた。
「どうだろ。あんまり接した事が無かったから。でもこの子は可愛いと思ったよ」
「そりゃ、私の子ですから」
「ですよね。姐さんも美人だ」
「そうでしょう?あ、私は於兎。この人は桧釐。よろしくね」
「こちらこそ」
なんだか女同士上手い具合に打ち解けている。
その一方で。
「まだ何も言ってないのか?」
声を潜めて桧釐が問うた。わざわざ横まで来て。
「だって、まだ、そんなんじゃ…」
「早めに言っといた方が良いぞ」
年長者の忠告に苦りきった顔をする。
「俺が不死だって事は知ってるんだ。哥王や香奈多と同じだから、何となく分かるんじゃないかと思って」
「何となくで済む事じゃないからな?」
「そうかも知れないけど」
溜息で一旦その話は区切って、気になる名前が出たついでに問うた。
「哥の人達は皆無事か?香奈多殿はわざわざこの城まで来て貰った間柄だ。こう見えても心配はしていたんだが」
朔夜は目を伏せて、首を緩く横に振った。
「そうか…」
「俺のせいだ。救出に当たったのは俺なんだけど…間に合わなかった」
「終わった事だ。残念だがな」
伏せていた目を上げると、波瑠沙と目が合った。
何の話か、聞こえてきた単語で察したのだろう。
「…蚕」
ふと、思い出した。
「どうなったか、於兎は知ってる?」
「ん?後宮で大事に育ててるわよ?」
「あ、やっぱりそうか。そうなんだって」
波瑠沙に言って、笑って見せる。
「あれ、波瑠沙が哥王や香奈多と一緒に選んでくれたんだ」
「そうなの!あら、じゃあ後宮に案内しなくちゃ。どうなってるか見たいでしょう?」
「良いのか?」
哥に後宮は無い。どういう所かは何となく知っていても、詳しくは知らない。
但し龍晶のお陰で作られたこの国の寛容さはまだ生きている。
「いいのいいの。女子は出入り自由だから。朔夜は…」
「いや、俺は良いよ。留守番しとく」
正直、龍晶も華耶も居ないあの場所に入りたい気がしない。
「そうねえ。後宮も主が変わったから、あんたに入って良いって言えなくなったわ」
「あるじが…変わった?」
不在であるだけではないのか。
桧釐が代わって口を開いた。
「お前、知ってるんじゃないのか。灌に居た鵬岷王子」
「え、知ってるけど…なんで」
何故その名前が出て来るのか。
「次の戔王だ」
「えっ?春音じゃ…?」
振り返った桧釐の顔が険しい。
「陛下の養子となられた。あの人は、鵬岷王子の戴冠を最後に指示して苴に向かったそうだ」
すぐには何も言えなかった。
龍晶がそう決めたのなら何も言う事は無い。
だが、時機からしてどうしても勘繰ってしまう。
少なくとも、龍晶は鵬岷の存在があったからこそ自ら命を捨てる決断をしたのだろう。
それを可能にさせた。逆を考えれば。
桧釐の顔色がそう言っている。
これは、仕組まれていた戴冠だ。
「良いのか、それで」
「致し方無い」
背を向けながら桧釐は吐き捨てた。
本音は春音の戴冠を見たかっただろう。
これ以上は問えなかった。
「波瑠沙さん、後宮に行く前に私の服を貸してあげる。やっぱ、それなりの格好で入った方が良いでしょう?」
部屋に掛けてある服を見て、於兎は提案した。
「そっか。じゃあ有難くお借りしようかな。女装は久しぶりでさ」
「女装って」
半笑いで朔夜が突っ込む。
「だっていつも男装だからさ?まあその方が楽だし好きなんだけど」
「あら、じゃあ化粧もしてあげようかしら。元が美人さんだからやり甲斐がありそう。そうそう、朔夜にもやってあげたわよね?出会ったばっかりの頃に」
「うわ…そうだった…」
忘れておきたい記憶だった。
「え?なんで?」
興味を唆られた顔で波瑠沙が問う。
「旅の楽士に化けたのよ。暗殺対象の将軍の寝所に潜り込めるように」
「うわ、凄いな。色仕掛け?」
「そんなんじゃないっ!」
結果的にそういう雰囲気にはなったが。
「あの頃は可愛かったのに、いつの間にかこんな不純になっちゃって。見た目は変わらないけど」
「よ、け、い、な、こ、と、を、言うなっ!」
歯を剥いて怒る朔夜を三人でげらげら笑う。
どんなに笑っていても笑われていても、不在感が胸に染みて真顔になってしまう。
「そう言えばあいつにも言われたな。またあの傑作な女装が見れるかって。前に滅茶苦茶笑われたから」
「へー?陛下が?」
「いろいろあって後宮に忍び込んだんだよ。あいつを助けてくれって言う為に。あの時は十和が手伝ってくれたんだけど」
「良いじゃん。それで行くか?」
桧釐の言葉にぽかんと口を開けた。
「は?」
「苴だよ。女の二人旅なら怪しまれんだろ?しかも、陛下の希望に添える」
「…へ?」
三人の笑い顔がにやにや顔になっている。
これはもう、嵌められた。
「えーー…」
拒否権など無い。何せ、そこには於兎の強権と波瑠沙の好奇心があるのだから。
まずは上手く化けられるか後宮で試してみようという事になった。その辺りの緩さは相変わらずと言うか、朔夜としてはもっと厳格に規制していて欲しかった。
「だって、鵬岷王子もまだ十三歳よ?正室を探している所ではあるけど、華耶ちゃんが居ないとどうにもならないし、王子様じゃなければそういう年でもないじゃない」
だから緩いままなのだという於兎の言。
はあ、と生返事するより無い。何より喋ると白粉が口に入りそうで、出来る事なら口も鼻も閉じてしまいたい。
ただし目はばっちり開いている。女装…もとい、戔の正装に身を包んで化粧をした波瑠沙をずっと見ている。
綺麗だなぁと、視界だけは夢見心地。
そういう視線は正面で顔を弄る於兎に完全にバレている。
「あんたも男ね」
「当たり前じゃん」
その格好では説得力が無い。
波瑠沙は自分の支度が済んで、朔夜を覗いた。そしてせっかくの格好が帳消しになる馬鹿笑い。
「うっわ、これ凄ぇわ!傑作!!」
「え…可笑しい?」
真面目に狼狽える。
「予想以上に似合い過ぎててな。私より美少女だろこれ」
「そんなことないよ。波瑠沙はいつもに増して綺麗だよ」
真剣に誠実に真顔で返す。堪らず二人の女は噴き出している。
「あー…おっかし…」
「そんなに笑うなって!」
「無理無理。笑うなって方が無理」
「思った事言っただけなのに」
ぷうと膨らむ顔は女子そのもの。
「やめろ…あざとい…」
「なんだよあざといって!!」
「はい朔夜、口紅塗るからそのまま」
言われた通り固まる。
「はい出来ました。あとは、これを」
頭から薄絹を被せられた。
銀髪を隠す為だが、これでは。
「これしたら化粧要らないだろぉ…」
顔ごと隠れる。
「そんな事無いわよ。大丈夫」
「安心しろ。可愛い顔は透けて見えてる」
最早何を励まされているのか分からない。
「じゃあ行ってみましょうか」
長い裳裾を引き摺って渋々、会いたい人の居ない後宮へ向かった。
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